第229話 なに考えてる、の?
魔道具量販店で大量の撮影機を購入し、ついでに独断でいくつかのお土産を購入したファイ。5日間にわたるウルンでの滞在を満喫した彼女は、お昼過ぎ。
アミスが手配してくれた車で、“不死のエナリア”入り口に送り届けられたのだった。
「それでは、ファイ様。我々はここで失礼いたします」
「うん。送ってくれて、ありがとう」
「ばいばい~、おにーさん、おねーさん!」
黒い服と黒い遮光眼鏡をかけた男女に別れを告げると、車は来た道を帰っていく。
ファイとティオ。ここ数日で何度も着替えをし、今は初日にそれぞれが着ていた服を身にまとっている。ファイが無地の白い上衣に植物柄の紺色の裳。ティオが真っ白な一枚着だ。
そして2人の背中には、魔道具量販店にあった撮影機が大量に入った背嚢が背負われている。箱はかさばるためにすでに処理してあり、中身と説明書だけが詰められている状態だ。
ティオの発想で機器の隙間にはこれまで着てきた服が何着か緩衝材として挟まれている。箱を失って裸の状態の撮影機が傷つくのを多少は防ぐ役割を担っていた。
また、ファイの手には魔道具量販店の店名が刻まれた紙袋が握られている。中には小さな箱がいくつかあるのだが、これが今回のファイの“お土産”だった。
「……それじゃあ帰ろう、ティオ」
総重量は軽く50㎏あるだろう荷物たちを涼しい顔で持つファイが、隣のティオに手を差し出す。それに対して、ティオはやや緊張を声に乗せて答えた。
「う、うん! エナリアに行くんだよね? ティオ、未成年だからエナリアに入るの初めて……!」
王国では未成年は原則、1人でエナリアに入ることができないらしい。必ずどこかの探索者組合に加入し、成人した組合員と3人以上で入ることが義務付けられている。
これまで白髪教と共に過ごしていたティオは当然、エナリアに入る権利を持っておらず、魔物や戦いとは無縁の生活を送ってきていたようだった。
自然、ファイの手を握っているティオの手には力が入ってしまっている。
「大丈夫。ティオは、私が守る。それに、そこまで危なくない、と、思う」
「ふぇ? そうなの?」
キョトンとした顔のティオに、ファイは小さく頷いて見せる。
今回はエナリアを攻略するのではなく、裏に帰るだけだ。第1層にある裏への入り口までたどり着くことさえできれば、あとは安全な通路と階段を下りるだけで済む。
そして、ティオも子供ながら白髪だ。第1層にいる魔物に襲われたとしても、かすり傷を負う程度だろう。もちろんそんなことすら、ファイは許すつもりはない。ティオのきれいな肌とフワフワの髪には、傷1つ、土埃1つ付けさせるつもりはなかった。
(あとは……)
背後を振り返る。そこにあるのは“不死のエナリア”へと続く穴と、その前で「やっと来たか」という顔でファイを見ているゼムの姿だ。
彼が、大荷物を抱えた自分たちをエナリアの中に通してくれるかどうか。恐らく帰路の要所となるのはこの部分だろう。などというファイの予想は、良い意味で裏切られる。
「ゼム。戻った」
「ああ、話はアーた……王女様から聞いておるぞ、ファイ。お前さん、やっぱり相当に“訳アリ”らしいな?」
「そう、なの?」
頭が痛いと言った様子で顔をしかめるゼムの言葉に、ファイは首をかしげる。
「とりあえず、お前さんとその子は通すように、とのことだ。まったく、何がどうなってエナリアに住むなんて発想になるんだか……」
ゼムの小言から察するに、彼も少しだけファイの事情を知ってくれているらしい。そのうえで、出入り監視官として、ファイとティオを通してくれるようだった。
「えっと、エナリアに入っても良い、の?」
「だから、そう言っとる。私としてはその荷物の中身はなんなのか。前回は居なかった、明らかに未成年のその子供はなんなのか。山のように聞きたいことはある」
エナリアは犯罪者たちにとっての隠れ家にもなる。アミスがニナを誘拐犯と勘違いし、ファイをエナリアに隠していると思い込んでいたことも記憶に新しい。
そのため王国は、比較的安全な昼間はこうして、ゼムのような出入り監視官を探索者協会から雇って警備させているのだろう。
「だが私も、お上の命令には従えないんでな。さっさと行け」
鼻を鳴らし、立派な口ひげを遊ばせながら明後日の方を見るゼム。彼にお礼を言ってそそくさとエナリアに入ろうとしたファイだが、ふと立ち止まる。そして、1つだけ気になっていたことを聞くことにした。
「ゼム。ゼムも、白髪?」
ファイがそう尋ねた理由は、先日の岩人形討伐の光景だ。ゼムが剣を使って岩人形を斬って削っていた様子は、今もファイのまぶたの裏に焼き付いている。
白髪の自分でもできないことをやってのけたゼム。であるならば、彼はひょっとして白髪なのではないか。
フォルンの光をぴかりと照り返す禿頭を眺めながら尋ねたファイに、ゼムは「ふん」と改めて鼻を鳴らす。
「定年を迎えた、ただのジジイだ」
ファイの問いを肯定するでも、否定するでもない。不愛想に腕を組む“すごいおじさん”の姿に、わずかに瞳を輝かせるファイ。
「そっか。じゃあ、また、ね?」
「ばいばい、おじーちゃん!」
ファイとティオによる感謝も込めた別れのあいさつに、ゼムはもう答えない。ウルン側の“不死のエナリア”の入り口を守ってくれている彼の大きな背中に手を振って、白髪の姉妹は薄暗いエナリアへと足を踏み入れた。
ゼムという最大の関門を突破した。あとはニナに会って、ティオの居住を許してもらうだけだ。そしてニナの人柄を考えるに、恐らく彼女はティオを認めてくれるに違いない。そう、ファイは考えていた。
しかし、時間をかけて第20層に戻ったファイを待っていたのは――
「許しませんわ!」
――ニナの拒絶の言葉だった。
久しぶりに見るニナの顔にファイがホッと安心していた矢先。ティオの出自とこれまでの話をしていた際の、出来事だった。
「に、ニナ? なんで?」
眉を揺り上げてお怒り状態の主人とは対照的に、眉尻を下げ、いつになくオロオロすることしかできないファイ。そんな彼女に構わず、ニナは地団太を踏んでいる。
「なんでも、だっても、ありませんわっ! ファイさんと接吻を、そ、それも舌を入れるなんて……うらやまけしからんですわ! 絶対に、許せませんわぁぁぁ~~~!」
言葉の区切りで執務室の床を踏みしめながら、ウルン語で叫ぶニナ。一方、許せないと言われたティオはと言えば、
「え、お姉ちゃん。コレがお姉ちゃんの心に決めた人なの? 分かんないけど、ティオより子供じゃん……」
ニナのことを指さしながら、驚いたといった顔を見せている。だが、次の瞬間には「はっ」とした顔を見せ、「分かっちゃった♪」と笑う。
「なるほど……。ニナちゃん、お姉ちゃんと“まだ”なんだ? で、ティオに先を越されたから怒ってるんだ~♪」
「ち、違いますわ! 私とファイさんはきちんと、その、接吻をしております! ですわね、ファイさん!?」
「えっ、あっ、うん」
勢いよく話を振られて面食らってしまったファイだが、どうにかニナの問いかけに答える。
「ニナが寝ぼけて、私にチューした」
「そうですわ! わたくしが寝ぼけて……って、はぅぅぅ~~~……」
当時のことを思い出したのだろうか。手で顔を覆いながら、顔を赤くするニナ。だが、どういうわけか指の間からファイに視線を送ってくる。
途端、ファイの中でもあの日の光景がよみがえる。あの時に感じた多幸感と、それをもう一度と求めてしまっている弱い自分を思い出してしまい、ファイの顔も赤くなってしまう。
チラチラとお互いを見ながら顔を赤くする。そんな2人をムッとした顔で見ていたティオだが、またしても「はっ」とした表情を浮かべると、
「――まぁ、でも~? ティオとお姉ちゃんはもっとたくさん、深いチューしたからいいや♪」
これ見よがしに、ニナに言う。
挑発するようなティオの態度をたしなめようと、彼女の方を見るファイ。自分の所有者はあくまでもニナである。それを改めてティオに教えようとしたのだが、
(……?)
どういうわけか、ティオは神妙な顔をしている。彼女がいま、何を考えているのかは分からない。ただ、少なくとも会議室でアミスにしていたような、“ファイの所有権の主張”をしているわけではないようだ。
「どうせお子ちゃまのニナちゃんにはできないもんね、ティオとお姉ちゃんがしたみたいな大人のチュー。やーいやーい、意気地なし~♪」
確かにティオは、ニナを挑発している。だが、例えばユアやムアが見せる、優位性を誇示するような挑発ではない。口調のわりに真剣な面持ちのティオの声色や表情からは、
――ニナに発破をかけている。
そんなふうに、ファイには思えた。
だが、煽られた当人であるニナは違ったらしい。
ニナはガルンの文化で育ってきている。煽られること、ひいては舐められることに対しては、ファイたちウルン時とはまた異なる感性を持っている。ガルン人にとって相手に下に見られるというのは、死活問題なのだ。
「てぃ、ティオ? もうやめないとそろそろ――」
「ねー、お姉ちゃん? 昨日もティオとチュー、してくれたもんね? 答えろ♪」
「あっ、うん、した……。でもそれはニナのためで――」
「昨日もねっとり、優しく……。ティオが喜ぶように、シてくれたもんね♪ 優しいお姉ちゃんをもって、ティオ、幸せすぎるんですけどぉ~」
言いながら屈託のない笑顔で抱き着いてくるティオ。だが、すぐに彼女の顔から笑顔は消えて、背後にいるニナの方に向けられる。ニナの反応を確かめようとするその顔は、やはり真剣そのものだ。
(ティオ。本当に、なに考えてる、の……?)
もし何らかの意図があるのだとしても、少なくともこのやり方は良くない。なにせ、ティオが挑発している相手はファイでさえ単騎討伐が難しい、黒色等級の魔物に迫る存在で――
「ふっ……ふふふっ……うふふふっ……!」
うつむいたまま、乾いた笑いをこぼすニナ。顔を上げた彼女の顔もまた、笑顔だ。しかし、こめかみ辺りに浮かぶ青筋はどうしても隠しきれていない。
茶髪の少女が放つ怒気にファイが身を震わせ、ティオが「?」と首を横に倒す中。
「――分かりましたわ、ティオ・ミオ・アグネストさん。あなたからの挑発、不肖わたくし、ニナ・ルードナムが謹んでお受けいたします!」
決闘を行なう旨のニナの言葉が、執務室に響いた。




