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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●野菜を、育てよう

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第196話 大嫌い、です……っ!




 牙豹の背に乗っている時と変わらない速度で流れていく景色を、ユア・エシュラムは静かに眺める。木の上をひょいひょいと移動するファイの動きはひどく軽やかで丁寧だ。背中にいる自分のことを気遣ってくれていることが嫌でも分かる。


 視線を前方、揺れる真っ白な髪に向けるユア。風に乗って流れてくるのは洗髪剤とファイの汗のにおい、つまりは体臭だ。少し酸っぱく香ばしい、けれども香水などで飾ることのない、自然に近い香り。


 嗅覚が鋭いユアたち獣人族は、相手の匂いをかぐこともまた信頼を築くうえで重要になってくる。その点、およそありのままのファイの体臭は、きちんとユアの鼻と脳に刻み込まれていた。


「……あっ」


 ユアがかすかに漏らした声も、ファイは聞き逃さない。次の枝に着地すると「ユア?」とこちらを振り返ってくる。可能な限り慣性を殺した制止方法もまた、彼女がユアを気遣っている何よりの証拠だった。


 ユアの方を見る金色の瞳には、何の感情も揺れていない。つまりファイは息をするのと同じで、自然に、無意識に、ユアという弱者に気を遣っている。その事実を、ユアは自身の「相手の目を見ると思考が読める」という特殊な力で見て、確かめる。


「あ、あそこ……。あの葉っぱは多分、カリスパーです……」


 ユアが指をさしたのは森の一角、背の低い木々が生い茂る生垣の、すぐそばだ。細い葉から幾筋も枝分かれした特徴的な葉っぱは、カリスパーと呼ばれる野菜だった。


赤人参(カリスパー)。紙に書いてた」

「そ、そうです……。ユアが見つけてあげたんですから、ファイちゃん様は急いで取ってきてください……」

「ん、分かった」


 ゆっくりとユアを枝の上に下ろしてくれたファイ。


「ユアはここで待ってて。すぐに取ってくる」


 言うや否や、くだんのカリスパーが生えている地面へと飛び降りていってしまった。


 木漏れ日が照らす森の中。収穫作業を始めたファイの背中を、ユアは木の上から見下ろす。


 人はたいてい、打算のもとに行動している。自身の行動が相手に何らかの影響を及ぼし、翻って自分の利益になる。その計算ができるからこそ、人は他人と関係を結ぶ。


 逆に言えば、人が利益のない他人との関係を継続させることは無い。ユアにとってそれは「絶対」だ。


『ユア様は天才です!』

(いつかわしの息子とエシュラム家のコイツを(つが)わせて、良質な子を!)


 そう言って近づいてきた男がいた。


『今日も可憐で美しい!』

(僕の好みど真ん中だ! ほかのオスより先に口説いて、子をはらませねば)


 そう言ってことあるごとに話しかけてきた、名前も覚えていない男もいた。


『ユア様? どうか私の言うことを聞いてください』

(ほんと、わがままで面倒くさい子……。なんで私がこんなクソガキの面倒を……)


 そう言って実家で世話を焼いてくれていた家政婦たちも、たくさんいた。


 誰もが表面を取り繕って、内心では欲望のままに毒を吐く。それは本来、悪いことではないのだろう。きちんと公私を分けており、彼ら彼女らはきちんと場に合わせた言動をしている。


(むしろ悪いのは、勝手に心を覗いてしまうユアの方……)


 意図してのことではない。目を見れば勝手に、相手の思考が――本来は隠されているはずのその人の醜い部分が――流れ込んでくるだけなのだ。


 相手が必死に隠していることを、無理やりに暴く。そんな自分の方が“悪”であることなど、エシュラム家の天才ともてはやされたユアの頭脳は早々に気づいていた。


 人と会い、礼儀をもって目を見て挨拶をするたびに、自身の“悪”を自覚する日々。打算で動く他人だけでなく、そんな相手の内情を勝手に覗き見る自分自身にユアが絶望するのに、そう時間はかからなかった。


 ただ、ユアの人生においてただ1人。双子の妹のムアだけは、違った。


『ユア~! あそぼ~!』


 そう笑う彼女の言葉と心には、まったくと言っていいほど差異がない。笑っているときは心の奥でも楽しそうにしているし、怒っているときは心の底から怒っている。


 純粋。あるいは生粋のアホ。そんな妹の存在が、ユアにとってどれほど救いになったことだろうか。他人と自分に絶望したユアが、それでも人生に絶望しなかった理由。それこそ、ムアの存在があったからだ。


 実際にムアが何も考えていないのかというと、そうではないことをユアは知っている。当然だ。エシュラム家でもかつてないほどの頭脳を持つと言われたユアと、遺伝子をほぼ同じくする存在なのだ。ムアもまた、自分と同じ頭脳を持っているはずなのだ。


 事実、かつて一度だけ。ユアがムアに自身の能力を打ち明けた瞬間、愛する妹は心の中で言っていた。


 ――そっか~! じゃあムアは、何も考えないようにしようっと!


 姉の苦悩を知り、だからこそ何も考えないことを選んだムア。彼女は“何も考えないように考えている”のだ。


 そんな妹の努力は今の今まで続いている。どれだけ「アホの子」と呼ばれようと、「身体能力だけ」と家の人々から蔑まれようとも。ムアはユアのためだけに、何も考えない道を選んでいる。


 そんなムア・エシュラムの在り方に、どれほどユアは救われただろうか。


 世界にはこんなにも無邪気に、他人のことを思うことができる存在がいる。自分のことを思ってくれる存在がいる。ムアの存在だけがユアの救いだ。


 だからこそユアは自身の能力と改めて向き合い、稼業である魔獣育成に活用する道を見出した。


 言葉を交わせない魔獣たちだが、心を通わせることはできる。


 魔獣が本能で欲するものを適切な時機に与えることで、劇的に進化を早めることができた。


 一般的に、進化を遂げるためには多量の中立状態の魔素――『ナーダ』が必要と言われている。ユアの知る限り、獣人族が第1進化をするためには数値にして約1,000n(ナーダ)。第2進化はそこからさらに1万n、第3進化は10万nと、乗数的に必要な魔素は増えていく。


 一方、ガルンの大気中に含まれる魔素は平均して0.001nほど。呼吸によって少しずつ取り込まれ、“ちょっと”時間がたてば――ウルンで言うと1日――ようやく体内に0.01nの魔素がたまる。そうした日々を続けることでようやく獣人族は第1進化を経て大人になるのだ。


 だがユアは、ガルン人や魔獣の進化の方法がナーダの吸収のみではないことを知っている。


 心の底から欲するものを手にした時にもまた、生き物は進化できるのだ。しかも、大抵はナーダを取り込んだ進化よりも強力な進化を遂げる。


 その性質を利用して進化を促すユアのやり方は、しかし。長い時間をかけて理論と経験を積み上げてきたエシュラム家においては、ひどく異端だった。


 あとはユアがかつて、ファイに語った通りだ。“天才”から、暴走魔獣を生み出す“異端者”へと評価を変えたユア。有り余る才能をのびのびと発揮できるようにという名目のもと、落ち目のエナリアに厄介払いされた。


(厄介払い……。ファイちゃん様に言わせると、「ポイ」された……。そんなの、ユアは天才なので分かってます!)


 自身がどのように思われ、どのように扱われているのかなど、ユアは毎日のように見て(聞いて)いた。


 それでも、認めたくない。自身の魔獣との向き合い方・研究が間違っていないのだと、ユアは自身に言い聞かせる。そうしないと、心が折れてしまうから――。


「ユア、これ?」


 眼下。聞こえてきたファイの声に、ユアは彼女の方を見下ろす。ファイの手に握られているのは赤く、逆三角形を描く細長い野菜――カリスパーだ。カリカリとした触感と甘い味が特徴で、野生動物に大人気。見つけた端から掘り返されて食べられてしまうため、見つけるのが困難な野菜でもある。


「そ、そうです……。取ったのなら早く戻ってきて、約束通りユアを守ってください……っ!」


 ユアがそう言うと、ファイは嫌な顔1つせず頷く。


 彼女の存在が、ユアはひどく憎い。彼女は基本的に何も考えていない。言葉と行動がほぼ必ず一致する。


 純粋を具象化したようなその在り方は、そう、ユアにとってたった1つの救いだったムアと同じなのだ。


 少し前、ユアが生理的に嫌っているあのザコ(ニャム)が、生意気にも、ユアの内心を言い当てたことがあった。


 曰く、ユアはファイが嫌いなのだ、と。その理由は2つあって、1つは自身が進めていた研究をファイが先取りしたこと。また、大好きなムアがファイを気に入っているからだ、と。


 言われるまでもなく、ユアもその自覚はあった。ユアにとって研究は、自身の唯一の存在価値だ。にもかかわらず、ファイは土足で、平気な顔をしてその領域を冒してきた。しかもユアにとって心の支えでもあるムアを、ファイは取ろうとしている。


(……いいえ。ファイちゃん様は悪くありません、よね)


 ファイは良かれと思って上層の監視方法を考えた。ムアがファイを気に入る理由だって、ユアは分かる。何せムアとは双子なのだ。隣にいても気を張らず自然体でいられるうえ、嫌な匂いや音を発さない。本人の気質なのだろう、のんびりとした静かなファイの在り方は、獣人族であれば誰しもが居心地よく感じるだろう。


 実際、ユアも気づけばファイに気を許してしまっている。


 だからこそ、ユアはファイが嫌いだ。


 一緒にいて安らげる相手は、ムアだけ。そんな状況を、ファイはユアから奪おうとしてくる。大好きで唯一であるはずのムアを、たった1人の“特別”ではなくそうとしてくる。1つしか――ムアの隣にしかないはずの自分の居場所を、ファイは新しく作ろうとしてくる。


 優しくて、純粋で、一緒にいても疲れない。そんな存在はムアだけでいいはずなのに。


「お待たせ。それじゃあ次、行こう」


 そう言ってファイに背負われると安心してしまう自分が、ユアは嫌いだ。


 これまで自分のために人生をかけて能天気を演じてくれている妹・ムア。彼女だけにユアは感謝をささげ、愛さなければならないはずなのだ。


 だというのに、ユアはこうしてファイに気を許してしまっている。


 自分を、薄情で、現金で、恩知らずな姉にしてくる。そんなファイが、ユアは――。


(――大嫌い、です……っ!)


 心の中で言いながら、ファイの首に回した腕に力をこめるユアだった。




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