第182話 頑張って、フーカ!
美しく舞うアミスの白金色の髪は今日も、エナリアの中で揺れていた。
「はぁぁぁっ!」
『ゲゴォッ!?』
空中でクルクルと回転する勢いそのままに、アミスは手にした細剣を振り下ろす。次の瞬間には、体高3mほどの巨大な蛙が断末魔の叫びをあげて絶命した。
「アミス、それで取り巻きは最後! 次は階層主だ!」
「分かってるってば、レーナ!」
返り血を浴びないように風の魔法で身体の周囲を包むアミスが、同僚の指示に返事をして再び戦場を駆ける。琥珀色の視線の先に居るのは、身長7mはあろうかという巨人族の女だ。
アミスを含めた探索者組合『光輪』が今いるのは、“希求のエナリア”と呼ばれるエナリアだ。
現状、アグネスト王国唯一の黒色等級エナリアであり、確認されている最大深度は第17階層。過去には黒色結晶すらも採掘されたことがある、巨大なエナリアだった。
入り口が発見されたのは、およそ100年前。当時、“飽食のエナリア”と呼ばれていた黒色等級エナリアが“不慮の事故”で崩壊し、高純度の色結晶の採掘が見込めなくなったアグネスト王国は財政難となっていた。そんな王国を救ったのが、この“希求のエナリア”だ。
エナリアの教科書のような――実際に王国の探索者育成機関では教科書に載っている――定石どおりの内部構造になっており、クセが無い。出現する魔物と採掘される色結晶や出土品の均衡も絶妙な塩梅で、自身の実力を見誤ることが無ければ必ず生きて帰れると言われているほどだ。
何よりも、探索者たちが言うところの「再生産速度」が早い。再生産速度は、たとえば空になった宝箱の中身が補充されたり、色結晶が再び生産されたりする速さのことだ。
通常のエナリアであれば早くて2週間ほどで補充されるところ、“希求のエナリア”ではその半分の時間で補充されることも珍しくない。
黒色等級エナリアということで産出される色結晶や出土品――道具や武器・防具――の質も高く、低危険度で大きな見返りを得ることができる。
王国に居る探索者であれば、誰もが一攫千金とさらなる力を求めて入場を希う。“希求のエナリア”と呼ばれるゆえんだった。
そんなエナリアに入るためには最低限、黄色等級以上の実力が求められる。赤色等級探索者組合の『光輪』であれば本来、問題はないのだが――。
「やぁっ!」
仲間たちが巨人族の女の気を引いてくれているうちに、死角から駆けつけたアミスが剣をひらめかせる。直径1mはあろうかという巨人族のふくらはぎに切り傷が刻まれる、が。
(浅い……っ! やっぱり、フーカの支援があると無いとでは大違いね……っ!)
まるで鋼鉄でも斬ったかのような手応えに、剣を握るアミスの手がしびれる。剣を取り落とさないに、と、拳を握り直すその瞬間は、疑いようのない“隙”だ。
『ぐっ!? いってぇな!』
「ヤバッ!? うっ……!」
巨人族が横なぎにする巨大な槌がアミスをとらえる。とっさに地面を蹴って威力を殺したアミスだが、鎧越しに伝わってくる凄まじい衝撃に肺から空気が押し出され、「ひゅっ」と喉が鳴る。
ただ、衝撃を殺したことが幸いしたのだろう。骨折したり、内臓を傷つけられたりしたような痛みはない。
(よしっ、まだまだいけるわね!)
受け身を取りながら何度か地面を跳ねて衝撃を殺して立ち上がったアミスが戦線に戻ろうと顔を上げる。と、巨人族相手にタイマンを張る獣人族の少女が居た。
眠そうに半分閉じられた瞳は、髪と同じ深い青色をしている。頭頂部にある小ぶりな丸い耳は、熊の耳に近いだろうか。耳と尻尾を包む毛は美しい白。彼女もまた、わずかながら“白髪”の恩恵を受ける存在だ。
身長は150㎝半ば。獣人族としてはやや小さい方だが、それは彼女がまだ14歳で、成長の余地を残しているからだと言えた。
彼女の名前はベィティ。アミス、レーナと同じで、光輪に3人しかいない赤色等級の探索者だった。
「よいしょ~」
のんびりとした掛け声とともに、自身の身の丈ほどもある戦斧を巨人族に振り下ろすベィティ。大振りな攻撃に対して巨人族も手にした槌で迎え撃つ。
超重量の金属同士がぶつかるような、質量すら感じられる音が階層主の間に響いた瞬間。
『うおっ!?』
「ありゃ~?」
ベィティと、彼女の身長の3倍以上ある身長を持つ巨人族の女性が同時に大きくよろけた。
お互い隙を晒す形になるが、片や誰一人として欠けていない光輪の組員。片や取り巻きとなる魔獣を全て殺されて孤立無援の魔物だ。
「良いわ、ベィティ! 全員、攻撃準備!」
アミスの声に、光輪の面々が瞬時に構えを取る。前衛は武器と盾を構え、後衛は遠距離武器の準備と魔法行使のための精神集中だ。
そして、アミス自身もまた細剣を手に風になる。瞬く間に巨人族との距離を詰めると、
「攻撃、開始!」
一斉攻撃の合図を送る。数瞬後には、よろめいて隙を見せた巨人族の大きな体を、色も性質も様々な攻撃が襲うのだった。
「はぁ~、疲れた~!」
“希求のエナリア”第9階層に続く安全地帯。緩やかな傾斜を描く幅の広い洞窟に、アミスは乱雑に腰を下ろした。
窮屈な兜を取って首を振ると、白金の髪が宙を舞う。汗と湿気で蒸れた顔に、ひんやりとしたエナリアの空気が心地よい。
できればこのまま鎧を全て脱ぎ去って大の字に寝転びたいが、組織をまとめる立場にいる以上、だらしない姿は見せられない。
(それにフーカに怒られてしまうものね!)
苦笑しながら義姉と言って差し支えない羽族の女性の姿を探すアミス。いつもならすぐに水を持ってきてくれるのだが、今日はどうしたのだろうか。
そこまで考えてようやく、アミスはフーカがもう、この世界には居ないことを思い出した。
(そっか……。そう、だったわね……)
膝を抱えたアミスは、地面とにらめっこを始める。
アミスがフーカに暇を与えてから、まだ10日余りだ。いや、もう10日も経ったと言うべきだろうか。だと言うのに、彼女が居ない生活にまだアミスは慣れることができていない。
ニナから「エナリアの秘密を教える」という提案があったあの時。「話がある」と言ってニナ達から距離を取ったアミスとフーカは、こんな話を交わしていた。
『それで、どうしたのフーカ?』
『は、はいぃ。えとえと、ですねぇ~。アミス様にはすごぉく申し訳ないんですけど、しばらくの間お暇を貰っても良いですかぁ?』
『えっ? 休暇が欲しいの? 別にいいけれど、どうして今……はっ!?』
言いながらアミスがフーカの考えを理解できたのは、2人が積み重ねてきた時間ゆえだろう。
『……フーカ。貴方、ファイちゃんたちの所に行くつもりね?』
『えへへぇ~。バレちゃいましたぁ』
どうして、とは聞かないアミス。フーカも気付いたのだ。いくつか推測できるエナリアの秘密。それを知ることで王国が得られる利益の、その大きさを。
例えば裏道のようなものがあるのだとすれば、エナリアの攻略期間はうんと短縮される。罠の配置について知ることができれば、より大胆な行軍ができるし、宝箱を開ける時にも気を遣わなくて済むようになる。攻略の速度が上がるほど色結晶の産出速度は上がり、王国は潤う。
ニナ達の言う秘密が、全てのエナリアに共通しているとは限らない。それでも最低限、赤色等級エナリア“不死のエナリア”を攻略するために間違いなく有益な情報となる。
その情報を、立場上動けないアミスの代わりに、フーカは自らの手で手に入れようとしてくれたのだ。
恐らくニナの周りには他のガルン人もいるに違いない。ファイが話していた「ルゥ」や「ミーシャ」もきっと、ガルン人なのだろう。
自衛できるファイはともかく、フーカが襲われようものならひとたまりもない。必ず、死の危険が付きまとう。
それでも自分が行くと笑うフーカの覚悟と誇りを、アミスは尊重したかった。自身も、彼女も。国のために尽くして死ぬことを求められている。フーカは、アミスのそばに居て身の回りの世話をするよりも、ファイ達のもとで情報収集をする方がより有益だと考えたようだった。
そうして話は、フーカの以下の発言につながる。
『う、上手くいけば王国の……人類のエナリア攻略に革命が起きるかもしれませんしぃ。も、もしフーカが失敗しても、失うのはフーカという黒髪1人ですぅ。分の悪い賭けではないのではないでしょうかぁ?』
アミスが誰よりも、ともすれば肉親たちよりも大切に思っている女性は今も単身、“不死のエナリア”で戦ってくれている。
見た目や態度で誤解されがちだが、フーカは聡明で、強かで、自分よりもはるかに心根も強いことをアミスは知っている。フーカのことだ。きっと生きて、貴重な情報を持ち帰って来てくれるに違いない。
しかし、いかんせん黒髪だ。本当に、ちょっとしたことで簡単に死んでしまう。それこそ、ニナというあのガルン人の少女が触れるだけで、フーカは肉塊になってしまうことだろう。
「フーカ……」
フーカの笑顔を思い出すアミスの顔が、悲痛に歪む。
いまフーカは、 “不死のエナリア”で死亡したことになっている。アミスとしては遺憾なことだが、死亡したという扱いにした方が、他国から余計な詮索をされずに済むのだ。
しかも、黒髪“ごとき”が赤色等級のエナリアに入れば死ぬのは当然だと言うのがウルンでの常識だ。憲兵を含めた全員が、フーカの死を疑っていない。
ただし、それはフーカ・ファークスト・アグネストを知らない人々だけだ。どういう訳か、光輪の面々はフーカが死んでいないと確信しているらしい。
『だってフーカが本当に死んでいるなら、アミスはここに居ないだろう? 本当に死んだというのなら、ぜひ死体を持って帰って来てくれ』
そう言ってくれたのは紫髪の人間族(長耳族)のレーナだ。アミスがフーカを見捨てて、のこのこ帰って来るはずがないと言わんばかりだ。
「ほんと、お人好しばっかりなんだから……」
呆れるように言ったアミスの顔にはもう、悲嘆の色は無い。フーカはアミスの頼れる腹心だ。今はただ、仲間たちと共に彼女の帰りを待っていよう。今度こそ気持ちを切り替えて、アミスは立ち上がる。
ウルンは年の瀬。年末の“潜り納め”とフーカの支援が無い戦い方を模索する光輪の攻略は、もうしばらく続いた。




