第32話 ちょっとだけ、恥ずかしい
幸せそうな顔で伸びてしまったミーシャを彼女の私室に運ぶと言って、部屋を後にしたルゥ。残されたファイはニナに連れられ、お風呂場にやって来ていた。というのも、
『くんくん……。ファイさん、汗をかかれたのでは?』
ファイの服の匂いを嗅ぎながら、上目遣いに聞いて来たニナ。
思えば、宝箱の補充から今まで、ファイは服を着替えることもなく過ごしてきた。そのため、どうやら少しだけ臭うらしかった。
また、ニナもしばらくはお風呂に入れていなかったらしい。と言うことで、ニナがファイを引っ張る形で風呂場までやってきたのだった。
数十人がのんびりと過ごすことのできる木目調の脱衣所。衣服を脱ぎ、下着を外すのに苦労していたファイは、ふと、自身の脱いだ服や脇の匂いを嗅いでみる。ニナに「臭う」と言われて、なんとなく気になったのだ。
すると、確かに。衣服用洗剤や、身体用洗剤の匂いの奥に、微かに酸っぱいような臭いがする。途端、なぜかファイの中に恥ずかしさがこみ上げてくる。
(黒狼の人たちに言われた時は気にならなかったのに、なんで……?)
ここに来るまで、体臭など気にしたことが無かったファイ。そうでなければ、常に垢やフケに塗れ、不潔な臭いがしていた自分を放置することなどしなかっただろう。
しかし、先日、ルゥの手できれいさっぱり汚れを落とされてからというもの。できるのであれば、今のきれいな状態を保っておきたいと思うようになってしまっていた。
やはり以前よりも格段に欲張りになってしまっている自分を自覚しながら下着を脱いだファイの耳に、ふと。
「こ、これがファイさんのお身体……。キレイですわぁ……っ!」
そんなニナの呟きが聞こえた。
「ルゥさん。ファイさんの治療の際に、身体のあざなども治してくださったのですわね……」
小さく呟きながら、ファイの脇腹や腕、胸元などを観察しているニナ。そんな彼女の視線と発言を受けてようやく、ファイは自身の身体から切り傷や火傷の痕が消え去っていることに気付く。
(敵に斬られた傷も、黒狼の人から殴ったりけられたりした痕も、ない……?)
ニナの発言から考えるに、ファイが巨人族から受けた傷を癒す際、ついでにルゥが手当てをしてくれたらしい。
ただ、ファイにとっては身体のあざの有無など気に留めない。彼女の中で自分の身体は、自由に動かすことができればそれだけで良いからだ。
そんなことよりもファイが気になったのは、ニナの格好の方だ。
「ニナは服を着てお風呂に入る、の?」
ファイの知識では、お風呂は裸で入るものだ。だというのに、お風呂にはいろうとする直前で服を着替えたニナの行動に首をかしげたのだった。
「はわっ、申し訳ございません! 決してやましい感情は無く、治療がきちんとできているかを確認するためで……って、はい?」
ファイの声で、自分が不躾な視線を送ってしまったことに気付いたらしいニナ。慌ててファイから距離を取った彼女だが、非難されているのではないことに気付いたようだ。そして、改めてファイの言葉と視線を吟味して、なるほどと相槌を打つ。
「これは湯浴み着ですわね」
「ゆあみぎ?」
「はいっ! お風呂に入る際に用いる、お風呂のための衣服ですわ」
そう言って、その場で一回転して見せるニナ。鎖骨の下から股下までを隠す一枚布の服の裾が、ひらひらと宙を舞った。
「ルゥは裸だった、よ? 私も、裸」
「はい。ですが、わたくしの身体は、その……。ルゥさんやリーゼさんのように立派ではありませんので……。あっ、ですが身体を洗う際は洗剤が染みないようきちんと脱ぎますので、ご安心を!」
「そうなんだ?」
まだまだ入浴に関する礼儀を知らないファイは、そういうものかと知識を蓄えていく。また、リーゼという女性が恐らくここの従業員で、ルゥにも引けを取らない体型をしているだろうことも覚えておいた。
「はっ! そうですわ! ファイさんも、湯浴み着を着てみてくださいませ!」
近くの棚に大量に積まれていた湯浴み着の1つを持ってきたニナ。彼女が手にしていた黄色い湯浴み着を、ファイも着てみる。
肌触りの良い生地で、吸水・速乾性にも優れているらしい。ただ、ファイが身じろぎするたびに、身体の表面をくすぐられるような感触もある。
「ちょっとだけ、くすぐったい」
「ふふっ! よくお似合いですわ! それに、お……お揃い、ですわね?」
頬を染め、もじもじと聞いてくるニナ。しかし、ファイには彼女が言った“お揃い”の意味が分からない。
「おそろい?」
「いえっ、なんでもありませんわ! それよりも風邪をひいてしまう前に、早く浴室へ向かいましょう!」
そんな彼女に手を引かれて、ファイは人生二度目となるお風呂へと向かった。
「魔素酔い?」
ファイがニナの言葉を復唱したのは、全身を洗い終えた後。髪の栄養剤を染み込ませる時間を利用して、蒸し風呂を堪能していた時のことだった。
蒸気で満たされた湿度の高い部屋。少し離れるだけでお互いの顔が見えなくなってしまう。自然、ファイとニナはお互いの方が触れ合うような距離でお喋りに興じていた。
「はい。活性化した魔素を短期間に大量に取り込んでしまった。そのためミーシャさんは、酔ったような状態になってしまったのですわ」
肌に浮かぶ水滴を指で払いながら言ったニナ。彼女が語っているのは、先ほどの食事の場での一件――ファイの指を舐めたミーシャの様子が豹変したこと――についてだった。
「よう? 酔う、はなに?」
「えぇっと、そうですわね~……。こう、頭がぽわぁ~としまして、視界がグルグル~となって。へにゃんとなることですわ」
「む、むずかしい……」
あまりにも抽象的なニナの説明に、思わず眉根を寄せるファイ。ただ、とりあえず先ほどのミーシャの様子を“酔う”と表現することは記憶にとどめておくことにした。
「じゃあ、ガルン人が魔素供給器官を食べたら、ミーシャみたいになる?」
毎度あんな状態になるのであれば大変そうだと疑問を口にしたファイに、ニナは首を横に振る。
「いえいえ! 魔素酔いしてしまうのは、活性化した魔素……生きた状態のウルン人の血を飲まない限りは、そうはなりませんわ」
そもそも魔素には、活性状態と中立状態の魔素があると語るニナ。魔素供給器官に蓄えられている魔素が、中立状態。魔法を使ったり、血流にのって体内を巡り、ウルン人の身体能力を向上させたりしている状態にあるのが活性状態の魔素ということらしい。
「そして、わたくし達ガルン人が進化をするためには、中立状態の魔素を取り込まなければ意味が無いのです。活性状態の魔素は、いうなれば、味と香りを出し切ってしまった出涸らしの茶葉と同じなのですわ」
つまりは、ウルン人で、血中に大量の魔素を持っているファイの血を飲んでも、ニナ達にとっては意味が無いということ。あくまでも魔素供給器官を食べなければ、ガルン人にとっては意味が無いらしかった。
「じゃあどうしてニナの血……体液の魔素は意味がある、の?」
先日、労働の対価としてルゥたちがニナの体液を貰っていることを知ったファイ。その理由がニナの体液に含まれている“魔素”だと語っていたことから、ニナの血は特別であると考えたのだった。
「はわっ!? ど、どなたからそのお話を?」
「ルゥから。ニナのよだれを美味しそうに舐めながら、説明してくれた」
「よ、よだれ!? はぅ……。お恥ずかしいですわぁ……」
頬を両手で包んで、身悶えているニナ。ファイとしては反応するべきところはそこではないのではと思わなくもないが、ニナが良いならそれで良いことにした。
「どうしてわたくしの体液に含まれる魔素が中立状態なのか。そこに関してはわたくし達も分かっておりません」
「そうなんだ?」
「はい。わたくしの身体があくまでもガルン人だからなのか、他にも理由があるのか。それすらも不明なのですわ……」
そもそもガルン人とウルン人の間に生まれた異端の子であるニナ。彼女も自分自身について知らないこと、分からないことが多いようだった。




