第2話 もっと良い道具になる、から
ファイは夢を見ていた。
それは、ファイが道具であることが正しいことなのだと認識した日のこと。人が「人間らしくあること」をいつの間にか正しいと思うように。ファイが「道具らしくあること」を正しいと認識するようになった日のことだ。
3歳のころから黒狼の組員たちに連れられてエナリアに入り、最初は小さなナイフを。その後は成長に合わせて剣を振ってきたファイ。
そんな彼女は5歳のころ、初めて死にかけた。
記憶力の良いファイは、今から10年前のその日のことを今もなお、こうして夢に見る。
その日もファイは、真っ暗闇な部屋の中で膝を抱き、“待て”の姿勢を保っていた。腕と足には黒鉄と呼ばれるウルンでも屈指の硬度を持つ鉱石で作られた枷がはめられており、基本的には立つ・座る以外の動きができないようにされている。
彼女が居るのは幅1m、奥行き3m、高さ2.5mほどの小部屋だ。部屋に照明は無く、水洗便所と蛇口が1つ、それぞれ備え付けてあるだけだ。
この部屋とエナリアだけが、5歳になるファイの知る世界の全てだった。
用がある時はファイを担当する組員によって目隠しをして運ばれ、目隠しが外された時はもうそこはエナリアの中。ファイが魔物を倒す、もしくは足止めをしている間に組員たちが色結晶を採掘し、頃合いを見て撤収する。そんな生活を物心から続けていたのだった。
だが、その日は少し違った。
「おい、本当に大丈夫なのかよ、ゼン!? この組の秘蔵っ子なんだろ? それを勝手に運用するとか……」
「運用を始めてから負けなしなんだろ? 大丈夫だって。青色結晶をパパッと採って、小遣い稼ぎすりゃいいんだ」
「で、でもよぉ……」
「ダメになっても、またどっかからさらって来ればいいって話だ。その辺の女捕まえて、産ませてもいい。数百万分の1とからしいけど、数うちゃ当たるだろ」
ファイの鋭敏な聴覚が、鉄扉の向こうに居るらしい複数人の足音と会話を拾う。
(知らない声……。新しい人?)
それまで、ファイが知っている組員の数はごく限られていた。物覚えが良すぎるファイがなるべく余計なことを学ばないよう、黒狼の人々は彼女に接触する人物を絞っていたのだ。
それでも、日常会話をこなすことができる程度には組員たちの話を盗み聞いて、勝手に学習をしてしまうあたり。ファイの好奇心の強さと、潜在能力の高さがうかがえる。
やがて、ファイの身体能力をもってしても壊せない分厚い扉が開き、男が姿を見せる。やはり、ファイがこれまで見たことのない若い組員だった。
「コレがファイか……。おい、ファイ。ちょっと来い」
男からの指示に従って、足枷をされたまま立ち上がったファイ。歩くことはできないため、跳び跳ねるようにして男へと近づく。
「クセェな……。おい、パッド。コイツ運べ」
「マジっすかぁ……? ま、いいっすけど……よっこいせ」
パッドと呼ばれたひょろりとした男の方に担ぎ上げられたファイは、いつものように袋に入れて運ばれる。
こうしてファイは、今もなお攻略されていない、最高難易度にあたる黒色等級のエナリア――“破滅のエナリア”に投入されることになった。
それまでのファイは、いわゆる危機に陥ったことが無かった。5歳でありながら、青色等級――8段階(黒赤橙黄緑青紫白)ある階級の上から数えて6番目――の探索者に匹敵する実力があったファイ。黒狼も貴重な戦力であるファイの運用に慎重だったこともあって、挑戦するエナリアはファイの実力よりはるかに下のエナリアばかりだった。
しかし、失敗の経験が無いまま2年も経てば、どうしても人の心には慢心が生まれる。
それまで組員たちはファイが苦戦をしているところを見たことが無かった。また、ウルンにおける“最強”の証――「白髪」であるファイが、どこまでできるのかを見ておきたかったこと、などなど。
様々な要因が合わさって「怖いもの見たさ」と「より良い色結晶」を求めて、一部の組員が勝手にファイを最高難易度である黒色等級エナリアに投入したのだ。第1階層ですら、上から4番目に当たる黄色等級。国民の1厘にも満たない人物しか挑戦できない危険度があると言われるその場所に、無謀にも挑戦してしまったのだ。
そして当然のように、壊滅した。
ファイ達が出くわしたのは、全身毛むくじゃらで犬のような人間――獣人族の魔物だった。
人間型の魔物は、彼らが住む世界が『ガルン』と呼ばれているためガルン人と呼ばれている。高い知性を有し、時に策謀をもってファイ達ウルン人を殺す厄介な存在だった。
『はっ! エナが薄くて動きにくいとはいえ、弱っちいウルン人しか居ねぇ上層で狩りをした方が良いに決まってんだろうが!』
ガルン語で何かを叫びながら突貫してきた彼の鋭い爪と牙によって、ファイ達は簡単に蹂躙される。
1分とかからず出来上がった黒狼組員6人分の血だまりの中心には、5歳のファイ1人だけが立っていた。
『白のウルン人……。ようやくご馳走の出番だなぁ……?』
「…………」
自身に殺意を向けてくるガルン人に、ファイは無感情な黄色い目を向ける。
白い髪は血で赤黒く染まり、全身も血の噴水を浴びて水浸しだ。ただ、幸いだったのは、当時からファイが自分のことを“戦闘の道具”だと認識しようとしていたことだろう。また、ファイにはまだ“死”という概念をしっかりと理解できていなかったことも大きい。
そのおかげで、自身が死の淵にいることを、ファイは自覚していなかった。
身体が両断される前に組員たちが残した「あいつを殺せ」という命令に従って、ファイは獣人族の男に剣を向ける。そこには恐怖を始め、一切の感情が無い。
『不気味なガキだな……。まぁいい、死ねゴラァ!』
「……っ!」
その最初のやり取りで、ファイは腕の骨を折られた。
「……ぁっ!?」
漏れそうになる悲鳴を、
(――道具は、叫ばない。痛がらない)
矜持だけで我慢し、もう片方の腕で剣を持つ。だが、次とその次の斬り合いで、もう片方の腕も折れてしまった。
(――けど、私にはまだ使える部位がある)
宙を舞った剣を口にくわえて、獣人族の男に反撃する。
しかし、そのファイの奇襲はあっけなくかわされ、腹に蹴りを入れられる。反動で弾き飛ばされ口から剣がこぼれ落ちたが、
(魔法も……ある……!)
覚えたての風魔法〈フュール〉と火魔法〈ブェナ〉で対抗した。
そうして“道具”として。自分が完全に壊れてしまうまでひたすらに戦い続けたファイ。歯は欠け、骨も折れて、痛みで泣きそうになりながらもどうにか戦い続けていると、
『くそっ、このガキ……待ちやがれ……!』
次第に獣人族の男の動きが鈍くなっていくのが分かった。
これはファイがのちに知ったことだが、魔物は『エナ』と呼ばれる物質を体内に取り込むことで活動している。このエナが結晶化したものが色結晶であり、この結晶を使ってウルン人たちは空調や洗濯機などのあらゆる魔道具を動かしているのだが、ともかく。
強力な魔物はその分、生きていくために多量のエナが必要なのだという。
そして、浅い階層は大気中に含まれるエナの濃度が薄く、階層が深くなるにつれて大気中のエナの濃度は濃くなっていく。下層に進むにつれて魔物が強力になるのも、そういった事情があるらしい。
そんな中、ファイ達を襲った獣人族の魔物は、自身の実力に見合った階層よりも浅い階層でウルン人を襲っていたらしい。つまり、自身の活動に必要なエナが十分に得られない状態で活動していたようなのだ。
結果として「エナ欠乏症」と呼ばれる状態になり、酸欠と同じような状態になるのだそうだ。そんな状態が続けば、やがて人は窒息する。
『てこずらせやがって……。でも、これでようやく白のウルン人を――』
両足もボロボロで動けないファイに男が手を伸ばした瞬間、
『――ごふっ……あ、れ……?』
獣人族の男が、口から血を吹いて倒れ伏す。そのまま口から泡を吹いてしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなる。
生きようとしたのではない。道具であり続けようとしたファイの、粘り勝ちだった。
「はぁ、はぁ……。あ、ぁ……」
敵の死を確認して、自身も血だまりに倒れ伏すファイ。
今の彼女には「敵を倒せ」以外の指示が無い。その使命を果たした今、次の指示が来るまでファイは動くことを許されていない。いや、道具として、動くつもりが無かった。
しかし、ちょうどその時、別の組員たちが倒れ伏すファイの回収に来た。
偶然ではないのだろう。決して広くない黒狼の組事務所の中で行なわれたゼン達の行動に、ほかの組員が気づかないはずもない。恐らく今の今までずっと、ファイ達の行動は監視されていたのだ。
そして、ファイが魔物と戦い始めたのを確認すると、万一にも自分たちが戦闘に巻き込まれないよう、事の成り行きを見守っていたに違いない。あまりにも折よくやって来た組員たちの様子から、事態の背景を推測するファイだった。
と、そうしてファイが血だまりに倒れながら、手持ち無沙汰に思考を巡らせていた時だ。
ふと視線を感じて見上げてみれば、こちらを見下ろす恰幅のいい男がいる。彼こそファイに武器を与え、ファイの運用をあらゆる面で管理する存在。つまりは黒狼の組長で――、
「さすが、白髪。頑丈だな」
「……ぁ」
組長が言った言葉。それはきっと、その他大勢の人々にとってなんてことない言葉なのだろう。だが道具を自称するファイにとって「頑丈」とは、紛れもない賞賛の言葉だ。そして、この時の組長の言葉は、ファイにとって人生で初めての褒め言葉だった。
ファイの思い出の中にある“賞賛”は、後にも先にもこの時しかない。そもそもファイが“何か”をして言葉や反応が返ってきたのも、この時だけだ。
しかし、たった1回。その初めての褒め言葉は、一生を暗闇で過ごしてきた少女にとっては“全て”だ。
まるで自身の存在を――道具であろうとする自分を――初めて認めてもらえたような気がして、ファイの全身が震える。
(私、もっと良い道具になる。そうしたら、いつか、また――)