第178話 ちっちゃい、エナリア
「ま、ままま、参りますわね……ファイさん!」
「うん、来て、ニナ」
ファイが頷いたことで意を決したのだろう。ニナが表情を真剣なものに変えて、ふぅっと小さく息を吐く。そしてぎゅっと目をつぶると、手にした大きな球を空中に放り投げ、
「えいっ!」
全力でファイに打ち出す。まず間違いなくガルンの人間族の中で最強の腕力を持つニナの攻撃だ。普通であれば、ファイもただでは済まないだろう。
しかし、ニナが打ち出した球は、空気で膨らんだだけの張りぼての玉だ。みるみるうちに失速し、ファイの手元に届くころには丁度いい速度になっている。
そうして主人から渡された球を、ファイが水面に落とすわけにはいかない。空気の抵抗で揺れる球の軌道を丁寧に読み、
「ん……ルゥ」
両手を使って天高く打ち上げる。そうして繋がれた球は空中を浮遊するルゥのもとへと到達し、
「日頃の恨み……! 死ねぇ、ユアちゃん!」
物騒な掛け声とともにユアへと打ち出される。先輩からの殺意満々の球に「ひゃうっ」と悲鳴を上げるユアが、頭を抱えてうずくまる。
そのまま水面に球が着いて勝負あり、となる直前で、
「わふっ! ユアをいじめるな!」
ムアがユアと球の間に割って入り、向かって来た球を全力でルゥに蹴り返す。身体能力だけで言えばこのエナリアでも頂点に位置するムアの蹴った球は不規則な回転と共にルゥを襲い、
「はいはい、避けれる避けれる……って、何その動き!? あっ、ちょっ、あいたぁっ!?」
浮遊して避けようとしたルゥの顔面をキレイに撃ち抜いたのだった。
ファイ達がいま行なっているのは、『ユリュップ/水打球』と呼ばれるウルンの玉遊びだ。フワフワと漂う球を相手の名前を呼びながら打ち出し、名前を呼ばれた人が取れなかったら負け。決まりそのものもフワッとした、水辺での遊び方だった。
空中を漂ってフワフワと落ちてきた球を、ファイは柔らかに受け止める。岩蛙と呼ばれる緑色等級の魔獣ののど袋で作られている、柔軟性と反発力を兼ね備えた球だ。
(ピュレとも違う、フニフニで、フワフワ……)
その感触を確かめるファイの隣に、「いったぁ~……」と顔を赤く腫れさせるルゥが降りてくる。他方、少し遠方で遠吠えをあげるのはムアだ。
「わおぉぉぉん! あっはっ! ルゥちゃん先輩、あんなのも避けられないんて、やっぱりザコザコのザコじゃん♪」
嬉々としてルゥに立場を分からせている。また、煽り散らすムアの背後に隠れて、ムアもオドオドとルゥに言う。
「ぷ、ぷぷっ。ユアをいじめようとしてムアにいじめ返されてます……! ルゥちゃん先輩、カッコワルぅ……♪」
尻尾をブンブン左右に振りながら、ここぞとばかりにルゥを挑発する。
当然、ルゥはガルン人として獣人族の姉妹の喧嘩に応じるつもりらしい。こめかみのあたりに青筋を立てながら、笑顔でユア達を見ている。
「は? さっきのは油断しただけなんだけど? 構えろガキ2人、わたしが分からせてやんよ」
「だって、ユア? またルゥちゃん先輩がなんか言ってる。どうせ今回も、分からせ返されちゃうのにねー」
「ねー、ムア? 先輩がいつも言ってる“先輩の余裕”はどこに――」
「ふんっ!」
ファイの腕から球を奪ったルゥが、不意を突いて全力で姉妹に球を投げつけた。さすがの獣人族の2人でも、数メルドの距離かつ、久しぶりの姉妹での楽しい会話に夢中で反応が遅れたのだろう。ルゥの球によるささやかな攻撃はムアの側頭部に直撃し、跳ねた球はユアの顔面もきれいに撃ち抜いたのだった。
2人仲良く「きゃいんっ!?」と悲鳴を上げるユアとムアに、腕を組んで満足げに鼻を鳴らすルゥ。
「隙ありだよ、2人とも! ぷぷぅ、先輩を舐めるからそうなるんだ~」
意趣返しとばかりにユアとムアを煽り返す。
「ルゥさん……。大人げないですわ……」
「はんっ! 正々堂々だけが勝負じゃないんだよ、ニナちゃん! それにほら、2人も戦る気だし」
「「死んじゃえ、ルゥちゃん先輩!」」
そうして再び始まる、水打球。遊びとはいえ勝負事には過剰に反応するのがニナ達ガルン人だ。事あるごとに上下関係の分からせ合いをする彼女たちから目線を切ったファイ。
勝負の邪魔をするまいと浅いため池から上がったその足で向かったのは、ロゥナと話しているフーカのところだった。
「フーカ、ロゥナ」
「あっ、ふぁ、ファイさん。どうしたんですかぁ……っと?」
ファイに気付いて椅子から立ち上がろうとしたフーカを、ロゥナが引き留める。
「立つんじゃねぇ! まだ型を取ってる最中だろうが」
「た、立つな、でしょうかぁ? き、気を付けますぅ……」
ガルン語を少しずつ理解し始めている様子を見せながら、椅子に座り直すフーカ。彼女が着ているのは黒の水着だ。各種ひもを交差させたような作りになっていて、形としては普段フーカが来ている服とあまり変わりないように見えた。
一方のロゥナが着ているのは、上下が分かれた黒い水着だ。ただしルゥ達が着ているものよりも布面積が広く、平べったい布を胸と腰に巻いているような見た目をしている。さらにファイと同じで上衣を着ており、露出している肌は控えめと言えた。
そんな彼女たちが何をしているのかと言えば、フーカ専用の家具作りだ。
このエナリア内でフーカに適した家具は1つも存在しない。座る時も、眠る時も。日常生活のあらゆる場面でフーカは常に不便を強いられてきた。
そんな状況を見かねたのだろうか。膝を三角にして水辺でぼうっと座っていたフーカに、ロゥナが声をかけていた。そのまま2人で手近な椅子の所に向かおうと、こうして作業を始めていたのだった。
なお、先ほどの水打球を提案したのもフーカだったりする。彼女の言葉を頼りに、リーゼが一度“裏”に戻って岩蛙の革を準備。ルゥが手早く裁縫して、先ほどの球ができていたのだった。
「ははん……。翅の位置的にはあそこの巻き角の女……ルゥ? に近いのか。だったらこの辺りをまずは切って……」
フーカの翅の位置を確認し、隠し持っていたらしい筆記用具を使って躊躇なく椅子に印を入れ始めようとするロゥナ。彼女の行動にギョッとしたのはファイだ。
「ま、待ってロゥナ!」
やんわりとだが絶対に手は進めさせないという意思を込めて、褐色のロゥナの腕を掴む。
「……なんだ、ファイ? なんで止める」
「それ、ニナのだから。聞かないと」
言葉少なに語るファイの目を、黄色い瞳で見返してくるロゥナ。だが、少ししてハッとしたように目を見開いた。
「お、おう、そうだな! 悪い、つい集中しちまってた……」
どうやら作業に集中するあまり、勢いのままに加工してしまいそうになっていたらしい。
「ううん、私は大丈夫。ちょっとニナに聞いてくる、ね」
白熱するルゥ対エシュラム家姉妹の戦いを見守っているニナに、許可を取りに行くファイ。数回のやりとりの後にすぐに帰って来た彼女は、
「『フーカさんの幸せのためなら大歓迎ですわ』だって」
ニナから無事に許可が下りたことをロゥナに伝えるのだった。
「おう、そうかい。それじゃあ早速、作業を始めるぜぃ。アンタはあんまり動くなよ」
「う、『動くな』、ですねぇ? 分かりましたぁ」
フーカの身体に合わせた調整のために、今度こそ椅子に各種印を入れ始めるロゥナ。一方のフーカも、ピンと背筋を伸ばして動かないようにしている。
(完成、は、あんな感じ……?)
ファイが2人から視線を切って見遣るのは、ため池の側に点々と並ぶ奇妙な形をした椅子たちだ。
人によっては太くて立派な尻尾があったり、巨大な羽があったりするガルン人たち。ここにある椅子には尻尾を通す穴が開いている椅子や、背もたれの部分が奇妙に湾曲していたり、くりぬかれたりしている椅子がある。
驚くべきは、使う人が居なくなって久しいのに、それらがまだきれいな状態で保たれていることだろう。椅子だけではない。ため池には濁りが無く、水面にゴミが浮いていたり、水底に汚れが沈殿したりしている様子もない。
このため池に来る途中にちらりと見えた庭園もそうだ。ツタや雑草が生い茂っている様子もなく、きれいな花が咲いていた。
それらすべての手入れを誰が行なっているのかなど、ファイでなくても分かることだろう。
金色の瞳をニナへと向けるファイ。
この場所で「“みんなで”遊ぼう」と提案したのはニナだ。彼女がその申し出をした理由を想像できるほど、ファイの人生経験は深くない。
それでも、ニナがなんとなく、自分たちの現在地を知ろうとしたのではないかと思うファイだ。
ニナはエナリアを家だと言う。ただ、ファイの背後にある邸宅もまた、ニナの家なのだという。
(エナリアはニナの家で、この建物もニナの家。つまり、エナリアと建物は一緒?)
2つの事実を結んで考えたとき、ファイの中で、この場所がエナリアという超巨大構造物の縮尺模型のような形をとる。途端、ファイはこの場所を俯瞰的に見ることができるようになる。
思えば従業員全員がこうして一堂に集うのは、ファイが知る限り初めてのことだ。だからこそ、このエナリアにおけるそれぞれの従業員同士の関係性や立ち位置がよく分かる。
ルゥと獣人姉妹が仲良く(?)殺り合っていて、それをニナが楽しそうに見守る。少し離れた場所ではロゥナとフーカ、2人の新入りが仲良く肩を並べ、椅子を作りながらウルンの魔道具についてはしている。
全体を見渡せる位置で優雅に尻尾を揺らすのはリーゼだ。くつろぎながらも、常にニナやファイ達を気にかけているのが気配で伝わってくる。
そんなリーゼの傍らに立つエリュの手のひらの上で身を震わせる緑色のピュレは、現在進行形で遠隔地に映像と音声を届けている。その映像を見ているのは、第16層に居るサラだ。事情が事情でサラは動けないため、ルゥが日常的に持ち歩いてサラに寂しい思いをさせまいとしているという。
(で、あっちには……)
遠く、喧騒から離れて談笑しているのはロゥナの家族だ。彼我の強弱に敏感なガルン人で、しかもここに来るまでは迫害されていたと聞く彼ら。他の従業員が放つ“圧”に警戒、あるいは気後れしてしまっているのかもしれない。
きっとこの距離感、この立ち位置が、今の“不死のエナリア”の相関図なのだろう。
ここで「自分は?」とファイが自身を顧みることは無い。ファイにとって自分がいるべき場所は決まっていて、立場についてもきちんと固まっているからだ。
むしろ今の彼女が考えているのは、上層で魔獣たちのお世話をしていたために合流が遅れている“彼女”のことで――。
「ファイ!」
まるでファイの想いが通じたような時機で、最後の“見習い従業員”の声が聞こえたのだった。




