第117話 かぜ、ひいた
「ぅ……ん……?」
ファイが目を覚ました時、そこには見慣れた無機質な自室の天井があった。むくりと身体を起こしたファイは、大きなあくびを1つこぼす。
思えばここ数日、寝ずに働き続けていたように思うファイ。その点、今回の気絶は彼女にとって良い睡眠となっていた。
ポヤポヤ寝ぼけまなこでまどろんでいたファイだが、自身が院内着――ファイが初めてエナリアに来た時に着ていた物――を着せられていることに気付く。
(……そう言えば私、死にかけた?)
腕を折られ、腹の中をグチャグチャにされたことを思い出す。だが、もう身体に痛みはなく、腕も通常通りに動く。恐らく医療福祉を担うルゥが手当てをしてここまで運んでくれたのだろう。
(ありがとう、ルゥ)
これで再び働くことができる。次はどんな仕事が待っているだろうか。内心ワクワクしながらファイが寝台から下りようとすると、
「……あれ」
自分の身体がひどく重いことを自覚する。それだけではなく、ズンとした腹痛と吐き気。頭痛による酩酊感もある。また、股に感じるのは、下着とは別の紙っぽい感触だ。
どうやら自分が使用不可期間に入ったらしいことを察するファイ。頭痛などは身体機能の低下に伴うエナ中毒の影響だろうか。股に感じる専用の布などについては、気を利かせたルゥか誰かが挟んでくれたようだった。
「…………。はぁ……」
張りきった矢先の現実に、下腹部を眺めながら重い溜息をつくファイ。本当に不便な身体だと言わざるを得ない。だが、うつむいていてもニナの役に立つことはできない。
痛む頭をフルフルと振って、寝台横に置いてあった屋内用の靴を履く。指示を仰ぐためにもまずはニナが待つだろう執務室へ向かわなければならない。
そのまま、いつものように扉へ向かおうとして、
「あ、れ……?」
目覚めて二度目。再び困惑の声を漏らしたファイの身体が、崩れ落ちた。
(身体に力、入らない……?)
それだけではない。ファイの意思に反して、身体が震えてしまう。身体は熱いのに、寒い。生まれて初めての奇妙な感覚に、ファイの混乱を加速していく。
「はぁ、はぁ……」
吐く息は荒く、熱っぽい。視界はぼやけ、グワングワンと世界が回る。もはや立ち上がることもできず、冷たい地面に倒れ伏すことしかできない。
(分からない、けど……。これ、ちょっと、まずい……かも?)
赤らんだ顔で目を回すファイに答えをくれたのは、それから少しした頃。
「ファイ~。様子を見に来てあげたわよ~」
そう言ってファイの部屋にやってきたミーシャだ。彼女は、地面の冷たさを堪能するファイを見るや否や、
「ファイ! 大丈夫!?」
黒毛の尻尾と耳をピンと立て、叫んだのだった。
「えっと、ウルン人の項目は……えっと~……」
ファイが次に目を覚ました時、聞こえてきたのはミーシャの声だ。どうやらファイが気を失っていた時間はわずかだったらしく、倒れたファイをミーシャが再び寝台に寝かせてくれたようだった。
「ミー、シャ……?」
「ファイ! 起きたのね!」
「わっ……」
寝台横からぎゅーっと抱き着いてくるミーシャの抱擁に、驚きの声を漏らすファイ。その声に「あ、ごめんなさい」とすぐに身を離したミーシャだったが、一転。そっぽを向きながら不機嫌そうにファイに言ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってなさい。いまルゥ先輩が調べてくれたウルン人に対する看病まとめを見てるから」
尻尾を揺らす彼女が手にしているのは、資料の束だ。ファイを始めとするウルン人への手当てのために、ルゥが色々と調べてまとめた資料らしい。
「こほん……。ファイ。どこが苦しい? どこか痛いところはない?」
不機嫌そうな顔を今度は心配そうなものに変えながら、ファイを覗き込んで来る。
「けほ、けほっ……。ミーシャ。私は道具だから。苦しい、も、痛いも無い――」
「そういうのいいから!」
ミーシャの悲痛な叫びに、ファイも思わず目を見開く。
「そういうの、今は要らないのよ……っ! 包み隠さず、正直に言いなさい……っ!」
怒りとやるせなさだろうか。様々な思いが含まれているのだろう涙をにじませるミーシャの姿を前に、熱でうなされるファイの意地は簡単に砕け散った。
「あの、ね。ミーシャ……。暑いけど、寒い……かも」
布団で顔を半分隠しながら、自身の身に起きていることを説明する。そんなファイの言葉に耳をピンと立てたミーシャ。
「暑いのに、寒い……? 赤い顔、それに咳……。もしかしなくても……」
しばらくパラパラと資料をめくっていたミーシャだったが、少しして「あった!」と資料をめくる手を止める。
「ファイ。喉が痛かったりしない?」
「けほっ。ミーシャ。私に痛いは無い――」
「怒るわよ?」
冷ややかな目を向けられて、ゾクリと身体を震わせるファイ。
「……痛い、かも」
もはや顔の半分以上を隠しつつ、あらぬ方向を向いてミーシャの問いかけを肯定する。
「やっぱり! 身体が怠くて、顔と身体が熱っぽい。合ってるかしら?」
「~~~~~~!?」
自身の状態を的確に言当てられて、ファイは耳までを真っ赤にする。弱い自分を見透かされているようで布団を頭からかぶった彼女だが、それでも。ミーシャの言葉を無視するわけにもいかないため、布団の中で「そう」と漏らす。
と、なぜか布団の向こうから聞こえてきたのはミーシャの安堵するような吐息だ。
「ふぅ……。これなら、アタシでも分かるわ。……まぁ、あとでルゥ先輩にもちゃんと診てもらわないとでしょうけど」
1人で納得してしまったミーシャの言葉に、ファイの旺盛な好奇心が刺激される。再び布団から金色の目だけを覗かせたファイは、
「……ミーシャ。私は、なに? 生理、とか、エナ中毒、と違う……?」
自身の知っている不調の名前をあげつらう。
「ええ。多分、違うでしょうね。まぁ、新しい環境で働き詰めで、不規則な生活までしてて。そのうえアレの日のせいで免疫力が落ちたとなれば、そりゃそうよねって話だわ」
「じゃあ、なに? ……私は病気で、死ぬ?」
気分の落ち込みもあって悲観的になるファイに、ミーシャが「そんなわけないじゃない」と苦笑する。そして、椅子から立ち上がったミーシャを目で追うファイに、病名を告げた。
「風邪よ、風邪。無理が祟ったのね」
「かぜ?」
「そう。ちょっと待ってなさい。いま、準備して来るから」
こうして始まる、ミーシャによる付きっ切りの看病。
「はい、ファイ。あ~ん」
「ミーシャ、自分で食べれる……むぐっ!?」
食事の時は木の実や薬草が入ったお粥を突っ込まれ、
「身体、拭いてあげるわね」
「み、ミーシャ。大丈夫、自分で拭け……んっ、そこ、くすぐったい、から……!」
身ぐるみはがされたかと思えば、身体の隅々まで拭かれる。それ以外の時間は額に濡れた布を置いて寝かしつけられ、
「ふわぁ……。ファイ、寒いんでしょ? じゃあアタシが一緒に寝てあげるわ」
ミーシャが眠くなれば彼女と一緒に眠った。
そうして、ファイの体感で半日ほどが経過した頃。ファイの部屋の扉を叩く音がした。
「ミーシャさん~? ファイさんのご様子はいかほどでしたでしょうか~?」
その声は、ニナのものだ。使いとして送ったミーシャが帰ってこないことに疑問を持ったのだろう。ミーシャの様子を確認するついでに、ファイの様子を見に来てくれたらしかった。
「ニナ……?」
「あら、そのお声はファイさん? えぇっと、入りますわね?」
きちんと断りを入れたニナが、ファイの部屋に入ってくる。この頃にはミーシャの看病のおかげでファイも身を起こすことができるくらいになっていた。
「けほっ、ニナ。おはよう?」
「はい、ご機嫌ようですわ、ファイさん。……って、あら? 少しお顔が赤いような。それに咳も……」
「……っ!? そ、そんなこと、ない」
自身の不調を見られるまいと、慌てて頭から布団をかぶったファイ。だが、ニナもファイがそろそろアレの時期であることを知っている。
「大丈夫ですわ、ファイさん! この間も申しました通り、別に恥ずかしいことではありません。それにルゥさんの話では免疫力も落ちてしまうとのこと。どうやらお風邪を引いているご様子で……って、あら?」
そこで不意に、ニナの言葉が止まった。
どうしたのだろうかとファイが布団から顔を出してニナの視線を追ってみると、ニナは布団の下の方――わずかにまろび出てしまっている小さな足へと向けられている。どうやらファイが顔を隠そうと布団をまくり上げた際、同じ寝台で眠る“もう1人”の足が出てしまったようだ。
しかも、ファイとニナの会話のせいだろう。その小さな足の持ち主であるミーシャが、
「んにゃ~……。うるさいわよ、ファイ。また寝言?」
布団の中でもぞもぞと動き、ファイの顔のすぐそばでぴょんと顔をのぞかせる。さらに、
「ん~~~~~~……にゃっ!」
寝起きの癖なのだろう。寝台の上で四肢をつき、“伸び”をするミーシャ。その際、布団がめくれたことで露わになったのは、ミーシャの成長途中の裸体だ。眠りの最中、無意識に獣化してしまったらしいミーシャ。だが、覚醒に伴って人型に戻ったらしい。そのせいで、着ていた侍女服が脱げてしまったようだった。
こうして状況証拠は、完成する。
着脱しやすい院内着のせいで、服をはだけさせるファイ。同じ布団から裸で現れたミーシャ。暑さのせいで上気する2人の頬。布団がめくれたことで蒸れた香りが漏れ、室内を満たす。
布団がめくれたことで感じた寒気に、ファイが「へくちっ」とくしゃみをすると同時。
「――破廉恥ですわぁぁぁ~~~!
顔を真っ赤にするニナが叫ぶにはあまりにも十分すぎる光景だった。




