第15話 ピュレは、必要不可欠
荒く掘られた通路が、左右に続いている。背後を振り返って見れば、扉は壁と見分けがつかない。
「これもピュレの擬態?」
軽く壁に触れただけでは、ただの硬い壁だ。ただ、少し強く押してみると、グニャリと歪んで、平面な扉の感触が伝わって来る。
(ぷにぷに、ふわふわなのに、しっとり……)
ファイが、これまでの人生で味わったことのない感触を確かめていると、頭巾に隠れている通信用のピュレからニナの声がする。
『擬態用ピュレさんで入り口をごまかし、もし見つかっても開けられない。強引に開けられても、入り口は天井にあって、一見すると何もない。こうして三段構えくらいしないと、ウルンの方々が裏側まで迷い込んでしまうのです』
ニナにそう言われ、「隠し部屋のくせに何もない部屋が結構ある」と黒狼の組員たちがぼやいていたことを思い出すファイ。実際、これまでエナリアを探索する中で用途不明な空き部屋を見つけることもあったが――。
(あの部屋のどれかも、裏側に繋がってた……?)
知らないだけで、案外、エナリアの裏側は近い位置にあったのかもしれない。ニナ達管理者の存在を知る今だからこそ、そう思えるファイだった。
「(ぷにぷに……。ふわふわ……)」
『あ、あの~。ファイさん? そろそろ~……』
「あ、うん」
至高の手触りだったために、思わず壁に擬態しているピュレの感触を楽しんでしまっていたファイ。ニナに指摘されて自身の行動を自覚した彼女は、頭巾を深くかぶり直す。頭の上、進む方向を口頭で指示してくれるニナに、了承の返事を返しつつ、移動の準備を始める。
「〈フュール〉」
風を周囲にまとわせて、空気の流れを調整。また、
「〈フュール・エステマ〉」
その外側に強烈な風の膜を作ることで、内部に居るファイの姿を視認しにくくする。もちろん中から外も見えづらくなるが、白髪であるファイの特別な目は、風の向こうを余裕で見通す。
『これが魔法、なのですね……?』
「そう。こうすれば、この辺りに居る探索者たちの目くらいは誤魔化せる。あと、中の音も漏れにくくなる」
『便利ですわっ!? で、でしたらその隠密用の衣装も音漏れ防止のピュレも、必要なかったかもしれませんわね……』
「そんなこと――」
頭上で苦笑するニナの声に、ファイは「そんなことない」と返そうとする。主人から何かを与えてもらえる。それは、主人が道具である自分に期待を寄せてくれているからだ、というのがファイの認識だ。その点、期待されている証でもある服もピュレも、ファイにとっては大切な宝物だ。
(だから必要ないなんてことは、絶対に無い。……けど)
それはファイがニナから何かを貰ったことを喜んでいる、心があることを伝えることになってしまう。
服をくれてありがとう。ピュレを貸してくれてありがとう。仕事をくれて、ありがとう。溢れそうになるたくさんの感謝の言葉を、道具としての矜持で飲み込んだファイ。
『ファイさん? どうかされましたか?』
「……ううん。それじゃあ行くね、ニナ」
『はいっ! よろしくお願いいたします!』
主人からの了承の言葉を聞いて、移動を開始するのだった。
ファイの足であれば、地面を壊さない程度の軽い踏み込みでも、一足で30mを軽く移動できる。最初に目指す部屋が300mほど離れていたとしても、10秒と少しあれば到着することができた。
そこは、扉のない、小さな空間だ。その中央には口の開いた宝箱がぽつんと置かれている。周囲に人影が無いことを確認しつつ、素早く部屋に潜り込んだファイ。
『罠が無い型の宝箱ですわね。ここには、6番の札が付いている装備品を入れて下さいませ』
「了解」
文字は無理でも、10個しかないガルンの数字であればすぐに覚えることができたファイ。ガルン語で“6”に対応する数字の札が付いている装備を適当に取り出し、宝箱の中に入れる。
(あとは下の方にある出っ張りを押して、それから……)
開ければ閉まらないこと、また、動かせないことで有名なエナリアの宝箱。しかし、特定の手順を踏むことで閉じたり、取り外したりすることができると、ファイはニナから聞いている。そして実際に、言われた通り宝箱に付いている鋲を押していけば、
「――っ!?」
ぱたんと音を立てて、宝箱の口が閉まったのだった。
『お疲れ様です、ファイさん! 次は――』
続くニナの指示を受けて、再び移動を開始するファイ。その道中。
「さっきの話。もし間違えてウルン人が“裏”に入ってきたら、どうする……の?」
ニナ達が居る裏の部分をウルン人に知られるのは“いけないこと”らしいと認識しているファイ。しかし、長い期間存在するエナリアであれば、その禁忌が破られたこともあっただろう。現に、ウルン人であるファイは、エナリアに隠された多くの裏側を知ってしまっている。
万が一にもなかったが、もし自分がニナの誘いを断ってウルンに帰ることになっていた場合、どうなっていたのか。あるいは、自分がウルンに帰される――捨てられる――ときに、どのようになってしまうのか。
好奇心のままに尋ねたファイに、頭上のピュレと繋がっているニナから回答がある。
『それはエルム……エナリアの管理者にもよりますわ。一般的には処理されることが多いと聞きますが、わたくしの場合は、丁寧に記憶の処理をするかと』
ルゥを含めた他の従業員の手を借りて、ウルン人を拘束。ガルン人それぞれが持つ特殊能力を使って、記憶をごまかすことになると言う。ただ、ニナの口ぶりからして、少なくとも“不死のエナリア”ではまだ、裏側が露見するような事態になったことが無いだろうことは予想できた。
と、そうして風の膜のおかげで雑談もしながら宝箱の補充を進めていくファイ。
彼女が今いる“不死のエナリア”第4層は、草原の階層と呼ばれる場所だ。日の光が届かないにもかかわらず、地面は柔らかな芝生で覆われている。草食の魔獣――魔物のうちガルン人以外の生物――も多く、比較的狩りがしやすいため、ガルン人には人気の場所だった。
一方で、ウルン人には不人気の場所でもある。ガルン人に棲みやすい場所ということはガルン人が多いということ。それはウルン人にとって、敵が多いということでもある。また、芝生のおかげで、足音による索敵が難しい場所でもあるのだ。
しかも、ニナの言う人材不足によって、ほとんどが空の宝箱。自然発生したのだろう青色結晶こそ、ところどころで顔を覗かせているものの、探索者が得られる利益が危険に見合っていない。そのため、
(ほとんど、人が居ない)
隅々まで探索しようと思うと数日かかる広さの第4層をしばらく駆け回っていても、ファイが探索者を見かけることは一度も無かった。
その代わりとでも言うようにファイの障害となるのが、魔獣と呼ばれる動物たちだ。草食の魔獣のほとんどは温厚な性格で、下層のように、自分から攻撃をしてくることは少ない。しかし、
『ブルルルゥ……』
中にはこうして、なわばりに入ってきたファイに敵意をむき出しにする者もいる。
それは、ファイがこの層に38個ある宝箱の半分ほどを確認し終え、巨大な空間へと足を踏み入れた時のことだった。
『額に生えた白い1本角に、茶色い体毛……。ガルンさんの魔獣、オウフブルさんですわね。この大きさだと、若いオスでしょうか』
風の膜の向こうに薄っすらと見えているらしい特徴から、魔獣の名前をファイに紹介してくれるニナ。
「……? 魔法使ってるのに、なんでバレてる?」
自分の姿は風の魔法で見えないはず。だというのに、目の前のオウフブルという名の魔獣はしっかりとファイのことを見ている。
魔獣も、ガルンの生き物だ。特殊な能力を持つ個体も多い。オウフブルにもそうした能力があるのかと思って訪ねたファイだったが、
『野生の勘……でしょうか?』
ニナのそんな返答を聞くに、どうやら特殊能力を持っているわけではなさそうだった。
『無視してもよろしいのですが、ちょうど、今晩の食材がなくて困っておりました。なので……』
「狩る?」
『はいっ! やっちゃってくださいませっ!』
ニナからの指示が出たその直後には、ファイはもう拳を溜めている。戦闘を想定していなかったため、ファイの手元には武器が無い。それでも、第4層の敵であれば素手で対処することができると考えてのことだった。
「『…………』」
ファイと、オウフブル。にらみ合うこと、少し。先に動いたのはオウフブルだ。
『ブルルッ!』
「――ふっ」
角を突き出して突進してきたオウフブルに対して、吐息と共にファイが拳を突き出す。
結果、ファイの小さな拳を真正面から受け止めた勇敢なオウフブルの肉体は、風船が割れるような乾いた音を立てて、破裂してしまったのだった。