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第13話 お金が、無いみたい

「ん……う……?」


 ファイが目を覚ましたその場所は、ファイが初めてニナに会った場所と同じ造りをしていた。同じ部屋かどうかは分からないが、寝台や椅子、サイドテーブルの位置は、ファイの記憶にあるものと変わらない。


(また、ここ……)


 ゆっくりと身を起こして“待て”の姿勢を取ろうとしたファイの胸元からふと、1枚の紙きれがこぼれ落ちた。そこにはウルン語で、


『起きたらここまで来てくださいませ! 絶対ですわ! ニナより』


 そんなことが書いてある。ただ、ニナにとって想定外だっただろうことは、ファイが文字を読めないということだろう。ファイは文字を習っていない。黒狼から与えられた指示も知識も、全てが口頭によるものだ。そして、ファイには口頭での指示全てを暗記しようとする意欲と、暗記できてしまう素質があった。


 そのため、これまで読み書きを必要としない生活を送ってきたのだった。


「…………」


 文字と思われるものと、その下にある様々な点や線で構成された模様――手書きの地図――が書かれている紙片を見つめたまま固まるファイ。


(多分、ニナかルゥからの指示。だけど……)


 矢印が書かれていることから、これが何らかの指示書であることは分かる。しかし、その矢印や模様が何を示しているのかが、ファイには分からない。彼女の中には、地図という概念も存在していなかった。


 と、そうしてファイが書置きという名の暗号と格闘していた時だ。鋭敏な彼女の聴覚が、扉の前を通り過ぎて行く、かすかな足音を拾う。


 ――主人であるニナにとって、最良の道具であるために。


 ファイの行動は、早かった。


 着の身着のまま素早く寝台から抜け出し、扉を開ける。そこは、夜光灯(やこうとう)――夜光石を加工して光量を上げた照明――が照らす人工的な廊下だ。首を左右に振って、目的の人影を見つける。


 どうやら大量の書類を運んでいるらしい。右へ、左へ。身体と一緒に長く艶やかな茶色い髪を揺らして歩く小柄な少女に声をかけようとして――、


「ニナ……?」

「あら? その声は……ファイさんですか?」


 運んでいた書類の山から顔を出したニナと、ウルンの時間にして約2日ぶりの再会を果たすのだった。




 場所を移して、食事場所。


「ニナ。私にできること、無い?」


 ファイが机を挟んで正面に座るニナに尋ねたのは、出された料理をきれいに食べ終わった直後だった。なお、今回は、ファイの顔も手も汚れていない。ニナが(スプーン)肉叉(フォーク)小刀(ナイフ)。3種類の洋食器の使い方を、それぞれファイに教えたのだ。


 ファイとしてはまだ慣れないものの、これもニナからの大切な指示だ。時間をかけてゆっくりと、身体を汚すことなく食事を終えたのだった。


 そして、一足先に食事を済ませて紅茶を飲んでいたニナに目を向けたところ、ほんのわずかに目元に浮かぶ疲れを見て取った。


 自分がのんきに眠っている間に、主人であるニナが苦労してしいた。その事実に奥歯をきゅっと噛みしめたファイは、名誉挽回の機会を求めて、ニナに先の問いかけをしたのだった。


「ファイさんにしていただきたいこと、ですか?」


 ファイの言葉を受けて、紅茶を飲む手を止めたニナ。そして、先日よりも幾分か下手な作り笑いを浮かべて、


「……ファイさんは、わたくしの側に居ていただくだけで結構ですわ!」


 そんなことを言ってくる。


 もちろん、側に居ろというニナからの命令に、ファイが反抗するつもりはない。しかし、ニナからは思ったことを素直に言葉にすることも言いつけられている。


「ニナ、疲れてる?」


 ほんのわずかな疲れの色を見せるニナを見て尋ねたファイと、ニナの茶色い目がしばしの間、交錯する。


「……ふふっ、気付かれてしまいましたか」


 やがて根負けしたのは、ニナの方だった。


「えぇと、ですね。ファイさんにお友達になってもらった際に――」

「待って、ニナ。私は従業員。私は道具。そこは譲れない」

「――もうっ! そうでしたわねっ! ……コホン。ファイさんに従業員になってもらった時に申し上げました通り、現在、わたくしのエナリアは経営難……。沈みゆく泥船なのです」


 記憶を掘り返して、確かにそんなことを言っていたことを思い出すファイ。


「うん、確かに言ってた。お金が無いの?」


 明け透けな物言いをするファイに苦笑しつつ、ニナは「ええ」と頷きを返す。


「もっと申し上げるのであれば、お金も、資材も、人材もありません」

「……つまり、何もない?」

「はうっ……!? そ、その通りですわ……」


 胸を押さえて、苦しそうにニナが言う。


「本来、この規模のエナリアを運営するには、最低でも30人ほど管理職の人材が必要だと言われているのですが……」

「かんりしょく……? 30人?」

「はい。ガルン人にとってお給料にもなる魔獣を飼育したり、食べ物となる作物を育てたり。他にも自然豊かなエナリアの中で特産品を作って他の領地やエナリアと交易をしたり、他にも……」


 指折り例を挙げていくニナの言葉を、ファイは半分ほどしか理解できない。初めて見聞きする単語も多く、具体的な像が頭の中に浮かばないのだ。それでも、30人という具体的な数を聞いただけで分かることもある。


「実際このエナリアに居るかんりしょく? は、何人?」

「……めい……ですわ!」

「ごめん、ニナ。聞こえなかった。何人?」

「管理者たるわたくしを除くと、ろ、6名……ですわっ!」


 胸を張って答えたニナだったが、気のせいか、その目には薄っすらと涙が光っているように見える。


「30に対して6。だから……1、2、3……とりあえず、足りない?」

「ええっ、全く! これっぽっちも、足りませんわ!」


 算数を知らないファイでも、足りないと言うことだけは分かった。


 そして、このやり取りを経たことで、ファイにとっては嬉しい変化があった。主人であるニナが、開き直ってくれたのだ。


「なので、申し訳ないのですが、ファイさんには山のように仕事をお頼みすることになってしまうかもしれません……」

「しごと? ……仕事!」


 それはつまり、指示ではないか。役に立つ絶好機ではないのか。金色の瞳を輝かせたファイの語気が、わずかに色を帯びる。


「ニナ、私はなにをすれば良い?」


 感情が声や顔に出ないよう精いっぱい注意しながら、自身への指示を乞うファイ。そんな彼女の様子が微笑ましいと言うように目を細めたニナは、


「ふふっ、遠慮なんて、必要なかったのかもしれませんわね……。少々ここでお待ちくださいませっ!」


 そう言って、部屋を出ていく。すぐに帰ってきた彼女の手には、数枚の紙が握られていた。


「差し当たって、ファイさんには宝箱の補充をしていただこうと思います」

「宝箱の補充……。エナリアが管理されてるって話の時、ニナが言ってたやつ?」

「はいっ! ウルン人のファイさんには、ガルン人にとっては苦行となる上層の宝箱の補充を行なっていただきます。補充するための物資や武器についてはコチラの資料と地図を参考に、倉庫から――」

「ニナ」


 とんとん拍子で話を進めようとするニナの言葉を遮って、ファイには彼女に言っておかなければならないことがあった。


「私、ちず? も、文字も、読めない……」


 ファイの言葉に、説明をしていたニナの手が止まる。


「……文字はともかく、地図も、ですか?」


 ぎこちない動きでこちらを見てくるニナ。


 その問いかけに、ファイは頷きたくない。自身の無能を晒す行為であり、道具としての価値を下げる行為だからだ。ただし、道具に、嘘を吐くことは許されない。


「…………。ごめん、なさい。でも時間をちょっとくれたら勉強する――」

「謝らないでくださいませっ!」


 無意識に早口になって謝ろうとしたファイを、ニナがそっと抱き寄せる。


「大丈夫です……っ! 大丈夫ですから、そんな悲しそうな顔、しないでくださいませ……っ!」


 頭上、ファイを抱きながら震える声でそう言ってくるニナに。


「……ごめんなさい」


 ファイはただ、謝ることしかできなかった。




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