第128話 良い匂いがするん、だって
「ファイ」
「ファイ様」
「うん、分かってる」
緊張が含まれるムアとリーゼの呼びかけに、ファイも背後――ガルンの入り口から続く1本道――を見遣る。通路の幅は15m、高さは10mほど。中央には幅3m、深さ2mの川が流れており、ガルンへの入り口に向けて流れ出している。
だというのにガルンの側には川は見当たらない。果たしてエナリアの水はどこからきて、どこに行っているのか。例の、各世界を隔てる“時空の断裂”とやらに飲み込まれているのだろうか。むくむくと顔を覗かせる好奇心を戦意で押し込めて、ファイは“彼”へと目を向けた。
「どうも“不死のエナリア”の皆さん。僕がちょっと偵察に行ってる間に、仲間が世話になったみたいですね」
言いながらファイ達の方に歩いてくるのは、獣人族の若者だ。身長はリーゼよりも少し高いくらいで175㎝ほど。三角形の耳は先端にやや丸みがあり、ファイの知る中では『ガオルム』という虎の魔獣に似ているだろうか。
男の線は細く、ガタイが良いという印象は受けない。だが、彼がウルン人だろうがガルン人だろうが、獣人族は総じて身体能力の化け物だ。ファイ達に一切の油断は無い。
「はじめまして、迷子の獣人族の方。ずっと私たちの後を追っていらっしゃいましたね?」
ファイ達を代表して男に対応したのはリーゼだ。
彼女が言ったように、この青年の気配はあの時――ファイが通路の岩に違和感を覚えたとき――からずっとあった。ファイももちろん感づいていたし、やはりリーゼもムアも気づいていたのだろう。だが2人が無視をしていたので、ファイも特段、気にしなかった。
だが、こうして敵意を向けられれば話は別だ。
ましてや男は今しがた、仲間が世話になったと言った。彼の言う仲間が“誰”なのか。彼の仲間が何をしたのか。ファイの脳は正確に答えを導いている。
(この人も密猟者たちの、1人……!)
むろんリーゼも理解しているだろう。そのうえで、彼女は言う。
「エナリアの内部は複雑ですものね? 迷われても仕方がありません。なので、どうぞ。出口はコチラです。お帰りくださいませ」
あくまでも青年を迷子として扱い、無益な争いをすることを拒む。それは温情ではないのだろう。ニナが大切にしているエナリアという名の宝箱を、これ以上汚さないための配慮だと思われる。
ガルン人は彼我の実力差に敏感だとルゥが言っていた。それを思えば、リーゼの言葉には大半のガルン人が従うのだろう。それほどまでにリーゼの魔物としての“格”は高いとファイは見積もっていた。
だが、その青年は違ったらしい。
「いえいえ、角族の方。実は僕、さっきの仲間たちと一緒に落とし物を探しに来たんです。それを見つけるのがお役目でして」
身振り手振りを交えながら鷹揚に、芝居のように語る青年。茶色に近い黄色と黒の縞々の尻尾が、ゆらゆらと揺れる。
「落とし物……ですか。詳細をお聞かせいただければ、私の方でお探しいたします」
温度のない声で青年に対応するリーゼ。質問口調ではないのは、リーゼにその気が無いからだろう。もっと言えば、さっさと出て行って欲しいとすら思っているようにファイには感じられた。
しかし、青年はそんなリーゼの態度にも気が付かないらしい。
「そう、落とし物です。少し前まで僕のお気に入りの練習台だった獣人族の雌なんですけどね? 毛は金色で、耳と尻尾が黒い。何とも見苦しい姿の子供なんです」
青年が語った落とし物の内容は、ファイの中で一瞬にして像を結ぶ。
(ミーシャ……?)
だが、すぐに首を振る。なぜならミーシャは見苦しくなんかないからだ。不器用な言動が目立つものの根は素直で優しい、可愛らしいだけの同僚でしかない。となると、他人の空似なのだろうとファイは1人、結論づける。
「なのに、ついうっかり首輪が外れてしまったみたいで。父上も『出奔者を許すと体面がもたない』とか何とか言ってて。なのでこうして僕がエナリア初挑戦も兼ねて、探しに来てあげたってわけです」
聞かれてもいないことを意気揚々と語る獣人族の青年。
「はあ。……落とし物の件、分かりました。では、どうぞお帰りを」
口調から丁寧さを無くしたリーゼが、ついに青年に「出ていけ」と命令する。が、察しが悪いのか、なおも獣人族の青年は演説を続ける。
「いえいえ。父上から貰った大切な兵士を4人も失ったのです。しかも落とし物の所在も分からずじまい。このままノコノコと帰るようなことがあれば、僕がどやされちゃいます」
「帰ってくださいませ」
「それに何より、僕が恥ずかしい。何かしらの手土産を持って帰らないと、部族の人に笑われちゃいます」
もはやリーゼの言葉は聞こえていないのだろう。青年は自分語りを止めない。
「というわけでその家畜を僕にください」
そう言って青年が指を刺したのは、ファイだった。
「……え、私?」
急に青年に指を刺されて、わずかに面食らうファイ。
「そう、お前だよお前。めちゃくちゃうまそうな匂いさせてる、お前。多分だけど、正真正銘のウルン人の白髪だろ? 伝説級の食材じゃないですか」
「でんせつのくらい……? は、分からない。けど、そう。私はウルン人、だよ?」
そう言えば、ガルン人の中にはウルン人が発する魔素の気配を感じ取ることができるのだと思い出すファイ。例えばリーゼと初めて会った時、彼女は一目見てファイをウルン人だと理解して攻撃してきた。ニナもそうだ。巨人族に襲われていたファイを、一瞬でウルン人だと理解していた。
ニナやリーゼは「なんとなく」と言っていたが、目の前の青年の場合は獣人族だからだろうか。匂いとしてファイが内包する膨大な魔素を感じ取っているようだった。
「……ムア。私、臭う?」
「わふっ♪ めっちゃ良い匂いするよ? それこそ食べちゃいたいくらい♪」
まさかムアが執拗に引っ付いてくるのは、ファイを食べようとしていたからなのではないか。そう思うとつい、身震いしてしまうファイ。それは“恐怖”したからではない。食べ物として見られていることに、言いようのない高揚感を抱いたからだ。
「おい! 家畜のクセに僕を無視するな!」
「あ、ごめん、ね? それでえっと、何の話?」
「お前が僕について来るって話だ!」
「……?」
そんな話だっただろうかとファイが考え込む間にも、
「……ふふ! 白髪を持って帰れば、村長にだってなれるぞ!」
青年はあり得もしない妄想を続けている。そんな彼に、ファイは残念なお知らせをしなければならない。
「ごめんなさい。私はもうニナの物、だから。あなたにはついて行けない」
ぺこりと腰を折って、もう既に自分の所有者が別にあることを告げる。その光景に「あはっ♪」と楽しそうな声をあげたのはムアだ。
「ぷぷー! おにーさん、ファイにフラれてるー! ダッサ~♪ 男としてクソザコじゃん♪」
ここぞとばかりに青年を煽る。
「お、お前の意思なんて関係ない! さっさと俺についてこい! で、食われろ!」
やや顔を紅潮させながら、それでもファイについてくるように言ってくる。ファイを物としてしか見ていない彼の言動には、ファイの胸もつい高鳴ってしまう。
(――けど、“ニナの言葉”には、敵わない)
ニナは全然、ファイを道具として扱ってくれない。ファイの不満は募るばかりだが、なぜだろうか。ニナに名前を呼ばれるだけでも、ファイは高揚してしまう。仕事を与えられた時などは、嬉しくて頬が緩んでしまいそうになる。
そんな高揚感を、幸せを。目の前の彼がくれそうかと問われれば、ファイは間違いなく「否」を叩きつけられる。ゆえに、答えは決まっている。
「……ごめんなさい」
「あっははは♪ おにーさん、またフラれてるー! ちょーダサい~♪」
よほど面白いのだろうか。ムアが犬の姿のまま、地面を転がって笑っている。
「ムア。フワフワの毛が汚れちゃう、よ? 勿体ない」
「だって……ぷふっ! あははははっ♪」
このままでは大切なモフモフがダメになってしまうと、ムアを抱え上げるファイ。一方で、青年はと言えば――。
「…………」
無言のまま、震えている。俯いているため表情は見えないが、尻尾は口ほどにモノを言う。ゆっくりと左右に揺れる尻尾は、間違いなく“怒り”を示していた。
「僕を、笑ったな……? 家畜如きが……雌ごときが、この、僕を……!」
「待って。私は笑ってない。そもそも私は、笑わない。だって私は道具だから――」
「黙れ!」
発言を訂正しようとしたファイだったが、青年の叫びによって二の句を次げなくなる。
「はっ……はははっ! そうだ、欲しいものは奪ってでも手に入れる。それが僕たちガルン人の掟だ……! 僕を馬鹿にしたお前も! 角族のお前も! 僕が殺して、白髪を奪ってやる……!」
言うや否や、青年の身体が膨れ上がっていく。ガルンの獣人族が持つ能力の1つ、獣化だ。彼の場合、ムアのようにポンと変身するのではなく徐々に獣の姿になっていくらしい。
(これが、“個人差”……!)
最近知った難しい言葉をつかえて満足げに鼻を鳴らすファイの腕の中で、ムアが退屈そうにあくびをこぼす。
「おにーさん~。分かってる~? こっちは3人で、数的不利だよ~?」
「知るか! 練習台を使って、たくさん狩りの練習もしてきた! 部族でも負けたことなんてない……。ただの雌ごときに、この僕が負けるわけないんだ……!」
やがて青年は、体高3mほどの黄色い虎へと姿を変える。大きな口はファイの頭など簡単に丸飲みにしてかみ砕いてしまうだろう。実際に戦ってみないと、青年の実力は分からない。が、雰囲気だけで言えば、ムアが従えている牙豹と同じような迫力はある。
(目算だと赤色等級中位の魔物……かな?)
だとすると、ファイ1人で相手にするには少々骨が折れる相手だ。
「許さない……!」
ややくぐもった声で言った青年からは、今度こそ疑いようのない殺意が漏れ出していた。




