第166話 おかあ、さま……
※最後の方、少しだけ胸糞な(ムカッとする/モヤモヤする)描写があります。苦手な方は注意してください。
ミーシャがもと居た部族の監視を任せていたリーゼの娘――エリュ・ハクバ・ブイリームによる、獣人族たちが動き出したという情報を得てから少し。
アイヘルム王国西方、ダンダレムの森に程近い小高い丘のふもとにて。
「到着、ですわ」
ガルンを移動することで、第13層の入り口までの道のりを短縮したニナ。移動手段になってくれたのは、ちょうど今ニナの背後で巨大な青い翼を畳んだリーゼだ。彼女がニナを抱えて音速に迫る高速で移動してくれたおかげで、先行しているらしい獣人族たちより先回りができたのだった。
前回の話し合いで、密猟者たちへの対処に“迎撃”を選んだニナ。だが、今回は幸いにも敵が監視の届く範囲と期間内で動いてくれたた。その点、少なくともミーシャに関係する密猟者によって、エナリアの住民たちにこれ以上の被害は出さずに対処ができそうだ。
(まぁ、それ以外の密猟者につきましてはこれまで同様、住民の方々の協力も必要なのですが……)
今後とも、住民たちには自衛できるだけの力を身につけて欲しい。エナリアが、それぞれの住民の思う“幸せ”への足掛かりとなっていることを祈りながら、ニナはふっと息を吐く。そんな彼女に、リーゼから声がかかった。
「お嬢様。敵が来るまで、しばし中でお待ちを」
「あ、はい! ありがとうございますわ、リーゼさん」
リーゼにお礼を言いつつ、ニナはすぐ背後にある“不死のエナリア”の第13層へと駆けこむ。
奇跡の子として、魔素がほとんどないガルンでも活動制限を受けてしまうニナ。普通にしていればウルンの時間で1日ほどは持つが、激しい運動――戦闘などを行なえば活動限界までの時間は短くなってしまう。
恐らくこれから部族の獣人族たちと拳を交えることになる手前、可能な限り力を温存しておく必要があった。
敵襲を前に、ニナは自身の服装と装備に問題がないかを確認しておく。
今の彼女は普段の裳姿ではない。股下丈の短い下衣に、半袖の黒い上衣。そこに、身体の急所を覆う申し訳程度の防具。小さな手には前腕の中ほどまでを覆う手甲がはめられている。それらの武具にズレやゆるみが無いことを確認しつつ、次に確認するのは足元だ。
ニナの膂力は獣人族にも匹敵する。そのため、並みの靴で踏ん張ると簡単に破けてしまう。よって、彼女が戦闘時に履くのは外皮が金属で覆われた武骨な靴だ。
可能な限り軽量化されているとはいえ重く、慣れないと靴擦れも起こす。厄介な靴だが、これで無ければニナの踏ん張りには耐えることができなかった。
(そういえば、アミスさんが履いていらした靴……。鎧もそうですが、かなり頑丈そうでしたわね……)
不意を突かれたとはいえ、ニナが反応した時には手遅れだったほどの速度で動いていたアミス。あの瞬間、踏み込みだけで言えば恐らく自分と同等以上の負荷が靴にはかかっていたはずだ。なのにアミスの脚部装甲はきちんと踏み込みに耐えていた。
(やはりウルンでは、防具の開発も進んでいるのですわね……)
戦闘に向けて長い髪を後頭部で1つに結わいながら、ニナは防具事情について思いを馳せる。
実は最近、エナリア主の間でとある噂が広がっている。曰く、ガルンの装具技術がウルンに抜かれているのではないか、というものだ。
身体の構造として、ガルン人に比べるとウルン人は非力だ。ウルン人最強の代名詞である“白髪”のファイですら、単純な力比べではニナやリーゼに敵わない。そのため、非力なウルン人はガルン人に比べると加工できる鉱石素材の幅が狭くなってしまう傾向にあった。
だからこそガルン人たちは、ウルン人たちが加工できない鉱石で作った装具を宝箱に入れて、ウルン人たちをおびき寄せてきた。ウルン人にとって、自分たちでは加工できない装具を手に入れられるというのが魅力だったからだ。
しかし最近、特に実力のある探索者たちが身にまとう防具の質が急激に上がっていると社交場で言われている。
(アミスさんの装具には、見たことのない家紋が刻まれておりましたわ……)
自身の力を誇示することが当たり前のガルンだ。自身の“技術”という力を見せつけるために、職人たちの多くはそれぞれの刻印を刻み、誰が作ったのかを誇示する。ニナやリーゼの力に耐えられるほどの質の高い装具を作る人々は決まっており、ニナが知る限りでは数名しかいない。
にもかかわらず、アミスが身につけていた白い鎧には見たことのない家紋が刻まれていた。恐らく、ウルンで作られた物なのだろうことは、想像に難くない。
(ウルンの装具作成技術がガルンを追いつきつつある。だとするなら、宝箱に入れる物も考えませんと……)
ファイが持ってきた撮影機もそうだが、どうやらウルンではここ最近で一気に技術が進歩しているらしい。
相手の力から身を守るために防具が作られ、その防具を上回るために強い武器が作られる。“戦闘こそが全て”の世界で積み上げられてきたガルンの装具技術に、ウルンが追い付こうとしているのだ。
もし“今”のウルン人の幸せを考えるのなら、ロゥナにはこれまで通りの武器・防具の作成を依頼しているだけでは足りないかもしれない。
たとえば、まだウルン人が作成したものを見たことが無い、特殊な力を持つ鉱石を使った武器だったり。あるいは、ガルン人の能力から生み出された不思議な道具――ルゥの傷薬など――をこれまでよりも多く入れてみたり。
もっとウルン人に魅力的な物を。ウルン人が楽しい、面白いと感じるもの――幸せになれるものを。
ニナが、これからのエナリア経営における道具の進歩について考えていた時だ。時空の断絶の向こう側でエリュがリーゼに合流する姿が見える。
尻尾と同じ、真っ黒な鱗を持つエリュの翼。白い角も、現魔王ゲイルベルと特徴を同じくする。先祖返りか、それともリーゼが繁殖相手に選んだ者の影響か。ニナには判然としないが、ただ1つ。エリュもまた、強者だろうことには変わりないだろう。
遅れて来たエリュを、呆れたように叱りつけているリーゼ。自分に仕えている時とは違う雰囲気を見せるリーゼに心が温かくなる一方で、つい眉尻を下げてしまうニナ。
(お母さま……)
母・ミアがウルン人だったこともあって、ニナが母の愛を感じた機会は少ない。もちろんリーゼが居てくれたことで、寂しさを感じることは無かった。リーゼはエリュに向ける感情と変わらない愛を注いでくれたと、ニナも分かっているつもりだ。
ただ、どうしても。そんなつもりは無くても、目の前にある本当の親子が見せる温かな光景から、ニナは目を背けることができない。
「……っと。いけませんわね」
ここですぐに「戦闘の前に少し神経質になっているのかもしれない」と自省できるところが、ファイがニナの“弱点”と呼ぶニナの強さだろう。ふっくらとした頬をパチンと叩いて、自分に気合を入れる。
「頑張りませんとっ!」
これから敵が来る。もちろんニナも話し合いで解決する努力はするが、向こうにも向こうの事情がある。ましてやリーゼの報告では、ミーシャの部族を治める上位者たちはかなり高慢な性格をしているらしい。9割がた、戦闘になるだろう。
そうなると、もはやニナ達には手加減などできない。必ずこの手を、大量の血で染めることになる。
(またこの手が血に……)
手甲に包まれた自身の手を見つめていたニナはふと、人の気配がした気がして振り返る。そこには誰も居ないのだが、もっと、ずっと先。この通路の先に、誰かが居る気がする。そして、その人物は――。
「ファイ、さん……?」
愛しの少女である気がする。
しかし、彼女には上層での魔道具の実験を依頼している。まさか第13層になど居るはずもない。自身の弱気が感じさせた幻だろうと、ニナは静かに目を閉じる。
「ファイさん……。わたくしね。これからまた、たくさん人を殺しますわ」
ニナ以外に誰も居ない洞窟に、ニナの言葉が静かに響く。
「今回のことを知ったとき、あなたはひょっとするとわたくしに失望なさるかもしれません。それでもわたくしは、ファイさんを夢への足枷にはしたくないのです」
ファイに懺悔するように、ニナは滔々と独り言ちる。
「許せ、とも、受け入れろ、とも言いませんわ。なのでどうか。その曇りなき眼と心で、これからのわたくしの在り方を測っていてくださいませ」
何者にも染まらない白を宿す少女への言葉に、もちろん返事が返って来ることは無い。川のせせらぎだけが耳を打つ中、ニナは目をつむりながら黙って呼吸を整える。
次にニナが目を開いた時、彼女の茶色い瞳の先には群れを成す獣人族たちの姿がある。
ニナがエナリアから出てリーゼ達の前に並ぶと、部族の長と思われる厳つい顔の男がニナの数歩先で足を止めた。
筋骨隆々の身体。もともとの色なのかは不明だが、髪の毛や縞々の尻尾は銀毛をしており、彼が年を重ねた獣人族だということが分かる。
しかし、衰えたという印象を受けることは無い。長い間ガルンという厳しい環境で生き残ってきた者が持つ、生命力の高さをうかがわせる。
ニナもそうした相手には敬意を払いたい――ところだったのだが。
「おい、嬢ちゃん。さっさとそこのエナリアの長を出せ」
人間族であるというだけで自分を侮っているらしい時点で、底も知れるというものだ。
「はじめまして、ですわね。わたくし、このエナリアの管理を任されております。ニナ・ルードナムと申しますわ」
ニナが深々と頭を下げると、目の前の男が呆けたような顔を見せる。だが、すぐに腹に響く声で豪快に笑うと、ニナに顔を寄せてくる。
「おいおい嬢ちゃん、冗談は良くないな。人間族のお前がそこの角族の女より強いって? ……笑わせんじゃねぇ!」
ニナによだれをまき散らして叫ぶ壮齢の男。瞬間、ニナの背後から凄まじい圧が放たれる。もちろんリーゼが放つ闘気だ。その隣ではエリュもまた、まなじりを吊り上げている。
「冗談ではありませんわ。このわたくしがエナリア主で――」
「おい、嬢ちゃん、よく聞け」
言った老人は、背後にいた仲間へと呼びかける。すると彼らは十字に交差させた金属を2つ持ってきた。その金属に磔にされていたのは、2人の獣人族の男女だ。
「コイツら知ってるか?」
「……? いえ……」
男女は相当な暴行を受けたのだろう。顔は無残にも膨れ上がり、生きているのかどうかも分からないくらいになってしまっている。もはや誰なのかもわからない。
ただ、この状況。彼らの目的。そして、ミーシャがエナリアに来た経緯を考えたとき、ニナには1つだけ男女に思い当たる節がある。
「まさか! ミーシャさんの……!」
両親なのではないか。言葉にならないニナの言葉に、男は満足そうに頷く。
「はっ、その通りだ! 分かったらさっさとこいつらの娘とエナリア主を連れてこい。さもないと」
男が手を挙げると、背後にいた獣人族たちがミーシャの両親を容赦なく殴りつけた。




