第241話 “辛い”なんてない……よ?
銀狼たちが倒されてしまってから、少し後。ファイの姿は、エナリアの第17層の裏――ルゥの私室の前にあった。
「はぁ、はぁ……ふぅ……」
久しぶりに切れてしまった息を整えつつ、ファイはルゥの部屋の扉を叩く。
彼女がなぜ今この場所を訪れたのかといえば、ルゥであれば、銀狼たちの治療ができるのではないかと考えたのだ。しかし、応えの後に姿を見せたルゥは、
「――ごめん、ファイちゃん。コレは無理」
ファイの手に納められている2体分の肉塊を見て、瞬時に首を振った。
銀狼たちが倒された後。ファイは断腸の思いで、ニナに言われた通り適当に大扉から撤退した。そして折を見てガルゥ、ルルゥ両名を“迎えに戻った”ところ、辛うじて犬の形を保った肉と骨の塊だけが残されていた。
どうやら探索者たちが、階層主兼変異種だった銀狼たちの毛皮などを持ち去ってしまったらしい。
ファイの目から見ても、手遅れだと分かる銀狼たちの姿。それでもファイは、諦められなかった。
(だい、じょうぶ……。ルゥなら……! ルゥだったら……!)
全身がぐちゃぐちゃになっていたファイでさえも治療して見せたルゥだ。彼女であれば、この状態の銀狼たちも助けられるのではないか。いや、そうに違いない。
一縷の望みをかけて共に戦った仲間の身体を持ち帰り、ルゥの指示を仰いだ結果が、先の言葉だった。
「…………。……そっか」
少しの沈黙の後、2体分の肉塊を抱えながらルゥの部屋の前に頽れるファイ。彼女の中で、ガルゥ、ルルゥの死が確定した瞬間だった。
「えっと……ファイちゃん? めっちゃ聞きづらいんだけど、その肉はなに? ……ちょっと大きいけど、もしかしてユアちゃんかムアちゃんだったりする?」
しゃがみ込んで打ちひしがれるファイを気遣いつつも、事情の説明を求めてくるルゥ。ユアとムアの名前を出したのは、骨の形状から犬科の動物であることを見抜いたからだろう。
「ううん。ガルゥと、ルルゥ。銀色の毛がきれいな、狼だった」
「なるほど……。ニナちゃんから、ファイちゃんが階層主のお仕事に挑戦してるってことは聞いてたんだけど」
どうやらルゥはファイが階層主になることを聞いており、万一に備えてこうして待機してくれていたらしい。
「でも、そっかぁ~……。名前、付けちゃったかぁ……」
しゃがみ込んだルゥは、そっとファイの背中をさすってくれる。
「……? ルゥ。魔獣に名前を付ける、は、ダメだった?」
「ううん、そんなことは無い。名前を付けてあげるのは、動物を飼う上ではとっても大事。なんだけど……」
ルゥの話では、生き物に名前を付けて可愛がると、どうしても人は愛着を持ってしまうものらしい。実際ファイも、銀狼たちに名前を付けたときからグッと親近感を覚えたような気がする。
本来はそうしてファイたち“人の側”が愛情をもって動物と接することで、動物の方も懐いてくれるという。
「でも、階層主の魔獣は、ほら。倒されるために居るから。愛情を持っても、絶対にいつかは殺されちゃうでしょ? だからわたしも、基本的には名前を付けないようにしてるかなぁ」
自身も第10層の階層主を務めるルゥだ。倒されるために用意されている魔獣に名前を付ける。ひいては愛着を持ってしまうことの辛さを、嫌というほど知っているようだった。
「ルゥ。私……ね? 階層主はもっと、簡単な仕事だと思ってた」
額面だけを見れば、階層主の仕事は「やってきた探索者の実力を測る」だけなのだ。適当に戦って、実力を見極めて、次の階層主が安全に戦えるように情報を持ち帰る。それだけだと思っていた。
「けど、階層主には魔獣の仲間がいて。でも、その魔獣は倒されなくちゃ、で……」
最後の部分。つい俯いて言葉が弱くなってしまうファイ。
もしこの先、ファイが第7層の階層主を務めることになる場合、探索者がやってくるたびにファイはいま抱えているやり場のない感情――喪失感、虚無感、ほんの少しの怒り――と向き合わなければならない。
あるいはファイが心のない、優秀な道具であればこのやるせない思いを感じることもないのだろうか。道具として未熟だから、自分は今、こうして胸を痛めてしまっている。そんな自分が、ファイはただただ情けない。
「……階層主は大変、だね?」
辛い。苦しい。もうやりたくない。それらたくさんの言葉の中から、どうにか道具として正しいだろう言葉を選び取ったファイ。
いつになく眉尻を下げるファイの顔を見て、ルゥがきゅっと唇を引き結ぶ。そして、
「そうだね。きっと……ううん、絶対。ファイちゃんには向いてない仕事だったと思う。だから、言わせて――」
そう言いながら、ファイの腕の中にある銀狼たちだった肉塊ごと、ファイを抱きしめてくると、
「――よく、頑張ったね」
とてもやさしい声で、ファイのことをねぎらってくれた。
耳元で聞こえる彼女の言葉が、いつになくファイの胸に刺さる。このまま弱い自分でいれば、泣いてしまう。そんな予感がしたファイは、懸命に道具でいることに努める。
「ルゥ。服、汚れちゃう、よ? あと、私がニナのために頑張るのは、当たり前」
今は普段着を着ているルゥだ。彼女の大切な服が、ファイの汗や銀狼たちの血肉で汚れてしまう。だから、離れるべきだ。そう訴えるファイを、それでもルゥは離してくれない。
「当たり前に頑張れて、えらいね。ファイちゃんはすごい」
何度も、何度も。ファイのことを褒めながら、ファイの背中をトントンと優しく叩いてくる。ルゥの言葉も、声も、どこまでも優しくて。また、ファイを抱く彼女の体温が、首や背中からじんわりとファイの中に染みてきて。
いつしかファイは照れるよりも先に、
「ありがとう、ルゥ」
目の前で左右に揺れているルゥの尻尾に向けて、感謝の言葉を口にしていたのだった。
とはいえ道具として、このまま主人の厚意に甘えているわけにもいかない。ファイの方からそっと身を離すと、ルゥも照れたように笑って立ち上がる。が、立ち上がった彼女はすぐに、難しい顔をした。
「ルゥ? どうかした?」
銀狼たちの死骸を両脇に抱えて立ち上がったファイに、ルゥは「うん」と相槌を返して続ける。
「ファイちゃんに階層主をやれって言ったの。もちろんニナちゃん、だよね?」
「うん、そう。それがどうかした、の?」
ファイが聞き返すと、ルゥは特徴的な尻尾を揺らしながら疑問を口にする。
「いや、さ。ちょっとニナちゃんらしくないなって思って」
「……? ニナらしくない……?」
どういうことだろうか。疑問たっぷりのファイの金色の瞳に、ルゥは頷く。
「そう。ファイちゃんはわたしより強い。だから第7層に来るウルン人にも、余裕を持って対処できる。それは間違いないと思う。けど……」
「けど?」
「結局、もし強いウルン人……それこそ、ニナちゃんですら殺されかけたアミス? って人たちが来たりする可能性だって、普通にあったわけ。そうなると、ファイちゃんが普通に怪我したり、殺されたりしたかもしれない」
まして、ファイは魔法を使えない“縛り戦闘”を強いられていた。もしもアミス達のように赤色等級以上の探索者が来ていた場合、確かに、ファイは五体満足で帰ってこられていたか怪しいところだ。
「そんな危ない仕事を、あのニナちゃんが、大好きなファイちゃんにさせるのかなって。それに、わたしでさえ階層主の仕事はファイちゃんに向いてないって分かるのに、ニナちゃんが分からないとも思えない……」
あご先に手をやって、考え込んでいるルゥ。そんな友人にファイは小首をかしげて見せる。
「待って、ルゥ。私はどうして、階層主に向いてない?」
「うん? だってファイちゃん、優しすぎるから。あっ、『私は道具だから優しいは無い』とかいいから。今そうやって参っちゃってるのが良い証拠。……なのにニナちゃんは、階層主をさせた。なんで?」
ファイの反論など予想済みとばかりに先手を打ちながら、頭上のピョコッとはねている紙の束を「?」の形にしているルゥ。おかげでファイは反論の余地がない。
「あ、ぅ……。ニナ、言ってた……よ? 試験運用だって。私でうまくいくなら、この先も強いウルン人に第7層を任せるかもって」
「う~ん、でも。第7層なら、わたしでもいいわけで……」
ルゥも第2進化をしているだけの、黄色等級ていどの魔物だ。進化段階で言えば、あのユアと変わらない。大気中のエナの濃度がグッと少なくなる第4層までなら、余力をもって活動ができる。
ただ、第10層とは違って第7層の階層主のところにはそれなりに探索者が到達する。忙しいルゥをそんな場所に配置するわけにはいかない、と、ニナが考えていても何ら不思議ではないというのがファイの考えだ。
「実は試験運用が目的じゃない? とすると、あのニナちゃんが、わざわざ危険を負ってファイちゃんを階層主にした理由は?」
うんうん唸りながら、考え事をしているルゥ。なぜニナは危険な仕事をファイにさせたのか。ルゥはどうしても気になるらしい。
そんな彼女が「もしかして」と気づきの声を漏らしたのと、
「ファイ! 大丈夫!?」
前方から猫の姿のミーシャが駆けてきたのがほぼ同時だった。
「ミーシャ。どうした、の?」
目を瞬かせるファイを見て、一瞬、安堵の顔を見せたミーシャ。だが、ファイの血だらけの侍女服を見て再び顔を緊張させる。
「どうしたもこうしたもないわ! しばらく見かけないと思って心配……はしてないんだけど! 仕事が終わって廊下に出てみれば、アンタの匂いと一緒に血の跡があったんでしょ!?」
どうやらファイが怪我をしたのだとミーシャは勘違いしたらしい。黒毛の尻尾を力なく垂らしながら、ファイの周りをグルグル回っている。
と、その時になってようやくミーシャは、ファイの後ろにルゥが居ることに気づいたらしい。
「ルゥ先輩! ファイは死なないですよね!? ルゥ先輩が助けてくれますよね!?」
どうやらファイを心配して駆けつけてくれたらしいミーシャ。彼女の優しさと賑やかさが、銀狼の喪失によってファイの中に生まれた穴を温かく満たしてくれる。
「ミーシャ。ルゥも。ありがとう、ね?」
優しい2人の友人にお礼を言ったファイは、今度こそ、道具としての顔を取り戻している。
他方、急にお礼を言われる形になったルゥ達はといえば、仲良く2人そろって尻尾を「?」の形にしていたのだった。




