第28話 トリセツは、大事
自分が道具で居ようとする限り、子供を作れない。その事実にしばらく落ち込んでしまっていたファイだったが、
(……はっ! “落ち込む”は、ダメ)
自身が人間のように落ち込んでしまっていることに気付いて、すっくと立ち上がる。
「行こう、ミーシャ」
「急ね!?」
ファイを落ち込ませてしまったことに、同じく気落ちしていたらしいミーシャ。唐突に立ち上がって気持ちを切り替えたファイの態度に、驚きの声を上げる。
「その……、もう大丈夫なの?」
「何を言ってるの、ミーシャ。私は落ち込んでない。ちょっと座ってただけ」
「えっ、あっ……え? そうなの?」
眉を「ハ」の字にして聞いてきたミーシャに、ファイは今一度頷いてみせる。すると、ホッと息を吐いたミーシャは、
「もう、ややこしいわね。心配しちゃったじゃない」
言いながら立ち上がり、ファイを介抱する際に汚れた服の土を払う。
主人を心配させてしまった。自分が、道具になり切れなかったからだと判断したファイは、すぐに頭を下げる。
「ごめんなさい」
「――っ! ま、また、アンタはそうやって……素直に……」
声になぜか悔しさをにじませ、小さく呟いたミーシャ。
どうかしたのかとファイが顔を上げると、ミーシャの緑色の瞳と目が合う。その瞬間、「ぅ」と小さく声を漏らして目線を左右に揺らす。
「ミーシャ、どうかした?」
「あ、の……。あのね、ファイ。アタシも、アンタに言わなくちゃいけないこと、あって……」
身体の前で指を遊ばせながら、消え入りそうな声で言うミーシャ。俯きながらファイをチラチラと見てくるその仕草を、ファイは見たことがある。ニナが、エナリアの現状について明かした時と同じだ。
(つまり、ミーシャは何か隠してる?)
思えば、この森で最初にミーシャに会った時も、彼女はファイに何かを言おうとしていた。そして、先ほども。子作りの話ではないとすると、あの時に言おうとしていたことではないか。そう推測したファイは、ミーシャを問いただそうとする。
「ミーシャ。私に何を隠して――」
『待って、ファイちゃん』
頭巾の中から聞こえてきたルゥ指示に、すぐさま言葉を止めたファイ。
「ルゥ?」
『ふふっ。大丈夫。待ってたらちゃんと言ってくれると思う。だから、待ってあげて、ファイちゃん』
ルゥにそう言われては、ファイとしても頷かざるを得ない。そうして、森や動物が鳴らす声を背景に、待つこと少し。キュッと眉を寄せたミーシャが、ようやく口を開いた。
「ごめんなさい!」
後頭部にまとめられた金色の髪を揺らしながら、頭を下げるミーシャ。一体、何に対する謝罪なのか。本気で分からないファイは、首をかしげることしかできない。そんなファイに対して、頭を下げたままのミーシャが言葉を紡ぐ。
「さっき、アタシも、その……頭ごなしに怒っちゃったから……」
「さっき……?」
一体、いつの、どの話についての謝罪なのか。ファイは真剣に考える。そもそも、ファイがミーシャに対して謝られるようなことをされた覚えはない。もっと言えば、ファイは自分が誰かに謝られるはずはないと思っている。自分に、不快を感じる“心”があるはずないからだ。
(けど、私は謝られてる……)
それは他者に、“ファイが不快である”と感じさせてしまったからではないか。心があるように、振舞ってしまったからではないか。
――道具で居られなかったからだ。
1人、そんな結論を導いて落ち込むファイに、ミーシャは言葉を続ける。
「ほら、調理場で……。アタシ、ファイのことを何も知らないのに、怒ったから……。だ、だから、ごめんなさい!」
「調理場……」
その単語で、ようやくファイは、ミーシャが調理場でのいざこざについて謝っていることを理解する。
「最初にここで会った時も、ミーシャはそれを言おうとした?」
「え、ええ……。けど、その、あの時は勇気が出なくて……だから……」
「大丈夫、ミーシャ。謝る必要はない、よ?」
上目づかいでもじもじと身をよじるミーシャに、ファイはきちんと言わなければならない。
「私は、道具。心なんて無い。どれだけ怒られても、叱られても、それは私が悪いから。だから、ミーシャは謝らなくて良い」
むしろ謝らないでほしいというのが、ファイの本音だ。
剣や防具など。道具の手入れをする人は居ても、道具を気遣う人などファイは見たことが無い。そして、自分は、手足を自由に動かせる、いわば“自ら手入れできる道具”だ。主人の手入れを必要とすることもない。
「私のこと気にかける必要なんて、ない。ミーシャも、あと、ルゥも。何も気にせず、壊れるまで私を使えば良い」
心配されずとも、自分は自分で優秀な道具であろうとしている。だからミーシャ達は存分に自分を使ってほしい。そうファイは、自身の取扱説明書を自分で読み上げる。
自ら思考し、手入れをし、言われた通りに行動する。そんな道具こそ、“優秀な道具”ではないか。少なくとも黒狼にいた頃はそうしていれば、心配されることも、称賛されることも無かった。道具にはあるまじき“誰かに感情を向けられること”は無かった。
(だからあなた達も、それでいい。そうしてくれたら、私はもっと良い道具になれるから)
お互いにお互いの最善を尽くそう。ファイとしてはそう言ったつもりだったのだが、
「自分は道具……? 心は無い……? 自分を使え……?」
目の前にいるミーシャの表情には、なぜか、驚愕が浮かんでいた。
「ファイ。アンタそれ、冗談……じゃないのよね?」
「うん。道具は、冗談なんて無駄なこと、言わない」
「ガルン語の使い間違い……でもないのよね?」
「うん。多分、伝えたいこと、ちゃんと言えたと思う」
相変わらず無表情で、だからこそ素直に、首を縦に振ったファイ。すると、なぜかミーシャはうつむいてしまった。そうして生まれるわずかな沈黙に、口を挟む人物が居る。ピュレを通して会話や状況を聞いていたルゥだ。
『どう、ミーシャちゃん? ニナちゃんからの連絡事項を聞いた限り、ファイちゃんは今の言葉、本心で言ってるよ?』
「ルゥ先輩……? どこに……」
ミーシャがルゥの姿を探していたため、ファイは頭巾の中から青色のピュレを取り出して見せる。
「……ずっと聞いてたんですか、アタシ達の会話?」
『うん! 後輩の面倒を見るのは、先輩の役目。そうでしょ?』
「はい。……とはいえ、会話を盗み聞きなんて、悪趣味です」
『それは、ほら。2人はどんな会話をするのかなって、気になっちゃって……。ごめんね!』
ピュレ越しに行なわれたルゥ謝罪を、ファイは首をかしげて、ミーシャはため息とともに受け入れるのだった。
『で。どう? 自分は道具、とか。心が無い、とか。そんなことをさも平然と言っちゃう子が。生きる苦労を知らない“恵まれた人”だと思う?』
「そ、れは……」
そう言って口ごもったミーシャの代わりに、ファイが当事者としてルゥの言葉に答える。恵まれた人、と、幸せな人という単語は、ファイの中で同一だからだ。
「ルゥ。私は“幸せな人”だった、よ? ご飯もあって、戦えて。黒狼の人も、私をちゃんと使ってくれた。だから私は、幸せだった。間違いない……と思う」
『ふふっ、そうなんだ!』
ニナもそうだったように、ルゥもファイの“幸せ”を否定しない。ただ笑って、ファイの言うことを受け入れてくれる。そんなルゥの態度が、ファイは妙にくすぐったい。
まるで、自分の全てを包み込まれているような。そんな慣れない温もりに身をよじるファイに、ルゥが明暗を思いついたような声を上げた。
『そうだ! ファイちゃん。良い機会だし、私たちにファイちゃんがエナリアに来るまでのお話、聞かせてくれる? 1回ニナちゃんにお話ししてるみたいだし、二度手間だろうけど……』
「良い。任せて」
ルゥからの指示に了承を返したファイは、自身の人生を説明する。前回の反省点を踏まえて、なるべく要点だけを押さえて行なわれた、ファイによる幸せな思い出語り。それは、4分ほどまでに短縮されていたのだった。




