第201話 全部貰う、ね?
※文字数が4800字と普段より多くなっています。読了目安は10~12分です。
「――ユアは、ウルン人を殺しません。殺すのはあくまで、ユアに協力してくれる魔獣です♪」
スゥッと目を細め、愉しそうに笑うユア。
ニナが禁じているのは、“ガルン人が”ウルン人を殺すことだ。一方で、多くの魔獣は人の言葉を理解しない。そんな魔獣たちがウルン人を殺してしまうことは、どうしても許容するしかないのが現状だ。
そんなエナリアの決まりの“穴”を、ユアはついているのだ。
「は~……♡ もうすぐ、たくさんの魔素供給器官がユア達のところに届きますっ! そうすれば、あの魔獣の進化も、ユア自身の進化も、できるかもしれません……っ!」
恍惚とした顔で言うユアを見て、ファイは1つの真相に気づく。ユアがなぜ外に出てきたのか、だ。
ミーシャに負けたことに起因しているという点は、恐らく合っている。彼女に舐められないようになるため、強くなるためにユアは今回の仕事を受けた。
ただ、その目的は戦うための体力をつけるため、ではなかった。
(ユア自身がもう1回進化して、強くなるため……っ!)
先日、ファイがベルの強さを目の当たりにして「強くなろう」と思った時と同じだ。ファイは自身の戦い方や身体能力だけでなく、武器や防具、友人を増やすことでも強くなろうと思った。
ユアも同じだ。自身、あるいは、自身が使役する魔獣をより強力な個体にするために、ユアはわざわざ苦手で面倒な“外”の世界に出てきたのだ。
(それにきっと、ユアが魔獣を使ってウルン人を狩る、は、今回が初めてじゃない)
ファイがそう考える理由は、今しがた魔獣を使ってウルン人を狩ると言ったユアから、一切のためらいや後ろめたさを感じなかったからだ。
その事実に気づくと、なるほど。先日までユアが研究していた上層でのピュレの稼働実験にも別の意味が生まれてくる気がするファイ。
ニナに言われて上層で監視用ピュレの稼働実験を頻繁に行なっていたというユア。おかげでアミスたち光輪の接近にいち早く気が付くことができたし、ピュレの監視網を第13階層まで広げることができた。
ユアが大好きなのは研究で、こと魔獣の進化において彼女は圧倒的な好奇心と興味を見せる。ただ、これまでの彼女の言動を振り返った時、ユアの興味は魔獣開発全般ではなく、主に「自身を守ってくれる強力な魔獣を生み出すこと」に向いていなかっただろうか。
少なくともファイの目には牙豹や黒飛竜、あるいは黒い暴竜など、赤色等級に匹敵する魔獣に対して、ユアはより強い好奇心を見せていたように見えた。
上層用のピュレの開発も、人の言うことを聞く魔獣の開発も、確かに彼女にとっては大切な研究だったのだろう。実際、彼女が生み出した魔獣は数知れず、このエナリアの懐事情を支えてきた。
だが、いつだって、ユアはガルン人らしく“強くなること”に心血を注いできたのではないか。
上層で活動できるピュレの開発は、実質、その階層にそぐわない強さを持つ魔獣の開発と言い換えることもできる。
生み出すのに時間も物資も必要となる強力な魔獣でなくとも、そこそこの力を持つ変異種の魔獣を使って上層にしか来られない弱い探索者を狩る。そして、研究に必要な魔素供給器官を回収する。質より量を求めた作戦だ。
そうして集めた魔素供給器官を自身、あるいは、もともと強力な魔獣を進化させるために使う。そんな日々を、これまで過ごしてきたのではないだろうか。
優秀なファイの頭脳はひとりでに、ユアのこれまでの行動を深読みし始めていた。
それらはあくまでも、これまでの事実から導かれる推論でしかない。ただ、いずれにしてもユアは天才――本人が言っているためファイの中ではそうなる――で強かな、ガルン人だ。
いつだって、どこでだって、腕力以外で強くなれるよう意識しているだろうこと。それは、ルゥを代表する頭脳派のガルン人に共通していることだ。
そんなユアの策略が、ガルン人としての本能がいま、第7層にいる探索者たちに牙をむいている。
どうしてこうなった。
ファイは改めて自問自答する。
(答えは簡単。私のせい)
ファイがユアの可愛さに押し切られる形で果物を取ってきてしまった。そして、神秘的な進化の光景に目と心を奪われてしまったこと。それが現状を生み出しているというのが、ファイの見解だ。
ではどうするべきなのか、というと、実はファイは困ってしまう。実際問題、ユアの言うことはファイにとってはひどく正しく思えるからだ。
(ニナはガルン人がウルン人を殺すのを禁じてる。けど、魔獣は違う。だから魔獣を使ってウルン人を狩る……。さすがユア、天才)
自分では気づけなかった盲点を突くユアの強さへの執着に、ファイは内心で舌を巻く。
重要なのは、ユアは魔獣に指示を出しているだけで、最終的に探索者を殺す判断をしているのは魔獣だという点だろう。この場合、ユアが直接手を下しているわけでもないため、ニナが作った決まりには反しないことになる。
つまり、たとえファイがいま、阿鼻叫喚のこの事態をなんとなく“良くないこと”と捉え、止めなければならないと思っていたとしても。
道具であるファイには、自身の判断を保証する根拠がない。
(……けど)
ここで思考停止に陥らないところが、ファイが自分を“考える道具”だと自称するところだろう。
魔獣は、いわばユアの武器だ。武器を使ってウルン人を殺そうとしていると考えた場合、ユアがウルン人を殺そうとしていることになる。つまりはニナが作った決まりに反することになるのではないか。
ファイは過去、ユアに「なぜ実験をするのか」と尋ねた際、「人の言うことを聞く魔獣開発」を目指していると言っていたことを覚えている。その理由は、ニナがそう命じてきたからだとも言っていた。
この事実からファイがひも解く主人の意図は、ニナが魔獣によるウルン人の死者を可能な限り減らそうとしているということだ。
つまるところ、ニナは甘んじて魔獣による死者を受け入れているだけで、本心では魔獣による犠牲者を無くそうとしているのではないだろうか。
(だって人が死ぬ、は、“幸せ”から最も遠い位置にあるから)
両親を殺されてしまったらしいニナとミーシャ、密猟者に殺された魚人族のミィゼルの家族。彼女たちの寂しそうな、悲しそうな姿を見ていれば、ファイでも簡単に理解できることだ。
結局のところ、ニナはこのエナリアでは誰にも死んでほしくないのではないだろうか。人だけではない。魔獣たちさえも幸せになれるような場所を、きっとニナは作ろうとしている。
そんな主人の願いを汲み取るのであれば、残念ながら、ユアと白い森角兎の行動をファイが見逃すわけにはいかない。このままでは、多くの探索者が怪我をして、最悪の場合は死んでしまうからだ。
もちろん、あとでニナ本人に今から行なう自身の行動を確認・評価してもらう必要はある。だが、事態は急を要する。
失われた命は、戻らない。であるならば、命が失われる前に対処しなければならない。
数分間、不器用ながら懸命に熟考したファイは、ひとまず事態の収拾にあたることにする。
次なる問題は、どうやって事態を収めるのかだ。白い森角兎の号令は森全体に響き渡っており、指示を受けて動き回る野良の森角兎たちも数千はくだらないだろう。さすがのファイでも、駆け回って対処することができる規模ではない。
「……ユア。ニナにユアの考えが合ってるか確認する、から。いったん森角兎たちを止めてほしい」
一応、ユアにお願いしてみる。が、返ってきたのは予想通りの答えだ。
「い、嫌です! ニナ様はユアの自由を奪って楽しむ方なので、どうせダメって言われます……っ!」
ファイの知らないニナの趣味嗜好が聞こえたが、さすがにユアの思い込みだろう。いや、あのニナがそんな悪趣味な思考をしているとは思えない、と、ファイはユアの妄言を切り捨てる。
「そう……。分かった。じゃあ、森角兎。森の森角兎を止めて?」
涙目で徹底抗戦の構えを見せるユアから目線を切ったファイは、ユアの側で鼻をヒクヒクさせている白い森角兎に目を向ける。
ユアの話では、先ほどの鳴き声が合図となって森の森角兎たちは暴走しているらしい。であるならば、同じくこの白い森角兎の号令をもってすれば暴走も止まるはず。そう考えて森角兎にお願いをしてみるが、
『……キュ?』
ガルン語を動物が理解できるはずもない。ユアのように特殊な力でもなければ、動物とそう簡単に意思疎通できるはずもなかった。
こうなると、ファイが取ることのできる選択肢はかなり限られる。いや、もはや迅速、かつ、確実に事態を収拾する手段など、ファイには1つしか思いつかない。
「ふぅ……」
小さく息を吐いて、気持ちを切り替えるファイ。静かに腰から剣を抜き、構える。その切っ先を向ける相手は、今も涙目で徹底抗戦の視線を見せているユアだ。
「……な、何の真似ですか、ファイちゃん様……? はっ!? まさかユアを痛めつけるつもりですね!?」
例によって素早い頭の回転を見せるユア。これまでは的外れなことを言うことも多かったが、今回ばかりは違う。
「そう。今からユアに“わからせ”する。だから構えて。で、私に負けたら私の言うこと、聞いて」
「や、ややや、やっぱり! ファイちゃん様もユアをいじめて楽しむいじめっ子なんですね!」
「それは違う。けど、ユアがその森角兎に指示してくれないなら……こうするしかない」
スッと金色の目を細めて戦る気をみなぎらせたファイの本気が伝わったのだろう。ユアが「ひぅっ!?」と悲鳴を漏らして涙目になる。
「く、くぅん……。ファイちゃん様、ひどいです……。ユアを信頼させておいて、裏切るなんて……」
「あ、ぅ……。違う、よ? ユアが言うこと聞いてくれたら、やめる……から……」
潤んだ瞳からの上目遣い。ユアの精神攻撃に、ファイの剣先がかすかに揺れる。すると、気弱そうな態度から一転。ユアが尻尾をピンと伸ばして“怒り”をあらわにする。
「あっ、い、今のも脅しです! そうやってことあるごとにユアに言うことを聞かせて、いつかはあんなことやこんなことをするんですね……っ!」
ここぞとばかりに口撃を仕掛けてくるユア。気のせいか、言い終わったときの彼女の口元には勝利の笑みが浮かんでいるように見えなくもない。
恐らくファイがこのまま折れると、そう思っていたのかもしれない。だが、ニナの夢をかなえるために道具として振る舞うファイは、ひと味違う。
「それは、する。強者の特権。弱者の……ユアの全部を、私が貰う」
その最たる例こそ、ユアに言うことを聞かせるというものだ。
「ユアが私の言うことを断る権利も。ユアのモフモフの耳も、尻尾も。私のものになる。つまりユアは、私のものになる」
「きゃいんっ!? ふぁ、ファイちゃん様、本気で言ってるんですか……!?」
まさかファイが真っ向から受けて立つとは思っていなかったのだろうか。驚愕の鳴き声を漏らしたユアが、プルプルと震え始める。
そんなユアの愛らしい姿に、もうファイの心は動かない。そもそも道具として振る舞うファイに、心はない。
「――ユア。今からユアの全部を貰うから。……覚悟して、ね?」
決闘の日、ムアへの魔法行使に続いて、好戦的に笑うファイ。殺意こそないが、純粋に相手をぶちのめすことだけを考えた表情だ。普段の温厚な彼女とはまた異なる、もう1つの“素”の姿と言えるだろう。
戦い。つまりは自身の存在証明にかける想いが、ついあふれ出てしまった形だ。
そんなファイのむき出しの闘志を、真正面から浴びせられることになったユアはと言えば、
「わ、分かりました……! だったらユアも、この子と一緒に戦います!」
そう言って、すぐそばにいた白い森角兎をなでる。
こうしてファイ対ユア。エナリアで二度目となる決闘が始まり――
「きゃいん~~~~~~……っ!」
――1分とかからずにユアの悲鳴が森に響き渡って、終了した。




