第110話 私の、クセ?
「魔獣が暴走している、ですか?」
ピュレから飛んでいた緊急の知らせにのんびりとした声で返す。そんなニナを、ファイはご飯を食べながら聞いていた。
『そうなんです、ニナ様。すぐに人員を派遣してください。か弱いユアでは無理です』
通話口の向こう。自身の弱さを堂々と口にしているのはユアだ。なんでも、ファイが持ち帰ったウルンの果物で実験をしていた際、ユアの手に負えない魔獣が生まれてしまったらしかった。
疑いようのない緊急事態なのだろうが、事情を話すユアにもその報告を聞くニナにも焦りの色は見られない。それだけで、ユアの研究がどれくらいの頻度で失敗しているのか分かりそうなものだった。実際、「また~?」と呆れ顔なのはルゥだ。
「ユアちゃん。最近は控えめだなと思ったらこれだよ~」
『むっ。その声はクソザコのルゥお姉さんですね。ユアのツヨツヨ魔獣を倒せないくせに出しゃばらないでください』
ユアの言葉に、食事を口に運んでいたルゥの手が止まる。なお、今回ファイ達が食べているのはファイお手製の『ブル肉キノコ包み焼き』だ。ミーシャによる監修を経てファイが自身をもって作ることができるようになった、自慢の一品だった。
「……ユアちゃん? ムアちゃんならともかく、ユアちゃんを殺すのなんて簡単ってこと、忘れないでね?」
笑顔を引きつらせながら血の気の多いことを言うルゥ。ガルン人にとって、“強い”ことは誇りであり、身を守る盾でもある。そのため、舐められるという行為については、かなり敏感なようだった。だが、それはユアも同じらしい。
『ザコのルゥお姉さんこそ。いつだってユア自慢の魔獣がお姉さんを殺せるってこと、忘れてませんか?』
そう言って自分の強さを誇示し、相手に攻め込まれないように心がける。少しでも相手に「強いかも?」と思わせることができれば、ガルン人にとっては十分な成果となるのだろう。
(なるほど。だからユアもミーシャも。弱いのに、強がる……?)
ちょくちょく見かける不毛な争いにも実は意味があるのかもしれない。そんなことをファイが考えていると、意外なことに状況はユアの方に傾く。
『それに良いんですか、ルゥお姉さん? ユアがチューリにお願いすれば、ルゥお姉さんの“宝物”だってボロボロにしたり、盗んだりできるんですよ?』
あるていどの魔獣であれば、自身の思い通りに動かせるユア。彼女の力をもってすれば、ルゥの大切なものを壊すことができるのだとユアは言ってみせる。
「……分かりやすいハッタリ。そんなのがわたしに――」
『ニナ様の、ですよね?』
ユアがそう言った瞬間、完全にルゥの動きが止まった。
『入り口から反対の引き出し。その一番下。他にも専用の棚もありますよね? 前回使ったのは――』
「負け負け負け! わたしの負けで良いから、それ以上はダメ~!」
顔を真っ赤にしたルゥがニナからピュレを奪い取り、叫ぶ。
「って言うかなんで知ってるしっ! わたしの個人情報、どうなってるの!?」
『ふふん、やはりルゥお姉さんはザコですね。ユア自慢のピュレを使えば、少し隙間があるだけでちょちょいのちょいです』
「くっ……。ニナちゃん! この子、他人の恥ずかしい個人情報を良くない方法で握ってる!」
ルゥから水を向けられて、肉を頬張りながら目を瞬かせるニナ。やがてゴクンと口の中の物を飲み込むと、
「ルゥさん。ただ強いだけが“強さ”ではないこと、ルゥさんもよくご存じではないですか?」
ただ力が強いだけが強さなのではないと、もっともなことを言う。しかし、ニナが余裕の態度で居られたのもそれまでだ。
『ニナ様は執務机の最下段。その奥、ですよね?』
ニナの宝物がある位置をユアが言い当てたことで、ニナの笑顔も固まる。
『あと最近、私室に“何か”を持ち込んだことまでは分かってます。さすがにニナ様の部屋は警備が厳重でピュレを滑り込ませるほどの隙間はありませんでしたがいつか――』
「ユアさん。従業員の私室へのピュレの侵入はダメですわ。即刻中止し、以降は同様の行ないを禁じます」
『そんな!?』
一瞬にして方針を転換したニナに、ユアの焦った声が聞こえてくる。
『困りますニナ様! ユアは可愛いだけのか弱いガルン人なので、こうして身を守らないと――』
「ダメったらダメですわ。従業員の油断できる時間を奪うことは、さすがに許容できません」
「ってカッコつけてるけど、さっきまでニナちゃんも容認しようとしたくせに」
「ふふんっ。考えを柔軟に変えられてこそ、集団の長なのですわ、ルゥさん」
などと言い合う3人を、ファイは食事をしながら黙って見守る。これまで対面で誰かと話す機会はそれなりにあったが、3人以上で同時に話すことはほとんどなかった。ましてやニナ達が早口で話すこともあって、ファイは会話に入る機を見つけられずにいた。
自分だけが会話に置き去りにされる。疎外感と呼ばれる感覚を食事と一緒に味わうことになるファイ。それでも自分は寂しくないのだと平静を装って1人、肉叉で肉を頬張る。
(ニナの宝物は、執務室にあるんだ……)
一体彼女はなにを大切にしているのだろうか。家族思いで寂しがり屋な彼女のことだ。きっと両親や友人にまつわる何かなのだろうということは、ファイにも容易に想像できる。
となると気になるのは、やはり、最近になって新しく増えたらしいニナの宝物だ。ソレは私室に運び込まれたというが、果たして。
主人として。何よりもニナ個人への興味を瞳に宿しながら料理から顔をあげると、こちらを見つめるニナとルゥの姿がある。いつの間にか会話は止んでおり、不思議な沈黙が食事場に流れる。
「……えっと? ニナ、ルゥ。どうかした?」
もうそろそろ終盤となりつつある食事の手を止めて問いを投げかけるファイ。それに対してニナとルゥは顔を見合わせて、にやりといやらしい笑みを浮かべた。
「ユアちゃん。ファイちゃんの秘密って、ある?」
自分たちだけが秘密を晒したというこの状況が許せないのだろうか。ルゥが、それはもう良い笑顔でピュレの向こうにいるユアに尋ねる。
(私の、秘密……?)
そんなものあるはずないというのがファイの答えだ。なぜならファイは道具であり、恥ずかしいという感情を抱くための感情を持っていないと思っているからだ。そうでなくても、自分には汚れた過去はあっても恥ずかしい過去は無いとファイは胸を張れる。
実際、ユアの反応も微妙だ。
『ファイちゃん様ですか? 残念ながら、これと言ったものはありません』
「う~ん、そっかぁ……」
「さすがにファイさんですもの。そうですわよね……」
なぜかとてもガッカリしているように見えるルゥとニナ。無いと分かっていても、なぜかホッとしてしまうのが人の心理というものだろう。だが、ファイが胸をなでおろす前に「ですが」とユアが言ったことで、一気に場が緊張する。
『ファイちゃん様にはお部屋で過ごす時のクセがあります』
「クセ、ですか?」
そう言ったニナに目を向けられても、ファイ自身に自覚は無いため首を振ることしかできない。むしろそんなものがあるのならファイが知りたいくらいだ。クセとはその人の趣味や嗜好が現れる部分であり、ひいては“人間的”な部分でもある。
道具になるためには自身のクセを知り、改善する必要があった。
「ユア。私のクセ、は、なに?」
『そうですね。えっと。まずファイちゃん様は1人でいるときはだいたい裸、ですよね?』
「あ、うん。それはそう」
黒狼に居た時にボロボロの服を着て過ごしていたせいで、ファイは衣服を窮屈と感じることが多い。人前では服を着るという社会の常識を知っているために服を着ているが、自分以外に誰もいない私室にいるときは服を脱いで過ごすことが多かった。
「それだけ?」
なんだそんなことか、と、最後に残っている肉に肉叉を突き刺すファイ。しかし、彼女が肉を口に運ぶ直前、次なる暴露がユアからもたらされる。
『あとはそうですね。寝言が多いです。しかも内容に偏りがあって、だいたいお菓子かここで働いてる人たちの名前を呼んでます』
「……え」
さすがのファイも、寝ている時の自分のことは知らない。しかも睡眠はファイにとって最も恥ずべき、かつ忌むべき行為だ。そんな睡眠中の自分のことを言われても、ファイは否定することができない。
しかも困ったことに、ファイ自身が表にしていない――あくまでもファイはそう思っている――はずの好きな物たちについて寝言で言っているらしいのだから、ユアの言葉があながち嘘でもないように思えてしまう。
「ふ~ん……。だって、ニナちゃん?」
「ですわね、ルゥさん。うふふっ! ファイさんからの愛を感じますわぁ……!」
ルゥとニナから生暖かい視線を向けられようものなら、さすがのファイも恥ずかしくなる。なにせ自分の“好き”を、弱みを、こうして暴露されているのだから。
『あのヨワヨワ猫も、ファイちゃん様の寝言にびっくりして飛び起きるくらいには、寝言が多いです。あとあと、なぜか鏡の前で真顔の練習をしていたり――』
「あ、う、ぁ……」
『――寝台の上で三角座りをしている時も、最近はつま先で遊んでたりします』
「ぁ、ぁ、ぁ……っ!」
自分の“人間的”な部分を次々に指摘されて、もはや赤を通り越して紫色になりつつあるファイの顔色。この時になってようやくファイは、私的な空間を覗き見られることの危険性と、ニナやルゥ達が怒った理由を悟る。
こうして誰かに覗き見られていると分かっていたのなら、ファイはきちんと道具としての振る舞いをしていたし、完ぺきな自分を演じることができていたはずなのだ。
誰も見ていない。誰もいないからこそファイは油断して、素の自分をさらけ出していただけに過ぎない。
「ニナ! ユアの行動は、良くない! すぐやめさせるべき!」
「ふふっ! これで満場一致ですわね。ということでユアさん。次にピュレをしのばせるようなことがあれば……お分かりですわね?」
『な、なんですか。可愛いユアを脅すんですか、ニナ様。言っておきますが、ユアはどんな脅しにも屈しま――』
「ユ、ア、さん?」
『きゃいんっ!? わ、分かりましたよぉ、ぶぅぶぅ』
なんだかんだ言って結局は力なのかもしれない。今回のことで、この世の真理を覗き見た気がするファイだった。
(って、うん? 何か忘れてる……?)




