第207話 水を、凍らせてみた
お風呂から上がり、今回の仕事における最後の作業――耕地と種まき――をするために第4層へと戻ることになったファイ達。休憩のために自室のある第17層へ戻るというルゥと共に、長い螺旋階段を上っていた。
2人にしてしまうとすぐに喧嘩を始めてしまうミーシャとユア。2人を離すために、先頭をミーシャ。その後ろにファイとルゥが続き、最後尾にユアが付ける形となった。
道中、ルゥにここ最近の仕事を聞かれたファイ。話は少し前、ベルやエリュと行ったエナリアの改造作業に移ったのだが、
「えっ、修復機能は人工物には働かない、の?」
螺旋階段の途中。驚いたファイはつい足を止めてしまう。
というのも、先日ファイが目にした大規模なエナリアの修復。それに伴ってせっかく整備したエナリアの“裏側”――廊下や階段、各部屋――も変容するのだとばかり思っていた。
しかし、ルゥの話では違うのだという。
「うん、そう。ファイちゃんも見ただろうけど、エナリアが修復するときって地面が液体みたいになってたでしょ?」
「うん。ぐにゃぐにゃしてた」
「そうだよね。そのあとに地形が作られてたと思うんだけど、あのときって水みたいになってるのね。そこで、ファイちゃんに想像してほしいのは、水に沈めた箱……かな」
後方、侍女服を揺らすルゥが分かりやすいように例を示してくれる。
「ん。頭の中で箱、沈めてみた」
「了解。で、地形の形成はその水が凍った、って考えてみてくれたら分かりやすいかも。箱を沈めた水を凍らせた時、ファイちゃんの頭の中で箱はどうなってる」
「……?」
実はファイは、目の前で水が氷になっていく様をじっくりと観察したことは無い。普段使っている氷の魔法〈ヒシュカ〉なども、大気中の目に見えない細かな水分を凍らせて氷を作っている。そのため、水を冷やせば氷になることは知っているが、どのように氷ができるのかまでは知らなかった。
まさかファイが、水が氷になる様を知らないとは思わなかったのだろう。
「ありゃ、分かりづらかったか……。ひとまず、登ろうか」
ルゥは苦笑しながら、階段を上る足を再開するようにファイに示す。
「ご、ごめん、ね。……でも、ちょっとやってみる」
「やってみる? 何を……?」
不思議そうに見上げてくるルゥに、ファイはわずかなどや顔をしながら〈ユリュ〉を使って人間の頭大の水球を手元に作り出す。
その時点で、ルゥもファイが何をするのかを察してくれたらしい。
「魔法って、ほんと便利だよね……。じゃあ、これ。使ってみて」
そう言うと、彼女は空の瓶をファイに手渡してくれる。恐らく傷薬を作るためか、作った後の空き瓶だと思われた。
「その瓶が、私たちがこうやって歩いてる廊下とか部屋だと思って。で、その水が修復中のエナリア」
「うん。それで、瓶を入れてから……〈ヒシュカ〉」
水球の下の方から、フタをした空き瓶を入れたファイ。瓶が水球の真ん中あたりに来たところで、魔法で一気に凍らせてみる。この凍った状態が、地形の再形成を終えた後のエナリアということになる。
そうして出来上がった丸い氷塊をこつんと小突いて、真っ二つにしたファイ。中から現れたのは――。
「瓶、そのまま……」
きちんと形を保ち、中に空気も入った状態の瓶だ。
「つまり、自然じゃないところ……えっとガルン人が作った人工物? は、修復の影響を受けない?」
自分なりの推測をファイが言うと、ルゥは三角を付けてくれる。
「惜しい! 影響を受けないんじゃなくて、形が変わらないってだけ。例えば修復した後、階層主の間の扉が壁とか床に飲み込まれちゃったり、“表”の面積が広くなって廊下が露出しちゃうこともあるわけ」
逆に、過去にエナリアの修復に巻き込まれた人工物が再び地表に露出することもあるらしい。
思えばファイが過去にエナリアを探索したとき、朽ち果てた遺跡や崩れた柱などを見かけることが稀にあった。
これまでは、そうした人工物も地形、あるいは階層の特徴としてとらえてきたファイ。しかし、そうした人工物はエナリアの修復によって地表に出てきてしまった建造物だと考えてよかった。
「いずれにしても、こうやって固い金属の板で廊下とか部屋を補強しちゃえば、エナリアの修復の影響を最小限にできるってわけ」
表面に露出した廊下などは適宜工事を行ない、見えないような位置に廊下を作り直す、あるいは隠してしまうなどするようだった。
「なるほど……。だからニナは改造しても、すぐに第7層の扉を開けてない、の?」
ファイが第9層の改造作業を行なってから少し経った今も、第7層の階層主の間が開かれていないこと。それはカイル達から聞いていたことだ。なぜだろうかとファイも少し不思議に感じていたが、
「そうだと思うよ。さっき部屋に行っても居なかったし、ちょうどいま第9層の最終確認をしてるのかもね」
ルゥの言葉でようやく腑に落ちたのだった。
その後、逆にルゥは何をしていたのか聞いてみたファイ。マィニィが言っていたように、ルゥはこのエナリアで1、2を争う忙しさをしている。担っている業務も多岐にわたり、従業員用の衣装作りに住民たちの問診、サラへの給仕、ニナの業務補佐……。
もはやファイでは数えられない量の仕事を当たり前のようにこなしている。
先日の補修作業中も、医療を担うルゥだけは唯一、普段の業務を行なうことを許されていた。
そんな多忙なルゥが何をしていたのかと言えば、通信室で遠隔から住民たちの体調を確認していたのだという。彼らの会話の内容から病状を把握し、場合によっては薬を調合。該当する住民に配布するなどしているらしい。
「ついでに話を聞いてる間は服を作ったりしてたかな。あっ、ちょうどファイちゃん用の服ができたところだから、あとで渡すね」
「う、うん、ありがとう……」
つい先日、エナリアを破壊するために魔法を使って、服をダメにしてしまったばかりのファイ。それでも嫌な顔一つせずこうして新しく服を用意してくれるルゥには申し訳なさ以上に、感謝しかない。
などと話していれば、第17層にたどり着く。
次の螺旋階段を目指す道中にあるルゥの部屋で、ファイは真新しい侍女服に袖を通す。その際に教えてもらったことだが、この丈夫な侍女服は火山に住む貝が出す糸状の粘液を使って作られているらしい。
青色等級の魔獣程度の爪や牙であればしなやかに受け流す丈夫さを持つ布だ。防具ではなく服であるためファイとしては価値を測りかねるが、性能だけで言えば緑色等級。ウルンでの市場価値にして数万ガルドはするだろう。
「よしっ! 我ながらいい出来! ファイちゃんも色々成長してるから、たまには手直ししないとね」
「待って、ルゥ。私は道具。頭……知識は成長しても、身体は成長しない」
「はいはい、そうだね~。でも身長も胸回り、お尻回りも。少しだけ数値が増えてることはちゃんと知っててね。下着選びとかにもかかわってくるから」
言いながら、適当に手を振るルゥ。そのまま自分は侍女服を脱ぎ捨てて肌着姿になり、緩衝材の利いた椅子に座る。予定通り、趣味に励みながらゆっくりと休息するつもりのようだ。
多忙な彼女の邪魔をするまいと、ファイもそそくさと部屋を出ることにする。
「また、ね、ルゥ」
「うん、ファイちゃんも子守り……じゃなかった。菜園作り、頑張ってね。あっ、それと」
「……?」
続くルゥの言葉に頷いて、今度こそ彼女の部屋を出たファイ。
扉の向こうで待っていたのは、ミーシャとユアだ。喧嘩こそしていないが、互いにムスッとした顔のまま距離を取って待機している。
それでも、2人に警戒しているときに見せる耳と尻尾の動きは見られない。お互いに気を張るような相手ではないということなのだろう。
ただ、その理由は信頼によるものではなく「コイツになら襲われても勝てる」というような考えがあるのかもしれなかった。
「お待たせ、ミーシャ、ユア。行こ?」
ファイが顔を見せると、先にやって来たのはユアだ。無言のままいそいそとファイのところまで歩いてくると、ぎゅっと侍女服の裾を握ってくる。
他方、そんなユアの“素直な”行動に「にゃっ!?」と焦りの声を漏らしたのはミーシャだ。彼女も1歩だけファイの方にやってこようとしたのだが、ユアに先を越されたからだろうか。「ぐぬぬ」と悔しげな顔を見せた後、ツンとそっぽを向いてしまった。
「ふ、ふんっ。別にファイのことなんて待ってないわ。ただ休憩してただけなんだから!」
「そうなんだ? それじゃあえっと……私たちは行く、ね? ミーシャは後から――」
「~~~~~~っ! そうじゃないでしょ、ばか! ばかファイ!」
「あっ、待って、ミーシャ」
捨て台詞を吐いて廊下の向こうへ行こうとしたミーシャを、ファイが呼び止める。
半分くらいの確率で無視されてしまうのだが、今回のミーシャは素直に立ち止まってくれた。
「にゃ、にゃによ! 今回は根暗犬に簡単に尻尾を振るファイが悪いからアタシは謝らない――」
「髪、似合ってる、ね?」
そう言ってファイが見やるのは普段の“馬尻尾”とは違う、お団子になった金色の髪だ。しかも残された髪も鎖のような形に丁寧に編み込まれていて、どことなく高貴な雰囲気を漂わせる髪型になっている。
それにより、もとからファイにとっては可愛いミーシャが、さらなる可愛さを手に入れた状態になっていた。
これこそ、つい今しがたルゥに言われたことだ。
『ファイちゃん。もしミーシャちゃんの髪型見て何か思ったら、素直に言ってあげてね』
そう言われたため、素直に思ったことを口にしたのだった。
「…………。……ふにゃっ!?」
しばらくファイの発言をかみ砕くような間を置いてから、尻尾と耳をピンと立てたミーシャ。見る見るうちに顔は真っ赤に染まっていく。
「ミーシャ、照れてる?」
「て、照れてにゃいっ! ばか言ってないで、さっさと行くわよ!」
「あ、うん」
勇み足で歩き出したミーシャの背中を、ファイとユアも追う。つい先ほどまで怒り一色だったミーシャの後ろ姿だが、左右に揺れる尻尾が彼女の内心を表していた。




