第21話 冷蔵庫は、すごくすごかった
しばらく眠ったままになるらしいニナを寝室に置いて、ファイはルゥの指示のもと調理場へと移動していた。
なお、先日、ニナが王城へと向かった日のこと。
『今回のように、もしわたくしが居ない、もしくは、指示を出せない状況にある場合、ファイさんはルゥさんの指示に従ってくださいませ』
と、抜かりのない指示を、ファイはニナから貰っている。新たな主人はその幼い見た目に反して、本当に自分のことをよく分かってくれていると感心したファイ。一方で、
(だから、もしニナが居なくなってもルゥが居るから大丈夫……だったのに)
ニナに何かあったかもしれない。そう考えただけで、なぜか衝動的に動いてしまった短慮な自分を反省するのだった。
「到着~」
そう言ってルゥが扉を開いたその場所は、ファイとニナがよく食事をしていた場所の隣だった。
夜光灯で明るく照らされた、広い調理場。磨かれた銀色の机やお玉などの食器類は、ファイの目には宝石のように映る。何より、ここまで清潔できれいな印象を受ける部屋を、ファイは生まれて初めて目にしたのだった。
「きれいな部屋」
「わたしが毎日掃除してるからね!」
大きな胸を張ったルゥが、慣れた足取りで調理場を歩き始める。
かつては大量の従業員のお腹を満たすために何十人もの人が行き来したのだろうが、今はルゥとファイしかいない。そのため、エナリアでも感じた物寂しい印象を、調理室にも抱く。が、ルゥにとっては慣れたものらしい。
「それじゃあニナちゃんが起きる前に、ご飯の準備、始めよっか!」
洗い場で手を洗うルゥが、侍女服の袖をまくってやる気に満ちた声で言う。なお、今回のご飯が朝食・昼食・夕食のどれにあたるのか、ファイには分からない。ずっとエナリアの中にいるため、今が朝なのか昼なのか夜なのか、分からなからだ。
ただ、このご飯が起きてから2回目の食事だ。これまで1日2食の生活をしていたファイは、とりあえず夕食として扱うことにした。
「ファイちゃんはとりあえず、袋の中のブルのお肉、出してくれる? あっ、手はちゃんと洗ってね」
「了解」
ルゥの指導を受けながら手を洗ったファイは、ここに来るまで手放すことのなかった袋から、オウフブルのお肉をドチャドチャと台の上に放っていくファイ。と、その時、ファイは袋から取り出した肉がひんやりとしていることに気付いた。
「ルゥ。お肉が冷たい、よ?」
「あ、うん。ソレ、冷蔵袋って言って、中に入れた生ものが傷まないようになってるの。中に小っちゃい石が入ってない?」
ルゥに言われて袋の中を検めたファイは、冷気を帯びた小さな石を見つけ出す。それは、透き通った水色をした、氷のような石だった。
「これ?」
「そうそう。ヒシャードって言って、大気中のエナを冷気に変えてくれる石なんだ~。魔獣のエサやりに欠かせない石だね」
「ヒシャード……。冷たいを撒く石……」
ウルン語にすると放冷石だろうか、と、脳内で単語を変換しながら、冷えた肉を取り出していくファイ。
「どうしてお肉、冷やすの?」
「うん? なんでって、そりゃ食材が傷むからだけど?」
「……? 食べ物が傷つく? 冷たいと、傷つかない?」
「あ、うん、そうだけど……。まさかこの子、食べ物が腐るって知らないの……?」
後半、ぼそっと呟かれたルゥの呟きをよそに、ファイは袋に入っていた肉を全て調理台へと移した。並べられた肉の重さは、合計100㎏《キルログルム》ほど。原型をとどめていないため、脂の量や肉質から、ルゥが部位を仕分けていく。
「これは肩の下の方のところだろうから、お汁に。で、こっちが上の方。うん、ここは何にでも使えるから保留で、これは……モモかな? だったら、じっくり熟成させてあぶり肉に……よしっ」
肉の検分を終えたらしいルゥが、調理室の奥にある扉を開く。途端に、冷たい空気がファイの頬を撫でた。
「ここが冷蔵庫! ファイちゃんものぞいてみて。きっとびっくりするよ~?」
「冷やす部屋?」
ルゥの背中越しに見た冷蔵蔵に、ファイは一瞬、時を忘れることになる。
そこは薄暗い部屋だった。ただ、部屋と呼ぶにはあまりにも広い空間となっている。高さも幅も奥行きも、100mは優に超えているだろう。それこそ、階層主と呼ばれる強大な魔物と戦う、各階層の最深部にあたる部屋にも匹敵する大きさだ。
そんな蔵の中で、ひときわ存在感を放つものがある。それは、天井から生えて水色の光を放つ、巨大な放冷石だ。先ほど見た袋の中に収められていた物とは比べ物にならない大きさの放冷石の結晶は、高さ30m、横幅も10m以上ありそうだ。
その結晶に加えて、壁や天井から突き出す放冷石が光源となって、部屋をぼんやりと照らしてくれている。
白い冷気を放ちながら部屋全体を薄暗く照らす光景は神秘的でありながら、得も言われぬ迫力をファイに与えてくるのだった。
「すごい……」
エナリアの中で初めて森を目にした時と同じような感慨を覚えるファイ。思わず漏れてしまった声には、隠しようのない感嘆の感情が乗ってしまっている。が、それを自覚する余裕が無いほど、ファイは目の前の冷蔵蔵の景色に心を奪われていたのだった。
「でしょ? ここにはわたし達、従業員の食べ物の他にも、魔獣用の食べ物も保管されてるんだ~。あっ、ファイちゃんは入り口にある籠、持ってきてね」
言われた通り籠を手にしたファイは、肌を指すような冷気の中をルゥに続いて歩き始める。
冷蔵蔵には、天井に届きそうなくらい高い棚が無数に並んでいる。その棚には野菜や肉が所狭しというように並んでいて、その全てに霜が降りていた。
「もの、いっぱい。武器の部屋とは違う」
数時間前、宝箱に補充する物資を取りに行くためにファイが訪れた上層の武器庫。そこも同じように広大な部屋と棚があったのだが、入り口付近にまばらに物資があるだけで、閑散とした印象をファイは受けたのだった。
その点、物がたくさんあるこの冷蔵庫は、武器庫とは対照的だ。
「あはは……。だろうね~。うちのエナリア、魔獣は沢山いて食べ物には困らないけど、職人さんが居なくなっちゃったから補充物資は減ってく一方なんだよねぇ~……」
ニナちゃん、どうするつもりなんだろ。そう言いながら歩みを止めたルゥ。どうしたのかとファイが彼女を見てみれば、いつの間にか、彼女の身体に付属品が1つ増えていた。
それは、皮膜のついた翼だ。付け根から先端までの大きさは50㎝ほど。薄暗くて色は判然としないが、恐らく尻尾と同じ、黒に近い赤色をしていると思われた。
「ルゥはウルン人。……翼族だった?」
ウルンにいる翼を持った種族――翼族だったのかと尋ねたファイに、ルゥは「まさか」と苦笑しながら首を振る。
「私は角族だよ~。この立派な角が目に入らぬか~、なんてね」
自身の側頭部にある濃紺色の巻き角を指さして言ったルゥが、あえて開けられていたのだろう侍女服の背中に開いた穴から生えた翼を羽ばたかせる。と、まるで重力を無視するかのように、ルゥの身体が浮かび上がった。
そのまま、高い位置にある野菜などをいくつか取って来ては、ファイが持つ籠の中へと入れていくルゥ。ふわふわと空中に浮いて移動するその姿は、飛行というよりは浮遊という表現の方が近いだろう。
そうして作業を進めながら、ルゥは、籠を持つファイに説明をしてくれる。
「わたし達角族は、進化したらまずは尻尾が生えて。その次にこうやって翼を出せるようになるの」
自身は2進化目で翼を持つまでしかできていないが、さらに進化を続けると、魔眼と呼ばれる不思議な力を持つ瞳を手に入れたり、光線を撃てるようになったりすると、ルゥは語る。
「最終的に遠近両用の遊撃手になることが多い。それが、わたし達、角族の特徴なのでした~」
ルゥが角族について語り終えるころには、ファイの持つ籠は野菜と果物で一杯になっていた。




