第239話 一緒に、戦おう!
一足で、分厚い鎧を着た男性との距離を縮めたファイ。殺さないように剣の柄を使いながらではあるが、全力で兜を殴打しようとする。直前に男性が盾を持ち上げて応戦しようとしたのだが、ファイの動きは男性にとってあまりに想定外だったのだろう。
盾がファイの腕を捉えるよりも早く、ファイの剣の柄が兜に触れる。と、金属がひしゃげるような音が聞こえた次の瞬間には、盾持ちの男は宙を舞い、階層主の間の壁まで吹き飛んで行ったのだった。
「まず、1人。……っ!」
ウルン人だとバレないようガルン語を心掛けながら言ったファイがその場から後退する。と、ファイが元居た場所に氷の槍が突き刺さる。それだけでなく、ファイたちと探索者たちとを隔てる炎の壁が瞬時に出来上がった。
「盾持ち! 大丈夫!?」
炎の壁の向こう。盾持ちの男性と仲がよさそうだった女性の悲痛な声が聞こえてくる。
「盾持ち」と言うのは暗号の一種だろう。知性があるガルン人を相手にするときは名前を叫ぶと誰が誰に指示を出しているのか分かってしまう可能性がある。そのため、いくつかの呼び方を用意するのが通例だ。
もちろん探索者――正確には黒狼は探索者協会に所属していないため「盗掘者」――であるファイも、そうした探索者としての知識は持っている。
(私にもファイ以外に、「おい」とか「お前」とか「愚図」とか。いろんな呼び方があった)
黒狼時代の愛のあるあだ名を思い出してかすかに表情を柔らかくするファイだが、すぐにいつもの能面で炎の壁を見遣る。
探索者たちがやって来たのは、ファイがこの部屋に来て丸1日が経とうかという頃だった。おかげであるていど銀狼たちとの連携も確認できたし、何なら一緒に仮眠だってできた。
おかげで今のファイは気力も体力も十分だ。1日近く何もお腹に入れていないが、黒狼と共にエナリアに潜っていたころは、数日間、水だけだったことだって何度もあった。1日程度の断食を気にするファイではない。
と、ファイが黙って炎の壁を見ていると、隣で「グルゥ……?」と鳴き声が聞こえる。見れば、銀狼の1体がファイのことを灰色の瞳で見つめている。まるで「何もしなくていいのか?」と聞いてくるようだった。
ほぼほぼ同じような見た目をしている銀狼2体だが、ファイは両者の目つきの違いに気づいた。片方がやや目が吊り上がっていて剣呑な雰囲気をまとう一方、もう片方は丸い目をしていて愛嬌がある。
そのため、目が吊り上がっている方を『ガルゥ』。丸い方を『ルルゥ』と呼んで、ファイは彼らとの連携を確認したのだった。
「大丈夫、だよ、ガルゥ。もうちょっと、待ってあげよう?」
ファイが言っている言葉は理解していないのだろうが、攻めっけが無いことを理解したのだろう。ガルゥは少し不服そうに鼻を鳴らして、炎の壁の向こうにいる探索者たちを睨む。
他方、ルルゥは気ままに大きなあくびをしている。だが、油断しているというわけではないらしい。群れの長――ファイが命令すればすぐにでも動き出せるというように、全身には程よく力が入っていた。
そうしてファイが、自身の胸の丈まである2体の狼をなだめること10秒ほど。
炎の壁が消えて、探索者たちが再び姿を見せる。
相変わらず盾持ちの男は壁際で伸びており、彼を護衛・介抱するためだろう人員が1人付き添っている。都合、人員が2人減って4人になった徒党は前衛2人、後衛2人という陣形に変わっていた。
「アンタ、相当速いのね……」
盾持ちの男と仲が良いのだろう女性が、ファイに構えた双剣の切っ先を向けてくる。
彼女が身にまとう鎧は赤を基調としており、装着者の苛烈な気質を表しているように見えなくもない。実際、徒党の長と思われる盾持ちの男が倒れてもなお戦意を失わないあたり。恐らく彼女が副長なのだろう。
「だけど、速さならあたしも自信があるんだから。……アイツをぶちのめしたこと、後悔させてあげるわ!」
言うや否や、赤鎧の女性がファイに向けて突貫してくる。時を同じくしてもう1人の前衛がガルゥに向けて突貫し、後衛2人もルルゥに向けて魔法で攻撃を始める。
恐らく、倒れている盾持ちの男から少しでもファイ立ち退きを逸らさせようという意図があるのだろう。また、徒党で一番早いと思われる赤鎧の女性がファイを押さえている間に、ガルゥ、ルルゥたちを討伐する。そんな作戦なのかもしれない。
だが、ファイに与えられた仕事は階層主だ。
このエナリアにおける階層主の役割は、探索者を殺すことではない。まして、全員を打ち倒すことでも、この戦闘に勝つことでもない。
(――この人たちが次の層に行っても大丈夫か、見極める。ただ、それだけ)
自身に与えられている使命を反芻したのち、ファイは赤鎧の女性が振るう双剣を受け止める。
女性の一撃は、非常に軽い。筋力で劣る女性であることはもちろんだが、恐らく黄色髪以下の身体能力なのではないだろうか。そんな彼女が、片手で剣を振っているのだ。白髪のファイが力負けするようなことは無い。
だが、双剣の長所は通常の剣と比べて単純計算で2倍の手数を誇るところだろう。
順手から逆手に素早く短剣を持ち替えてファイを攻め立てる女性。かと思えば不意に短剣を投げ上げた。剣の動きを追っていたファイの目は当然、宙を舞う剣に向いてしまう。そうして隙をさらすファイの腕を、女性は剣を投げたことで空いた手で掴んだ。
「どっ、せいっ!」
「……っ!?」
気づいた時には、ファイの背中が地面に叩きつけられていた。女性がファイの腕を引いて背負い投げをしたのだ。
「???」
はじめて目にする双剣使いの戦い方。その圧倒的な手数と、舞うように美しい戦い方に、ファイは魅了され、圧倒される。そんな最中で行なわれた、一本背負い。もはやファイの頭では、何が起こっているのか分からない。
地面に倒れたまま天井を見上げる彼女の首に、
「とどめっ!」
投げ上げていた短剣を器用につかみ取った女性がその剣先をファイに向けて振り下ろす。
だが、常時ならともかく、今のファイは戦闘に向けて圧倒的な集中状態にある。ニナやリーゼの動きでさえも目で追えるファイだ。黄色髪の女性の動きなど、それこそ手加減でもしてもらっているかのように緩慢に映っている。
ただ、だからといってファイの動きが加速するわけでもない。白髪であるため常人よりも早く動けるのは間違いないが、さすがに地面にぺたんと倒れた今の状態から、目前に迫っている剣を回避するだけの時間はなさそうだ。
(えっと……)
差し当たり、自身に向けて振り下ろされている剣を素手で防ぐことにするファイ。剣の鋭さ次第では手を貫通するかもしれないが、首を斬られるよりはマシだろう。
刹那の時間で簡単な損得の計算をしたファイは、自身の身体を平気で差し出す。
女性が振り下ろす剣の切っ先がファイの手のひらに触れ、軽い抵抗の後にプツリと皮膚を割いた瞬間。
ファイの上にいた女性が横方向に吹き飛ばされる。直後、ファイの目の前を横切ったのは銀色の毛並みをした美しい狼――ルルゥだ。
どうやら魔法の弾幕をかいくぐった彼が、ファイの窮地に駆けつけてくれたようだった。
「ルルァッ!」
「くっ! このっ!」
そのまま、女性とルルゥがもつれるようにして地面を転がる。だが、先に立ち上がったのは女性だ。素早く体勢を立て直した彼女は、まだ起き上がれずにいるルルゥに向けて剣を振り下ろそうとしている。
「――〈ゴギア〉」
探索者たちにばれないように小さい詠唱で魔法を唱えたファイ。すると、剣を振り下ろそうとしていた赤鎧の女性の地面が少しえぐれる。先日、ティオが閃いたあの技術の応用だ。
当然、片足の踏ん張りがきかなくなった女性は体勢を崩し、剣から勢いが失われる。しかし、不測の事態でも最低限の仕事をして見せるのが探索者というものらしい。
「ふぅっ!」
体制崩しながらも、空中で改めて剣を握り直した女性は改めてルルゥのおなかに向けて剣を振り下ろす。威力が弱まろうとも、きちんと一撃を入れようということだろう。
この瞬間、またしてもファイに選択が迫られる。
一応、〈ヒシュカ〉や〈ゴギア〉を使えば剣とルルゥの間に障害物を挟むことができる。だが、何もない場所に岩や氷が現われるなど、魔法以外の何物でもない。
今のファイは階層主であり、ガルン人としてこの場にいる。そして人間族のガルン人には、特殊能力がない。
もしも今、魔法と疑われるような事象を引き起こせば、探索者たちにファイがウルン人なのではないかという疑いをもたれてしまいかねない。
そうなると、探索者に危害を加えたファイに待っているのは逮捕・拘束の未来だ。
(フーカ、言ってた。人を攻撃する、は、長くて5年くらい牢屋に入れられるって)
それほど長い期間ニナの役に立てず離れ離れになるなど、彼女の道具を自称するファイに許されてはいない。絶対に、ファイがウルン人であることはバレてはいけないのだ。
結果――。
「ギャゥ!?」
ファイが奥歯をかみしめて見つめる先で、ルルゥのお腹に剣が突き刺さる。女性が力を籠められなかったこと。また、ルルゥの硬い毛があったおかげで致命傷は避けられただろうが、それでも確かに剣はルルゥのお腹を裂いていた。
ファイは素早く起き上がって、女性に剣を振るう。もちろん刃ではなく、剣で殴打することを意識して、だ。
「く……っ!」
ファイの剣を、交差させた双剣で受け止めた女性はそのまま、勢いを利用して後退する。
この隙を利用して、ファイは侍女服の衣嚢から素早くルゥの傷薬を取り出してルルゥの傷にかけた。
「ルルゥ。ごめん、ね。それと、庇ってくれて、ありがとう」
「グルゥ……」
瞬く間にふさがった傷口をファイが撫でてあげると、ルルゥはきちんと足腰に力を入れて立ち上がる。
そんなファイ達のもとに、ガルゥも合流する。わずかな時間だが赤鎧の女性がファイとルルゥを相手取っていたため、ガルゥには残った探索者3人の攻撃が集中していたはずだ。
きれいな銀色の毛並みは泥や煤、ガルゥ自身の血で汚れてしまっている。しかし、きちんと致命傷は避けていたのだろう。どの傷も致命傷には程遠く、きちんとファイの言いつけ――長く戦うこと――を守ってくれているようだ。
「ありがとう、ガルゥ。これ、残りの分」
ルルゥに使った残りの傷薬をガルゥに振りかけるファイ。すると、ガルゥの傷も瞬く間に治ったのだった。
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