第181話 す、すすす――
第20層での水遊びを終え、冷えた身体を温めることにしたファイ達。かぽーん、と、木桶が風呂場の床を叩く音も、今は姦しい声にかき消される。
というのも、今は“希求のエナリア”で働く従業員たちもこのお風呂を使っているからだ。
普段は見ない多種多様な種族の女性が、お風呂を行き交っている。10人ほどが同時に身体を洗える洗い場も、今は半数以上が埋まっている。
浴槽にも談笑する女性たちが居て、蒸し風呂を出入りする人々も多数見て取れた。
そうして、いつになく活気のあるお風呂場を赤らんだ顔でぼぅっと見遣るファイ。熱いのが苦手な彼女は普段、蒸し風呂を愛用している。しかし、今回は人で一杯だったために仕方なく浴槽に浸かっていた。
「ふぅ……」
火照った顔で熱っぽい息を吐く。そんなファイの視界を行ったり来たりしている黒い尻尾がある。
「わふ~……♪ わふっ♪」
人の姿で楽しそうに浴槽を泳いでいるのは、ムアだ。ファイの中で、彼女は“遊びの天才”ということになっている。いつでも、どこでも。自分なりの“楽しい”を見つけてしまう。彼女はいつでもどこでも“幸せ”を見つけ、笑顔になることができるのだ。
ただ、誰かの幸せが誰かの不幸せになることもまた、ファイは知っている。
いまで言えば、ムアが泳ぎ回ることで水しぶきが飛び、少なからず迷惑そうにしている人々がいる。彼女たちはムアの幸せのせいで不幸せになっているのだ。
これはきっと、ニナが目指すエナリアでも同様だろう。ガルン人がウルン人を食べて幸せになる一方で、ウルン人は大切な人を失って不幸せになる。逆にウルン人がガルン人を殺して色結晶を採掘して幸せになれば、ガルン人は大切な人を失って不幸せになっている。
たとえガルン人が「殺されるのは弱いせいだ」と考えているのだとしても、理屈と感情は別のことだろう。
(“幸せ”って難しいね、ニナ)
まだ髪を洗っているらしい主人を遠目に見遣るファイは、エナリアの品位を守るためにもムアに注意しようとする。が、それよりも先にムアに声をかけたのはユアだった。
「ちょっと、ムア。お風呂で泳いだらメッ、だよ」
敬語でもオドオドするでもない。親しみのある口調でムアをたしなめる。
もちろんユアよりも強いムアに、ユアの言うことを聞く義務はない。むしろこれまでのムアの言動から考えるに、自分よりも強くなってからモノを言えとでも言うところだろう。しかし、ムアはユアの言葉に素直に従って泳ぐのをやめる。
「えー、だってお風呂ってヒマじゃん~!」
などと言いながらファイの方にやって来ると、ファイの膝の上に腰を下ろした。しかも、向かい合う形で、だ。
「んにゃっ!?」
「わふっ!?」
ファイの両横から驚きと抗議が入り混じった悲鳴が上がる。ミーシャとユアの2人だ。人見知りをする彼女たち。とりあえず知っている人――ファイとムア――の所に来たようだった。
そんな2人だが、睨んでいる相手が違う。ミーシャがムア、ユアがファイをそれぞれ、睨みつけていた。
「ちょっ、アンタ……! 誰の許可を得てファイの膝に座ってるのよ!」
「そ、そそ、そうですファイちゃん様……! 早くムアを下ろしてください……っ!」
尻尾をピンと伸ばして“怒り”を露わにしている2人。それぞれの“敵”に対して抗議の声を上げる。が、いち早く反応したのはミーシャに怒りの感情を向けられたムアだ。
「は? 黙っててよ、ザコ猫ちゃん♪ 誰に意見してんの? 殺すぞ♪」
「にゃっ!? ふぁ、ファイ~……!」
ムアに笑顔と殺意を向けられて、ミーシャがきゅっとファイに抱き着いてくる。
「む、ムア。仲間を怖がらせる、は、良くない」
さすがにミーシャが不憫で膝の上のムアをたしなめるファイだが、
「え~。だってその猫、別にムアの仲間じゃないし~。身の程知らずにもムアに意見してくるんだもん~」
言いながらファイの方にしなだれかかってくる。いつもの“じゃれつき”だ。
「違う、よ? ムアとミーシャは従業員。仲間」
「違うし♪ ムア、ザコなんて要らないし、仲間でもないー」
当然のことのようにミーシャを突き放すムア。彼女からすればミーシャなど眼中にもないのだろう。先日、密猟者によって殺されてしまった魚人族の女性ミィゼルへの対応と同じだ。
「ムア……」
たとえファイが従業員たちと仲良くできていたとしても、他の従業員同士の仲が良いというわけではないのだ。
ミーシャに対するムアの態度はもちろんのこと、先ほどの水遊びの時もそうだ。ロゥナはともかく、彼女の家族は終始、従業員たちからかなり距離を取った場所でくつろいでいた。裏を返せば、距離をとらなければ安心できない程度には、ロゥナの家族にとって従業員たちは脅威だということになる。
(つまり“信じる”が、できてない……)
全員が“仲良し”になる必要が無いことは、ファイも分かっている。しかし、お互いに危害を加えられることはないと思える程度の信頼は必要なのではないだろうか。
ましてやファイが――ひいてはニナが――目指しているのは、ウルン人とガルン人が幸せになれる未来だ。本来は危害を加え合う両者が安心して過ごせる場所を作らなければならない。
だというのに同郷のガルン人同士が信頼し合って幸せな状態でないのなら、ガルン人とウルン人が分かり合うなど夢のまた夢だろう。
(だから、やっぱり。ムア達には仲良くして欲しい、けど……)
ファイが真正面、コチラを向いて膝の上に座るムアに目をやると、彼女が左右色の違う目を細めて屈託なく笑う。
「そんなことよりもファイ、遊ぼー♪」
ミーシャの存在をその一言で完全に思考から捨て去るかのように言うムア。ファイの肩をむんずと掴むと、催促するように身体を前後に揺らしてくる。
一方のミーシャは完全にムアに委縮してしまい、ファイの影に隠れて震えることしかできていない。案外、ウルン人とガルン人が分かり合うよりも、ガルン人同士が分かり合う方が難しいのではないか。ファイとしてはそう思わざるを得ない。
「ちょ、ちょっとムア! 早くファイちゃん様から離れて! ほら、ユアの隣、空いてるよ?」
「えー。でも今はファイが良いー」
「わふっ!? な、ならせめて、その格好やめて……? 他の人も見て……くぅん」
周囲の人々を見ていたらしいユアが不意に言葉を止め、うつむいてしまう。他者と目が合ったことで、自分たちがどう見られているのか心の声が聞こえてしまったのだろう。
「ユア、ユア。みんなはなんて?」
「か、『可愛い』とか、『微笑ましい』とか……。で、ですけど、やっぱり『風呂場でナニやってるの』って言う声もあります……」
困ったような、気まずそうな顔で言うユアに、ファイは教えを乞う。
「……? 向かい合って座る、は、ダメ?」
「い、いえ。そんなことはありません、けど……。以前ファイちゃん様に教えた“性行為”と呼ばれるものの中に、今のファイちゃん様たちの格好もあるんです」
ヒソヒソと声を潜めて事情を教えてくれるユア。
「性行為……。でも私とムアは雌同士。子供はできない……でしょ?」
「それはそうなんですが、女の子同士でもしようと思えばできるんです。子供ができないだけで」
「そうなんだ? ……あっ、そう言えばルゥも言ってた」
以前、ルゥが言っていた。“好き”であるならば、相手は誰でも良いのだ、と。そしてファイは子を成す以外に、好きな人と肌を重ねることも性行為に含まれることも知っている。
つまり、仮にファイとムアがお互いに好きだったとするなら、こうして真正面で抱き合うことは性行為になるのだろう。
「けど、だったらやっぱり、私はムアと性行為してない。だって私に『好き』は無いから」
完ぺきな理論――あくまでもファイの中で――でもって自分たちはいかがわしい行為をしているわけではないと証明したファイ。だが、完ぺきなはずの彼女の理論は、
「え、ファイ。ムアのこと好きじゃないの……?」
真正面から向けられる悲しげなムアの視線と声によって、あっけなく崩れ去る。
「そ、そんなことない。けど、私は道具で、好きは無くて……」
「くぅん……。やっぱりファイ、ムアのこと嫌いなんだ……」
「あ、違う……。好きも無い、けど。嫌いも無くて、だから――」
「もー! ムア、難しいお話、分かんない! ファイはムアのこと好きなの、嫌いなの!? 答えて!」
右目が水色で左目が桃色。神秘的な瞳を向けられながらの命令口調に、抗えるファイではない。
「あ、ぅ……。……す、すす、す――」
「それだけは言わせませんわぁぁぁ~~~! ……って、きゃぁぁぁっ!」
「え、わっ!?」
「きゃいんっ!?」
ファイが「好き」を言葉にする直前だった。どうやら身体を洗い終えたらしいニナが、文字通り飛んでくる。しかし、彼女自身、想定していたよりも速度が出ていたのだろう。
ファイとムアに突撃するとそのまま3人まとめて、巨大なお湯柱を立てながらお湯の中へと消える。
「ぷはぁっ!」
「ぷはっ、けほっ……」
「わふぅ……♪」
幸いにも3人とも身体が丈夫で、お湯から顔を出す3人に大きな怪我は見られない。しかし、それぞれが湯船から顔を上げたその場所には――
「ファイ様、ムア様。それに……お嬢様。お風呂場での振る舞いについて、少しお話、いたしましょうか」
そう言って表情の見えない顔でたたずむ、リーゼが居たのだった。
今回の水遊びで、このエナリアの現在地と従業員たちの関係性を改めて認識したファイ。だが、最後にもう1つ。リーゼだけは怒らせてはならないことをよくよく理解したのだった。
※いつもご覧いただいて、ありがとうございます。息抜きも兼ねたこの章も、このお話でお終いです。もしご意見・ご感想やご評価などありましたら、ぜひお聞かせくださいませ。なお、章末ということで明日は1日、更新をお休みします。明後日からまた、ファイ達の姿を楽しんでいただければ幸いです。




