第33話 資金調達、ですわ!
お風呂の後、ファイに睡眠をとるよう促したニナ。渋るファイを「休むのもお仕事の内ですわ」と無理やり私室に詰め込み、ニナは執務室へと戻って来ていた。
「……ふふっ。ファイさんってば、それはもう嫌そうな顔をしておりましたわ!」
ニナ用に調整された椅子に腰掛けながら、口に手を当てて笑うニナ。愛すべき存在の愛すべき仕草に、思わず笑みがこぼれてしまった形だ。
「やはり、可愛いモノは心の癒し……。ファイさんはわたくしにとってご友人であり、大切な従業員であり、生きる清涼剤ですわっ」
お風呂に入って、可愛いモノに触れて、心機一転。執務机の引き出しを開き、溜まっていた書類を整理していく。
現状、ニナが預かるこのエナリアには唯一にして最大の問題がある。それはやはり、人員不足だ。
(弱い魔獣さんのお世話はミーシャさんに。医療や衣服などの福利厚生はルゥさんに。そのほか魔獣の捕獲・勧誘をリーゼさん。研究・開発はムアさん・ユアさんにしていただいておりますが……)
とある書類を見つめて、小さくため息をこぼすニナ。
「上層の補充物資。どういたしましょう……」
ざっくりと1週間ごとに書かれている数値は、どんどんと減っていっている。ファイが上層の補充物資が少ないと感じたように、あと2、3回宝箱の補充を行なえば上層の宝箱に補充する武器や道具が無くなってしまう計算だった。
「ひとまず市場で在庫品を大量に仕入れなければなりませんわね」
忘れないよう紙に必要な量や予算を書き入れて計算してみると――。
(さ、3,000万D……)
麦餅1つが1Dであることを思うと、相当な額と言えるだろう。ただ幸いにも、ニナには両親が遺したこのエナリアがある。国内でも有数の広大なエナリアであるため、算出できる資源が多く、それを売ればまとまった資金が手に入る。
最たる例が魔獣だ。エナリアの裏側で育てている動植物。表側の補充要員として育てている一方で、食用としてガルンで売ることもできる。
また、エナリア内で強力な魔獣が生まれれば、他のエナリアに売ることもできる。
実質黒色等級のこのエナリアに居る魔獣たちは、他のエナリアで階層主として運用できる個体も居る。育成が難しく、自然発生するのを待つしかないそれらの魔獣は、かなりの高額で売買されていた。
しかし、ここでもニナにとって2つの障害がある。
まずは人脈が極めて少ないことだ。
完全なガルン人ではないニナは、ガルンで行動できる時間に制限がある。馬車を走らせて他のエナリアに行く前に、エナ中毒で倒れてしまうのだ。そのため、“エナリア管理人”の多くが持つ横のつながりが、彼女にはほとんど無い。
もう1つ。ガルンでは何の能力も持たない人族は弱い存在であり、基本的に軽蔑されている。ニナが対等に交渉を持ちかけようとしても、まずは足元を見られる。そして、困窮するニナには交渉に応じるしか手はなく、二束三文で魔獣や特産品を買い叩かれることがほとんどだった。
(お父さま、お母さまはどのようにして対等な立場を得たのでしょうか……?)
ニナは、両親からエナリアの経営をほとんど教わっていない。その理由は不明だが、仕事と家庭を分けようとしていたのではないかというのがニナの予想だ。いずれは教えるつもりだったのかもしれないが、残念ながら両親ともにニナが“大人”になる前に死んでしまった。
以降、ウルンの時間にして10年以上をかけて、ニナは自身の理想の布教をエナリアの居住者・従業員たちに徹底してきた。そのせいで多くの人々がこの地を去ったが、ようやく理想を同じくする人々だけが残るエナリアとなった。
(全てはここから、ですわ! お父さま達から譲り受けたこのエナリアを、守らなくては!)
母から譲り受けた容姿と、ぬいぐるみ。父から受け継いだエナリア。それだけが、ニナにとって両親が生きた証であり、両親を感じられる形見でもある。
「わたくし、頑張りますわ! お父さま、お母さま!」
奮起したニナは、椅子から立ち上がる。
(差し当たって資金調達はせねばなりません。そのためにも、手ごろな魔獣さんを捕獲しなくては!)
私室に戻った彼女が次に執務室に姿を見せた時、部屋着から動きやすい外着へと服が変わっている。裳から丈の短い洋袴へ。靴も戦闘用に、頑丈な繊維で織られたものに履き替えている。最後に、20層にある数少ない宝箱に収めるための上質な剣を腰に携えれば――。
「魔獣捕獲用のわたくし、ですわっ!」
執務室で胸を張ってみせるニナ。彼女の視線は執務机のとある引き出しに向いている。そこには、幼いニナと両親とを映した家族写真があるのだ。
ただ、自身が“甘えん坊”であることを自覚しているニナ。現に今、写真のことを思い出しただけで寂しさのあまり泣きそうになる。しかしエナリアの管理者である自分がそんな弱いままではいられない。そう思って、写真を引き出しの奥に隠しているのだった。
「……それでは行ってまいりますわね、お父さま、お母さま」
このままでは写真に縋りつきそうになる。その未練を断ち切るように剣を握ったニナは、1人、執務室を後にしたのだった。
それから少し後。ウルンの時間にして、3時間ほど経っただろうか。
「あ、暑いですわぁ~……」
ニナの姿は“不死のエナリア”第17層。溶岩の階層にあった。
名前の通りドロドロとした溶岩の川が流れる、灼熱の階層だ。ただ、溶岩と岩しかないのかと言われると、そうではない。環境に適応した魔獣たちはもちろん、溶岩の熱でも燃えない植物が自生している。中でもイーオの木と呼ばれる5mほどの木は大気中の有害なガスを吸い上げ、無毒化する性質を持っている。
溶岩のある階層を持つエナリアの管理人であれば「まずはイーオの木を植樹するところから」と言われるほど、必要不可欠な木だった。
「……っ!?」
と、そんなイーオの木の影に身を潜めたニナ。彼女の視線の先には、溶岩に照らされて赤く光る石の柱がある。しかし、よくよく目を凝らして見てみれば、体長5mほどの巨大な蜥蜴が2体、石の柱に擬態しているのが分かる。どうやら、柱の足元にある通路を通る生き物を待ち伏せしているようだった。
(火喰い蜥蜴のオスとメス!)
思わぬ幸運に、目を輝かせるニナ。なぜなら彼女がここに足を運んだその理由こそ、火喰い蜥蜴にあったからだ。
(番であれば相場で1,200万D。わたくしという割引を経ても500万Dにはなるはずですわぁ!)
イーオの木の影で皮算用をするニナ。彼女にとっては黄色等級の魔獣も、ただの札束でしかない。
硬い鱗と素早い動き。長い舌による攻撃と、体内で作りだした火炎を吐き出す。そんな火喰い蜥蜴は、緑色等級以下のエナリアで最下層の階層主を務められるほど厄介な魔獣だ。また、生息するのは火山地帯と限られているため、希少性も高い。今回のように番を用意すれば繫殖の可能性もあるため、より高額で取引される傾向にあった。
(幸先が良すぎますわ! きっとこれも、お父さま達のお導き……。必ずものにして――)
そうしてニナが天井を仰ぎ、自身の幸運に浸っていた時だ。
突如として、ニナの背後にあった溶岩の川が弾けた。
「きゃわぁぁぁ~~~!?」
溶岩を浴びることが無いよう慌ててイーオの木を盾に移動したニナ。実際のところニナが溶岩を浴びても火傷をするくらいなのだが、ルゥが仕立ててくれた服が燃えるのは避けたかったのだった。
そうして溶岩が飛び散るのが収まった頃。ニナが木陰からひょっこり顔を出して様子を確認してみれば、そこには溶岩の光をてらてらと返す細長い生物がいる。
「うっ……。溶岩鰻ですわぁ……」
緑色等級の魔獣、溶岩鰻。体長10mを越える巨大な身体は、白い鱗に覆われている。目と鼻は退化しており、頭にあるのは大きな口だけだ。側線と呼ばれる感覚器官で獲物の位置を探知し、食べてしまう。そんな鰻の魔獣だった。
(可愛くないあの見た目、わたくし、苦手で――)
「はっ!?」
ニナが振り返った先。先ほどまで火喰い蜥蜴が居た柱には、もうなにも居なくなってしまっている。どうやら溶岩鰻の出現に驚いて、逃げてしまったようだ。
(わ、わたくしの、500万Dが……っ!)
擬態を得意としているように、火喰い蜥蜴を探し出すのは一苦労なのだ。しかも溶岩溢れるこの階層は、ジッとしているだけでもうだるように暑い。実際、もう既にニナの服の中は汗でビシャビシャだ。
(だというのに、せいぜい10万Dの溶岩鰻さんのせいで……)
「上げて落とすなんて……。そんなの! あまりにもあんまりですわぁぁぁ~~~!」
悔しさのあまり目端に薄っすらと涙を浮かべながら、地団太を踏むニナ。そうして溜まる鬱憤の矛先は、当然のように溶岩鰻へ向けられる。
「覚悟してくださいませ、溶岩鰻さん! エナリアの養分にして差し上げますわぁ~~~!」
『ピギャァッ……』
涙目で振るわれたニナの拳によって、いともたやすく討伐されてしまうのだった。




