第37話 生きてて、良かった
宙に浮いていたルゥの身体が、力なく地面に落下する。危うく頭から地面に落ちるところだった彼女の身体を抱きかかえたのは、ファイだった。
「ルゥ。大丈夫?」
「げほっ……ファイ、ちゃん……?」
口から血を吐き、真っ青な顔でファイを見上げるルゥ。身体の線を強調するぴったりとしたルゥの服は斬撃によって両断され、生々しい切り傷が見えてしまっている。そんな状態でもなお、ルゥはファイに笑ってみせた。
「ふ、ふふん……。わたし、強かった……でしょ?」
美しい青色の瞳を虚ろにしながら、聞いてくる。そんなルゥに、ファイは大きく頷きを返す。
これまでも多くのガルン人を葬ってきたファイ。彼女にとってガルン人もまた魔物であり、魔物を殺すことは息をすることと変わらない。ゆえに、瀕死状態のルゥを見ても何も思わない。思わないはず、なのだ。
(――なのに、なに? このモヤモヤ……。)
キュッと胸を締め付ける痛みに、思わず眉根を寄せるファイ。
「ルゥは、手ごわかった。だから、手加減できなかった。その……ごめん、ね?」
きれいな青い瞳を隠してしまっているルゥの前髪を指で払い、彼女の目を見て謝罪するファイ。そんなファイの道具らしからぬ態度が可笑しかったのだろう。
「そっか。それなら、よかった……よ……。がくり」
気丈に笑ったルゥはそこまで言って、全身を弛緩させたのだった。
そうして動かなくなったルゥをファイが眺めていると、こちらに歩いてくる2つの足音がある。そのうちの1人、ニナがファイに緑色の液体が入った細長い瓶を渡してきた。
「お疲れ様でした、ファイさん。こちらを」
よく分からない溶液を、ファイはためらうことなく口に含む。途端、甘く、さっぱりとした味わいが口内を満たす。鼻を抜けるのは、爽やかな香草の香りだ。
「美味しい……。それに……」
先ほどまで毒で重かった身体が、嘘のように軽くなっている。
「ニナ、これは?」
「ふふっ! ルゥさんお手製の傷薬ですわ! 解毒作用もありまして、レッセナム家の皆様が作る傷薬の効果は魔王様のお墨付きだったのですわよ?」
身内の自慢話を、やはり自慢げに語るニナ。後半、やや難しい話についてはファイも理解不能だが、とりあえず強力な傷薬であることは分かった。
「そっか。じゃあ――」
言って、抱きかかえていたルゥの顔を覗き込んだファイ。そしておもむろに口を開くと、まだ傷薬が混じっているだろう自身の唾液を、微かに開いているルゥ口へ目がけて垂らした。
「ふぁっ!? ふぁふぁふぁ、ファイさん!? なにをっ!?」
「なにって、治療。この薬があれば、ルゥも治るかもしれない。それにガルンでは、他人の唾液を飲むのが普通……なんでしょ?」
なぜか慌てた様子で聞いてくるニナに、淡々と答えて見せたファイ。唾液を飲む文化については、ニナのよだれを舐めていたルゥやミーシャの様子。そして、先日の酔ったミーシャの一件からの推測だった。
蘇生を続けるためにも再びルゥの口内へ唾液を落とそうとした彼女の口を、小さな手が塞いだ。
「……ミーシャ?」
助けなくて良いのか。疑問と共に蘇生行為を止めた人物を見遣るファイ。そこには、顔を真っ赤にしているミーシャの姿があった。
「あ、アンタって、ほんっとにバカッ! ルゥ先輩の分が無いわけないじゃない!」
言って、3本ほど傷薬を取り出し、ルゥの傷口へと垂らす。すると、みるみるうちに傷が塞がっていく。数秒もすれば完全に傷は消え去り、血で汚れた戦闘服の下には傷一つないきれいな肌が覗いていたのだった。
それとほぼ同時。
「う゛っ……。うん……?」
苦しげな声と共に、ルゥが意識を取り戻す。ファイに抱かれたまましばらく目を瞬かせていたルゥだったが、自身の腹部の状況を確認するや否や、
「……よしっ! わたし、完全復活!」
そう言って、何事もなかったかのように溌剌とした笑顔を見せる。しかし、自身を見つめるファイの視線や、絶望の表情で立ち尽くすニナ。顔を赤くしてうつむくミーシャの様子を見て、首をかしげた。
「な、なにこの微妙な空気? 何があったの――きゃっ!?」
混乱するルゥが悲鳴を上げる。その理由は、ファイが彼女を強く抱きしめたからだ。
ルゥが無事に回復したことを確認した瞬間、ファイの中にあったモヤモヤが吹き飛んだ。その衝動に急かされるように、ルゥの身体を抱きしめたファイ。彼女の柔らかさや温もり。拍動する心臓を、全身を通して感じ取る。
確かに、全力で戦えと指示があった。それにルゥはガルン人――魔物――であり、少し前のファイにとっては倒すべき敵だった。だから躊躇なく、後悔もなく、ルゥと全力で戦った。
(でも、今は違う!)
彼女はファイの身体をきれいにしてくれた。たくさんのことを教えてくれた。たくさん褒めてくれた。話しかけて、笑いかけてくれた。まだ出会って少しだというのに、数えきれないくらいの温もりを――幸せを――ファイに与えてくれた。
そんな彼女が無事だったことに、ファイはこう言わずにはいられない。
「ルゥ。……生きてて、良かった」
それは、ひょっとすると、自分に幸せをくれる存在が居なくならなくて良かったというファイの自分勝手な想いが表れた言葉だったのかもしれない。それでも確かに、ファイが口にしたそれは、ファイの本心だった。
と、ルゥを強く抱くファイの腕を、ルゥが激しく叩いた。
「ふぁ、ファイちゃん! 労わってくれるのは嬉しいしありがたいんだけど! このままだとわたし、また死んじゃう! 圧死しちゃう~……っ!」
「あっ。ごめんね」
ルゥのその言葉で、ようやく彼女への抱擁を解いたファイ。同時に、道具を越えた自身の行動を自覚して、無表情のまま赤面するという器用さを見せることになる。
「……る、ルゥ。今のはルゥが大丈夫か、確かめただけ。心配したからじゃないし、安心したからじゃない」
赤い顔のまま、自分には心が無いことを何度も強調する。
「はいはい、ファイちゃんは道具、道具。心配しなくても、勘違いはしてないよ」
「ううん、ルゥはまだ分かってない。さっきも言った。私は、道具。心配なんて、しない」
「この子、面倒くさいな!? 変なところで頑固なんだから、もう~……。でも、うん」
言いながら、今度はルゥがファイを抱きしめてくる。
「道具として。わたしを心配してくれたんだよね? そこは素直にありがとう。ファイちゃん、良い子、良い子~!」
ファイの頬に自身の頬を引っ付けながら、優しい手つきで髪を撫でてくる。
「だから。私は、心配しない……」
鼻腔をくすぐるルゥの洗髪剤の匂いに包まれて、ファイはただされるがまま静かに目を閉じるのだった。
と、そうしてファイがルゥとしばらく抱き合っていた時だ。
「……なるほど、なるほど」
これまで沈黙を貫いていたニナの、震える声が聞こえた。瞬間、ファイの全身が震える。それは、幼いころ、まだ幼かったファイが人生で一度だけ感じ取った、“死”の気配だ。
巨人族を相手にしても、ルゥを相手にしても感じなかった死の気配を、ファイの本能が感じ取ったのだ。
「わたくし。よ~く、分かりましたわ」
その殺気を放っている張本人であるニナにファイが目を向けると、彼女は笑っていた。
「に、な……?」
震えそうになる声を道具としての矜持でどうにか抑え、それでも抑えきれない恐怖に声を震わせるファイに、ニナが笑顔で尋ねてくる。
「ファイさん? あなたのご主人様は、誰ですか?」
「ニナ、だよ?」
「あなたが一番に尽くすべき相手は、誰ですか?」
「そ、それも、ニナ」
どうにか声を絞り出して答えたファイに、満足そうに頷いたニナ。
「そうでしょうとも! だというのにファイさんはミーシャさんやルゥさんとばかり、イチャイチャ、イチャイチャ……羨まけしからんですわっ!」
「いちゃ、いちゃ……? うらやま……?」
自身の知らない言葉に首をかしげるファイに、ニナが指を突きつけてきた。
「さぁ、ファイさん! ルゥさんとの抱擁はもうよろしいでしょう? 立ってくださいませっ!」
主人からの指示通り立ち上がったファイをまっすぐに見たニナが、声高に宣戦布告した。
「次はわたくしと勝負ですわ! 誰があなたの主人であり、尽くすべき相手であり、愛すべき相手なのか! わたくしが分からせて差し上げます!」




