第218話 あの人たち、おかしい!
1回目のおつかいの際、お店には開店・閉店時間宿があることと合わせて、宿というものの存在を知ったファイ。
そのため、ファイが唯一知っている宿――以前フーカと朝が来るまで待った食堂のある宿――で、ティオと一夜を明かすことにした。
受付で札束を出したファイと、ふわふわの長い白髪そのままのティオに店員がぎょっとする一幕こそあったものの、無事に受付を済ませる。
部屋に着いて荷物を置いたファイは早速、ティオを連れて大浴場へと向かうことにした。
身体を拭く布と着替え用の館内着を持って、お風呂を目指すファイ。ふと隣を見ると、ちょうどいつもニナの頭があるくらいの位置にティオの顔がある。
「ねぇ、ティオ」
「なになに、お姉ちゃん!」
「ティオ、もしかして運動が苦手?」
「(ぎくっ!?)」
ファイが言うと、ティオがあからさまに身体を硬直させた。自然、立ち止まる形になった彼女に合わせる形で、ファイも足を止める。
ファイがティオにこの問いかけをしたのは、先ほどの逃げる時に見せたティオの体力の低さだ。
接吻にしてもそうだ。確かにファイも多少は息が上がったが、ティオのようにぐったりと倒れてしばらく動けなくなるようなことは無かった。
同じように体力がない人物と言えばユアが居るが、彼女は生来の本能だろうか。身体の動きにぎこちなさはなく、ただ単に怠惰な生活のせいで体力が落ちているだけにすぎない。
だが、ティオの場合は違う。先ほどちらりと見たティオの走り方は無駄が多く、走りそれ自体もかなり遅い。体の動かし方自体がぎこちなかったようにファイには見えた。
それらのことから、ティオは日常的に身体を動かしてこなかったのではないか、と予想したのだった。
特段、何かの感情を表情に乗せることなくティオを見つめるファイ。そんな彼女に、ティオは苦笑しながら白状した。
「あ、あはは……。お姉ちゃんの言う通り、かなー。ティオ、どちらかと言えばお家でいろいろ楽しむ方だから。あんまり友達と外でーってことは無くて」
彼女の笑顔の裏にある“影”を、ファイは見逃さない。ただ、だからと言って、ティオの“影”がどんなものなのかまでは推測できない。ファイはまだ、ティオのことを何も知らないからだ。
「あっ、でも! ちょっと苦手なだけ! 見ての通りティオ、白髪だから! 頑張って運動もできるようになる! お姉ちゃんの足は引っ張りたくないし!」
そう言って、笑うティオ。だが、無意識なのだろうか。彼女の笑顔には明らかな無理が見えるし、伸ばされた手はファイの服の裾をぎゅっと掴んで離さない。
その行動の裏にある心理――捨てられたくない、見放されたくない――を、ミーシャやユアの行動を通して学ばないファイではない。
「……うん、できるようになる、は、大事。ティオ、えらい」
言いながら、ファイは自身の裾を掴むティオの手を握る。大丈夫、ずっと一緒だと言うように。
すると、ティオの顔が一瞬にして華やぐ。
「にしっ! でしょでしょ! ティオ、できる子だもんねー!」
ぎゅっとファイの手を握り直したティオは、今度は白い一枚着を揺らしながらファイの前に躍り出る。
「お姉ちゃん、早くお風呂行こ! ティオ、お風呂大好きなんだー♪」
そう言って笑う曇りのない彼女の笑顔に頷いて、ファイは大浴場への歩みを再開した。
ファイがエナリア以外のお風呂に入るのは、これが人生で初めてだ。
10人ほどが着替えることのできる脱衣所。その半分の人数が身体を洗うことができる洗い場。黒っぽい岩でできた地面と、赤っぽい色合いの岩を使って作られた大小の浴槽が2つ。それらを見たファイは、
(……お風呂、小さい?)
少なくとも30人以上が入ることのできるエナリアの大浴場しか知らないファイは、宿のお風呂の小ささに驚く。
しかもファイ達がお風呂に到着したときには数人の先客が居たおかげで、より窮屈な印象を受けた。
ただ、このこぢんまり――あくまでもファイの感覚――としたお風呂の方が、ファイとしては嬉しい。なにぶん、小さく狭い部屋で人生の9割以上の時間を過ごしてきた彼女だ。広いよりも狭い方が、彼女の性には合っていた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
自分の知る大浴場との違いを堪能していたファイの背後から、不思議そうにするティオの声がする。
「ううん、何でもない。とりあえず身体を洗おう」
言いながらお風呂場に足を踏み入れ、洗い場を目指すファイ。
幸いだったのは、彼女がエナリアで学んだお風呂に入るまでの作法や順序に、ほとんど違いがなかったことだろうか。
頭を洗い、髪の保湿をして、身体を洗う。その後に備品として置いてあった剃刀で脇や脛などのムダ毛を処理――とはいっても体質的にファイは毛が薄い――する。
ウルンでも主人から教えられた手順をきちんとこなせていることに内心で「むふー」と息を漏らすファイ。
手が空いたため隣で身体を洗っていたティオに目を向けるが、もうそこには誰もいない。
キョロキョロと周囲を見回してみれば、ティオはもうすでに湯船に入っており、
「お嬢ちゃん、可愛いね~。何才?」
「ティオ? 11歳! お姉さんも若いよね~。どこから来たの~?」
「王都からだよ~。ねね、その白髪って地毛? あたし、本物の白髪って初めて見たんだけど!」
「そうだよー。お姉ちゃんと一緒でモノホンです! お姉さんも肌ツヤツヤじゃん! どんな軟膏使ってるの?」
などと、他の客と愉しそうに話している。ティオも11歳だ。自分で身体は洗えるし、ミーシャやユアと違って社交性もあるらしい。ファイがつきっきりにならずとも生きていけるようだ。
ただ、あれこれと世話を焼きたい側の人間であるファイだ。
「(……むぅ)」
やり場のない母性を頬にためて、ティオを見つめる。
と、お風呂ゆえにティオのフワフワの髪がぺたんとしたことで1つ、ファイにはわかったことがある。白い髪から覗くティオの耳が、細長く尖っているのだ。それはティオが、人間族の中でも森人族と呼ばれる人種であることを示していた。
(ティオ。森人族だったんだ……。確か、命が長いけど病気になりやすい。あと、使える魔法が多い?)
自分の知っている森人族の簡単な特徴を思い出しながら、ファイは椅子から立ち上がる。楽しそうにしているティオを見る限り、彼女1人でも心配はなさそうだ。そう判断して、ふぁいは自分のするべきことに集中する。
ルゥから教えられている工程で言うと、蒸し風呂でのんびり、じんわりと身体を温めながら保湿剤が髪に浸透するのを待つ必要がある。
風呂全体を見回したファイは、蒸し風呂っぽい小部屋を発見する。
身体が冷める前に早速、と、入り口を開いた瞬間だった。
「!?!?!?」
すぐに扉を閉めて、何が起きたのかを整理するファイ。
お風呂場に部屋があって、座るための椅子や段があって、温かい。恐らくここが蒸し風呂であることは間違いないだろう。
しかし、ファイが改めてそーっと扉を開けてみると――
(……熱い!?)
――扉を開けた瞬間にやってくるすさまじい熱気に、ファイは再び扉を閉める。
いかんせん、ファイの知っている蒸し風呂とは温度が違いすぎたのだった。
ファイの身体は丈夫で、超高温の熱球を生み出す〈フューティア〉の余熱でさえ“火傷”で済んでしまうような身体をしている。
しかし、身体が壊れにくいだけで、痛みや熱はしっかりと感じる。その証拠にファイは晩夏を迎えてもなお暑いウルンの外気にうんざりしているし、料理などはきちんと冷まして食べる。
つまり、火傷という細胞の損傷現象が伴わないだけで、神経はしっかりと常人のそれと変わらなかった。
そして今、ファイの目の前にあるのは、ファイをして“灼熱”と思える蒸し風呂だ。もともとファイが暑さを苦手としているのもあるだろうが、それにしたって熱い。
しかも驚くべきことに、中には2人、獣人族と人間族の老人の姿があって、楽しそうに談笑している。
(あの人たち、おかしい!)
思わず心の中で叫ぶファイ。
どうしてあの女性たちは、この灼熱の蒸し風呂の中で平気でいられるのか。息を吸うだけで肺にまで熱がやってくるこの場所で会話をするなど、ファイには考えられない。
「……はっ!?」
そこでファイは天啓にも似たひらめきを得る。
ウルンは暑い。そこで暮らすウルン人の温度に対する感覚は、自分とは違うのではないか。いや、そうに違いない、と、完全に誤った回答を導く。
もちろんウルンの赤道寄りにあるアグネスト王国が暑いだけで、ウルン全体が暑いわけではない。
また、ファイの目の前にある蒸し風呂は俗に“高温蒸し風呂”と呼ばれるものだ。短時間で高温蒸し風呂と水風呂に浸かることを繰り返し、自律神経を整えることを目的としている。
一方、ファイのよく知る蒸し風呂の方は、ウルンでは“低温蒸し風呂”や“蒸気風呂”と呼ばれている。蒸気に香草を混ぜて香りを楽しんだり、身体にい薬剤を入れて髪や肌をうるおしたり。長時間入ることを想定していて、高温蒸し風呂とは全くの別物だった。
しかし、そんなウルンの常識をファイが知るはずもない。
(入りたくない……けど……っ!)
主人に教えられた手順をこなすことは、ファイにとって絶対だ。
『いーい、ファイちゃん。こうやって蒸し風呂でのーんびり、薬剤が髪に染み込むまで待つの』
『どれくらい?』
『うーん……。まぁまぁの時間、かな?』
この場面でルゥが使った「まぁまぁ」は30分ほどだ。実際、それくらいの時間でルゥはファイと一緒に蒸し風呂を出た。
つまりファイはここでも30分以上、それはもう「のーんびり」と蒸されなければならないのだ。
「ど、道具に、『嫌』はない……! 私なら、大丈夫!」
無理やり自分に言い聞かせ、蒸し風呂へと続く扉を開けるファイ。瞬間、またしても耐え難い熱気がファイを襲う。だが、もうファイが引き返すことは無い。
手近な空いている席に座ったファイは、一瞬して吹き出した大量の汗を見て、思う。
(ごめん、ニナ、ルゥ。私、ダメ……かも?)
ぼぅっと天井を眺めるファイの内心は、死地へ向かう戦士のそれだった。




