第274話 ニナ、怖がってる?
※本文の分量がいつもよりも多め(4600字ほど)になっております。読了目安は9分~です。
「「…………」」
ファイとニナ。樹の上に居る2人が枝葉に隠れて見下ろす先には、探索者たち8人が居る。
2つ以上の徒党が協力したのか、それとも1つの探索者組合なのかは分からない。が、円になって戦う彼らの相手は、体長150㎝ほどの白い森角兎だ。
『キュゥゥゥ……!』
身を低くして探索者たちを警戒しているその森角兎こそ、ファイの友人であり、森角兎たちの長でもある。
それなりに大きく、しかも白い兎だ。薄暗い森の中ではよく目立つ。しかも、ファイのお願いを遂行するために、彼は森角兎たちを活発にさせるためにたびたび鳴き声を上げてくれていた。
そのせいで探索者たちに見つかってしまい、こうして討伐されようとしているらしい。ファイ達がたどり着いた時にはもうこの状況で、もはや手を出すことができる状態ではなくなってしまっていた。
(白の森角兎……)
彼に助けを求めてしまったからこうなっている。ファイとしてはそう思わずにいられない。
だが、ファイもニナも魔獣を助けるなどという目立つ行動をするわけにもいかない。もしも足元に居る探索者たちが黒狼の件でファイ達の顔を知っていた場合、話がかなりややこしくなってしまう。
結局は白い森角兎も魔獣なのだ。いつかはこうして倒される日が来る。それが今だっただけ。そう自分に言い聞かせ、どうにか割り切ろうとするファイ。だが、
「ふむ。これはさすがに、ですわね……」
すぐ隣に居たニナが言ったかと思うと、次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
「え……わっ!?」
何が起こったのか分からずにファイが声を漏らしたのと、ファイが乗っていた枝が折れたのがほぼ同時。そして、ファイの身体が宙を舞い始めるのと、大量の土煙が地面から舞い上がるのもまた同時だ。
突然、宙に放り出されたこと。直径50㎝はあっただろう木が折れるという予想だにしない事態に加速するファイの思考。ゆったりと流れる景色の中で、何が起きたのかを冷静に考える。
(多分、ニナが枝を蹴って地面にすごい勢いで突っ込んだ)
折れた枝と舞い上がった土から、状況をそう予想するファイ。問題は「なぜニナがそんなことをしたのか」だが、すぐに答えは分かった。
舞い上がった土の壁を割って現れたニナ。彼女が両手で抱え上げているのは、自身よりも大きなあの白い森角兎だ。
当の森角兎の方は、何が起きたのか分からないのだろう。キョトンとした様子でエナリアの天井にお腹を向け、ニナに運ばれるままになっている。
そして、最後。落ちていたファイの身体が、白い森角兎の柔らかなお腹に受け止められる。たまたま、ではないのだろう。ニナは最初からすべて計算をしたうえで、今回の豪快な救出劇を繰り広げたのだと思われた。
そのままファイが森角兎のお腹という高級な寝台に乗って移動すること少し。
「ふぅ~……。ここまで移動すれば、恐らく大丈夫、ですわね」
もと居た場所から2㎞ほど移動したところでニナが足を止めた。
ニナが森角兎を下ろすのに合わせてファイもひょいっと飛び降りる。すぐに着地して立ち上がった彼女が見たのは、土で少し汚れているものの無傷で救出された森角兎の姿だった。
コロンと転がって体勢を整えた森角兎。ヒクヒクと鼻を鳴らして危機が去ったことを確認すると、ファイの方に駆け寄ってきて頬を擦り付けてくる。
「よしよし……」
彼の頭や身体を撫で、この階層での功労者をねぎらってあげるファイ。ただ、すぐに表情を繕った彼女は正面――うらやましそうにこちらを見ているニナに目を向けた。
「ニナ……。なんで……?」
どうして、探索者たちに姿をさらす危険を冒して森角兎を助けたのか。優しい彼女がファイの願い――森角兎を助けてほしいと思っていたこと――を汲み取って、無理をしたのではないか。
ニナの手を煩わせてしまったかもしれない申し訳なさが、つい眉に表れる。そんなファイの言葉に、ニナは胸を張って見せた。
「もちろん、ファイさんのため! ……と、ぜひともファイさんからの好感度を上げておきたいところなのですが」
苦笑して頬をかくニナが、白い森角兎を助けた理由を教えてくれる。
「単純に、その子がエナリアに必要だ、と。そう判断したからですわね」
「この子、が……?」
隣で鼻を動かしている森角兎を見て言ったファイに、ニナが「そうですわ」と改めて頷く。
この白い森角兎は、ただの魔獣ではない。黒毛の暴竜と同じで、その階層の秩序を守るために欠かせない存在であるのだとニナは言う。
「もちろん、わたくしのあずかり知らないところ・手の届かないところで危機に陥っているようであれば、探索者さんの思うままに討伐していただいたことでしょう」
魔獣という危険を取り除くこと。また、魔獣から肉や皮を採取することもまた、エナリアならではの醍醐味であり、楽しみなのではないかとニナは語る。
「その白いキューピョンが生きていることで発生するエナリア運営への利益と、あの場に居た探索者さん達の魔獣体験。それらを考えたとき、助けられるのなら助けた方が有意義だ、と。そう判断いたしました」
たまたま今回は手の届く範囲で森角兎が襲われていて、助ける利益の方が大きい。だから助けたのだ、と、ニナはファイへの説明を締めくくったのだった。
「えっと……。つまりニナがこの子を助けたのは、エナリアのため。私のためじゃない?」
「はい。たとえファイさんのお願いであっても、あの場面でわたくしが“普通の”魔獣を助けるという野暮なことは致しません」
従業員の介入は、“お客様”の楽しみを奪いかねない行為だ。だからこそ慎重に行なわなければならないとニナは言う。
「魔獣を、敵を倒そうとするたびに正体不明の邪魔が入る。そんなエナリア、ぜぇ~ったいに面白くありませんものね……」
理不尽や不条理は“程よい”から良いのであって、過剰な介入は探索者の不興や不信感を買うことになってしまうらしい。
あくまでも今回はエナリアの保安上欠かせないだろう魔獣だったために、ニナは助けたにすぎないようだった。
(つまり、たまたま私のお願いがニナの考え方と重なっただけ……)
ニナが自分のために動いてくれたのだ、という考えは、ファイの壮大な勘違いだったということだ。それを理解したとき、ファイは自分がいつの間にか、自惚れてしまっていたことに気づく。
(私、ニナの行動、何でも私のためって思ってた……っ)
これまでも何度も、ファイの秘かな願いを汲み取るかのように動いてくれていたニナ。今回もそうだと勝手に思い込んでしまっていた自分が、ファイはただただ情けなくて恥ずかしい。
能面のまま、しかし耳の先を赤くしてむっつりと黙り込む。そんなファイを救ってくれたのは、少し硬いニナの声だ。
「ファイさん。このままとどまるとさすがに目立ってしまいますわ。なので、そろそろ……」
「あっ。そうだ、ね」
魔獣と連れ立って行動するのは裏方の仕事になる。そんな場面を探索者に見られるわけにはいかないのだ。
「森角兎……。ううん、キューピョン。バイバイ」
設置作業を手伝ってくれた仕事仲間を最後に1回だけ撫でて、労ってあげるファイ。もちろん森角兎が人の言葉を正確に理解することは無いため、『キュ?』と首をかしげるだけだ。
「それではキューピョンさん。また機会があれば、美味しいご飯をお持ちしますわね」
そう言ってファイと同じように森角兎に触れようとするニナ。だが、彼女の手が触れる直前、森角兎がジリッと1歩後ずさりをする。
「やはり、ダメなのでしょうか……?」
寂しそうに言うニナが、森角兎に伸ばしている手を止める。
ファイとしては不思議でならない。ニナは空っぽだったファイにさえ優しく接し、照らしてくれるような人だ。笑顔を見せてくれるだけでその場の空気が和む、ファイの自慢の主人なのだ。
そんなフォルンのような温かくて優しい存在を、動物・魔獣たちが嫌うなどとファイは思いたくない。
(きっと、何か別の理由がある。……なに?)
ファイと同じで、モフモフが大好きなニナだ。魔獣たちと触れ合うことが秘かな願いであることは、今の残念そうにしている姿からも想像に難くない。
(ミーシャみたいに「触られすぎたから」じゃないはず)
なぜ、魔獣たちはニナを避けるのか。ニナの見えない何かを感じ取っているのだとして、何を感じ取っているのか。
森角兎に伸ばされるニナの小さな手と、警戒するように後ずさる白い森角兎。両者を見ていたファイは、あることに気づいた。
森角兎に伸ばされているニナの手が、震えているのだ。ハッとしてファイが主人の顔を見てみると、どこか緊張した様子で森角兎を見ているニナの姿がある。
まるで、何かを恐れているようで――。
(そっか。ニナ、怖いんだ……)
過去に自身の有り余る力を暴走させてルゥの家族を全滅させたことがあるニナ。以来、彼女は自身の力を他者に振るうことに非常に慎重になっている。その理由は考えるまでもなく、自身の力で他者を傷つけるのが怖いからだろう。
そして、多くの魔獣はニナがひょいと小突いただけではじけ飛んでしまう。まさに“壊れ物”と言えるだろう。実際、過去にこうして触って魔獣を殺してしまった経験があるのかもしれないが、いずれにしても。
(ニナ。魔獣を殺しちゃうのが怖いんだ、ね)
ファイは、動物たちが自分たち人の“態度”や“心”に敏感であることを知っている。
最たる例は、黒毛の暴竜と和解したときだろう。ファイに敵意がないこと、むしろ親しみを覚えていることを示し続けたことで、暴竜の方も歩み寄りを見せてくれた。
(ミーシャもユアもそう。大丈夫、怖くないって言ったら、撫でさせてくれる)
裏を返せば、こちらが恐怖したり敵意を向けたりすると、魔獣も警戒するということではないか。実際、先ほどファイがこの森角兎の毛皮で作る極上寝具を考えた際、彼は身体を硬直させたのだから。
(じゃあ、ニナに大事なのは――)
ファイは黙って、主人の手を取る。「ファイさん?」と不思議そうにするニナの手を引くのと同時に、もう1つの手で森角兎のお腹を撫でる。安心してほしい、この人は大丈夫だよ、と。そう言うように。
そうして森角兎をなだめつつ、ニナの腕をゆっくりと誘導した結果――、
「わぁっ!?」
『キュ』
ついに、ニナの手が魔獣に触れた。
「わ……っ! わっ、わっ!」
「そう。怖くない、怖くない」
ニナの手を上下に動かして、森角兎のモフモフを堪能させるファイ。大丈夫というその言葉は森角兎に言い聞かせているようで、その実、ニナに言い聞かせるものでもある。
「み、見てくださいませ、ファイさん! わたくし、キューピョンに触っていますわ!」
キラキラと目を輝かせてファイの方を見てくるニナの手を、ファイはそっと離してみる。それでもニナは、恐る恐るではあるが、自分の手でしっかりと森角兎の毛並みを堪能している。
「さらさら、フワフワで……。あったかいですわぁ……」
嬉しそうに、楽しそうに、森角兎を撫でているニナ。森角兎も最初は警戒している様子があったが、少しすると鼻をヒクヒクと動かしてされるがままになっている。
本当は、魔獣である森角兎と急いで別れを済ませなければならないのだろう。しかし、
「ふふ……っ! うふふふふっ! わたくし、今、魔獣さんに触っているのですわね……」
感慨深げにモフモフを楽しんでいる主人の愛らしい姿を、ファイももう少しだけ堪能することにする。
ただ、ファイにとっての“尊い時間”は、プルプルと震えた通話用ピュレによって終わりを告げた。




