第36話 どうせ、私には勝てない
“不死のエナリア”第20層の大広間。その中央に、少し距離を置いて立つ2人の少女が居る。
1人は、短い白髪の少女・ファイ。白い半袖の上衣に、ブルの皮製の膝上丈の下衣。防具を一切身に着けない、どこまでも動きやすさだけを追求した格好だった。
対するは、長い黒髪の少女・ルゥ。上下一体の全身ピチっとした黒い服を身にまとっている。おかげで、凹凸の激しい彼女の身体の線がよく際立っていた。また、背中や尾てい骨には穴があけられており、尻尾や翼を自由に出し入れできるようになっていた。
「ファイちゃん。本当に防具とか着けなくて良いの?」
自身は服の下に薄くて硬い金属板を仕込んでいるルゥが、ファイに尋ねてくる。その言葉が暗に、ファイの怪我を恐れていること。つまり、ファイに怪我を負わせられること――自分の方が強いこと――を言っている。
それが挑発であることをきちんと理解したファイは、普段通り、感情を見せない顔でルゥを見る。
「大丈夫。どうせルゥは、私に勝てない」
言って、ニナから与えられた片手剣を振る。それだけで大気が震え、強烈な風が大広間を駆け抜けた。
思えば、ファイがニナ達に本気を見せるのはこれが初めてだ。巨人族との戦いでも、若いオウフブルとの戦いでも、ましてや大黒熊との戦いですら、ファイは全力で戦うことを意識していなかった。なぜなら、どれも戦えという明確な指示を下されていなかったからだ。
(けど、今回は違う……)
ファイの全力に耐えうる地面と、武器。何より、ニナから「全力で戦ってみてくださいませ」という指示がある。
しかも、死んでしまう・殺されて死まうのはその人の弱さのせいだというのが、ガルンでの一般常識だ。生殺与奪の権利は強者にしかない。その点、もしこの決闘でどちらかが死んでしまっても、「弱かったから仕方ない」で済まされる。非難されるのはむしろ、殺されてしまう方なのだとニナ達は言っていた。だから――。
「死なないでね、ルゥ?」
「あ、あれ~……。これは、ちょっとヤバい、かも?」
ファイに金色の瞳を向けられて、ルゥが微かに身震いしたのだった。
「お2人とも、準備はよろしいですか?」
立会人であるニナの言葉に、ファイが無表情で、ルゥが緊張の面持ちでそれぞれ頷く。
「それでは不肖、ニナ・ルードナムが開戦の音頭を取らせていただきます。両者、見合って~、見合って~……。開始、ですわ!」
ニナが手を挙げた瞬間、ルゥが動いた。全力で羽を展開し、上空へと移動する。自身の優位性である制空権を存分に活用するためだろう。
(きっと、ルゥの作戦は当てて逃げること……。攻撃する時以外は、空を飛ぶ、はず)
だがそれだけだ。攻撃してくる時は必ず接近してくる。その瞬間を迎え撃とうと剣を構えるファイに、ルゥが豊満な胸元から不思議な形をした道具を取り出した。それは筒と平べったい箱を組み合わせたような形をしている。
それが銃と呼ばれる道具であることにファイが気付いた瞬間、
「ごめんね、ファイちゃん」
乾いた音が大広間に響き渡った。が、ほぼ同時に金属同士が弾ける音も響く。
「あはは……。ファイちゃんくらいになると、銃弾も弾いちゃうんだ?」
呆れ顔でルゥが言ったように、ファイが銃弾を剣の一振りで弾いたのだ。
「……けど、予想通りなんだよなぁ~♪」
「……!?」
銃弾を弾いて一息ついたファイの身体から不意に、力が抜ける。微かにファイの膝が下がったその瞬間、またしても響く銃声。慌ててファイが剣で銃弾を弾くと、さらに身体が重くなった。
(これ、ルゥの尻尾に刺された時と同じ……。つまり、麻痺毒?)
この感覚に覚えがあったファイは、さらに続いた銃撃を迎撃せずに回避することにする。すると、身体の重さが追加されることは無かった。
「ありゃ、バレちゃった?」
弾倉を入れ替えながら、上空で笑うルゥ。
「わたしお手製の毒煙。しかも、無味無臭。真正面から戦っても勝てないっていうのは、お風呂でも分かってたしね」
言いながら、銃撃を再開するルゥ。上空からの一方的な弾幕を、ファイは避けることしかできない。
正直、ファイは2進化しかしていないルゥなど敵ではないと思っていた。角族が厄介になるのは、3進化目から。魔眼と呼ばれる不思議な力を持ち、遠距離攻撃手段を持ってからだと思っていた。
しかし、ルゥは道具を使うことで遠距離攻撃手段を獲得した。しかも、自身の特性である麻痺毒を織り交ぜて。
(少し考えれば分かったこと。考えが甘かった)
冷静な思考で反省しつつ、反撃の方法を考えるファイ。と、そうして高速で駆けていたファイの足から、またしても力が抜ける。硬い地面に着弾した弾丸が弾け、辺り一帯に麻痺毒が散布されている状態になっていたのだ。
足から力が抜けてつんのめってしまったファイの肩口を、ついにルゥの弾丸がかすめる。
「――っ! ……〈フュール〉!」
痛みと毒で霞む思考。それでも風を起こして辺りに充満する毒を拡散させようと瞬時に考えられたのは、ファイが長年戦闘に身を置いてきたからだろう。
本来、閉め切られた空間では発生しえない風。それも、人1人であれば軽く吹き飛ばすことができる強さの暴風が、大広間に吹き荒れる。
「んにゃっ!?」
「ミーシャさん!」
遠く、吹き飛ばされそうになったミーシャの手をニナが取る様子を横目に、ファイはルゥを見上げる。
あわよくば体勢でも崩してくれていれば良いというファイの目論見は成功していたのだが、
「ちょこざいなっ!」
文句を言いながら、ファイが居る地面に向けてルゥが銃を乱射している。おかげで、ファイが態勢を立て直す余裕もない。
(仕方ない……)
「〈フュール・エステマ〉〈ブレア〉」
対象を風で覆う魔法と、指定した場所に火をつける魔法。その2つを、ルゥに向かって使用するファイ。すると、〈ブレア〉で起こった小さな火種が風の力を受けて燃え上がり、ルゥを包む巨大な火球が出来上がった。
「あっつい~~~!」
熱球の中から聞こえる、ルゥの悲鳴。
このまま放置すれば、中の生き物は焼き殺されるか、息ができずに死ぬことをファイも知っている。折を見て魔法を解除すればいいだろうと考えていたのだが、
「こんのっ」
そんな掛け声とともに、火球が打ち消される。ルゥが全力で腕を振って風を起こし、〈フュール・エステマ〉の風の流れを無理やり断ち切ったのだ。ただ、多少は熱傷を負ってしまったようで、頬や腕など、露出した身体の一部には生々しい火傷の痕があった。
「はぁ、はぁ……。や、やるじゃん、ファイちゃん」
「ルゥも。まさか魔法が破られるとは思わなかった」
まだ戦闘は続くらしいと、剣を構え直すファイ。そんな彼女が見つめる先で、ルゥが自身の身体に尻尾を突き刺した。
すると、ルゥの身体に合った火傷の痕がみるみるうちに消えていく。
「……ズルい」
「ふふんっ。この治癒の力こそ、レッセナム家が重用されてたゆえんなのだよ……っと」
全快した身体で、今度は水風船のようなものを胸の谷間から取り出したルゥ。その風船の内容物がただの水ではないだろうことなど、ファイでなくとも想像できるだろう。
「どうせ毒。けど、無駄」
ついでにあの谷間には一体いくつの物がしまわれているのかと、疑問を持つ余裕すらある。そんなファイに向けて、
「やってみなくちゃ、分かんないでしょ!」
ルゥが色とりどりの水風船をいくつも投げつけてきた。
小さな銃弾に含まれていた毒だけで、大きく身体の動きが制限される。あの量の毒が散布されるようなことになれば、いよいよもって立っていられなくなる可能性がある。
(つまり、地面に落とさせない方が良い)
すぐにそう判断したファイは、風の魔法を使って水風船を操作し、天井で破裂させることにする。都合、その瞬間だけ、ファイの意識の多くは水風船に向けられていた。
もちろん、水風船の向こうにいるルゥの姿もぼんやりと捉えている。が、水風船の向こうから迫る銃弾にまで気を配ることができていなかった。
ファイが銃弾の存在に気付いたのは、空中で撃ち抜かれた水風船が破裂した瞬間だ。ほぼ同時に聞こえてくる、銃弾の発砲音。
ファイにとっては来ると分かっていてようやく対処できる速度で飛来する物体に、不意を突かれた状態で反応できるはずもない。
「ぁ」
ファイの喉が鳴った瞬間、彼女の眉間をルゥの銃弾が貫く。
その衝撃の大きさに、ファイの身体が大きくのけぞる。さらに、空中で割れた水風船の内容物――もちろん麻痺毒――も、ファイの全身に浴びせられる。
嗅いでしまうだけで身体能力を大幅に弱体させる毒だ。それを全身で浴びればどうなるかなど、言うまでもない。
「ごめんね、ファイちゃん。わたしも、あの手この手を使ってガルンで生き残ってきたガルン人だから」
申し訳なさそうなルゥの言葉を最後に、ファイが倒れる――ことは無かった。
「――……う~ん。やっぱり、ダメかぁ」
銃弾が当たった眉間が赤く腫れているだけで、銃弾はファイの頭を貫通していない。それどころか、ファイはのけぞった姿勢から足を一歩後退させて踏みとどまり、手にした剣を両手で振りかぶる。
そして、態勢を立て直すその勢いすらも利用して、
「(ふんすっ!)」
毒で弱体化している身体能力のまま、全力で剣を振り抜く。
傍から見れば、ただの剣の素振りでしかない。だが、片手で剣を振るだけで大気を震わせられるファイだ。全力で振り切られた剣の切っ先の延長線上には、触れるだけで対象を切り裂いてしまうほどの風――不可視の斬撃が生まれている。
「まぁ、ね。直接体内に毒を流し込んでも動けるんだもんファイちゃん。そりゃ、無理って話だよね……」
呆れと諦めをにじませたルゥが目を閉じた瞬間、彼女の肩から脇腹にかけて、深々と剣の傷が刻まれるのだった。




