第150話 ニナを、助けないと!
階層主の間へと続く重厚な扉。触れるだけで機構が動き出し、自動で開閉する。反面、エナが再充填されるまで扉が自動で開くことは無く、力でこじ開けるしかなくなる。
来る者拒まず。去る者逃がさず。エナリアを象徴するような仕掛けを持つ巨大扉の前で、顔全体を覆う兜をかぶるアミスがファイを振り返る。
「フーカ、ファイちゃん! 準備は良い?」
緊張をほぐすためだろうか。努めて努めて振る舞うアミスの言葉に、
「は、はい、アミス様ぁ!」
「う、うん……」
フーカとファイも続く。が、ファイ自身がどれだけ否定しようとも、ファイの中には不安が残っている。果たしてルゥは居るのだろうか。もし連絡が届いていなかった場合、恐らく待ち構えているのは「念のために」とニナが配備しているユアお手製の魔獣たちだけだ。ガルン人の姿はないだろう。
それでもファイとしては正直、ルゥ達ガルン人が居ない方が何かとやりやすいのは事実だ。ニナに命令でもされない限りファイはルゥを討伐したくない。ゆえに、ルゥが居ないことを願う、一方で。
ルゥが居れば、事情を説明することができる。
アミス達はガルン語を理解できていない様子だ。ファイが行なうルゥへの説明が理解されることは無いだろう。であれば、ピュレによるアミス達の観察のお願いなども明け透けに話すことができる。
こう考えると、やはりルゥが待ち構えてくれていた方がファイとしては都合が良いだろうか。
「それじゃあ、行くわよ……」
アミスが腕を伸ばして扉に触れると、扉全体に彫刻されていた模様が青白く輝く。同時に重厚な音と振動と共に、ゆっくりと向こう側に扉が開き始める。
「扉が開くわ。注意して」
組合長としての癖だろう。アミスがもはや息をするように、ファイ達に注意を促してくる。
扉の開閉音と振動で、中にいる敵にファイたち探索者の来訪は分かってしまう。射線が通るようになった瞬間から敵が攻撃を仕掛けてくることもあるため、扉を開くときは特に注意が必要なのだ。
琥珀色、金色、赤色。3対6つの瞳が見つめる先、開いていく扉がようやく向こう側――階層主の間の景色を見せるようになる。
天井にある巨大な夜光石に照らされる室内は黄土色だ。部屋の形状は円筒状だろうか。奥行き――円の直径は200mほどで、天井までは50mほど。ファイの知る第20層の多目的室より1回りほど小さい空間だった。
扉が開くにつれて、ゆっくりと見える範囲も広がっていく。
やがて、広い階層主の間に立っている敵の姿が見えた瞬間、アミスとフーカが緊張した様子を見せる。先制攻撃を仕掛けてくるかもしれない。身構えるアミス達とは対照的に、敵は背筋を伸ばして立ったまま動く様子は無い。
また、ファイも身構えない。なぜなら“彼女”が“敵”ではないことを知っているからだ。むしろこの時にファイが抱いたのは、疑いようのない安堵の感情だ。“彼女”がここに居てくれたことで、先ほどまでのファイの悩みも、これからへの不安も、全てが全て、解決してしまったからだ。
ファイが暗く迷いそうになると、いつも光で照らしてくれる。やはり彼女は自分にとってのフォルンなのだと、ファイは何度分からされればいいのだろうか。
茶色く長い髪に切り取られた広いおでこ。その下にある輝きに満ちた丸くて大きな茶色い瞳が一瞬、ファイを見て見開かれる。しかし、すぐに細められた目は、彼女もまたファイを見つけて安心したことを示していた。
庇護欲をそそられるあどけない容姿をしていながら、気付けば彼女に守られてしまう。不思議な主人の名前を、ファイが呼ぶ。
「ニナ」
「ファイさん! お帰りなさいませっ!」
どうしてニナがこんなところに居るのか。ファイには分からないが、ようやく彼女にアミス達を紹介することができそうだ。
ファイが「ふぅ」と小さく息を吐いたのと、
「――〈オスティミリア〉」
「――〈フュール・エステマ〉」
フーカとアミスが魔法を唱えたのが、同時だった。刹那、ファイの視界が遠ざかるアミスの白金の髪と、彼女が蹴り上げたらしい地面の岩の破片をとらえる。
アミスがニナに向けて全力で突進したのだ。しかも、その速度はファイよりも早く、手には装飾も美しい抜き身の剣が握られている。
「「え……?」」
遠く離れたファイとニナの困惑の声が奇しくも重なる。2人が事態を把握できずにいるうちに、事態は収束してしまった。
「……あ、ら?」
呆然とした様子でニナが見下ろしているのは自分の腹部だ。そこには、アミスが握っていた剣が根元まで深々と突き刺さっている。その事実を確認したらしいニナの目は続いて、ファイに向けられる。
――これは、どういう……?
声を伴わず口だけで問いかけるニナの口の端から、ツゥーッと赤い液体が滴り始める。
ファイも、できることならニナの問いに答えてあげたい。だが、ファイ自身も何が起きたのか分かっていない。
(アミスがニナを攻撃して、剣が、ニナのお腹に刺さってて――)
「ごふっ……」
今度こそ、ニナの口から大量の血が飛び出てくる。ニナの顔から一気に血色が失われ、顔には多量の脂汗が光り始めた。
「に、な……? ……ニナ!」
「動かないで、ファイちゃん!」
ニナのもとへ駆け出そうとしたファイを、アミスの声が制止する。彼女が握っているのは、ニナの腹部に刺さっている剣の柄だ。
「……動かないでください、ファイ・タキーシャ・アグネストさん。それ以上動いたら、この剣を抜きます。そうなればこの少女は、10分と持たずに死ぬことでしょう」
ひどく冷たい顔つきと口調で言って、ファイの動きをけん制してくる。まるでファイとは他人だと言いたげなその顔が一層、ファイの身体を凍り付かせる。
「あ、アミス……? なんで……。それ……。ニナ、死んじゃう、よ?」
どうしてそんなことをするのか。声を震わせて尋ねるファイに一瞬だけまなじりをピクリと反応させたアミスだが、表情は変わらなかった。
「だから、そう言っています。もし私の指示に従わないようであれば、この少女を殺します」
「えっと……。フーカ?」
何が起きているのか。アミスは何をしているのか。様々な疑問を込めて、ファイはすぐそばにいるフーカに目を向ける。が、前髪の奥からファイを見返してくるフーカの表情もまた、冷たい。
「ご、ごめんなさい、ファイさん。ですがこれも、あ、あなたのためなんですぅ」
「ふ、フーカ? 答えになってない、よ? なんで、アミスはニナを殺そうとしてる……の? 私のためって、なに? 何が、どう……ううん」
いや、こうして問答をしている場合ではない。ファイの思考が一瞬にして優先順位をはじき出す。
――主人を助けないと。
どれだけ命令という名の鎖でつなぎ留められようとも、ファイの中で最優先事項は主人の命だ。主人の喪失はファイにとって死と同義。主人と自分。2つの生が失われるよりも、この身1つを犠牲にして主人の命を救う方が命1つ分だけお得。両手の計算しかできないファイでも分かる、簡単な数式だ。
その合理的な数式の裏に「ニナを失いたくない」という自身の本心を押し隠して、ファイは全身に魔素を巡らせる。
アミス達はファイの大切な主人に危害を加えた。信じていたのに、裏切られた。この時、自身の中に生まれて初めて芽生えた“怒り”という感情の扱い方を、ファイはまだ知らない。
しかも、ファイの中に少なからずあった「自分がアミス達を連れて来てしまったせいで」というニナへ負い目が、ファイの中に焦りを生んでいた。
(失敗は、ダメ。……敵は、殺さないと!)
混乱。焦り。怒り。この瞬間、ファイの中で恩人だったはずのアミス達が敵に変わってしまう。そして、自身の失敗を取り返そうと、ファイは素早く敵の処理に動く。
彼女が最初に狙ったのは、すぐそばにいるフーカだ。
フーカが唱えた謎の魔法〈オスティミリア〉。それを唱えた瞬間から、アミスの身体を金色の靄が覆っているのだ。
恐らく、身体能力を向上させる魔法なのだろう。そうでなければ白金髪のアミスが、ニナの反応できないような速度で動くことはできないはず。魔法を止めるためにも、とりあえずフーカを無力化する必要がある。戦闘においてはひときわ優秀な回転速度を見せるファイの頭が、瞬時にアミスとフーカ、どちらが厄介なのかを導き出した形だった。
ニナへの奇襲作戦が成功して人質を取ることができたからだろうか。なぜかホッとした顔で油断しきっている。そんなフーカの頭部へ向けて、背後からの蹴りを見舞う。
(ごめん……ね。フーカ)
心の中で詫びをいれながら、足を動かすファイ。
もちろん、ファイはいつも通り手加減したつもりだった。だが、冷静な思考とは裏腹に、怒りという未知の感情を抱えているファイだ。彼女が振り上げた足には、彼女が想定したよりもはるかに強い力が入ってしまっていたらしい。
そして、相手は身体能力だけで言えばウルンでも最底辺をいくフーカだ。
「フーカ、後ろ! 避けて!」
「ふぇ――?」
まさかニナという人質を取られたファイが動くとは夢にも思っていなかったのだろう。フーカの呆けた声が聞こえた瞬間にファイの足に返ってきたのは、骨を砕いて肉を潰す、ファイのまったく予期しなかった感触だ。
物心ついた頃からエナリアに潜り、魔獣・ガルン人問わず魔物と戦ってきた。そんなファイだからこそ、いまの自分の攻撃が有効打だったことをすぐに察する。ましてや相手の頭部を狙った攻撃だ。ほぼ確実に相手を、フーカを、即死させることができた。できてしまった。
「…………。…………。……ぁ」
状況をすぐに理解したファイの喉が鳴る。
そんなはずはない。そう叫ぶ弱い自分――心――と、冷静にありのままを受け止める強い自分――思考――が、ファイの中で交わり合う。
確かにフーカの骨を折ってしまった。だが、側頭部の平たい骨を折った感触ではなかった、気がする。もっと太い、棒状の骨を折った感じだった、ような。
希望的観測を導く感情とは裏腹に、思考はただひたすらにフーカの死を訴えかけてくる。
いずれにしても、事態を確認しなければならない。なにせ、ファイにとって自分は道具なのだ。感情など廃して、まずは事実をありのまま受け止めなければならない。
顔面蒼白のファイが、恐る恐る足をどけてみると、そこには――。
「危ないところ、でしたわぁ……けほっ」
――土気色の顔をしながらも、左手1本でファイの蹴りを受け止めるニナの姿があった。




