第145話 お手とお座り、ですわ!
ファイがアミスとフーカを連れてエナリアに戻ってくる、少し前のこと。
ニナは多目的室を使って、ムアとじゃれ合っていた。
「わふ♪」
「ほいやっ!?」
手足だけを獣化させるユアが突き出したこぶしを、ニナが真正面から手のひらで受け止める。その瞬間に発生した衝撃波が、ガルンでも有数の硬度を誇る強頑石でできた壁や床に軽くひびを入れた。
手から足、足から手。さらにはふさふさの黒と白の尻尾でニナの目をくらませたかと思うと地面に手を突き、腹部と頭部を狙った両足の蹴り。次から次へと繰り出されるユアの攻撃に、ニナも懸命に対処していく。
獣人族は高い身体能力を生かした近接戦闘を得意としている。ましてやムアは3回の進化を経ており、他の獣人族とは異なる特殊能力を持っている。
その1つこそが半獣化だ。
通常、ガルンの獣人族は完全に獣化するか人の姿になるかの2つしかない。また、獣化した際の姿は遺伝の影響を強く受け、獣化した姿が小型の生物の時もある。
人と動物では身体の動かし方も、世界の感じ方も違う。人によっては獣化しない方が強かったりするのだ。
そんな中、ムアは双方の“いいとこどり”をしている。全身を獣の姿とせずとも獣化する部位を自由に選択し、獣化した時と同等の五感を得られるという。
しかも、ある程度であれば手足の大きさを調整できるようなのだ。そうでなければ、人の頭よりも大きいモフモフの手足を手に入れることなど出来ない。
そんなムアの特異な進化の裏にはやはり、姉のユアが絡んでいるのだろう。妹が何をどれくらい食べれば進化できるのか。強くなることができるのか。ムアの無意識に潜む進化の種を、ユア自身の特殊能力で読み取ってきのだろう。
だからこそ、ムアはこの見た目で3段階も進化をすることができていると考えて良かった。
(ですが、特別なのはわたくしも同じ、ですわ!)
世界を越えた愛の末に生まれた奇跡の子として、ニナは目の前にいるムアという特異と戦う。人間族の身でありながら、ガルンでも屈指の身体能力を持つ獣人族と互角に渡り合う。
(ムアさんは良くも悪くも力関係に素直ですわ。わたくしが負けるようなことがあっては、エナリアの運営に差し障りがあるかもしれませんもの!)
伸びてきたムアの右腕を屈んで避けながら、掴んだニナ。ムアの腕を軸として回転し、地面と平行になったところで蹴りをムアの顔面に叩き込む。しかし、直前でムアが左手を掲げてニナの蹴りを防いだ。おかげで、ニナの渾身の蹴りはムアの左手のひらにある柔らかな肉球で受け止められてしまった。
ニナの蹴りの反動によるすさまじい衝撃波がニナとムアの髪を揺らし、刹那の空白の時間を生み出す。
(ですがムアさん、わたくし知っておりますわ! あなたのその可愛らしい手では、足を掴むことはできません!)
攻撃範囲と頑丈さを手に入れられる反面、獣化したムアの手は器用さを失うことを知っているニナ。トンッとムアの左手のひらを蹴って、ムアの右腕を軸として先ほどとは逆回転。ムアの横っ面に、横方向の踵落としを見舞う。
が、
「よゆーだし♪」
勿論それもムアの左手によって防がれた。
再び発生する乾いた音と、衝撃波。ニナとムア。両者の間で汗と笑顔が交錯する。
さすがにこれ以上の追撃は体勢が悪くなりすぎると、ニナはムアの左手を蹴って距離を取りながら着地。地面に転がる大小の石礫を蹴って、目くらまし兼飛び道具として利用する。その隙に膝を溜めておき、最後に、手に隠し持っていた2つの石礫をムアに向けて投げながら、全力の飛び蹴りをムアへと繰り出す。
屈んだ状態で投げた石礫だ。威力も速度も十分ではない。
(ですが、これで良いのですわ!)
ニナに蹴られた地面は深く陥没し、その穴から飛び蹴りの姿勢で飛び出すニナは常人の目には捉えられない速度だ。ファイですらどうにか見切るのがやっとの速度だろう。しかし、ムアは簡単にニナの動きを見切る。
いや。彼女はニナの視線や微かな筋肉の動きを瞬時に見分け、次の動きを予測しているのだ。さらには発汗に含まれる成分すらも嗅ぎ分け、対戦相手の焦りや緊張、時には思考さえも見通してしまう。
獣人族であればだれもが行なうことのできる、ある種の戦闘技術だ。だがムアのように3段階以上も進化をしている場合、もはや未来予知に等しい領域に至る。
そうしてニナの全力の蹴りを予想していたらしいムア。動作としてとらえることすら難しいはずのニナの蹴りの射線上から、一歩横に逸れる。そのまま空中に居て態勢を変えられないニナを目がけて渾身の手刀を振り下ろしてくる余裕すら見せた。
――ムアの、勝ち♪
そう言いたげに笑って、手を振り下ろしてくるムア。そんな彼女の横顔に、
「ちょいやっ」
「きゃぃん!?」
ニナの蹴りが突き刺さる。
突進の際、ニナがあえて手加減して投げた石礫たち。その石礫を踏んで地面と接触させ、空中で微かだが確実にニナは蹴りの射線をずらしたのだ。そうしてどうにかこうにかムアの予測を超えることができたために、どうにかニナは蹴りを入れることができたのだった。
「くぅん……」
遠く。壁に激突して目を回しているムア。常であればもう少し長引くじゃれ合いなのだが、今回は当たり所が良かったのだろう。ムアの頭を揺さぶって気絶させることができたようだった。
戦闘終了を確信して、ゆっくりと立ち上がるニナ。広いおでこを伝う汗をぬぐいながら、戦闘狂ムアの弱点について考察する。
(ムアさんはよく“視える”ぶん、「予想外」に弱いのですわよね……)
もはや未来予知と言っても差し支えない戦闘感覚を持つ獣人族たち。特にムアは物心ついた時から魔獣たちと命を懸けたやり取りをしてきたからだろう。戦闘への嗅覚はニナの目からしてもずば抜けている。
ただ、ムアが戦ってきたのはほとんどが魔獣たちだ。基本的に知能が低く、駆け引きなどというものを用いない。力こそ全ての素直な勝負となることが多いのだ。
だからだろうか。ニナの目から見ると、ムアは戦闘の駆け引きが得意ではないように見える。
(ま、まぁ。ムアさん自身が素直というところもあるのですが……)
とにかく、ムアは戦闘中に“考えない”。全てを勘で補っている。ゆえに身体能力でわずかに劣るニナでも、ムアに勝つことができていた。
なお、このムアの弱点について、ニナはきちんと本人に伝えている。伝えているのだが、「だってムア、難しー話、分かんない」と取り合ってくれない。
獣人族は高い身体能力を有する一方で、知能指数がその他の種族よりも少し低いとも言われている。力こそ全て。難しい話は苦手。身体を動かすことが大好き。ムアはそんな獣人族の、もっとも典型的な例なのかもしれなかった。
そうして、ムアとのじゃれ合いを無事に勝利で飾ったニナ。約束通りムアにはエナリアのガルン側の出入り口付近の巡回を強化してもらうことになった。
言動に難があるムアだが、基本的に強者からの命令には従順だ。彼女自身がうっかり忘れでもしない限り、約束はきちんと果たされることだろう。
(まぁまぁの確率で忘れてしまわれるのが玉に瑕であり、ムアさんの可愛らしさでもあるのですが!)
執務室から続く自室に戻って着替えをするニナ。肌着姿で服を選び始める頃には、彼女の頭の中はもう既に、ファイのことで一杯だ。
果たして今回はどんなお土産を持って帰って来てくれるだろうか。今もなおファイが自分のことを考えて一生懸命ウルンでお買い物をしていると思うと、ついニナの頬も緩んでしまう。
「ふんふんふ~ん♪ ファイさんは~、いつお帰りになるかしら、ですわぁ~♪」
姿見の前で踊るように自身と服を重ね、どんな姿でファイを迎えるかを思案する。
「こっち? それともこっち? はぅ~、悩みます、わ……」
と、この時になってようやくニナは、姿見の中にもう1人、人が映っていることに気付く。自身のすぐ背後。ぼぅっと無表情で立っていた彼女の姿にゆっくりと目を見開いたニナは――。
「ルゥさん!?」
飛び上がりながら背後に立っていた角族の少女の名前を呼んだ。と、その時になってようやく、ルゥが笑顔を見せてくれる。
「どうしたの、ニナちゃん? お着替え、続けないの?」
「お着替えですわ!? い、いえ、そんなこよりもいつお戻りに!? というよりもいつからそこに!?」
「戻ってきたのついさっき。いつからって言うと、ニナちゃんが自作の歌を歌い始めたあたりから」
「はぅっ!? お、お恥ずかしい限りですわぁ……」
顔が赤くなるのを自覚しながら、服選びを再開するニナ。
「ルゥさん。もう休憩はよろしいのですか?」
「うん。そろそろ問診に行かないと。前に言った時から結構空いてるしね~」
“不死のエナリア”における医療福祉を担うルゥの主な仕事は、各階層を回っての健康診断だ。ついでに、ガルンに服を買いに行けない人々に服を用意してあげたり、現場での意見を吸い上げたりする役割も担っている。
「そうでしたか……っと。ふぅ。お着替え完了ですわ。その問診ですが、わたくしがついて行ってもよろしいでしょうか?」
襟から顔を出して髪を出すニナが、ルゥに同道することを提案する。ニナが選んだのはファイを迎えるための装飾が多い裏側用の服――ではない。機能性を重視した、エナリアの表に出るための服だ。
「もちろん! でも良いの……って、そっか。密猟者のお話、しないとなんだっけ?」
「はい。ピュレさんでお伝えするのも1つの手ではあるのですが、やはり大切なことは面と向かってお話したいですわ」
最後に靴も外出用の物に履き替えれば、準備は完了だ。
「密猟者が来る確率が高い13層からで良い?」
「はい! そこから、密猟者の方々に襲われた場合に危険となる上層の住民の皆さんのもとへ順に、参りましょうか」
「うん、りょーかい~」
こうして問診に向かったニナとルゥ。彼女たちが訪れた先で、ファイが起こしたエナリアの“揺れ”に気付くまで、もう少し――。




