第131話 ゲイルベル様、ですわ!
※文字数が約4200字と普段より少し多めになっています。読了目安は8~10分です。
時間は少し遡り、寝起きのファイがニナの執務室へと向かっていた頃。ニナは、“不死のエナリア”から全力で走って10分ほどの所にあるアイヘルム王国の王都へとやって来ていた。
年中――という概念すらガルンでは曖昧だが――真っ暗な闇に閉ざされているガルン。ガルン人であれば例外なく少しは夜目が利くが、それでも、やはり生活するうえで光は欠かせない。そのため、大気中のエナを吸収して発光する夜光石や、自ら発光する生物などを使役して生活している。
一方で、暗闇では微かな光ですらよく目立つ。自分以外は“敵”と教えられるガルンにおいて、光は敵に所在を知らせてしまう弱点にもなってしまうのだ。
結果、人々は信頼できる人々と手を取って集団を作り、村を作る。さらに規模が大きくなれば、村は町へ、国へと成長していく。そうして人々の営みの光が集まった先に生まれるのが、光り輝く幻想的な町並みだ。
建物から漏れる明かりや街灯は橙色に近い暖色系で、暗闇を温かく照らし出す。さらにニナが空を見上げれば宙に浮かんでいるのは大量の提灯だ。敵は空からもやってくる。いち早く接近を知るためには、空の警戒も欠かせないようだった。
(ふふっ! いつかファイさんにもこの王都の美しい景色を見せたいですわぁ……)
瞳をキラキラと輝かせながら街を眺めるファイの姿がありありと想像できて、ニナも思わず笑みをこぼしてしまう。
「……っとと。こうしている場合ではありませんでしたわ!」
ニナは半分ウルン人の血が流れているせいか、魔素がほとんど無いガルンでの行動にも制限がある。彼女が「しばらく」と表現するその時間は、ウルンに換算するとおよそ1日。それ以上の時間ガルンに居た場合、徐々に頭痛と吐き気がひどくなり、2日目には死に至る。まさにエナ中毒の症状そのままだ。
ただ、ニナとしては生まれてからずっと親しんでいる体質でもある。不便は感じるが、不満はない。両親から貰った、大切な身体の特性の1つとして前向きにとらえていた。
行き交う人々の隙間を縫ってニナが目指すのは王城だ。町の中心にそびえ立つ巨大な黒色の城。その城に、ニナを呼び出した張本人である魔王ゲイルベルが待っている。上司を待たせないという意味でも急ぎたいところなのだが、
「はぅ、あぅ、ひゃわぁ……」
ニナの小さく軽い身体は簡単に人の波に飲まれてしまう。というのも、王都はすさまじい人口密度を誇るからだ。
ガルンにおける国は、ほぼ例外なく王国であり絶対王政を敷いている。圧倒的な強者「王」と、その他大勢の弱者の集まり。その在り方でしか、国が成立しないのだ。
王は自身の生活を成り立たせるために弱者を使役する。その代わりに、弱者は王に守ってもらえる。
もちろん王が弱者を切り捨てることも珍しくはないが、弱者たちの反感を買う恐れもある。いくら強大な力を持っていても、数百万の敵を滅ぼすことはできない。数という抑止力を持って、弱者は王に自身の身の安全保障を約束してもらうのだ。
守り、守られる。それこそが力が全てのガルンにおける国の在り方だ。
その理屈がある以上、当然、人々は王の近くに居ようとする。有事の際、王が近くに居なければ「だって駆けつけられなかったんだもん」の言い訳が通ってしまうからだ。
よって国民は王が居る王都に流れ込んでくる。当然、どの国も王都は人口密度がすごいことになってしまう傾向にあった。
歩くだけで人と肩が触れる。そんな王都の人の多さに四苦八苦しながら、それでも前へ進み続けるニナ。本当は裏道を使ったり、屋根伝いに移動したりしたい。
だが、裏道を通れば、ニナの幼い見た目と人間族であるということから厄介事が歩いてやってくる。屋根伝いに移動しようにも、足の力加減に自信のないニナは建物を破壊してしまう可能性がある。そのため、こうして人垣を割っていくしかないのだ。
しかもニナにとっては厄介なことに、周りにいる人々は弱いのだ。ニナが誤って力を込めようものなら、簡単に大怪我を負ってしまう。細心の注意を払いながら人をかき分けなければならない。
「ですが、これも手加減の訓練、ですわ! ふん~……、通してくださいませぇ~……!」
こうしてニナは、走れば1分ほどの道のりを数時間かけて移動する羽目になるのだった。
「ぜぇー、はぁー、ぜぇー……はぁ~……」
神経と体力をすり減らしたニナが王城についたのは、ちょうどファイがロゥナたち職人に挨拶を済ませていた頃だった。
「た、ただいま参りましたわ、ゲイルベル様……」
「やぁ、ニナ。よく来てくれたね。言ってくれれば使いくらい出したのに」
ゲイルベルが言った“使い”とは、空を飛べる種族の人々のことだ。王国では敵と区別するために原則飛行禁止となっている。そのせいで地上に人が溢れかえっていたりするのだが、ともかく。空を飛んで運んでくれる人が居れば、ニナも余計な体力を使わなくて済んだというものだ。
「そ、それを、早く言って欲しかったですわぁ……。ふぅ~……」
大きく深呼吸して呼吸を整えたニナは、その場で片膝をついて首を垂れた。
「改めまして、魔王ゲイルベル様。ニナ・ルードナム。参上の命に応じ、馳せ参じましたわ」
たとえどれだけ親しくとも、礼節は大切だ。ガルンにおいて自分よりも強い者に舐めた態度を取ることは、そのまま死に直結する。たとえ相手が許してくれていたとしても、まずは最低限の敬意を表す必要があった。
「うん、久しぶりだね、ニナ。君の可愛い顔を見せてくれるかい?」
ゲイルベルに言われ、ゆっくりと顔をあげるニナ。数段高い場所にある玉座。そこに座って肘を付いている女性こそ、ニナの上司でありアイヘルムに住まう数億のガルン人の頂点。第5代ゲイルベル・アイヘルムだ。
肩より少し長いくらいの髪の色は黒。愛おしげにニナを見下ろす瞳の色も黒。着ている服も黒っぽいこともあって、全体的に黒っぽい印象を受ける。だからこそ、頭の頭頂部付近から後方に伸びる2本の白い角が美しく映えていた。
「我の顔を見つめて……。どうかしたかい?」
「はわっ!? な、なんでもありませんわぁ! きょ、今日もゲイルベル様はおキレイですわ、と」
「ふふっ、そうかい? ありがとう」
落ち着いた声色で言ったゲイルベルが、優雅に椅子から立ち上がる。その際、背中側で揺れたのは黒く艶やかな鱗に覆われた立派な尻尾だ。身長も高く、180㎝ほどと思われた。
「それでえっと。今回もエナリアのことで君を呼んだという記憶で合っているかな?」
そうニナに尋ねながら、階段を下りてくる。
「そ、その通りですわ! 今しがた作ってまいりました資料を――」
資料を取り出そうと肩掛け鞄を漁っていたニナだったが、
「ニナ」
すぐそばで聞こえたゲイルベルの声に振り返る。と、チュッと。ニナの広いおでこに柔らかな感触と湿った音が響いた。
「紙じゃなくて君の口から、君の声で。我は聞きたいな?」
「は、はわわぁ……」
おでこを押さえて顔を赤くするニナに、またしてもゲイルベルがクスリと笑みをこぼす。
「それと。毎回言っているけれど、我のことはファヴちゃんと。そう呼んでくれても構わないよ? 我は君の曾祖母のようなものなのだからね」
自身のことを指し示しながら、少し悪戯っぽく微笑むゲイルベル。ゆっくりとした話し方。抑揚に乏しい落ち着いた声色。メリハリのある体つき。それら大人の魅力を存分に発揮するゲイルベルだが、時折こうして幼く見えるのだから不思議だ。
「あぅ……。ゲイルベル様を本名でお呼びするなんて、畏れ多いですわぁ~……」
「……そうかい? まぁ、いつでも呼んでくれていいからね」
どこまで本気で言っているのか分からないから、ニナとしても困る。ついでにファヴとはニナの前に居る第5代ゲイルベルの本名――ファヴリル――の愛称だ。近親者でしか呼ぶことの許されない、貴き名前でもあった。
額への接吻と軽い雑談という挨拶を終えて満足したらしいゲイルベル。玉座に戻ると、本題であるエナリアの経営についてニナに語らせる。もちろんニナが懸命に作り上げた資料も彼女の手元にあるのだが、あくまでも彼女の黒い瞳はニナに向けられ続けた。
そんな中でニナが報告したのは、3つの要点だ。それぞれ「職人(他国からの亡命者/ロゥナ達のこと)について」、「エナリアの収支報告」、最後に実験的に行なわれている「ウルン人との共同生活について」。
特にゲイルベルが興味を示したのは、やはりウルン人――ファイとの共同生活についてだ。
「どうだい? 他の従業員の子や住民の子たちも上手くやれているのかな?」
「はい! ゲイルベル様もぜひ、お会いになってみてくださいませ!」
「ふふ。それも良いかもしれないね。我も一度、ウルン人とは話してみたいと思っていたんだ」
ゲイルベルから返って来た好感触に、ニナも思わず表情を明るくする。
「はい、ぜひ! ファイさんってば、もうガルン語もペラペラなのですわ! きっとゲイルベル様もほとんど支障なく交流を図っていただけるかと思いますわ!」
声を弾ませるニナに、「おや」と意外そうな顔を見せるゲイルベル。
「ニナのそんな笑顔、久しぶりに見た。まるでハクバ達と居た頃みたいだ」
「……? そうでしょうか……? 確かに最近は、色々と忙しかったですが……はて……」
自身の顔を触りながら首をかしげるニナに、手を口に当てて上品に微笑むゲイルベル。
「我が孫もニナが疲れているようだと心配していたんだけど、そうか……。ニナを笑顔にしたのはあの子じゃなくて、ウルン人の子だったか」
そう言って遠い目をする上司に、ニナは失礼を承知で「否」という。
「そんなことありませんわ、ゲイルベル様! リーゼさんには、いつもお世話になっておりますし、これからもお世話していただくつもりです!」
堂々と情けないことを言うニナに、一瞬だけキョトンとしたゲイルベル。だが、玉座の上で小さく笑みをこぼすと、
「うん。やっぱり、ニナはニナだね。……強い子だ」
ひ孫との会話を楽しむ老人のごとく、ひどく優しい目をニナに向けてくる。
「ただ、このまま赤字経営が続いてしまうと君の所にまた面倒ごとがあるかもしれない。まだ人間族のキミのことを認めない者も多くてね。だから、老婆心ながら1つ手を打たせてもらったよ」
「……ふぇ? そ、それはいったい……?」
ニナの問いかけに、ひじ掛けに肘をついたゲイルベルはいたずらっ子のように笑うだけだった。




