第146話 わたくしが、参りますわ!
ルゥと一緒に各階層の住民の問診と密猟者に対する方針を伝えていたニナ。
もとより、いま現在このエナリアに居る住民はニナ・ルードナムの在り方に賛同してここに居る。そんな彼らだろうか。それとも、結局は自分が強いからだろうか。半ば危機を放置するようにも聞こえなくないニナの言葉を、住民たちは驚くほど簡単に受け入れてくれた。
おかげでルゥの問診とニナの説明会は順調に進み、いまニナたちが居るのは第11層――“安らぎの階層”だ。
恐竜をはじめ、多くの巨大生物が住む植生豊かな階層でもある。住民の数も多く、計4種族26人がそれぞれ集落を作って暮らしていた。
先日、ニナがファイを“お散歩”の名目で連れて来ようとした場所もこの第11層だ。ただ、あの時は色々あって流れてしまった。ゆえに今回の訪問では散歩業務の一環である、住民たちの困りごとや要望の確認、住民の数に増減についても調べていく。
幸い、住民たちに大きな変化や不満はないらしい。たまに挙がる不満も、ユアがたわむれに生み出して野に放つ魔獣たちが厄介すぎる、くらいのものだ。
住民たちも可能な限り自分に合った環境・階層で暮らしている。その点、生活環境における不満は少ないようだった。
「えぇっと。新しい武器……槍の調達と、衣服が上下4点。以上で大丈夫でしょうか、エーテさん?」
ニナが茶色く丸い瞳を向けた先に居るのは、蜥蜴人族の女性だ。
蜥蜴人族は二足歩行の蜥蜴と言い表すことができるだろう。流線型の頭に、尖った鼻先。口は人の頭なら丸飲みできてしまうほど大きく開くことができる。ただし蜥蜴とは異なり、恒温動物で胎生。生態は人間に近く、だからこそ蜥蜴人族と呼ばれるようになった。
身長は平均して170~180㎝と、男女ともに背が高い。手足は短く、かなり胴長な印象だ。体毛の代わりに表皮はしなやかで強靭な鱗に覆われ、それ自体が強力な鎧にもなる。獣人族と並んで身体能力が高く、並みの武器を通さない鱗も備えているため近接戦闘を得意としていた。
ニナの目の前にいる蜥蜴人族の女性・エーテは、赤い鱗の蜥蜴人族だ。身長はリーゼよりも高く、180㎝に届くかどうか。明るく社交的な性格で、人好きのする人柄をしている。ゆえに第11層の蜥蜴人族のまとめ役を任せている人物なのだが、
「いー、あんしふぃーじーやさ! ゆたしくや~!」
この蜥蜴人族ならではの訛りの強さだけは内心、ニナの悩みの種でもあった。
それでも、異世界の言語であるウルン語をも習得している勉強家のニナだ。蜥蜴人族とのやり取りも数多く経験している。今のエーテの言葉が「うん、大丈夫だよ! よろしくね~!」であることもきちんと理解していた。
「ふふっ、それなら良かったですわ。それでは密猟者の方々の件、よろしくお願いいたしますわね。もし何かありましたら、ピュレさんを使って連絡してくださいませ」
「了解やさ~」
蜥蜴人族への説明を終えて、これで第11層に住む全員に問診と説明を終えたことになる。簡素な掘立小屋を出たニナが辺りを見回すと、
「ほらほら~、捕まえられるものなら捕まえてみろ~」
地上4mほどの地点に浮遊して細い尻尾を揺らす、ルゥが居た。彼女の足元に居るのは蜥蜴人族の子供だ。どうやら問診を終えてニナたち大人の話し合いが終わるまで、子供たちと追いかけっこをして遊んでいたようだった。
「ルゥうねーんちゃん、空とぅぶんなっくぇ、ちむはごーさ~ん!」
「うりてぃくい~!」
「違います~。君たちが飛竜になってわたしの所までくるんです~」
子供たちは不満たらたらの様子でルゥを見上げているが、ルゥに手加減をする様子はない。ガルン人は手を抜いて相手に舐められる面倒さと危険性をよく分かっているからだ。
(ルゥさん……。子供たちが暇をしないように遊んでくださってありがたいのですが、とはいえ、ですわ……)
大人げないという言葉がよく似合うルゥを見るニナの目は、どうしても冷ややかなものにならざるを得ない。
「ルゥさん~。そろそろ次の階層に移動しましょう~」
「あっ、ニナちゃん! お帰り~」
フヨフヨとこちらに飛んで来て、ニナの目の前に降り立ったルゥ。そんな彼女を追って、子供たちも駆けてくる。
「ちちさぁ、ニナうねーんちゃん! ルゥうねーんちゃん、じるするんやさ!」
ルゥと遊んでいた子供の1人が、ニナを見上げて告げ口をする。さらに我もと続くのは、その子供よりも1回りほどガタイの大きな子供だ。
「だからよ! 空とぅでぃ、やなしむちばっかりすんわけ! ……やてぃんやー」
そう言うとニナに口を寄せ、内緒話の体勢を取る蜥蜴人族の男の子。どうしたのかとニナが少ししゃがむと、どこか嬉しそうな声で言う。
「おーるーぬしちゃじぬ見りたくとぅ、かわてぃゆたさんむん」
彼が語った内容は、「ルゥの青い下着が見えたから溜飲を下げる」というものだ。
(まぁ! ふふっ! おませさん、ですわね)
いたずらっぽく笑う蜥蜴人族の子供を、微笑ましく見守るニナ。
例えばこの子供がルゥの裳をめくって下着を見たというのなら、ニナも大人として、たしなめなければならないだろう。
だが、今回はルゥが大人げなく自身の力を存分に使い、空を飛んだことで“見えてしまった”ものだ。いわばルゥが自ら見せた“隙”でもある。その隙を見逃さなかったこの子が勝ち取った戦果であり、ただでは負けないというガルンでは大切な意地の芽生えでもある。
今回は大目に見てあげるべきだとニナは判断した。
「ニナちゃん? その子、なんて?」
「いいえ、なんでもありませんわ! ……わたくし達だけの秘密、ですものね?」
「いー!」
ませた男の子と秘密を共有して、裏を返せばルゥの秘密をこれ以上広げないようにさりげなく男の子を御しながら、笑うニナ。
彼女がエナリアの微かな揺れを感じ取ったのは、まさにその時だった。
「――っ!?」
艶のある茶髪を揺らしながら顔を跳ね上げ、第11層の天井を見つめる。見えないと分かっていても、目を細めて天井の先にある上層へと目を凝らす。
(ここより下ではなく上……?)
今いる11層より下の階層での揺れであれば、強力な魔獣同士の喧嘩だったり、それを成敗しに行くリーゼやムアの戦闘の余波だったりで揺れることも珍しくない。
だが上層でエナリアを震わせるような力を持つ存在を、ニナはまだ認知していない。
(ユアさんの実験の失敗であれば良いのですが……)
強力な魔獣が生まれたのか。それとも、早くも密猟者たちが来てしまっていて上層で暴れているのか。可能性は低いが、強力なウルン人――探索者たちが攻略に来た場合もある。
いずれにしても、緊急事態である可能性が高い。
「――ルゥさん」
「分かった。ひとまず裏に戻ろっか。……君たちも。お父さん達の言うこと、聞くときは聞くんだよ?」
「「いー」」
呼びかけだけで以心伝心することができる関係性に感謝しながら、ニナはルゥと連れ立ってエナリアの裏側へと引き返した。
それから少し。ニナとルゥ。また、同じく異変を察知したらしいリーゼが、執務室で向かい合う。皆一様に表情は硬い。その理由は、執務机の上に置いてあるファイからの物と思われる伝言を記した紙切れにあった。
覚えたての拙いガルン語で書かれていたのは、
『今からアミス達とこのエナリアを攻略する。準備しておけ』
という内容だ。色々あってチューリからミーシャへ、ミーシャからルゥへ。そしてニナへと、手紙は無事に届いていた。
「いったい何がどうなって、ウルンへのお使いがわたくしのエナリアの攻略になるのでしょうか……?」
「あはは……。もう、ね。ほんと、いろいろ運んでくるよね、あの子……」
ニナの呟きと呆れ混じりのルゥの言葉に、手を挙げて発言の許可を求めたのはリーゼだ。
「手紙には、先日当エナリアにいらっしゃったウルン人……『アミス』様の名前がございます。光輪の頭目でもある彼女にファイ様がそそのかされている、と考えるのが妥当ではないでしょうか?」
アミスは探索者であり、このエナリアを攻略しに来ようとしていたのも記憶に新しい。そして、エナリアを攻略するうえで、ファイという力は大きな助けとなる。
「ファイ様は賢いお方です。が、やはりまだまだ世間知らず。また、生い立ちゆえの本人の気質なのでしょうが、人の悪意というものを感じ取れない気質でもあられます」
ゆえに体よくアミスに利用されているのではないか。現状から考えられる事態を、あくまでも感情を排して推測してくれるリーゼ。
「なるほど……。ですが、このお手紙はなぜ? わたくし達を敵だと思っていらっしゃるのであれば、砂糖を送るようなことをなさるでしょうか?」
ガルンではかつて、敵を挑発する際に砂糖を送る風習があった。今からお前を殺す。最期に美味しいものでも食っとけ、という煽りだ。そんな歴史を引き合いに出すニナの言葉に、リーゼは少し考えて口を開く。
「義理ではないでしょうか」
「義理、ですか?」
「はい。ファイ様は、あの黒狼にすら恩義を感じ、義理を通そうとしていらっしゃいました。なので、私どもへの最後の義理として忠告してくださっているのでは?」
リーゼのそんな推測は、ニナの知るファイの人柄とも一致するものだ。
少なくともファイが酔狂でこのエナリアを攻略、つまりは破壊しようとしているわけではないだろう。何かしら事情があって、やむを得ず、攻略するに至っている。
(そして、ファイさんがそう考えた理由がアミスさんというウルン人の方である可能性が高い。で、あるならば……)
椅子からゆっくりと立ち上ったニナは、「どうしたの?」とこちらを見てくるルゥとリーゼに向けて言った。
「わたくしが自らの目で、足で。ファイさんの真意を確かめにまいりますわ!」




