第301話 料理で、お花を咲かせよう
ここ2週間。フーカ先生による生活指導によって、ファイの生活は目に見えて向上した。
まずは洗濯だが、ピュレが居る洗濯槽に衣服を放り込むだけなので問題なかった。実際これまでも、ファイは洗濯に関してはきちんと自立できていた。
また、身体を清潔に保つという点も問題ない。主人であるニナの品位を保つという建前はもちろん、ファイ自身、不潔でいることに不快感を覚えられるようになっている。
少し前メレに嬉々としてお風呂を勧めていたように、ファイ自身もお風呂が好きだ。その甲斐あって、身ぎれいさにもきちんと丸を付けてもらえた。
一方、まず課題だったのは部屋の片づけだ。
エナリアに来るまで、身の回りにほとんど物がない環境で育ってきたファイだ。片付けるという習慣などあるはずもない。
掃除に関してもそうだ。自身の身ぎれいさには気を遣うようになったファイだが、環境の清潔さには頓着しない。ましてそれが自分の身の回りの清潔さともなれば、ファイにとって優先順位はかなり低くなる。
そのため、ファイの部屋――ついでにティオの部屋でもあるが――は「汚部屋」と呼んでもいい散らかりようだった。
とはいえ、そこは良くも悪くもファイだ。「しろ」と命令されるだけで、彼女の中における自室の整理整頓の優先順位は最上位になる。
よって、フーカがファイにしたのは服の畳み方と収納場所を教えることだけだ。
あとはファイへの命令権を持つニナに「お部屋をきれいに保ってくださいませ!」と言ってもらえば、部屋の片づけ問題は解決だった。
しかし、最後にして最大の課題となったのは、やはり料理だった。
ファイにとっての料理は「煮る」と「焼く」と「和える」だ。
そこにはもちろん味を調えるなどと言う高等技術――ファイの主観――は存在しない。適当に調味料――ファイの場合はほぼ砂糖――をぶち込んで食べるだけ。盛り付けなどと言う概念は存在さえしなかった。
美味しく頂くことが、奪った命への最大の報いであるという考えはファイの中で変わっていない。だからこそ彼女は懸命に食材を煮たり焼いたり混ぜ合わせたりしていた。
だが、ファイは小さな幸せを噛み締める天才だ。
味付けや調理などしなくても素材のままで満足できてしまっていた。自分の好きな時に、何かを食べることができる。そんなささやかな幸運を感じることに満足し、調理技術を向上させようとは思わなかったのだ。
まして、定期的にミーシャが食事の世話をしてくれたり、ルゥやリーゼをはじめとする他の従業員が作り置きをしてくれたりするのがこのエナリアだ。
自ら料理の腕を向上させようなどと、微塵も思えなかった。
(けど。それは甘えだった、ね……)
“不死のエナリア”第20層にある食事場で、ファイは過去の自分を反省する。
確かに料理は難しくて、できることはすごいことだ。だからと言って自分にはできないと無意識に見切りをつけてしまっていた自分が、ファイは恥ずかしい。
何かを貰ったならば、それ以上を返すのがファイの道具としての流儀だ。
黒狼にいた頃も組長が剣をくれたからたくさんの魔物を殺して恩を返したし、エナリアに来た今はニナがくれる“ぽかぽか”への恩返しの真っ最中だ。
そして、料理を与えてもらったのならば、同じく自分もおいしい料理を作って恩を返さなければならないはずなのだ。
さらに、ファイには妹が居る。
彼女がエナリアに来てからは、もちろんファイが手料理を振る舞う機会もあった。その際にティオが涙を浮かべながら「お、美味しいよ、お姉ちゃん!」と言ってくれたためにファイも満足していた。
(けど、いま思えばティオの顔、引きつってた……かも?)
なにぶん姉想いの妹だ。ファイに負担をかけまいと、無理して「美味しい」と言ってくれていたのだろう。
生い立ちゆえに奉仕の精神が旺盛なファイだ。
もっとティオに喜んでほしい。これまで美味しい料理を作ってくれていた従業員たちに、お返しをしたい。そう思うのに時間はかからない。
――美味しい物を作りたい。
金色の瞳にやる気を宿し続けた、ここ2週間だった。
料理を学び始めた開始当初は、やる気がから回ったり、緊張したりして、たくさん失敗したファイ。それも今では、まな板を切らずに食材だけを切る力加減をすることができる。輪切り、半円切り、みじん切りだってお手の物だ。
(四半切り、と、飾り切り、は、まだダメ、だけど)
包丁の扱いや揚げ物はまだまだ発展途上のファイだが、焼き料理・蒸し料理はどういうわけか飲み込みが早かった。
『ふぁ、ファイさんは“加減”が得意だからでしょうかぁ……?』
フーカはそう私見を口にしていただろうか。
一方で、幼少期に恵まれた食生活を送ってこなかったファイだ。彼女の味覚はほとんど育っておらず、素材の味でさえ満足してしまうくらいには「バカ舌」だ。
そのため、ファイが味付けをすると濃かったり薄かったり、味付けにムラがあることが発覚した。
ゆえに、「大匙1杯」「小匙1杯」という定量を覚えることにしたのだ。その際、「適量」「一つまみ」などという謎の単位にファイが「むっ」とする場面もあったが、ともかく。
自身の舌ではなく数値として味付けを把握することで、ファイは課題を克服してみせた。
そんなファイの料理の上達を確認すると言ってくれたニナ。確認方法はもちろん、ファイが一から十まで作った料理を食べるというものだ。
『け、決して! ファイさんの手料理を食べたいからではありませんわ!』
と、なぜか強調していたニナだが、ともかく。
2週間にわたるファイの努力の集大成が、今、完成しようとしていた。
こんがりと焼けた一枚肉が、真っ白なお皿に乗っている。
表面だけカリッと。丁寧に焼かれた肉からは、血をはじめとする液体が一切漏れ出ない。だが、ひとたび小刀で肉を切れば、うまみがぎゅっと詰まった肉汁があふれることだろう。
そんな一枚肉の周りが、匙ですくった3種3色のタレで色づけられていく。
黄色い物はからしを使ったピリッと味を引き締めるタレ。赤いタレは辛味噌を使ったタレ。緑のタレは各種野菜をすりつぶした栄養満点のタレだ。
さらに、粘度の低い茶色いタレも3種類、小皿に分けて提供される。
今回、ファイがニナに振る舞い逸品として選んだ料理は『ブル肉の一枚焼き』だ。
献立に一枚焼きを選んだのは、得意な焼き料理だからという理由だけではない。味付けの大部分をニナに任せることができるからだ。
「(ごくり……)」
最後に残された作業を前に、静かに喉を鳴らすファイ。黒色の三角巾から覗く狭い額には、激しい運動でもしたのかのように玉の汗が光っていた。
「じゃ、じゃあ、ニナ。料理の仕上げする、ね?」
「は、はいっ! な、なんだかわたくしも緊張いたしますわぁ……」
ニナが見守ってくれる中、ファイは震える手で箸を操り、花の形に飾り切りをした赤人参をお皿に散らしていく。
少し無理をして切った赤人参の花は歪で、メレやティオが切り分けた物とは比べ物にならない。
それでも、お料理教室の初日に見た光景を忘れられないファイは、どうしてもお皿の上に花を咲かせたかった。
「ふふっ! 可愛らしいお花ですわね!」
「そ、そう、かな……」
控えめに手を叩いて喜んでくれているニナに、ファイの頬が少し赤くなる。震えの止まった箸で今度は香草をつまみ、ゆっくりと肉の上に置く。
最後に、フーカに教えてもらった食べられる花――可食花――を肉の上に咲かせて彩を添えれば、
「ふぅ……。お待たせ、ニナ。ブル肉の一枚焼き。……完成」
ファイの2週間の努力が、1枚の皿となって完成した。
中央に置かれた厚切りのホウフブルの肉。湯気は立っていないが、余熱で中まで火を通すには十分な時間が経ったはずだ。
そんなブル肉を中心として、お皿のふちには波を描くようにして配置された赤、黄、緑の3色のタレがある。それらは肉の味を引き立てる、いわばお肉を楽しむためのタレだ。
一方、お皿の外に置かれた濃い味付けのタレは、その逆。タレでお肉を食べるための物になっていた。
飾り切りした赤人参については肉を焼いた後の鍋を使って丁寧に脂を染み込ませ、牛酪で軽く味を調えている。肉と一緒に食べれば、また違った味わいを示してくれることだろう。
「そ、それではいただきますわ……」
「う、うん……」
ファイはともかく、なぜかニナの方も緊張した様子で言って、一枚焼きに小刀を入れるニナ。刃が肉を切ったその瞬間に控えめに漏れ出たのは、透明な肉汁だ。
続いて姿を見せるのは、程よく赤味の残る肉の壁。内部に蓄えられていた湯気が、下味として付けられている香辛料の香りを運んでくれる。
「まずは何もつけずに、一口……あむっ……むぐっ!?」
肉を数回咀嚼したニナが、頬を膨らませた状態のままファイの方を振り返ってくる。
まさか何か失敗しただろうか。ファイが不安になったのも、一瞬だ。こちらを見上げるニナの茶色い瞳には隠すことのできない感動の輝きが満ちている。
そのまま栗鼠のようにもぐもぐと肉を咀嚼していたニナ。それをゴクンと飲み込んだ彼女は、
「とぉぉぉ~~~……っても! 美味しいですわぁぁぁ~~~っ!」
きちんと声に出して、ファイの仕事に花丸をつけてくれる。それも、一度ではない。各種タレを絡めて肉を口に運ぶたび、目を輝かせて「美味しい」と言ってくれる。
ファイが他人に料理を作って振る舞うのは、コレが初めてではない。練習中もフーカやティオが「美味しい」と言ってくれた時は、ファイも思わず嬉しくなってしまったものだ。
だが、やはりというべきか。ニナがくれる「美味しい」は、ファイにとって格別だ。
声にならない美味しさの悲鳴を漏らして食べてくれるニナを見ていると、もっともっと自身の料理を食べて欲しいと思ってしまう。
「に、ニナ。気に入ってくれたんだったら、もっと焼く……よ? だから――」
「おかわり、ですわ!」
普段は上品に料理を食べているニナが、口元をタレや脂で汚して食べている。そして、前のめりにおかわりを要求してくれる。
大好きなニナが顔に咲かせる笑顔の花を目にした時、ようやく。
(そっか、これが……)
料理という行為の本当の魅力を知ることができた気がするファイだった。




