第189話 設計士、とうちゃく
何かにおびえるようにビクビクしながら、青い瞳で周囲を見回しながら空を飛んでくる金髪の少女。広げる翼、揺れる尻尾は真っ黒で、彼女の額から突き出す1本の白い角をよく映えさせている。
「ふぁ、ファイ様~。どこですか~……」
控えめにファイの名前を呼んでいるのは、エリュだった。今まさに頭上を通り過ぎようとしていたエリュに、ファイは石柱の間から手を振る。
「エリュ、エリュ」
「うん? いま確かにファイ様の声が……」
ルゥのように空中でとどまることができないのだろうか。クルクルと上空を旋回しながらファイの周囲を飛んでいたエリュだったが、少しして、
「あ、見つけましたっ!」
真っ黒な翼を畳みながら、ファイのすぐ目の前に着地する。今日も着ているブイリーム家の侍女服が、優雅かつ軽やかに揺れた。
「お久しぶりです、ファイ様! ご機嫌よう」
前回の“目と目が合ったら戦闘!”とは違う。裳の裾をつまんで上品に挨拶をしてくれたエリュ。
「うん、エリュ。ひさしぶり」
「早速ですがこの階層、ちょっと変な感じしません? 異様な強者の空気が……ぴぇっ!?」
言葉の途中。顔を上げたエリュがファイを見て――正確にはファイの頭上を見て――悲鳴を上げ、固まってしまった。
「……エリュ? どうかした、の?」
「ど、どどど、どうしておばあさまがこちらに!?」
「おばあさま……?」
初めて聞くガルン語にファイが首をかしげる一方で、どういう訳かエリュはファイの目の前で土下座をする。それも額――エリュの場合は額の角の付け根付近――と、頭上に伸ばした両手をビタンッと地面にこすりつけるという、より平伏の意思を見せる格好だった。
対するベルはと言えば、ファイの頭上から小竜の姿のままエリュに対応する。
「ああ、エリュか。久しぶりだね。元気だったかい?」
「は、はい! 元気も元気です! ですが突然のおばあさま登場に緊張で吐きそうです!」
「ふふっ、我の可愛い孫は相も変わらず正直者だ。顔を上げて、我に成長のほどを見せておくれ」
「あぅ……。は、はいぃ……」
ひれ伏した姿勢のまま、顔だけを上げたエリュ。額には小石がめり込んでおり、顔は今にも死にそうなくらい青ざめていた。
「ああ、大きくなったね。我がリーゼに見せてもらった時は、飛竜の卵くらいだったというのに」
「きょ、恐縮でしゅ! 栄養豊富な母乳がたくさん出るお母さまを生んだ魔王様のおかげです!」
「そうかな? そう言ってくれると、我としても鼻が高いよ」
ファイには見えないが、頭上のベルがご機嫌に尻尾を揺らしているだろうことは想像に難くない。
「えっと、ベル、エリュ。2人は知り合い?」
「ふぁ、ファイ様!? 畏れ多くもおばあさまを愛称で!? だ、ダメですよ! 吾も一緒に謝ってあげるので『ごめんなさい』しましょう、『ごめんなさい』!」
焦ったようにエリュが言ってくるが、ファイはベル本人からそう呼べと言われている。それにベル本人も気にした様子はなく――。
「ああ。我とエリュは血のつながった関係なんだ。我が祖母で、エリュが孫だね」
「そぼ、まご……。『父』『母』とは違う?」
ファイの知る“血のつながり”を表す概念は、父、母、(双子)姉妹しか知らない。そのため、ベルとエリュの関係性をすぐには理解できずにいた。
ファイの問いかけに、一瞬、ベルとエリュとの間でなぜの沈黙が発生する。が、すぐにベルがエリュに「祖母」「孫」の説明を指示したことで、ファイも2人の関係を知ることができた。
「おー……。ベルはリーゼのお母さん。で、リーゼはエリュのお母さん。ベルはエリュの、お母さんのお母さん」
言いながら指を折り、家族と呼ばれる関係性の図を脳内に描くファイ。すると、新たな気付きがある。
「……? じゃあベルにも、お母さんとお父さん、おばあさんとおじいさんがいる?」
「うん? ああ、そうだね。エリュから見たら曾祖母、曾祖父に当たるね。きっとファイにも居ると思うよ」
「私、にも……?」
夫婦とは1つの愛の形であるとファイは聞いている。愛し合う――ガルンでは実力を認め合う――者同士が性行為に及ぶことで子供が生まれる。自身もそうして生まれたのだということは、ファイも理解していた。
だが、じゃあその両親はどうやって生まれたのかというところまでは考えていなかった。
(けど、そっか。お母さんにも両親が居て、その両親にも両親が居る……。当たり前)
ファイの頭の中にある家系図に祖父母、曾祖父母が刻まれた瞬間だ。そして彼女の明晰な頭脳はすぐに、祖父母たちにも生みの親が居ることを導く。祖父母の両親にもまた両親がいて――。
どこまでも、どこまでもファイの中で家系図が広がっていく。
自分が生まれるまでには片手では数えきれないほどの“夫婦”が居て、愛があった。ファイの中で、食とはまた異なる“命の繋がり”が見え始める。
例えばどこかの夫婦が出会わなければ自分は生まれていなかっただろうし、生まれた子供が“親”になることができるまで無事に成長するのも容易ではないはず。
数えきれない人々の出会いと成長の末に「ファイ」という今の自分が居る。そう考えたとき、自身が奇跡的な繋がりと確率で生まれているのだと知るファイだった。
そうして家系図をもとにもう1つの命の繋がりについてファイが理解を深めている横で、祖母と孫による会話は続いていた。
「ところでエリュ。どうして我だと分かったんだい? ニナ相手でも誤魔化せたから、けっこう自信があったんだけど」
「お、お言葉ですがおばあさま! ニナ様はどちらかと言えば鈍感な方です! むしろ他の従業員の方とすれ違っていなくて良かったですよ!」
もしも普通のガルン人に見つかっていれば、今の自分と同じように恐怖で立っていられない状況に追い込まれていただろうと、土下座の姿勢のまま語るエリュ。
「最悪、心臓が止まって死にます! それもたくさん! だからおばあさまは出歩くなと言われているのではありませんか!」
この時ばかりは表情を必死なものにして、ベルに訴えている。しかし、祖母は孫の訴求を上品な笑みで受け流した。
「あはは、エリュはリーゼから冗談も教えてもらったんだね? 我が歩くだけで死んでしまうような民は、このアイヘルム王国には居ないし、要らないよ」
そんなベルの言葉に冷や水を浴びせられたかのように、ファイは我を取り戻す。
これまでの“普通の”やり取りのせいで忘れていたが、ベルは魔王と呼ばれるガルンの頂点に位置する存在だ。言い換えればガルンの象徴でもある彼女がどのような考えを持っているのかなど、考えなくても分かることだ。
強者絶対。
目の前にいる相手が息をする自由も、存在する権利も、ベルは掌握しているといって良い。アイヘルム王国に居る民だけではない。今ここに居るファイも、エリュも、ニナ達も。あくまでもベルに生かされているに過ぎないのだ。
改めて、ベルが魔王であることを思い出すファイ。命を含めた己のすべてを握られている。その恐怖を、ニナの道具としての矜持で押し殺し、ファイは何食わぬ顔で本題へと話を戻した。
「それで、エリュ。エリュが設計士?」
「ぴぇ……? せっけいし……? せっけいし……。……あっ、そういう話でした!」
土下座から一転、姿勢を正座に戻したエリュ。ピンと伸びた背筋を見るに、エリュはベルに委縮していただけで恐怖していたわけではないらしい。ファイがそう判断した理由は、なんとなくエリュからムアと同じ匂いを感じ取ったからだ。
(ムアも、誰彼構わずお話しするし、戦う。エリュも同じ?)
つまるところ、エリュにはムアと同じで誰かを恐れるという感情が乏しいのではないか。あるいは幼少のころからベルやリーゼという強者が側に居たせいで感性が狂っているのかも知れない。
先ほどの委縮した様子はどこへやら。得意げに黒い尻尾を揺らし始めるエリュを、ファイはぼんやりと眺める。
「そうです、エリュは天才設計士、なんですっ!(ドヤッ)」
「そうなんだ。で、私は何をすれば良い?」
「えっと、えっと……確かこの辺に……ありました!」
エリュが侍女服の衣嚢から取り出したのは、ぐちゃぐちゃに丸められた紙切れだ。それを探し出すまでに取り出された鋏や筆記用具は果たしてどのように入っていたのか。母親のリーゼと同じ不思議な技術を見せるエリュだが、リーゼであれば紙をクシャクシャになどしないだろう。
「エリュ。それは何?」
「これですか? これはですねー……。じゃじゃーん! この第9階層の地図、ですっ!」
「おー……?」
果たしてもったいぶる必要はあったのだろうか。首をかしげるファイの視線の先で立ち上がったエリュ。彼女が何も持っていない手を軽く振るうだけで、すぐそばにあった石柱が上下できれいに両断される。断面は恐ろしいほどに滑らかで、ルゥの小刀を使った時のようだ。
そうして切った石柱を机代わりに、エリュが地図に落書きを始める。ぺろりと舌を出して尻尾を揺らす様は、彼女が作業に没頭して楽しんでいる証拠だろう。
「エリュ? 何してる、の?」
「~♪ ~~~♪」
「エリュ? エリュ――」
「待つんだ、ファイ」
エリュの肩に手をかけようとしたファイを、ベルが止める。どうしたのかと上目遣いに頭上を見てみれば、ベルもまた、ファイのことを覗き込んでいた。
「ベル?」
「待ってあげるんだ、ファイ。我が孫は今、それこそ設計中なんだ」
「そう……なの?」
どう見ても落書きをしているようにしか見えないが、確かに。エリュが筆を動かすたび、地図上の第9層に線や図形が書き込まれていく。
(線が道。円は……宝箱? じゃあ四角は、罠? 壁際にある三角は多分、裏の入り口……かな?)
どうやらエリュが描いているこの絵こそが、新しい第9層になるらしい。
「さぁ、我が国きっての天才設計士エリュ・ハクバ・ルードナムの力を見てみようか」
どこか楽しそうなベルの声を聞きながら、ファイはエリュの設計作業を食い入るように見つめていた。




