第18話 なに、この可愛い生き物?
第20層の通路に着いたファイは、左右に続く廊下を見回す。その階層を1周するように回廊となっている連絡通路。どちらへ進もうとも、いずれはファイが知るニナの私室へとたどり着くことができる。そのため、ファイはただの直感だけで左の通路を選んだ。
ニナの記憶では、ファイのいる部屋は両開きかつ木製の扉で、他の扉とはすぐに見分けがついたはずだ。
風の魔法〈フュール〉を使いながら、全速力で駆けるファイ。1歩踏み込むだけで100m以上を移動するその様は、走ると言うよりは飛ぶという表現に近いかもしれない。
場所によっては蛇行したり、折れ曲がったり、傾斜したりしている通路。しかし、壁や天井を蹴って直線的に移動することで、可能な限り速度を落とさずに進んでいく。そうして高速で流れていく景色の中、茶色の扉をファイが探していると。
『ふぅ、そろそろかな~?』
少し先に見えていた扉から出てくる、見知った人物を見つけた。
「ルゥ」
『およ? その声はファイちゃ……きゃぁ!?』
ファイに続いて唐突に押し寄せてくる強風に、たまらず悲鳴を上げた角族の少女――ルゥ。背中に届く長い黒髪が風で激しく舞い上がる。そうして乱れた服や前髪を直すルゥの両肩をむんずと掴むと、ファイはそのまま近くの壁にルゥを押さえつけた。
「『ルゥ! ニナ、どこ!?』」
『ファイちゃん? 痛いんだけど……』
「『ルゥ! ニナ、どこ!?』」
『ちょ、わたしの話聞けし……。ニナちゃん? あの子ならそろそろ寝る――』
「『ルゥ! ニナ、どこ!?』」
『だから……聞いてってばっ』
怒りの込められたルゥの言葉が聞こえた瞬間、ファイの足にチクリとした感触がある。お風呂の時と同じで、ルゥが自身の尻尾をファイに突き刺したのだ。そして、焦っていたファイが自身の足に刺さるルゥの黒い尻尾に気付いた時には、
「……あ、れ?」
ファイの足から力が抜ける。続いてお腹、腕の力も失われる。
『悪いけど、今回は手加減なしの麻酔だから。ファイちゃんなら死んじゃうことは無いだろうけど、しばらく動けない――』
「ニナは、どこ……?」
よろよろと、それでも両足で立ち上がったファイに、ルゥがきれいな青い瞳を大きく見開く。
『――動けないはず……なんだけど……。なんか自信、なくなってくるなぁ……』
遠い目をしながら、何かを言っているルゥ。そんな彼女の前掛けの部分を掴みながら、ファイは自分を道具で居させてくれる主人の行方を尋ねる。
「『ルゥ。ニナ、どこ?』」
『はいはい、ニナちゃんね。いま居そうな場所に案内してあげるから』
「……? 『ニナ、大丈夫?』」
『分からないけど、どうせ大丈夫なんじゃないかな? 人族だけど、あの子を殺せるガルン人なんて、滅多に無いだろうし。病気も、わたしが治しちゃうし』
ルゥの話すガルン語の大半は、まだ意味が分からない。それでも「大丈夫」を意味するガルン語が聞こえて、ようやくファイにも落ち着きを取り戻す。
時を同じくして、
『はぁ、はぁ……。や、やっと……追いついたわ……!』
ファイの背後から、先ほどまで一緒に居た金髪の少女の声がした。
そういえば彼女を置いて来てしまったとファイが振り返って人影を探すが、誰も居ない。その代わりに足元にいたのは、背中にピュレを乗せた愛くるしい生き物だ。
体長は尻尾を合わせると50㎝ほどだろうか。細長くしなやかな身体に、やや短い手足。尖った耳。鋭い目つき。全身が金色の毛でおおわれていた。
『ちょっと、アンタ、早すぎんのよ……』
疲れた様子でありながらも、牙を覗かせてファイを威嚇するその生物。凛とした佇まいの中には、見る者全てを引き付けるような、妙な愛嬌があった。
(なに、これ……!?)
ウルン人が『猫』と呼ぶその生物を見た瞬間、ファイの全身に衝撃が走る。同時に、どうしても抱かずにはいられない衝動に駆られた。その衝動のまま、猫をひょいと抱え上げたファイ。
『えっ、ちょっと、なによ……なにすんのよ!?』
猫が女性の声を発していることが「おかしい」と感じる知識を、幸か不幸かファイは持ち合わせていない。
『は、離して! 離しなさ……力つよ!?』
フシャーと唸っては暴れる猫に構わず、ファイは初めて目にする愛らしい生物をジィッと観察する。目は緑色で、耳や手足、尻尾だけが黒いという特徴的な毛並みをしている。
(さっきの女の人と、おんなじ特徴……? それに声も)
それらのことから、この生き物が先ほどの女性の関係者であることを察するファイ。ピュレの事例を考えると、通信用の生物なのだろうかと推測する。
『へ、変なことしたら叩き斬ってやるんだから!』
力での抵抗こそ諦めたが、心だけは折れない。何かをしたら攻撃してやる。そう言いたげな視線に、ファイは首をかしげる。それは猫が何を言っているのか分からないからなのだが、猫の方は別の意味だと勘違いしたらしい。
『……って、あれ!? 小刀は!? ……置いてきちゃった!』
慌てたように周囲を見た後、尻尾と手足をピンとして気づきの声のようなものを漏らす。それでも、気丈にファイを睨みつけ、
『こ、これで……勝ったと……思わないでよね……! まだアタシには爪も、牙だって、あるんだからぁ……』
後半になるにつれて涙声で、なにかを訴えかけてくるのだった。
持ち上げられた姿勢のままあれやこれや言って暴れ回る猫と、そんな猫を興味深く観察していたファイ。2人だけならそのまま数分間状況が動かなかっただろうが、幸いにも、この場にはもう1人、人が居た。
『はいはい、ミーシャちゃん。落ち着こうね~。ファイちゃんも、ちょっとごめんね~』
手加減なしの麻痺攻撃で力が弱っているファイから、ミーシャと呼ばれた猫を引き取ったルゥ。名残惜しい気持ちでファイが見つめる先。ルゥの豊満な胸に抱き着くように猫が鳴いて、泣いている。
『ルゥ、先輩……っ! ごわがったよぉ~!』
『うんうん、不審者だって勘違いしちゃったんだよね? よく頑張ったねぇ~、えらい、えらい。……けど、ファイって名前の白のウルン人を雇ったってニナちゃんからの通知、あったよね?』
ルゥの言葉に、猫が気まずそうに緑色の目を逸らす。
『……確認してませんでした』
『そういうときは?』
『…………。ごめんなさい』
『あとでファイちゃんにも謝ろうね~。多分、喧嘩売られたことすら分かってないだろうけど』
泣きついてくる猫を優しい声と顔で撫でてあげていたルゥ。彼女の言葉には、猫も素直に従っているように、ファイには見える。
『……ついでにこの子、わたしの全力の麻酔受けてあの力だから、喧嘩は売らないようにね~。未進化のミーシャちゃんだと、余裕で殺されちゃうから』
『ぐすっ……ぐすん……。はい、気を付けます』
小声で猫が頷いたところで、状況は落ち着いたようだ。と、ルゥがファイへと青い瞳を向けてくる。
『一応、ニナちゃんが居るだろうところに案内するね。ついて来て?』
ニナの名前を出して先を歩き始めたルゥの背中を、ファイも追う。そして、急いでルゥの隣に並ぶと、彼女の大きな胸の上で安らいだように伸びている愛らしい生物・猫の観察を再開する。そんなファイの視線に気づいたらしいルゥが、ファイに猫について紹介してくれた。
『ファイちゃん。この子はミーシャちゃん。獣人族の女の子』
「ミーシャ……? ミーシャ。覚えた」
それがこの生物の名前なのか、と、相槌を打つ。続いて、ファイのことを猫に紹介し始める。
『ミーシャちゃん。このウルン人の子が、ファイちゃん。わたし達の同僚になるから、仲良くしてあげてね?』
ルゥの言葉を受けて、閉じられていた緑色の瞳を覗かせたミーシャ。その瞬間、ファイとミーシャの目が合う。
「『もう一回、よろしくね?』」
『……よ、よろしく』
こうしてファイは、ニナとルゥに続いて、“不死のエナリア”で働く3人目の従業員と知り合うことになるのだった。