第120話 ぼうだー、こりー
「(ソワソワ、ソワソワ。ウロウロ、ウロウロ)」
ファイは執務室の前で、右往左往していた。
というのも、遡ること数分前。ミーシャの看病もあって無事に復調したファイがニナに仕事を貰いに行くと、そこには誰も居なかった。その代わりに執務机の上に置かれていたのは、ファイへの置手紙だ。
『愛しのファイさんへ! ゲイルベル様に資料をお届けするため、少しの間エナリアを留守にいたします。つきましては、ファイさんへのお仕事は「自由時間」ということにいたしますわ!』
と、きれいな字で書かれていた。
およそファイが読むことのできるガルン語で書かれていた手紙。どうやら多忙のせいでファイが体調を崩したことを気にかけていたらしく、ニナは休み時間を与えようとしてくれているらしかった。
だが、その手紙を読み終えたファイの顔がムスッとしていたことは言うまでもない。彼女にとっては働くこと、ニナのために尽くすことこそが生き甲斐だ。その機会を、ニナ自身によって奪われた。大好きで大切なニナと言えど、ファイからすればあまりにもあんまりな仕打ちだった。
だったら言われた通り、好きにする。つまりはニナが帰ってくるまで“待て”をしていようと思っていたのだが、この辺りは妙に鋭いニナ。
手紙の続きにはこう書いてある。
『追伸。こう書きますとファイさんはお部屋に戻られて“お座り”をなさるかもしれません。なので、自身のお部屋に戻ることを禁じます。また、何もせずジッとすることも禁止いたします。ぜひご自分の趣味に励んでくださいませ!』
こうして逃げ場を奪われてしまったファイ。自由時間という拷問の時間が始まった瞬間だった。
以来、ファイは執務室の前でニナの帰りを待っている。じっとしているなと言われているため、その間はずっと足を動かしっぱなしだ。
(ニナ、まだかな……)
時折足を止めては左右の廊下を見回し、探し人が居ないことに眉尻を下げて再び歩き出す。その繰り返しだが、ファイはそれを苦にしない。待っていれば必ずニナが帰ってきて、仕事をくれる。黒狼に居た時もそうだったように、ファイは“待つこと”には慣れているのだ。
しかも経験上、たくさん待った分だけ指示を貰えた時に“幸せ”になれることをファイは知っている。自然、足取りも軽くなるというものだ。
「(ウズウズ、ワクワク)」
来るべき時を待ち続けるファイに変化が訪れたのは、ファイがウロチョロし始めて1時間後のことだった。
「――あら? ファイ様……?」
そう言って廊下の向こうから姿を見せたのは、リーゼだ。流れるような金色の髪に、ピンと伸びた背筋。理知をにじませる涼しげな目元と青い瞳。何をしているのだろうと視線で問いかけてくるその姿ですらも、ファイにとってはひどく美しく見えた。
「り、リーゼ……」
ソワソワしてしまっていた手前、まるで悪戯がバレた子供のような居心地の悪さを感じるファイ。リーゼの名前を呼ぶ声には、わずかばかりの羞恥の色がにじむ。
「体調を崩されていたとお聞きしましたが、もう?」
「う、うん。大丈夫。だからニナに仕事を貰いに来た、けど……」
言いながら、ファイはニナから貰った指示書をリーゼに見せる。
「……なるほど。ゆえに歩き回り、ジッとしていないという指示を守りながら、ニナお嬢様の帰りを待っていた、と」
「ぁ、う……。そう……」
他意なく言ったのだろうリーゼの言葉に、しかし、頬の朱色を濃くするファイ。改めて自身の行動を言葉にされることへの羞恥心が表れた形だった。
「リーゼは、なんで?」
どうしてリーゼはここに来たのか尋ねるファイ。その問いかけはリーゼ個人への興味というよりは、今まさに感じている居心地の悪さから目をそらすためだ。
「はい。先日ファイ様に買って来ていただいた撮影機を覚えていらっしゃいますか?」
「うん。遠隔撮影機、だよね?」
「はい。その取扱説明書の解読が済みましたので、そのご報告を、と。ですが、なるほど。お嬢様はお留守でしたか……」
どうやらリーゼはウルン語で書かれた撮影機の取扱説明書を、ここ数日間、読み解いてくれていたらしい。ついでにウルン語の“読み”もあるていど習得していたのだという。
長い時間をかけて読み解くだけの価値がある。自分が買ってきた物が評価されている気がして、胸が温かくなるファイだ。
「どう? 撮影機、使えそう?」
もし使えるのだとしたら、またウルンで買って来よう。高揚感で金色の瞳を輝かせるファイに、「残念ながら」とリーゼは首を横に振る。
「これ単体では映像を映し出すことができないようです。また、注意事項の欄に『エナリアでの使用不可』と書かれておりました」
「そっか……」
役に立てたと思っていただけに、ファイの落胆もひとしおだ。そうしてつい肩を落とすファイを青い瞳で見ていたリーゼ。不意に表情を柔らかなものにすると、
「ですがファイ様。注意事項にそう書かれているということは、エナリアの中でも使用できる撮影機があるということでもあるはずです。つまり……」
ファイがもたらした物が無駄ではなかったのだ、と、遠回しに言ってくれる。その気遣いに気付くことができるファイではないが、リーゼが途切れさせた言葉の続きはきちんと理解していた。
「次にウルンに行った時は、エナリアでも使える物を買ってくる!」
「はい。そうしていただけると、きっとお嬢様もお喜びになると思います」
次なるお使いの目標ができたことに、拳を握るファイ。そして、主人のためになることであれば唯一、積極性を持つことができるのがファイでもある。
「じゃあ、買ってくる――」
「お待ちください」
さっそく行動をと歩き出そうとした彼女を、リーゼの呼びかけが引き留めた。
「どうしたの、リーゼ?」
「お金はあるのですか?」
「……あっ」
買い物には必ずお金が必要だということは前回、きちんと学習しているファイ。だが現在、彼女の持ち金はほぼ0に等しい。
リーゼの話では恐らく経費として撮影機の購入金が渡されることになるだろうという話だが、今は肝心のニナが居ない。つまりは、買えない。
「そっか……」
結局、エナリアでも使うことのできる撮影機の購入はまた今度、という運びとなる。このまま再び、ニナの帰りを待つ時間が始まる。そう思っていたファイだったが、意外なことに、リーゼから提案があった。
「ファイ様。私の知る限りですがお二方、ファイ様にお会いしたいと言っていらっしゃる方々がいるのです」
「え、2人?」
「はい。お1人目は先日エナリアにお越しいただいた、職人の方々です」
職人。彼ら(?)がやってくるような話をニナがしていたことを、ファイはきちんと覚えている。何せ職人が見つかったと言われた時のニナは、ファイの知る中でも1、2を争う喜びようだった。
(確か、アミス達がエナリアに来る前だったはず……)
およそ1か月前ということになるだろうか、と、当時の記憶を脳裏に浮かべるファイ。
「その職人が、どうして?」
「はい。先日のユア様と同じくウルンの素材を調達してきてほしいとのことで、その相談を。また、探索者目線での意見が欲しいとのことでした」
自分が“普通のウルン人”ではないことはファイも理解している。だが、話をするだけで職人たちの役に立ち、エナリアの発展に寄与できるというのならお安い御用だ。
「もう1人につきましては……っと、噂をすれば、ですね」
「……?」
何か感じるものがあったのだろうか。背後を振り返りながら廊下の脇に逸れ、ファイの視界を開けるリーゼ。その際、裳の裾からわずかにのぞいたリーゼの青い尻尾をファイは見逃さない。果たして彼女の尻尾はどんな感触をしているのか。
好奇心のまま、リーゼの尻尾を見ていたファイの耳がふと、「はっ、はっ」という息遣いと硬い地面を爪で掻く乾いた音をとらえる。音がする方向はちょうど、リーゼが見つめている廊下の先で――。
(なに、アレ!?)
その時にファイが受けた衝撃は、初めて猫を見つけた時と同じだ。ただただ愛くるしいだけの動物が、こちらに向けて一目散に駆けてくる。
体高は50㎝、体長は65㎝ほど。一見すると、狼にも見えなくない。だが狼と違って目はつぶらで、敵意のようなものが一切感じられない。駆けるだけで揺れる長い毛は、見ているだけでフワフワもふもふだ。触らなくても極上の手触りだろうことが予想できる。
毛の色だが、耳から目にかけて黒い毛でおおわれている。一方で頭頂部から口回りにかけては白い毛が生えていて、目と耳だけを黒い覆面で隠したような見た目をしていた。体毛は尻尾も含めておよそ黒。しかし、首回りや手足の先、お腹の部分にはモフモフの白い毛が生えている。
犬。ウルンでそう呼ばれる動物であることを、ファイはまだ知らない。
「わん、わんっ! きゃぅ~ん!」
桃色と水色の瞳をキラキラと輝かせて、可愛らしい声で鳴いて跳躍した蹴足の長い犬。当然ファイは両腕を目いっぱいに広げて、受け止める姿勢を見せる。そうしてファイが完全に無防備な姿をさらした瞬間、
「ファイ~、あっそぼう~♪」
「わぷっ」
ユアの声が聞こえたかと思えば、ファイの顔面がモフモフに包まれるのだった。




