第248話 勝てる、かも……!
静かな多目的室に、人影が3つ。ファイ、ニナ、そしてリーゼだ。
「ファイ様。準備はよろしいでしょうか?」
侍女服のまま、自然体でファイに尋ねてくるリーゼ。他方ファイは、小さく息を吐いて頷く。
「ふぅ……。うん、大丈夫」
予定通り、ファイはこれからリーゼと相まみえる。
第18層とはつまり、かなりウルンに近い場所だということになる。そこに暮らしている魔獣たちは当然、強い。最低でも橙色等級の上位。基本的には赤色等級の魔獣しかいないのではないだろうか。
いくら白髪とはいえファイが単独で行動するにはあまりにも荷が重い、過酷な階層であることには違いない。リーゼが同伴するというのも、頷ける配慮だった。
ただし、理論と感情は分けて考えられるものだ。
先ほどのリーゼの発言は、ファイからすると「あなたをどれくらい気にかけないといけないのか見定める」と言われたように思えてならない。
(私は道具。使う人が気にかける、は、良くない)
ルゥのような例外を除いて、道具とは使用者の思うまま、乱雑に扱われるものだというのがファイの認識だ。その点、リーゼの「気にかけてやる」宣言はどうしても許容できない。
そして、リーゼがなぜそう思っているのか。理由をたどれば単純で、リーゼがファイを弱いと考えているから。ファイはリーゼに舐められているのだ。
つまり今回の決闘でリーゼを「おっ?」と思わせることができれば、ファイはリーゼから道具として信用され、きちんと雑に扱ってもらえるということになる。
「それではファイさん、リーゼさん。今回もわたくし、ニナ・ルードナムがお2人の立会人となりますわ! ファイさん、リーゼさんの胸を借りるつもりで、全力で当たってくださいませっ!」
そう言って、立会人であるニナがファイに笑顔を向けてくれる。
彼女も、そうだ。ファイがリーゼに一矢報いるなど、夢にも思っていないのだろう。悪気なく、純粋に。ファイはリーゼよりも弱いと、ニナはそう言ったのだ。
――他でもない、ファイが最も信頼されるべき相手に、信頼されていない。
そんなこと、ファイが許すことができるはずもなかった。
確かに、ファイはニナには勝てない。だが、実はリーゼが相手なら一矢報いる可能性があるとファイは考えている。
ニナ相手には使えない“奥の手”が、リーゼ相手になら通用するからだ。
「リーゼ、ニナ。決まりを確認しても、良い?」
いつになくキリリとした顔で、ファイは勝利への道筋を立てていく。
「扉から逃げる、は、なし。それから、死ぬと思ったらちゃんと言う。これで、合ってる」
エナリアの裏に続く小さな扉と、このエナリアの玄関に当たる大扉。完全に締め切られた2つの扉を確認しつつ、ファイは数少ない“決まり事”を確認する。
「はい。なのでファイ様。意地を張らず、矜持も捨てて。くれぐれも限界を迎える前に、“参った”と言ってくださいね」
ニナ相手に苦戦してしまうファイに、まさか自分が負けるとはつゆほども思っていないのだろう。普段の冷たい顔に慈愛をにじませながら、リーゼが言いつけてくる。
また1つ。ファイの中にある“負けん気”の炎が燃え上がる。
(けど、冷静に。これで準備はできた、はず)
炎は小さくまとめると温度が上がることをファイはもう知っている。胸の内に秘めた闘志の炎を、小さく、小さく、圧縮していく。
これからファイが行なうのは、限られた条件のもと、限られた相手に、たった一度しか通用しない倒し方だ。いや、殺し方というべきだろうか。
恐らくこの方法を使うと、リーゼを殺すことができてしまう。それゆえの、死にそうになったら素直に負けを認める決まりの確認だった。
(この戦いの目的は“勝つこと”じゃないし、リーゼを殺すことでもない。リーゼに私の実力を見せること、だけど……)
今回の決闘でファイはひとまず、自分はリーゼを窮地に追い込められることを証明するつもりだ。
たとえ卑怯だと言われても、戦いでは「勝つこと」、「最後に立っていること」が大事。それは、もう1人の主人であるルゥが教えてくれたことだ。
「危なかったら参ったって言う……。ん、了解。じゃあ、始めよう」
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねたファイは目をスッと細めてリーゼを見る。
対するリーゼは、やはり何も構えを見せない。予定通り、ファイの実力を確かめるためにも受け身でいる予定なのだろう。
「それでは……始め、ですわっ!」
ニナが開始を宣言し、リーゼがファイを侮っているその瞬間に、ファイは全力を注いだ。
「――〈ミトノフロン〉」
ファイが魔法を唱えた瞬間、ファイの全身から陽炎が立ち上り始める。無色透明な“何か”が、ファイの身体から放出され始めた証だ。
しかし、一見するとそれ以外には何の変化もない。そのため、リーゼはきれいに整えられた眉をひそめたのだろう。
「……? ファイ様? 何を……。……っ!?」
さすがというべきだろうか。リーゼの顔に、一瞬にして緊張が宿った。そのまま余裕のない表情で前傾したかと思うと、まさに消えたと見まがう速度でファイに向けて突貫してくる。
その軌道をどうにか予想するファイだが、リーゼが空中で羽を広げたことで、ファイが予想していた突貫の予測線がズレる。
わずかなズレなのだが、1秒にも満たない世界で行なわれている戦闘だ。かすかなズレへの対応の遅れは、致命的な隙になる。
「わ……っ!?」
想像以上の速さをもって行われたリーゼの攻撃に、ファイはもはや転がるようにしてよけることしかできない。
そうして地面を転がるファイに対して、壁に着地したリーゼが再び追撃を仕掛けてくる。拳、拳、蹴りをよけたと思えば、ファイの死角から青い尻尾が飛んでくる。
どうにかそれらの攻撃を腰の剣を抜き放って防ぐファイだが、最後、尻尾の攻撃は下からすくいあげるようにして行われた。そのすさまじい衝撃を殺しきれずに、ファイは剣で尻尾を防いだ姿勢のまま宙を舞う。
対するリーゼは羽を持ち、空中戦の覇者でもある。
宙を滑るファイに追いついてきたかと思うとファイの侍女服を掴み、ファイの身体を全力で地面に叩きつけた。
「かはっ……」
ファイが踏み込んでもびくともしない強頑石でできた地面が、簡単に割れる。全身の骨がきしむ音を聞いたファイが目にしたのは、ファイを押さえつけたまま大きく息を吸い込むリーゼの姿だ。
突き角族のほとんどが持つ息吹の攻撃が飛んでくる。すぐに察したファイは、
「〈ヒシュカ〉! 〈ゴゴルギア〉!」
自身とリーゼの間に素早く分厚い氷の盾を作りつつ、自身が押さえつけられて地面に大きな穴をあける。同時に2体の岩の人形を作り出し、がら空きになっているリーゼの背中を攻撃させる。
しかし、強頑石でできた岩人形たちは、リーゼが左右に振った尻尾によって簡単に砕かれてしまった。
そうすると待っているのは、至近距離からのリーゼの息吹なのだが、ファイは作り出した氷の盾をリーゼの顔面に押し付ける。
こうすることで、自身にも息吹が返ってくることになるため、相手は息吹を中断せざるを得ない。そのことを、ファイは12、13年の戦闘の中から学んでいる。
(この隙にまずは離脱を――)
などと考えていれば、気づけばファイの身体は宙を舞っている。身体が天井に叩きつけられた頃、ファイはようやく自分が、天井に向けてリーゼに全力で投げ上げられたのだと理解した。
「あ゛……っ、うぅ……!」
遅れてやってくる痛み。文字通り、自分とリーゼでは見えている世界も、生きている時間の尺度も違うのだと思い知らされる。
ファイが1を考えている間に、リーゼは1.5、ともすれば2を考えている。ファイが腕を振り下ろす間に、きっとリーゼは腕を上下に動かすことができる。嫌でもそう感じさせられるだけの圧倒的な次元の差が、ファイとリーゼの間にある。
(やっぱり、黒色等級の魔物に1人で挑む、は、無謀……)
眼下に見える、リーゼの姿。彼女の頬は膨らんでおり、再び息吹を使おうとしている。
他方、部屋の隅に居るのはこちらを心配そうに見上げるニナの姿だ。ファイと目が合った瞬間、彼女は口パクで言ってくる。
『「参った」と、言ってくださいませ!』
主人にそう言わせてしまう申し訳なさに唇をかみしめながら、それでも。ファイが口にしたのは魔法の呪文だ。
「〈ヒシュカ・エステマ〉……!」
ファイの頭の中にある画の形通りに、氷が形成されていく。だが、氷の盾が生成される速度はあまりにも遅い。
少しひんやりしているエナリアだが、待機中の水分を冷やして氷にするにはどうしても時間がかかる。以前、ニナと戦っていた時は〈ファウメジア〉という一帯を凍らせる魔法があったおかげで、瞬時に分厚い氷の盾を作ることができた。
しかし、常温であれば、リーゼが息吹の構えを見せてから作り出せる氷の盾などせいぜい30㎝ほどだろう。前回、リーゼが出合い頭に息吹を使った際は、数メルドの氷の盾でさえ破られそうになったのだ。
ファイの目の前に出来上がっていく30㎝ほどの厚みの氷など、もはや風の前の塵と同じだろう。
(けど、無いよりはマシ)
天井に埋まったまま、ファイはなけなしの魔素を使って〈ゴギア〉も使う。天井の強頑石を使って、自身を覆う盾を作るのだ。
果たしてリーゼの息吹がどれほどの温度を持つのかは不明だが、前回、彼女の息吹を受けた多目的室の壁や床は軽く赤熱しているだけだった。つまり、ほんの数秒であれば時間を稼げる。そう考えての、最後の悪あがきだった。
最初に使った〈ミトノフロン〉という魔法のせいで、もはやファイの魔素もほとんど空っぽだ。この〈ゴギア〉の盾が消えた瞬間が、敗北を宣言するときだろう。
そんなことを考えながら、ファイは戦闘の決着を待つ。しかし、どれだけ待ってもファイを包む岩の壁が赤くなることは無い。
(…………。……もし、かして……。間に、あった……?)
ファイが最後の魔素を使って〈ゴギア〉の壁を取り払うと、眼下には、
「まい、り、ました……」
顔の穴という穴から血を流して膝をつく、リーゼの姿があった。




