第118話 2人が教えてくれた、から
ニナによる厳しい事情聴取が終わったのは、“事件”から約1時間後のことだった。
場所を移して第20層にあるニナの執務室。執務机に肘をつく取調官が、被疑者2人に確認する。
「つまりお2人には“何もなかった”ということですわね?」
ムスッと不機嫌を露わにするニナに、ファイとミーシャは顔を見合わせる。
「……? ニナの言いたいことは分からないけど……ね?」
「そうね。アタシはただファイの看病をしてて、眠くなったから一緒に寝た。それだけよ。……ね?」
「うん、そう」
「お互い、ではなく、わたくしを見て、話してくださいませっ!」
息継ぎのたびに執務机をペシペシ叩きながら、抗議してくるニナ。ファイとしては机が壊れてしまうのではないかと気が気ではないが、力加減をできるくらいには、ニナも冷静さを取り戻しているようだった。
「はぁ……。まぁ、以前、ファイさんの口からミーシャさんと床を共にしたという話は聞いておりました。それにミーシャさんは未進化。まだ“そういった感情”が薄いことも分かっておりますわ」
「そういう感情……。交尾したい?」
「明け透けすぎますわ!? ですが、まぁそうですわね」
ガルン人は基本的に1進化を果たすことで子を成せる身体になるのだという。その点、まだ未進化のミーシャには獣人族特有の発情期が無く、性欲が薄いとのことだった。
と、ニナによる最後の確認が行なわれていたところ、第三者による微かな笑い声が聞こえてきた。
「ぷぷっ。発情期もまだのおこちゃま猫です……! ぷぷ!」
そう言ってミーシャを小ばかにするのは、ユアだ。実はファイ達がこの部屋に来た時から、彼女は執務室に居たのだった。
「はんっ。引きこもり陰険犬は人を馬鹿にすることしかできないのね。哀れだわ」
「ぷふっ。ヨワヨワ猫が何か言ってます。けど、弱すぎてユアには聞こえません~」
「この……っ!」
「な、なんですか、戦るんですか!? 言っておきますがユアは1進化、あなたは未進化。勝負は目に見えてます!」
「良いわ! それでもアンタの陰気臭い顔を引っ掻ける可能性があるならやってみる価値はある!」
小さい者同士、互いに互いを挑発し、事態はまさに一触即発。そのまま決闘に、とはならない。理由は、ユアの手が後ろ手に拘束されているからだ。さらに正座をさせられている彼女の首からは「私は約束を破りました」と書かれた木の板がかけられている。
「ニナ。ユアはどうした、の?」
「あ、はい。ファイさんは当事者さんなので説明いたしますと、ユアさんは“ファイさんで実験をしない”というわたくしとの約束を違えたのですわ。その罰です」
約束。そう言われてファイが思い出すのは、配達の仕事をした時だ。あの時、ファイはユアに実験の協力を提案された。魔素供給器官を提供してほしいと言われたのだ。だが、ファイの持ち主であるニナによって否決。その際、どうやらニナとユアの間で「ファイで実験をしない」という約束が交わされていたようだった。
「なのにユアさんったら……。瀕死のファイさんを死んだものとして解剖しようとしていたんですもの……。リーゼさんに様子を見に行っていただいて正解でしたわ」
もともとユアに悪巧みがあることを察している中、ファイを1人で送り出すことを渋っていたニナ。暴竜が天井に息吹を放ったことで発生したエナリアの揺れで、ついに我慢の限界を迎えたらしい。ニナを手伝おうと姿を見せたリーゼに、ファイの様子を見に行くように指示したらしかった。
「も、もう少しで魔素供給器官を入手できたのに……」
「ユ、ア、さん!」
「きゃぃん!? に、ニナ様……。急に大きな声、出さないでくださいぃ……」
「あっ、申し訳ありません……。ですが、きちんと反省してくださいませ。危うくユアさんの手で、ファイさんというウルン人の死者が出てしまうところでしたわ……」
もし瀕死――つまりは生きている状態――のファイをユアが解剖していた場合、ユアのせいでファイが死んでいたことになる。その場合、10年以上もかけて築いてきた大切な“幸せ”への道に大きな傷が発生していたのかもしれないのだ。
(少なくともユアの近くで“ギリギリ”は、良くない……?)
ファイの身体を嬉々として狙っているらしいユア。彼女の前で今回のように動けなくなるようなことがあれば、例えユアに悪気が無くともファイは彼女の手で殺されかねない。そうなれば「死なない」というニナとの約束だけでなく、ニナの夢も汚してしまうことになる。
今後、ユアの前では一層の用心が必要だと記憶しておくファイだった。
「そんなことより……。ふぁ、ファイちゃん様!」
ニナの反省を促す言葉を聞いているのかいないのか。正座したままのユアがファイの名前を呼ぶ。対面での会話のせいで声に緊張は浮かんでいるが、水色と桃色の瞳には好奇心の輝きが満ちている。
「どうしたの、ユア?」
「ど、どうやって怪我をさせずにムアを倒したんですか……?」
言われてみれば倒れる前、そんな話をしていたっけと思い出すファイ。まだ熱っぽさの残る頭で言葉を整理してみて、
「ミーシャとユアが、教えてくれた、から」
出てきたのは、そんな短い言葉だった。
「えっ、アタシ……?」
「ユアが、ですか……?」
獣人族2人の言葉に、ファイは頷いてみせる。
「獣人族は、五感が敏感。おっきい音、とか。眩しい光が苦手」
例えばファイの匂いを嗅ぎ分けるミーシャだったり、薄暗く静かな部屋で過ごしているユアだったり。獣人族は、人間族よりもはるかに優れた五感を持つがゆえに、強い匂いや音、光に敏感だということはファイも分かっていたことだ。
ましてやムアは強い力を持つ獣人族。五感の鋭さはミーシャやユア以上だろう。
「じゃ、じゃあもしかして! ファイちゃん様はただ単に、大きな音でムアを驚かせただけ……?」
「そう。〈ガルトプロシア〉は派手。だけど、爆発自体はあんまり強くない」
もちろん、赤色髪以下のウルン人が受ければ、大やけどを負うだろう。だが、それより上の身体の丈夫さを持つ人々には「熱っ!?」くらいで収まり、有効な殺傷能力を持たない。
だが、強烈な光や音。何より、酸欠を誘う中長期的な連続する爆発の効果がある。
「全力の魔法を使う」と言ってムアを警戒させ、獣化させる。そうしてさらに敏感になったムアの聴覚と視覚を爆発の魔法で刺激する。結果、激しい光で目がくらみ音で三半規管を激しく揺さぶることで、立っていられない状態に追い込む。また保険として、中長期的な爆発でムアを酸欠に追い込むという3つの狙いがあった。
「も、もしかしなくてもファイちゃん様は、馬鹿じゃない……!?」
失礼極まるユアの言葉を、ファイは悠然と受け流す。ムアとの勝負を思い出したファイには、もっと重要な事項があったからだ。
「えっと、ユア。ムアと暴竜は、無事?」
自身とこぶしを交えた2人はどうなってしまったのか。特に暴竜は、あのまま放置すると出血多量で死んでしまうかもしれない。わずかに眉尻を下げるファイに、笑みを返したのはユアではなくニナだった。
「ふふっ! 安心してくださいませ、ファイさん。どちらもご無事ですわ。暴竜さんについては今もルゥさんが治療に当たっていますが、命に別条はないそうです」
「……そっか」
その報告には、ファイも思わず一安心だ。何せファイが頑張ったのは、強い暴竜をニナに献上するためだったからだ。暴竜に死なれてしまうと自身の有用性を示す機会が失われるところだった――という建前はある。だが、何よりファイは、心が通った気がする暴竜に生きていて欲しかった。
(みんな無事で、良かった……)
誰かが死んでは“みんな”が幸せになれない。まだまだ“弱い”自分でもニナの役に立てるのだと、ほぅっと熱のこもった息を吐き出すファイだった。
と、嬉しさをにじませながらも熱で顔を赤らめるファイの顔を無言のまま見ていたミーシャ。
「――ニナ。ファイは熱があるの。そろそろ休ませてあげて」
力こそが全てのガルンにおいて、はるか上の存在であるはずのニナに物怖じすることなく、自身の意見を口にする。この意志の強さこそがミーシャの“強さ”なのだろう。そう思いながらファイがミーシャの金髪を眺める横で。
「はわっ!? そ、そうでしたわね……。……ですがミーシャさん。ファイさんの面倒はコチラで見ますわ。なのでミーシャさんは、裏方の魔獣さんたちのお世話に戻ってください」
笑顔のニナが、ミーシャをけん制する。だが、それでもミーシャは退かなかった。むしろ――。
「大丈夫よ、ニナ。アタシはニナみたいに溜まっている仕事を放っぽってファイの面倒を見てたわけじゃないの。ちゃんと、あの子たちにエサはあげているわ」
――書類仕事を後回しにしてファイとの散歩を楽しんだニナを、不敵な笑みで迎え撃つ。ミーシャが言うあの子たちとは、たとえば上層の培養室にいる魔獣たちだったり、通信室に居るピュレだったりだろう。
「ニナは見ての通り、まだお仕事があるんでしょう? だから私が、病気のファイの面倒を見ててあげる」
「なぁっ!? ぐ、ぐぬぬぬぬ……!」
勝ち誇ったように腕を組んで胸を張ったミーシャに、ニナが口を噛みしめる。事実、ニナの執務机に積まれた書類はかなりの量になっているのだから、彼女としても反論できないのだろう。
「それじゃあファイ、部屋に戻るわよ」
「え、あ、うん……」
ミーシャに手を引かれるまま、自室へと戻ることになるファイ。
「看病が……。わたくしの『優しく看病して差し上げますわ、ファイさん♡』の夢がぁ~……」
涙目のニナを最後に、執務室の扉が閉まったのだった。




