第171話 もう1人の、エナリア主?
「エリュさん?」
ゆったりとした口調でエリュの名前を呼びながら姿を見せたのは、全身緑色の女性だ。正確には、人間族の女性を模した魔物というべきだろう。というのも、その魔物には男女の区別がないからだ。
樹人族。
死体を養分とする植物が寄り合って人や動物の形を取った、本来は奇妙な“現象”の1つだった。植物は更なる養分を求めて行動し、野に転がる死体を見つけては記憶と栄養を吸いつくす。もし死体が無いのなら、自らの手で作りだす。
そうして養分とした大量の生物の動きや知識を模倣するようになった植物の集合体は、もはや生物と変わりない言動をするようになった。
『そうやって厄介さと力で「樹人」っていう立場を手に入れた。それが、樹人族なの』
ガルンについての勉強会で、ルゥが教えてくれたことだった。
と、そうしてファイが樹人族についての情報を記憶から引っ張り出していると、すぐ隣から「あぁっ!」と驚きの声が聞こえてきた。声の主はフーカだ。現れた樹人族を見ながら、口を大きく開けている。
「フーカ、どうかした?」
「ふぁ、ファイさん! あの魔物……あの人、“希求のエナリア”のエナリア主ですぅっ!」
「おー、“希求のエナリア”」
“希求のエナリア”はファイも過去、黒狼に居た頃に訪れたことのあるエナリアだ。採掘できる色結晶は平均して黄色以上。内部も基本に忠実な造りになっていて、魔獣の強さや宝箱に入っている道具なども階層の難易度に見合ったものになっている。
多種多様な動植物群系を持っており、自然を生かした罠が特徴的。全16階層の癖のないエナリアは黒色等級のエナリアでありながら、黄色等級以上の探索者たちに大人気のエナリアだったとファイは記憶している。
「黒狼の時に第3層まで行った」
「そ、そうなんですねぇ……。3層って言うと確か暗闇が特徴の階層で……。って、そうではなくってぇ! あの人、黒色等級の魔物『賢者の樹人』ですよぉ!」
「けんじゃのじゅじん? なにそれ――ごめん、フーカ」
ピリッと肌を刺す感覚があって、フーカを抱き寄せつつその場から大きく後退したファイ。長年、戦闘に身を置いてきた者としての直感が「危ない」と告げたのだ。
抱き寄せたフーカを解放しつつ、嫌な予感がした方向――エリュたちの方を見たファイ。そこにはエリュと樹人族が居るのだが、
「きゅぅ~……」
いつの間にやらエリュが地面に倒れて目を回している。そして、廊下を照らす夜光灯の光に煌めく小さな粉をファイの目は見逃さない。樹人族が得意とする花粉・胞子を使った攻撃で、エリュが昏倒させられてしまったようだった。
エリュとの戦闘未遂からの流れがあるファイ。目つきを鋭く樹人族を見つめる彼女に対し、樹人族は頬に手を当てながら微笑んで見せる。
「あらあら、ふふっ。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? コチラにあなた方を害する意思はありません」
両手のひらをファイに見せながら、敵意が無いことを態度で示す。
ただし、ファイの金色の瞳は、先ほどまで自分たちが居た場所に漂っている胞子の反射光をとらえている。意図的ではないにしても、いまファイ達は害されかけたのだ。さすがにここですぐに樹人族の言葉を信じるほど、ファイも愚かではない。
しかし、
「それとも、戦いますか? ワタクシとしてはそれでもかまいませんよ?」
このままファイが警戒し続けるのであれば、向こうも応える。そう言われては臨戦態勢を解かざるを得ない。言われた通り、ファイは素直に身構えるのをやめる。
「ふふっ。素直、なんですね?」
「ううん。あなたはニナ以上に強い。どうせ私たちだけじゃ勝てない、から」
ガルン人とウルン人では、身体の作りも強度も違う。そしてファイは残念なことに、ウルン人という弱者側だ。敵わない存在が居ることは仕方ないと割り切っている。
(だけど――)
たとえ敵わないと分かっていても、もしもの時は“最期”まで戦い抜く。ニナが誇ってくれるような道具であるために、ファイも道具として抗い続けるつもりだった。
心の奥底で燃える反骨心を持ち前の能面で隠して、ファイは改めて目の前の樹人族の観察に努める。
全身が緑色の全裸の女性。それが、いまファイの目の前にいる樹人族を表すのにふさわしい表現だろう。
身長はファイより拳1つ分くらい高く、リーゼと同じか少し高いくらいだろうか。身体の凹凸は主張し過ぎない程度に収まっていた。
ツタのように房になった植物の集合体が髪の毛を象っている。耳や鼻も同様に人を模した凹凸を描いているが、樹人族はそれらの器官で見聞きしているわけではないという。その証拠に、目の前の樹人族は安らかな顔で目を閉じている。
なのに、樹人族はファイの言動に反応できている。その理由は、大気中のエナの揺らぎや空気の振動を感じ取っているらしかった。
人のように見えて人ではない。人の真似をしているが、あくまでも植物。それが樹人族だった。
ただ、よく見て見れば花が裳を模して下半身を隠していたり、下着のようになって人間の急所を隠していたりして、可愛らしい。特に髪飾りのように頭に咲いている桃色の美しい花は、ファイの感性をくすぐる可憐さで咲き誇っていた。
つい癖で花をジィッと観察していたファイ。彼女の視線に気づいたのだろう。
「ふふっ。これ、気になりますか?」
笑みを浮かべた樹人族が、頭に咲いている桃色の花に手で触れる。
「うん、キレイ……。名前、は?」
「リリリチア、だったと思いますよ。ガルンにしか咲かない花だったはずです。……よろしければ、お近づきの印に差し上げますね」
そう言った樹人族が、頭に咲いていた花を手折り、ファイに差し出してくれる。
「いい、の?」
「はい、良いんです。どうせまた、生えてくるので」
「……そっか。じゃあ」
貰おう。そう思って歩き出そうとしたファイの腕を、フーカが引いた。
「だ、ダメですよぉ、ファイさん! 樹人族はああやって人をたぶらかして、近づいてきたところを捕まえるんですぅ!」
探索者としての知識と警戒心をあらわにしながら、懸命にファイを止めてくれる。ガルン語での会話の聞き取りがまだできないらしいフーカは、ファイ達がまだ敵対していると思っているようだ。
「ん、大丈夫、フーカ。キレイな花をくれる人が悪い人なわけない」
「だ、大丈夫の基準が初等部の子供以下ですぅ!? だ、ダメですよぉ、危ないですよぉ!」
懸命に制止を試みるフーカだが、彼女がファイに力で敵うはずもない。
そうしてフーカを引きずるファイが目の前に来たところで、ゆっくりとファイの頭に手を伸ばしてくる樹人族。背後では「ダメです、ファイさん! 捕まっちゃいますぅ! 寄生されちゃいますぅ!」とフーカが叫んでいるが、もはや手遅れだ。
しばしの沈黙ののち、
「……はい、これでいいでしょうか?」
樹人族がファイの頭から手を離す。
彼女が触ってきた側頭部に少し違和感があったファイ。その部分に触れてみると、柔らかな花弁の感触がある。どうやら樹人族は、ファイの頭に先ほどの桃色の花――リリリチアを飾ってくれたらしい。
ただ、“自分”という概念が曖昧なファイだ。リリリチアの花飾りをしている自分の姿が想像できない。そのため、試しにフーカに聞いてみることにした。
「どう、フーカ?」
「いや、そ、それはもちろん似合っていて可愛いらしいんですけどぉ……」
「……そっか」
ファイの中に満ちる、得も言われぬ温もり。それはルゥの私室で着せ替え人形になっていた時と同じだ。
こんな自分だが、キレイなものを身につけて少し変われたような気がするファイ。いまの自分ならばニナに見せても良いかもしれない。そして、彼女の「可愛いですわ!」の一言が欲しい。
(けど、これは外さないと……)
樹人族からのありがたい贈り物だが、これは欲望――つまりは心の発露であるような気がしたファイ。急いで髪から外そうとするのだが、その動きはひどく緩慢だ。
もともと、自分が汚いと思っているファイ。服を着替えたり着飾ったりすることで、新しい、汚くない自分になれた気がした。明るくてきれいなニナに、相応しい自分で居られる気がしたのだ。
ただし、やはり花飾りの髪留めをしている自分は、ファイにとって弱い自分だ。一刻も早くこんな自分から抜け出したくもある。
着飾った、きれいな自分でありたい。一方で、着飾った弱い自分ではありたくない。無意識と意識的。2つの想いが、ファイ本人すらも気づかない領域で静かに衝突する。結果として、花飾りを取ろうとする彼女の動きはゆっくりになってしまっていた。
そんなファイのささやかな葛藤が、功を奏する。いや、ファイ本人としては失態の部類に入ってしまうのだが、ともかく。
「きゃわぁ~~~~~~っ!」
ニナのことを考えていたところにニナの叫び声が聞こえて、ファイはビクッと身体を硬直させる。そのわずかな時間の間にシュバッと、風のようにファイ達の前に姿を見せたニナ。ファイと樹人族の間に割って入ると、キラキラとした目でファイを見上げてくる。
「ふぁ、ファイさん! そのお花はどうされたのですか!?」
「ニナ!? 今までどこに、どうして……って、こ、これは、違うの……ちがう、から……っ!」
「恥ずかしがることではありませんわ! リリリチアですわね! 雪のように白いファイさんの髪によぉく映えていて、とぉ~っても! お似合いですわっ! 可愛いですわぁぁぁっ!」
早口でまくし立てたかと思うと、どこからか取り出した撮影用のピュレでファイのことを記録し始める。
ファイとしては弱い自分を記録されていることになるため、恥ずかしさのあまり身を縮こまらせてしまいそうになる。しかし、なぜだろうか。ニナに可愛いと称賛されると、なぜか無性に胸を張りたくもなる。目の前でファイを見上げている主人を、抱きしめたくなる。
道具としては、恥ずべき行為だ。それでもニナに、もっと褒めて欲しい。触って欲しい。触りたい。
理性と欲望がごちゃ混ぜになり、まるで自分が自分ではないようだ。
(私……変っ!)
おかしい。ファイが自分の変化に気付いた時ようやく、彼女は自身の鼻をつく、異様に甘ったるい花の香りに気付くことができた。
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