第105話 お揃い、だね
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「ニナは、強いんじゃないんだ、ね?」
「……ふぇ?」
思ったことや気づきは口にするようにニナから言われているファイ。遠慮なく、深慮なく、ニナへと気付きの内容を口にする。
「ニナは強いんじゃなくて、強くいようとしてるんだ、ね?」
ファイとは比べ物にならないだろう後悔を抱えているらしいニナ。だが、状況がニナに後悔することを許さなかった。両親を失ったことで、図らずもエナリアの経営権を手にしたニナ。だが、彼女はエナリアの経営についてはほとんど何も知らない状態だったという。
しかし、放っておいてもエナリアの中の時間は進む。魔獣は増えるし、探索者が来て色結晶や宝箱は減っていく。両親の形見とも言えるエナリアは、目に見えて荒廃していったことだろう。
ましてやニナは両親のことが大好きだった。“譲り受けた”と表現する大切なエナリアを維持することで日々、手も頭も一杯いっぱいだったに違いない。いや、それは今も同じだといえるだろう。
しかも、なまじニナが強いばかりに、色々な無理が押し通ってしまう。毎日のようにエナリアのあちこちを走り回り、それ以外の時間は執務室で書類仕事。つい寝落ちしてしまうくらいに根を詰めていた。
そうして主人が頑張るのだから、ほかの従業員も頑張るしかない。足りない人員の分だけ働いて、まずはニナが大切にしているエナリアの維持に努めている。リーゼやルゥの性格を考えれば、きっとずっとニナの側に居たいはずだ。だが、やはり仕事があるためになかなか一緒に居られない。
結果、ニナは独りだった。
「ニナは……、ニナも。寂しかったんだ、ね?」
つい先日、黒狼で知ったばかりの感情を、ニナの内心に当てはめるファイ。そうと分かれば、彼女が寂しさをこらえ切れていなかった場面は多い。
先日、両親について話していた時しかり。リーゼが返って来た時の異常なほどの甘えようしかり。そして、ことあるごとにファイに触れ合おうとしてきたことしかり。もちろんニナ自身の人懐っこさもあるのだろう。だが、やはりその裏には、唐突に大切な人を失った寂しさがあったに違いない。
その答え合わせというわけではないが、
「そ、そんなことありませんわ……」
寂しさを否定するニナの歯切れの悪さと言ったらない。恐らくニナ自身も寂しさには心当たりがあり、だからこそ隠そうとしてきたのだろう。
ではなぜファイがそれに気付けなかったのかと言えば、やはりニナが強かったからだ。いや、ニナを強いとファイが思い込んでいたからだろう。
ニナなら大丈夫。
そんな感情が、常にファイの中にあった。だからニナを心配することを、どこか避けていた。
しかし今、目を腫らして精いっぱいに“強がる”ニナの姿を見せられてしまっては、考えを改めるほかない。
「さっきの質問、だけど。……うん。ニナは、キレイじゃなかった。たくさんの人を殺してる。ニナは、汚い」
「汚い……っ!? ですが、そうですわね。キレイじゃないなら、そうなります、わよね……。あぅ、わたくしは、汚い……」
ファイの言葉を何度も繰り返すニナ。気のせいか、彼女の目端に光る物が再び現れている気がする。
「……ニナ、泣いてる?」
「泣いてませんわっ! 泣いてなんて、おりませんわぁ……っ!」
肩を震わせ目元を拭う。明らかに鳴いているのに泣いていないと言うその姿は、ミーシャにそっくりだ。
そんな主人の“弱い”姿を見て、わずかに表情を柔らかくするファイ。
「一緒、だね?」
「ぐすんっ……ふぇ?」
ファイの言葉の意図が汲み取れず、涙目で見つめてくる。そんな主人に、ファイはもっと詳細を語る。
「私も、ニナも。悪いことした。汚い。だから私とニナは一緒。……お揃い? だね」
いつだったかニナが教えてくれた言葉を使いながら、“一緒”について説明するファイ。この時ファイの顔に浮かんでいたのは、安堵の笑みだ。
ニナの弱さを垣間見たファイは、なぜだか彼女を身近に感じることができるようになった。
確かに、ファイにとってニナが眩しく、温かな存在――フォルンであることには変わりない。そして、ニナの過去を知って、ニナというフォルンに雲がかかったことも事実だ。
だが、ファイが暑さを苦手としているからだろうか。少し雲がかかったフォルンの方が、ファイとしては嬉しい。晴天にただ1つ、ぽっかりと孤独に浮かぶフォルンではなく、雲という仲間が一緒に居て、それでも世界を照らすフォルンの方がファイは好きだ。
「ファイさん~……? もう少しかみ砕いていただけると……」
「かみ砕く……。えっと、つまりニナは汚いけどキレイで、変わらなくて……。だから……」
と、ファイは自分が話の本筋を見失っていることに気付く。
「ごめんね、ニナ。なんの話だっけ?」
「えっ!? えぇっと確か……。ファイさんのお友達として、ご主人様として。わたくしは相応しい人物なのか、という話……だったような?」
「そう、だっけ……?」
「ええ。それで、わたくしはファイさんのおっしゃるようなキレイな人物ではないのだと教えたくて……あらら?」
どうやらお互いに、会話の目的地を見失ってしまっているらしい。結果としては、お互いに自身のどうしようもない過去を暴露し合うという形になっていた。
このおかしな状況に、しばらく見つめ合った後。「ぷふっ」と先にニナが笑う。危うく自身もつられて笑いそうになりながら――もう既に安堵のせいで微笑んでしまっているのだが――表情を引き締めたファイは、いつも通りを装う。
「だとすると、ニナ。その質問はおかしい。私はニナの道具。ニナが私を選ぶことはあっても、私がニナを選ぶことは無い」
「むっ! 先ほど自ら“相応しくない”とそう言って逃げようとした方のお言葉とは思えませんわ」
「――っ!? あれは……っ!」
揚げ足取りをしてくるニナの言葉に一気に顔を紅潮させるファイ。だが彼女の言うことはもっともなので、「『あれは』、なんですの?」と楽しそうに聞いてくるニナをムッとした顔で睨みつけることしかできない。
「……ニナ。人を困らせるのは良くない。違う?」
「はわっ!? おっしゃる通りですわぁっ! も、申し訳ございません。つい……」
何が「つい」なのか。ファイとしては追及することもできるのだが、今は話を先に進めることにする。
「えっと……。私は道具、だから。ニナが私を捨てることはあっても、私がニナから離れることは無い、よ? どれだけニナが“悪い人”でも。私はニナと、ずっと……」
道具を自称するのであれば、これ以上を言うのははばかられたファイ。なぜなら続けるはずだった言葉は、ファイ自身の願望になってしまうからだ。
言いたくても、言えない。言うわけにはいかない。もどかしさに眉をひそめるファイ。だが、恐らく世界で最もファイをよく知る少女は、
「――ずっと一緒、ですわね」
きちんと、ファイの言いたいことを汲んでくれる。
それはやはりファイにとっては弱い自分を見透かされているようで恥ずかしい。だが、同じくらいに心が満たされる。温かくなる。
――幸せになる。
ゆっくりとファイの方に歩いてきて、両手を取るニナ。
「ファイさん。少しだけ意地悪な質問をしてもよろしいでしょうか?」
上目遣いに主人に言われてしまっては、ファイとしても首を横に振るわけにはいかない。
「な、なに……?」
思わず風の膜を乱しながら身構えるファイに、ニナはゆっくりとした口調で話し始める。
「ご覧の通り、わたくしは取り返しのつかない過ちをしております。たくさん隠し事もしております。本当の意味でキレイなファイさんの隣にいるべき人物ではないのです」
わずかの間、表情を曇らせたニナ。だがすぐに顔をあげてファイの瞳を見つめると、普段のニナらしい真っ直ぐな言葉をファイにくれる。
「それでも、わたくしにはファイさんが必要なのです。ファイさんの可愛さが。何物にも染まっていない眩いばかりの白さが。わたくしにとっては紛うこと無き救い、なのですわ。なので――」
手と手を取り合い、息がかかりそうな距離で見つめ合いながら、ニナは最後の言葉を続けた。
「――これからも、わたくしと一緒に居てくださいます……か?」
この質問をニナが“意地悪”だと言ったのは、これが「はい/いいえ」を伴う質問だからだろう。それでも彼女は、出会った時のように「一緒に居てくださいませ」とは言わず、ファイの意思を問うことを選んだらしい。
たとえファイがこの手の質問を苦手としていることを知っていても、だ。
そして、例によって、ファイが自分の意思をさらけ出すことに躊躇し、返答に時間を置く――ことは無かった。
「分かった」
ただ一言。決まり切っている答えを口にする。なにせニナの質問はファイにとってもはや「はい」しか選択肢のない問いかけだからだ。
「う~ん……っ! 相変わらずの即、答、ですわっ!」
「あれ、ダメだった? けど私、何回もニナに言ってる、よ? 私は、ニナの物」
何度言えば分かってくれるのかともはや呆れ気味のファイに、わなわなと口を震わせるニナ。
「そうですわっ! そうなのですが! そうではありませんわぁっ!」
「そう」の三段活用をしてくる主人に、ファイはコテンと首を横に倒す。
「違う……? どこが違う?」
「風情ですわ、ふ、ぜ、い! 手を取り合って見つめ合う。そして将来の約束を交わす……。図らずも夢に見た構図でしたのにっ! こんなの、こんなの……あんまりですわぁぁぁ~~~!」
風の膜のおかげで、ニナの叫びがいつものようにエナリアに反響することは無い。
結局ニナが何を望んでいたのかは、ファイには分からない。終わりだけを見れば、エナリアでニナと初めて出会った時と同じようなやり取りをしてしまっている。
だが、あの時とは違うことも多い。ファイは自分の意思でこのエナリアに居て、ニナに仕えることを是としている。あの時はエグバの代わりだったニナだが、もはや彼女の代わりなどファイには居ない。きっとニナが居なくなった時こそが、ファイの死なのだろう。
言い換えれば、ニナと出会ったあの日から、ファイの“生”は始まったのだ。
「ニナ」
「まだあるのでしょうかぁっ!? もう既にわたくしの気力は0で――」
「ありがとう」
微かに目を細めたファイの感謝の言葉を受けて、うつむき加減から一転。ゆっくりと顔をあげて、目を瞬かせるニナ。そしてファイの顔と言葉とをゆっくりと咀嚼したらしい彼女は、元から大きな目をさらに大きくする。
ニナの目端にじんわりと滲み出す涙。だが、彼女がその涙を流すことは無い。ニナは強いのだ。
「ぐすっ……、もう……っ! 何がどうなって『ありがとう』なのか、サッパリですわ! サッパリ、なのですが……」
言いながら、淡い黄色の一枚着の袖でゴシゴシと目元を拭ったニナ。彼女が腕をどけたとき――
「うふふっ! こちらこそ、ですわ!」
――長い雲間からようやく顔をのぞかせたフォルンのように、眩い笑顔が浮かんでいる。
鼻水と涙で汚れてしまっているニナの顔。だというのに、ファイはやっぱり、ニナの笑顔をキレイだと思ってしまう。
と、その時ファイは、つい先刻まで抱えていたニナへの引け目のようなものがなくなっていることに気付く。ファイ自身の汚れが洗濯されたわけでもないのに、ニナと一緒に居られないと思えないのだ。いや、正確には、目の前で、ボロボロで笑っている小さな少女をどうしようもないほど支えたい。ファイの中にある強い想いが、ニナへの引け目をはるかに凌駕してしまっていた。
それはまごうことなき、ファイの本心であり、ファイにとっては忌むべき“弱い”自分自身だ。
(だけど、あったかい……)
ファイの胸に広がるじんわりと温かい熱。その熱を確かめるように静かに目を閉じ、胸元でぎゅっと手を握るファイ。
(もし、ニナがくれるこの温もりを感じるために「心」が要る、なら……)
初めて心を捨てたくないと思ってしまったこの時の情景を、自身の想いを、弱さを。そっと胸に刻み付けるファイだった。




