第215話 私が、『お姉ちゃん』
2人していい汗をかいたファイとティオ。ファイに寄りかかってぐったりしているティオに、ファイは改めて問いかける。
「ティオ。ティオは、誰? ティオは私の妹、なの?」
「きゃっ、お姉ちゃんに妹認定してもらえた! 嬉しすぎて死ねるんだけどぉ~!」
ファイに抱き着いた状態で、嬉しそうにはしゃいでいるティオ。だが、接吻でかなり疲れたのだろう。声には隠し切れない疲労が浮かんでいる。それでも彼女は震える腕で懸命に身を離すと、改めてファイと顔を向き合ってくれる。
「はじめまして、ファイお姉ちゃん! ティオはティオ! ティオ・ミオ・アグネスト。11歳でぇ~、好きなものは……ファイお姉ちゃん♡ きゃー、言っちゃった!」
頬を赤らめながら嬉しそうに言っているが、実際問題、ティオはファイの問いに答えてくれていない。
「えっと……。ティオは私の妹?」
「血のつながりはないけどー、ティオはいつだってファイお姉ちゃんの妹だよ♪」
「…………。……?」
相変わらず要領を得ないティオの発言に首を傾げるファイ。ただ、血のつながりはないということなので、サラとルゥ、あるいはユアとムアのように姉妹というわけではないらしい。
再び力尽きてファイにもたれかかってくるティオに、ファイは質問を続ける。
「ここはどこ? 私、聖なる白の人と一緒にいた、けど……」
「ここ? ここはねぇー、その聖なる白の人がティオのために用意してくれた、フィリスでのお家! ファイお姉ちゃんに会いたくて、用意してもらっちゃった♪」
手持ち無沙汰にファイの首筋を嗅いでいるティオが、素直に答えてくれる。
「本当はもう2、3日? お姉ちゃんは寝てる予定だったんだけど、半日で目、覚ましちゃうんだもん。さすがティオたち白髪だよねー。普通の人なら即死する量のお薬でも、よゆーで耐えちゃうんだもん、よゆーで」
「お薬……。なるほど」
ようやくファイは自身の身に起きた事態を把握する。薬で気を失わされ、ここに連れてこられたようだ。また、首謀者とまでは言わないものの、聖なる白に自分を連れてくるように言ったのがティオであることも理解した。
「ティオは私と会いたかった、で、合ってる?」
気絶させられる前の教徒たちとの話から、自分がここに連れてこられた理由を推測したファイ。それに対してティオは、「うん!」と声を弾ませる。
「3か月くらい前? お姉ちゃんを国営放送で見てさー。こう……ビビッと? 来ちゃった! あっ、ティオの運命の人はこの人だって!」
放送、という文明については、撮影機と投影機の実験をしていた時にフーカから聞いているファイ。その際に自身の姿が撮影機を通して放映されていたことも聞かされていた。
ティオと会ったこともないのに、どうして彼女は自分を知っているのだろうと不思議だったファイ。その疑問を先取りする形で、ティオは質問に答えてくれたのだった。
「なるほど……。でも、会って何がしたい、の? お話? それとも『接吻』……えっと、ウルン語だと……チュー?」
おおよその事態は理解したファイ。そのうえで、ティオの目的を探る。「チュー」については、先ほどの接吻中のティオの言葉から推測したものだった。
現状、ファイの最優先は仕事。つまり、撮影機を購入してニナのところへ帰ることだ。
手足を拘束されていては動くことができない。そのため、ティオには早々に目的を果たしてもらい、解放してもらう必要があった。
「私は何をすれば良い? どうしたら、解放してくれる?」
まさか自分が世にいう監禁状態にあるとは考えもしないファイ。恐怖など無い純粋な瞳で、ティオに“してほしいこと”を聞いてみる。
と、少し体力が回復したのだろうか。腕に力を込めて再びファイから身を離したティオが、不思議そうな顔でファイを見てくる。
「もー、お姉ちゃん。ティオ、ちゃんと言ったじゃん! お姉ちゃんには、ティオのお姉ちゃんになってもらうって」
「えっ、あっ、うん。そう、だけど……」
ファイの知る姉妹は、血のつながりを必要とした関係性のはずだ。生まれてからなろうと思ってなれるような関係ではない、と、記憶している。ゆえに返答に窮するファイの頬をそっと両手で挟んで、無理やり目を合わせる体勢をとらせたティオ。
「ティオ、お姉ちゃんを見てからずっと、お姉ちゃんのことしか考えられないの。白髪なのに弱くて、汚くて、ボロボロで……。それでも、とぉ~っても! きれいだったお姉ちゃん」
「“汚い”なのに、きれい……?」
「そう! 分かんないかなー、この感覚。見た目じゃなくて、こう、雰囲気? みたいな! 今だって、ほら。お姉ちゃんの目は何色にも染まってない……♡」
うっとりとした顔でファイを見つめ、紫色の瞳に闇を宿すティオ。
彼女の表情を、ファイはよく知っている。ニナについて語るときの、ルゥと同じ顔と目だ。
違うのは、ティオの瞳に広がる闇がファイを捉えて離さないことだろうか。まだファイが理解できずにいる強烈なティオの感情が、見つめ合った瞳を通してファイの中に無理やり流し込まれる。
「ティオね、お父さんたちを殺されてるんだー。んで、それをやったのが、白髪教の人たち。だってお父さんたち、黒髪だったから。あの人たちは黒髪を馬鹿みたいに目の敵にするもんねー?」
同意を求められても、ファイとしては「そうなの?」としか答えられない。聖なる白についてファイはまだほとんど何も知らないからだ。
「もちろん、お父さんたちを殺した人たちは処分してもらったけど、なんていうか……虚無感? しかなくってさー。だってそうじゃん? 復讐しても、お父さんたちが生き返るわけでもないしぃー」
淡々と、それこそ、どこか他人事のように自身の過去について話すティオ。
「とりあえずご飯と寝る場所をくれるっていうから白髪教と一緒にいたけど……。自分の親を殺したのと同種の人って考えると気持ち悪くて。しかも生理は来たのか、とか、平気で聞いてくんの! ありえなくない!?」
そんな問いかけにも、常識というものをを知らないファイは頷いてあげられない。しかし、ファイが相槌を返さずとも、ティオは話を続ける。
「ティオ、未成年だし。生きるためにあの人たちと一緒にいるしかなかったんだけど、どうしても生理的に無理で……。心が『ムリ―!』ってなってたときに……見つけたの♡」
瞬間、ファイを見ていたティオの瞳の闇がさらに大きくなったようにファイには見える。その理由はうっとりとした顔でわずかに下がっていたティオのまぶたが、大きく見開かれたからだろう。
「それが、私?」
「そうっ! 直感したよね♪ あっ、この人なんだーって。ファイお姉ちゃんこそが、ティオの“足りない”を埋めてくれるんだって。ティオ、昔からそういうの分かっちゃうから」
そこで年相応にあどけなく笑うのが、ティオとルゥとの違いだろうか。
「お姉ちゃんを見つけてからはもう、ずっと幸せ! 使い勝手が良い白髪教を使って、お姉ちゃんをずっと……ずっと、ずっと、ずっと、ずっと! 探して探して、探し続けて! ついでにお姉ちゃんを汚そうとした黒狼? って人たちも見つけた先から処理してもらって。……でも、会えなくって」
熱っぽく語っていたと思えば、急にシュンとうつむくティオ。だが、ファイが声をかけるよりも先に、再び紫色の瞳に広がる闇が、ファイを捕らえる。
「だけど、なんとなく絶対に“不死のエナリア”にお姉ちゃんが居るって。ティオ、分かってたの。だから、年末辺りからここで待って、待って、待って、待って。待ち続けたら……会えた♡」
言ったティオはゆっくりとファイの方に顔を近づけてくると、再び唇を重ねてくる。だが今回は、軽く触れあう程度のものだ。すぐに顔を離した彼女は、息がかかりそうな距離で笑う。
「これって、運命だよね? 愛、だよね? ティオの想いが届いたってこと……だよね?」
「そう、なの……?」
「絶対そうに決まってるじゃん! だから……ね? お姉ちゃん――」
言うと再び顔を寄せてくるティオ。彼女の口は、ファイの耳元で止まる。そして、かすかな息遣いさえも聞こえる距離で、囁いた。
「――次はお姉ちゃんの番だよ?」
吐息と共に耳元で発された声に、反射的にブルリと身を震わせるファイ。唾で喉を湿らせた彼女は、どうにかこうにか聞き返す。
「私の、番……? 私は何をすれば良い、の?」
改めて解放してくれる条件を問い直したファイの耳元から口を離し、相対する体勢に戻ったティオ。彼女は一度ファイとしっかり目を合わせた後、ゆっくり首を振る。
「何もしなくていい」
「……え?」
ティオからの予想外の返答に、つい疑問を口から漏らしてしまう。そんなファイに、ティオは瞳に宿した闇を隠すようにして笑う。
「お姉ちゃんはティオのお人形だから、そこに居てくれるだけで良いしぃ、何もしなくていい。それだけで、ティオは幸せだから!」
そこにいるだけでいい。何もしなくていい。そんなティオの言葉に、ファイは聞き覚えがある。また、どこか無理をしたような。本心を隠した“強がり”の笑顔も、ファイはよく知っていた。
(つまり、ティオはニナと同じ。きっと“寂しい”、なんだ)
かつて、サラが居る第16層でニナが聞かせてくれた己の罪。その時の会話を思い出しながら、ファイはティオの気持ちを類推する。
ただしティオは、ニナのように寂しさと真正面から向き合う“強さ”をまだ持ち合わせていないのだろう。
なぜなら彼女はつい先ほど、両親の死を他人事のように話したからだ。自分の心を守るために。押し寄せてくる寂しさに、見て見ないふりをするために。ティオは両親の死をただの事実のように話したのではないだろうか。
寂しさを直視できない。認めたくない。だからこそ彼女はファイを姉として――家族として、迎えようとしているのではないか。そう、ファイはティオの願いをひも解いてみせる。
生まれてこの方、主人の意図を読むことに取り組んできたファイ。ここ最近はミーシャの反対言葉とユアのひねくれ言葉のおかげで、より一層、察する力には磨きがかかっていたのだった。
別にティオは、ファイの主人ではない。何なら、つい先ほど顔を合わせただけの、いわば他人だ。白髪で、恐らくファイがわざわざ守ってあげなくとも、自力で生きていけるだけの力も持っている。
だが、ファイにはどうも、目の前の童女が強いとは思えない。むしろ、触れれば壊れそうな危うさを――弱さを、ファイはティオに感じた。
瞬間、「“弱いもの”や“小さいもの”を守らなければならない」という、生い立ちによって形成されたファイの母性が膨れ上がる。
気づけばファイは細く整えられた眉の角度をわずかに鋭くして、言っていた。
「分かった。じゃあ、私がティオの『お姉ちゃん』に、なる!」




