第17話 獣人族の、関係者
その後、第1層から第3層までも同様に宝箱の補充を済ませたファイ。ニナの指示のもと、専用の通路を抜けて、エナリアの裏側へと戻る。
薄暗いエナリアとは一転して夜光灯がまぶしく照らす長い通路に、ファイが目を細める。頭巾を脱いで一息つく彼女の額や首もとには、薄っすらと汗が浮かんでいる。元より白いファイの肌はほのかに上気し、短時間で4層分の敷地を駆け回った疲労の後が浮かんでいた。
そんなファイの頭の上で、プルプル震えたピュレが、遠く離れた20層にいるニナの声を届ける。
『お疲れさまでした、ファイさん。そのままゆっくりと、わたくしの部屋まで戻って来てくださいね』
「うん、了解」
『あっ、それと。頑張ってくれたピュレさんに、先ほどのオウフブルのお肉を少し分けてあげてください』
ニナに言われ、ファイは袋に詰め込んだ肉塊の1つをピュレに差し出す。すると、プルプル震えたピュレが肉を包み込み、ゆっくりと消化し始めた。
「(じぃー……)」
『(プルプル♪)』
心なしか嬉しそうに食事をしているように見えるピュレを、興味深く見つめていたファイ。しかし、
(そうだ。戻らないと)
すぐに自身への大切な指示を思い出し、肉の入った袋を肩に、食事中のピュレを手にそれぞれ持って歩き出す。
各階層の様々な場所に行くことができるように、縦横無尽に張り巡らされた連絡通路。総延長はエナリアの“表側”よりも広いかもしれないと語っていたニナの言葉どおり、ファイが歩いている廊下も湾曲しながらどこまでも続いているように見える。
ところどころに扉や梯子があるものの、景色もほとんど変わり映えしない。そんな無機質な廊下を歩くファイの視線は自然と、手のひらの上で食事をしているピュレに向けられていた。
(ゆっくり、溶けてる……)
端から形を失くしていく肉と、プルプル震えるピュレ。たったそれだけなのだが、ファイはピュレの食事風景を飽きることなく見つめる。そんなファイの好奇心に満ちた目に、照れたのだろうか。ピュレが恥ずかしそうに身をよじった気がした。
そうしてピュレを観察しながら歩くこと、数分。下層に続く螺旋階段が見えてきた。
転ぶと危ないため、ファイはピュレを頭の上に乗せて両手を空ける。そして、
(ニナに言われた通り、ゆっくり、ゆっくり……)
1階層分――300m以上――の高低差を行き来する階段を、行きとは違ってはゆっくりと降りていく。
エナの濃度が濃い下層に一気に下ると、身体に大きな負荷がかかるためだ。ファイ自身は大丈夫だとニナに伝えたのだが、念のため、ということで、こうして時間をかけて下層を目指しているのだった。
廊下と変わらず、飾り気のない螺旋階段を静かに降りているファイ。およそ3階層分にあたる1㎞ほど下れば、またしても長い廊下へ出る。そうすればまた廊下を移動して、螺旋階段を探す。そして再び、下る。
そうしてファイが、通路や階段の位置を記憶しながら下ること、12階層分。およそ4㎞の高低差を、1時間半ほどかけて移動した先。長い廊下に降り立ったその時だった。
『そ、そこのアンタ、止まりなさい!』
階段を下りるファイの足音を聞いてやってきたのだろう。1人の人物が、ファイの行く手を阻んだ。
身長はずっと小さく、ファイの肩にも届かないくらいではなかろうか。ファイの目には、ニナよりさらに小さく見える。ピンと張った弦を鳴らすような、高い声。ファイを見つめる深い緑色の瞳は吊り上がっており、彼女の気の強さのようなものを感じさせる。
『こ、ここから先は、行かせないんだから……っ!』
震える手で小刀をこちらに向けて制止を求めてくる女性の服装は、角族の侍女――ルゥが着ていた侍女服と似ている。が、ところどころ装飾の違いが見られることから、個別に服が用意されていることは分かった。
(ルゥが着てたのと、おんなじような服……。ニナの関係者?)
ファイの金色の目は、少女が掲げる小刀――ではなく、彼女の身体的特徴に向けられる。
彼女の頭頂部にある黒い毛並みの三角形の耳。あるいは、少女の背後でピンと立っているのは先端だけが黒毛の細い尻尾だ。また、彼女がガルン語を話したこと。その全てが、彼女がガルン人の獣人族と呼ばれる存在であることを示していた。
『ねぇ、アンタ! 聞いてんの!?』
犬歯だろうか。鋭い牙を覗かせて威嚇してくる少女に、しかし、ファイはピュレを抱えたまま首をかしげるだけだ。少なくとも今のファイに、ニナの関係者と思われるこの女性への敵意は無い。
「えっと……。『こんにちは』?」
ひとまず“誰かに会ったら挨拶ですわ!”と言っていたニナの指示に従って、ぺこりと頭を下げる。その際、頭上に乗っていたピュレは器用に位置を調整して、ファイの頭から落ちないようにしていた。
『ガルン語……!? あ、アンタ、ガルン人なの?』
これまで聞きたことのある単語の羅列から、少女の問いかけの意味を理解したファイ。自分はガルン時ではないと首を振り、覚えたてのガルン語を使って自己紹介をする。
「『私、ファイ。ウルン人』」
『う、ウルン人? だけどガルン語を話してて……どういうこと!?』
ブツブツ言いながら、うんうんと何かを考えるように唸り始めた少女。その時には尻尾も侍女服のスカートの中にしまわれ、小刀も下ろされている。
『で、でもこんな子、見たこと無い。それにウルン人をこっち側で見たら捕まえないと……。でもでも、ちょっとだけニナの匂いもするし……ほんと、どういうことなのよっ!?』
何やら考え込んでいる女性をよそに、ファイは下層を目指す歩みを再開する。ファイに与えられた指示はゆっくりと下層に下りることと、誰かに会ったら挨拶と自己紹介をすることだけだ。それ以上をしてしまうと道具ではなくなってしまうため、ピュレを連れてそそくさとその場を後にする。
『あっ、ちょっと待ちなさい! まだ話は終わってないわっ!』
「……? えっと、歩きながらでも、良い?」
通じるかどうか分からないが廊下の先を指さし、歩みを止めずに言ったファイ。
『歩きながら、って言ってるの? ま、まぁ、それくらいなら……』
女性もファイの言っていることをなんとなく察したらしく、背中にある鞘に小刀を納める。それでも、
『けど、怪しい動きをしたら叩き斬って、ルゥ先輩に美味しく調理してもらってから、そのでっかい魔素供給器官を食べてやるんだからっ!』
ファイを指さしながら語気を強めて何かを言ってきたところを見るに、警戒を解いたわけではなさそうだった。
そうして、新たな連れを得たファイは、ピュレを頭に乗せながら淡々と廊下を歩く。
『……その袋の中、なに? 美味しそう……じゃなくて、血の臭いがプンプンしてるし、実際、袋に血も少し染みてるみたいだけど?』
ファイが背中に担いでいる袋を見ながら、何かを言ってくる少女。その視線と口調から、袋の内容について聞いているのだろうことはファイにも分かる。
「『お肉、名前、オウフブル。ニナ、言った』」
『オウフブルの肉……? それに、確かにニナって言ったわよね。やっぱり関係者なのかしら……。その頭に乗ってるピュレは? 色からして、通信用よね?』
今度はファイの頭上にいるピュレを見ながら聞いてきたため、ファイもピュレについて拙いガルン語で説明する。
「『ニナ、私に、くれた。仕事のため』」
『仕事のためにニナから貰ったのね。ってことは、ニナがこれを通して私たちの会話を聞いているはずなんだけど……』
ピュレを見ながら首をかしげた女性の反応から、言葉の意味を推測していくファイ。
(……あっ。そう言えば、ニナの声がしない?)
もしニナがこの状況を見聞きしていれば、間違いなく反応したはずだ。だというのに、先ほどから一切の反応が無い。試しにファイが何度か呼び掛けてみるも、これまでのように反応が返って来ることもない。その事実に、ふと足を止めたファイ。
「…………」
ニナに、何かあったかもしれない。またしても主人が居なくなるかもしれない。
――何も無い、空っぽな“人間”に戻ってしまう。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、ファイの歩みが一気に加速する。
『あっ、ちょっと!? 待ちなさい!』
そんな女性の声も、頭上に乗っていたピュレも置き去りにしたファイ。魔法も使いながら風のように移動した彼女は、数分後には、“不死のエナリア”第20層に到着していたのだった。