第162話 ユアが、私に……?
『嫌です~』
例によって通話用のピュレを通じて、顔を合わせずにやり取りを行なったファイ。事態をかいつまんで説明し、擬態用のピュレが必要だと伝えたところにユアから返ってきたのが、先の拒否の言葉だった。
ファイ達が居るのがユアの研究室。ユアが居るのが、奥の広大な実験場だ。
やや暗めの室内照明の下、研究室にある机の上に置かれたピュレに食って掛かったのはミーシャだった。
「なんでよ!? ピュレってさほど繁殖が難しい魔獣じゃないじゃない! アタシ、知ってるんだから!」
自身もエナリア各所に居るピュレの面倒を見る立場にある者として、ユアに苦言を呈する。が、ユアが否定的な態度を崩すことは無い。
『だったらどうぞ、表に居る擬態用ピュレを増やしてあげてください~。それともユアに力づくで従わせます? ま、ヨワヨワ猫さんには無理ですけどね~♪』
「はんっ! いいわ、今すぐにアンタの陰気な顔にひっかき傷を作ってやるんだから!」
部屋の奥にある実験場に向けて、勇み足で歩き出すミーシャ。彼女の細い腕を、ファイはそっと掴む。
「待って、ミーシャ。喧嘩は良くない」
「離してファイ! 今日こそあの舐め腐った根暗犬に一泡吹かせてやるんだから!」
必死になって扉の向こうにいるユアの所へ行こうとするミーシャだが、ファイとしては実験場でミーシャとユアを戦わせたくない。あそこにはユアの影の戦力でもある魔獣たちがたくさん居るからだ。
もし魔獣たちとミーシャが戦えば、戦闘後にミーシャが原型を保っていない可能性だってある。
戦るのなら正々堂々、多目的室あたりで1体1をしてほしい。それなら、ミーシャとユアの実力差はさほどない。傷薬で治る程度の傷で済むだろうというのがファイの予想だった。
「ユア。なんでダメ?」
ひとまずミーシャを押しとどめつつ、ユアに非協力的な態度の理由を尋ねるファイ。彼女が渋る理由が分かれば、何か力になってあげられるかもしれない。もしくは、何か困っているのだろうか。ちょっとした心配――ファイ自身はもちろん否定する――と共に聞いてみると、返ってきたのは実にユアらしいとファイが思える答えだった。
『ユアは労働に対する対価をよーきゅーします』
「たいか……?」
「ファイ。この犬、擬態用ピュレを渡す代わりに何かを寄こせって言ってるの。ほらお買い物の時にお金を払うのと同じよ」
ミーシャによる“対価”という言葉の説明に「なるほど」と頷いたファイ。
「じゃあユア。何を渡せば良い?」
『あっ、聞いてくれますかファイちゃん様!? じゃあユアはこう答えます。魔素供給器官か、そこの新しいウルン人のきれいな翅を置いて行ってください、と♪』
ニナによって、ユアがファイを解剖することは禁じられている。だが、ファイ自身が望んで提出するのであれば問題ない。ユアはそう考えているらしい。
しかし、ファイとしてもユアの提案には困ってしまう。なぜなら――。
「ごめん、ユア。私はニナの物。ニナが良いって言わないと、ダメ」
ファイの身体は、ファイのものではない。全てが全てニナの物だ。たとえファイ自身の身体であっても、ファイの意思で身体の一部を提供することはできない。
『ま、そうですよね。なのでユアの本命は、後の方……。つまりは羽族の人の翅です!』
「あ、それもダメ」
『どうしてですかっ!?』
ファイはフーカが客人であることを伝えつつ、無事に、つまりは怪我無くアミスに送り返す必要があることを伝える。
『むぅ~! だったらユアは絶対に、ぜぇったいに、協力しませんから!』
ファイが提案を蹴ったからだろう。ピュレの向こう側でへそを曲げたユアは、ついには協力しないとまで口にする。
「ユア。どうして協力できない? 何か困ってる?」
『どうしてもこうしてもありません~。いやなものは嫌なんです~。ファイちゃん様なんて、困ってしまえばいいんです』
小ばかにしたようなユアの言動に、ファイは眉尻を下げることしかできない。
これまで何度かユアと言葉を重ね、仲良くなれたつもりでいた。しかし、どうやらそれはファイの勘違いだったらしい。人には人の事情があって、何でもかんでも上手くいくわけもないのだ。
(でも、ユアの協力が無いと撮影機はつけられない……)
設置する位置を工夫すれば、探索者たちから隠せるだろうか。精巧に色を塗れば、獣人族の目すらも誤魔化せるかもしれない。どちらも擬態用のピュレを使うよりは確実性が劣るが、ユアが協力してくれないというのならもはやどうしようもない。
「……そっか。分かっ――」
「待ちなさい、ファイ」
素直にユアの言葉に頷こうとしたファイを遮ったのは、ミーシャだった。
「どうしたの、ミーシャ?」
「アタシ。多分だけどその犬が協力しない理由、分かるかもしれないわ」
「え、そうなの?」
いやなものは嫌だと言っていたユア。てっきり理由など無いと思っていたファイだけに、ミーシャの言葉には思わず目を見開いてしまう。
「ねぇ、アンタ。聞いてるんでしょ?」
『……なんですか? まだ居たんですか、ヨワヨワ猫さん』
「こんの……っ」
ケンカ腰に突っかかってくるユアに、いつものように反撃しようとしたらしいミーシャ。だが、思いとどまって小さく息を吐くと、ユアが協力しない理由についての推測を話し始める。
「アンタ、アレでしょ。この実験の足、引っ張りたいんでしょ?」
『……は? 何言ってるんですか、この頭もヨワヨワの猫さんは。ユアがニナ様の足を引っ張るなんて、そんなわけ――』
「違うわね」
ユアの言葉をぴしゃりと止めたミーシャ。腕を組みながら机の上に置かれたピュレを見下ろすその姿は、向こう側にいるユアを見下すようでもある。
「アンタはニナの足を引っ張りたいんじゃない。ファイの足を引っ張りたいんでしょ?」
「えっ、そうなの、ユア?」
ミーシャが導き出した答えに、今度こそ驚きを言葉としてにじませてしまうファイ。彼女には、ユアに嫌われるようなことをしてしまった覚えがないからだ。
『……ユアがファイちゃん様の足を? そんなわけないじゃないですか。別にユア、ファイちゃん様のこと嫌いじゃないですし』
ユア自身も、ファイのことは嫌いではないときちんと言葉にしてくれる。が、ミーシャは自身の考えが間違っているとは微塵も思っていないらしい。
「いいえ、そんなわけないわ。だってこの子……ファイは、アンタから大事なものを2つも奪ったものね?」
『……っ!?』
ミーシャが核心部分に触れた瞬間、ピュレの向こうでユアが息を飲んだような音が聞こえた。
「その反応。この間……。やっぱり図星ね」
『は、はぁ? 違いますがー? そもそもユアの大事なものって一体なに――』
「1つ目は実験ね」
ユアの言葉を最後まで聞くことなく、ミーシャは人差し指を1本立てて見せる。
「ニナはアンタに上層で使えるピュレの開発を任せていた。だけどファイが魔道具って言う別の解決法を提示したことで、問題が解消されかけている。そうね、ファイ?」
「え、あ、うん……」
急に話を振られてびっくりしつつも、ファイはかろうじて頷きを返す。
「けどミーシャ。それは良いこと。ユアもエナリアのために頑張っているのは私と一緒、だよ?」
「そうね。けれど、これは理屈じゃなくて感情の話」
「心の……?」
どういうことなのか。首をかしげるファイに、ミーシャは硬い表情のまま続ける。
「これまでずっとニナの期待に応えようと頑張ってきたコイツにとって、今回のファイの実験が上手くいくのはとっても困るはずなのよ」
その理由についてもミーシャはきちんと教えてくれる。
まずはこれまでユアの研究のために使われる資金や物資が減る可能性があるからだという。
ファイでも理解できたように、上層の監視はこのエナリアにおいてかなり重要な課題だった。だからこそファイは優先的にこの問題を解決しようと考え、動いた。そして今回、恐らく遠隔からの監視は上手くいくものと思われる。
「そうなると当然、コイツがピュレを開発する必要は無くなるでしょ? その分の資金と物資。あとはニナに強く出るための交渉材料もなくなる。そう考えてるんじゃない?」
つまるところ、ユアの大好きな“実験”の幅が狭まってしまうということらしい。
そんなミーシャの推測には、ユアも舌を巻いているらしい。
『……なるほど。少しは考えられるようですね。素直に見直しました』
素直にミーシャを認めるような言葉を漏らす。それはミーシャの予想が当たっているという証拠でもあった。
「はんっ、でもアンタが協力しない理由はさっきも言ったようにこんな理屈じゃないはずよ」
『ぁ、ぅ……』
「どういうこと、ミーシャ?」
納得できそうな理屈を言っていただけに、ファイは一層、ユアが自分を嫌う理由が気になる。暗にユアと仲直りしたいというファイの無意識の表れでもあるのだが、ともかく。
「ほら、コイツ。陰険だから。性格がひん曲がってるの。……どこかの誰かみたいに、ね」
最後の部分だけはかなり小声で、近くに居たファイですらも聞き取れなかった。
「ミーシャ……?」
「何でもないわ。とにかく、コイツはファイの実験が上手くいくだろうって分かって、ファイに嫉妬したのよ」
「私に、ユアが……?」
そう、と、ファイの言葉に頷いたミーシャは、ユアの心をズバリ解説する。
「自分が時間をかけて取り組んできた研究の最終目標を、ファイがあっさりと解決した。実験と研究しか取り柄のない……自分の領分を脅かされそうになって、コイツは焦ってんのよ。自分の居場所が、ここにいる意味がなくなるんじゃないかってね」
ミーシャが言った瞬間、実験場に続く重厚な鉄扉が開かれる。そして、桃色の髪を揺らすユアが姿を見せた。
「ち、違う……もん!」




