第34話 一歩前進、ですわね
ニナが執務室に戻ると、ちょうど資料を届けに来ていたらしいルゥが居た。
「お帰り、ニナちゃん」
「はぅ~……。ただいま戻りましたわ、ルゥさん」
重い溜息を吐きながら、ルゥに挨拶を返すニナ。結局あの後、ウルンの時間にして4時間ほど歩き回って火喰い蜥蜴1体を発見。討伐ではなく捕獲することが目的のため、手加減をしながら戦うこと15分ほど。ようやく1体だけ火喰い蜥蜴を捕獲することに成功したのだった。
(番でしたら500万Dでしたのに……!)
1体だけでは100~150万Dとなってしまうこと思うと、逃がした魚は大きかった。
汗だくの服を脱ぎ、新しい服に着替え始めるニナ。そんな彼女から慣れた様子で脱いだ服を預かるのはルゥだ。
「お疲れだね、ニナちゃん?」
「はい。17層で火喰い蜥蜴さんの捕獲に挑んでいまして……」
「あそこ、暑いもんね~。お金のため?」
ルゥからの問いかけに頷きながら、ニナは着替えを進める。
「はい。1体だけ捕獲はできたのですが……ふぅ」
「まぁ、ね。エナリアの戦力は下がっちゃうし、必ずしも高値で売れる魔獣が居るわけでもない……。それに、手に入れたお金もお買い物と食費で消えちゃうし……」
一枚着に首と袖を通したニナの言葉を、ルゥが引き継ぐ。服から髪を出して頭を振ったニナの顔には、苦笑が浮かんでいた。
「はい。決して、資金源として考えるべきものではありませんわね」
資源、特に魔獣に関する資源は豊富とはいえ、エナリアの運営費に回せば結局は資金が枯渇する。しかもそれらの資源は必ずしも手に入るわけではない。“不死のエナリア”が資金難であることには変わりなかった。
そうして着替えを終えたニナが、今度はルゥに尋ねる。
「先ほどの資料は?」
「あ、うん。上層以外の各階層の調査報告。あっ! あと、例の件についての報告書も届いてたよ」
「……っ!?」
ルゥの言葉を受けて、ニナが顔に緊張を走らせる。急いで執務室に戻って、ルゥが持ってきた資料に目を通し始めた。
そこに書いてあったのは、ファイに関する情報だ。
エナリアを経営するうえで、ウルンに関する情報はかなり重要になってくる。基本的にエナリアは、ウルン人の需要に合わせて整備をするからだ。そのため、ウルンでの情報収集に特化した機関がガルンにも存在する。
今回、ファイをこのエナリアに迎えるにあたって、彼女にまつわる情報収集を専門機関にお願いしていたニナ。ファイが主人たるニナを知ろうとするように、友人であり従業員であるファイを知ろうとするのも、ニナにとっては当然のことだ。その情報が今回、届いた形だった。
そうして届いた資料を読み進めていると、ある場所でニナの手が止まる。そこにあったのは、とある新聞記事の切り抜きだ。
「ニナちゃん。この新聞、なんて書いてあるの?」
ニナに顔を寄せ、ウルン語で書かれた新聞を覗き込みながら聞いてくるルゥ。
「えぇっと……。恐らくですが、『アグネスト王国タキーシャ村に生まれた“白髪の子”。何者かに誘拐される!』ですわね」
「アグネスト王国って、確かこのエナリアの入り口がある国……だよね?」
「はい。中央大陸セルマ。その南方に位置するのがアグネスト王国だったはずですわ」
自身の理想のために学んだウルンの知識をルゥに聞かせながら、ニナは新聞が発行された日付を確認してみる。
(帝歴408年。白赤のナルン、黄の6のフォルン(1月18日)……。正確には分かりませんが、今のウルンは帝歴425年前後のはずなので……)
ファイの外見的年齢を考えると、恐らくこの時に誘拐された子供がファイだろうとニナは推測する。
そしてウルンでは、生まれた村、国の順で家名が付くとファイは語っていた。
「つまり、ファイさんの本名は、ファイ・タキーシャ・アグネストさん、なのですわね……」
名前とは、自分が何者であるかを示す大切な記号だとニナは考えている。自分が、“その他大勢”から切り離され、たった1人の自分として自覚するためには欠かせないもの。それこそが、名前だ。
ファイが新しい“幸せ”を見つけるにあたり、ニナはファイにもっと自分を知ってほしいと思っている。その際、自分が何者であるかを示す名前は、大きな役割を持つだろう。
「一歩前進、ですわね」
優しい顔で呟いたニナ。
一方で、この記事の存在自体にすぐに眉尻を下げることになる。
少なくともガルンの目線で考えたとき、人さらいなど日常茶飯事だ。ましてや辺境の町の子供が行方不明になるなどありふれすぎていて、新聞に載るどころか噂にもならないだろう。そして、恐らくウルンでもその事情は変わらないはずだというのがニナの予想だ。
にもかかわらず、ただの子供の行方不明が新聞の、それも一面を飾る大きな見出しに載る。その理由は、わざわざ白髪であることを強調する見出しからも分かるというものだろう。
ウルンでは、生まれたときの髪色で魔素供給器官の大きさが先天的に決まっている。その順序は、色結晶の順序とは逆で、白>紫>青>緑>黄>橙>赤>黒の順で大きくなる。中でもファイのような白髪は極めて貴重で――。
(確か白髪の者は生涯安泰な生活を送れる、だったでしょうか)
身体能力・魔法共に優れる白髪は、あらゆる職業で重宝される。特に戦力としては貴重も貴重で、国によっては白髪の子供が生まれ次第、保護という名目で国に召し抱えられることもあると聞く。そうして生涯安泰を約束される代わりに、エナリアの攻略に駆り出されることもよくあった。
反面、貴重な白髪を目当てに誘拐や争いが起きることも少なくない。人々に求められる祝福の子であると同時に、厄介事を呼び込む呪いの子でもある。それが、白髪の子を待つ運命だった。
そして、まだ生後1か月にも満たない白髪の赤ん坊の1人だった『ファイ・タキーシャ・アグネスト』を誘拐した組織こそ――。
(『黒狼』……。ファイさん風に言うのであれば、以前の持ち主の方……)
愛嬌のある顔に影を作りながら、黒狼の名前を見つめたニナ。資料には、黒狼に関する情報も少しだけだが載っている。
曰く、不法に色結晶を採掘する非合法組織らしい。
本来、色結晶はそのエナリアがある国が管理している。いわば、国の財産だ。探索者たちはその財産を分け与えてもらう立場にある。そのため、持ち帰った色結晶の質や量に応じて、関税がかけられているのだ。その税金を払って地上に持ち帰り、売ることで、探索者たちは生計を立てている。
しかし、黒狼の組員たちは税金をちょろまかすために探索者登録をせずに色結晶の盗掘をしているらしい。
(しかも、ファイさんをタダ同然で働かせ、自分たちは私腹を肥やしていた、と……)
その事実に、ニナはきゅっと唇をかみしめる。
生後、親元に残っていたことを考えると、アグネスト王国は白髪であるファイにも自由を与えていたと思われる。
(きっとファイさんは、自由に笑って、泣いて。好きなものを好きだと言える。そんな“普通”という名の幸せを、手にしていたはず……)
だというのに黒狼は私利私欲のために彼女を誘拐し、彼女の幸せをゆがめた。
さらには不法にエナリアに侵入し、正規の探索者たちが得るはずだった利益――幸せ――を奪っている。
そう考えた瞬間、ニナの中で黒狼という組織が“敵”へと姿を変える。そして、ガルンの文化で育ってきた彼女にとって敵とは、早急に排除すべき存在だ。
エナリアではウルン人の殺生を禁じているニナだが、それ以外の場所では別に殺しを好まないだけで否定しているわけではない。ガルンではそれが必要になる機会が多々あるし、ニナもその手で襲い掛かってきた火の粉を払ったこともある。
過去、ニナが自身の両親を謀殺した貴族の1つ――ルゥの実家であるレッセナム家――を壊滅させたとき、彼女が手にかけたガルン人の数は3桁に迫る。
力なき理想を掲げていられるほど、ガルンは優しい世界ではないのだ。
だからこそ、エナリアでは理想を叶えたいとニナは願う。ガルンのような、色のない、つまらない場所にはしたくない。
「その理想を阻む敵であるのならば、わたくしは……はわわわっ!?」
「あん……っ! 可愛いニナちゃんも好きだけど、こわ~い顔してる強くて格好良いニナちゃんは、も~っと好きっ! 抱いてっ♡」
急に抱き着いて来たルゥに言われて、自身が怖い顔をしていることを自覚したニナ。
(笑顔なきところに幸せ無し、ですわね! 笑顔! 笑顔ですわぁ……)
ルゥの双丘に頭を包まれながら、自身の頬の筋肉をもみほぐす。次にニナが顔から手を離した時には、両親に見せることができる笑顔の自分を取り戻していた。
そして椅子から立ち上がって拳を握ったニナは、改めて宣言する。
「とにかく! 敵について、もう少し詳しく調べませんと……!」
「あはっ! 楽しい楽しい戦いのヨ・カ・ン♪」
楽しそうな、嬉しそうな声でルゥが笑ったところで、不意に執務室の扉が音を立てて開く。やがて、
「ニナ?」
そう言ってひょっこりと顔をのぞかせたのは、寝間着姿のファイだった。
※本章はここまでとなります。もしこの章の感想や評価などありましたら、お聞かせください。今後の執筆の参考にさせて頂きます。




