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第101話 ニナの、隠し事……?




「ん、ぁ……?」


 揺れる小さな背中で、ファイは目を覚ました。目の前にあるのは艶やかで癖一つない真っ直ぐな茶髪。真っ直ぐな線を描くつむじからは、牛乳のようなまろやかで甘い香りが漂う。いつもファイを抱きしめて安心させてくれる、心休まるニナの香りだ。


 どうやらファイはニナに背負われているらしい。


(私、どうして……)


 ファイが記憶をたどると、ひどく冷たい“過ち”が蘇ってくる。たくさんのガルン人を殺した自分は、ニナの理想を一緒に追うことができない。そう思ってニナのもとから逃げ出そうとしたものの、ニナによって力づくで阻止されたのだった。


「ニナ……」

「あら、ご機嫌ようですわ、ファイさん! どうかなさいまして?」

「えっと、下ろして?」


 現状、主人に迷惑をかけてしまっている。ファイとしてはそれが許せない。まずは自分の足で立たないと、と、背負うのをやめてほしいと言ったファイだったのだが――。


「イヤ、ですわ」


 プイッと顔をそむけたニナによって、ファイの願いはあっけなく粉砕された。


「どう、して?」

「だって、もしファイさんを下ろしてしまうと、また逃げてしまうかもしれませんもの」


 ニナにそう言われて、ファイはフルフルと首を振る。その際、リーゼによって整えられ、ルゥ達によって丁寧に手入れされている白い髪も一緒に揺れた。


「逃げない。……逃げても無駄、だから」


 後半になるにつれ気落ちした声になってしまうファイの声に、ニナはクスリと笑みをこぼす。だが、それだけだ。彼女がファイを道具に戻してくれることは無かった。


 以降はファイの方を振り返ることもなく、湿地帯を歩いて行くニナ。ここに住まうという住民のもとへと歩いて行っているのだろう。ひょっとするともう既に、何人かの住民とはやり取りをしたのかもしれない。


 魔獣たちの声と葉擦れの音が、ファイの耳を打つ。胸やお腹を通じて伝わってくるのは、ニナの体温だ。規則正しく上下する、ファイの視線。ゆりかごのような心地よい体験に、ファイの全身も弛緩していく。


 もはや抵抗も無意味だと悟ったファイは、自身の重みをニナに預けることにした。


「あの、ね。ニナ」


 肉付きも色も薄いファイの唇が、ポツリと言葉を紡ぐ。


「私、たくさんのガルン人を殺してる、の」


 ファイによる罪の告白を、ニナはただ一言、「はい」だけで受け止める。


「居住地もたくさん見つけて、壊して。色んな人の“大切”、と、“幸せ”。壊しちゃった……」


 ニナの首に回されているファイの腕が、キュッと強張る。


 これでニナはファイの汚れた過去を知ってしまったことになる。そして、ファイの予想が正しければ、この汚れはもう一生消えることは無い。自分がしてしまったことを修正できるのであれば、ファイはとっくにそうしているだろう。


(だって私の人生は、失敗ばっかり、だから……)


 考えずとも、自身の至らなさなど吐いて捨てるほど湧いてくるファイ。今だってそうだ。血と罪で汚れている自分に、ニナは触れるべきではない。そう思いながらも、ニナの首に回している腕に、細い腰を挟んでいる足に、力が入ってしまう。離れたくないと、そう思ってしまう。


 道具であるファイに主人を選ぶ権利など無いのに、ニナに使われていたいと願ってしまっているのだ。


 些細な所作や行動に出てしまう自身の弱さに、歯噛みすることしかできない。そんなファイがふと視線を感じて前を見ると、こちらを振り返っているニナと目が合った。


「あ……、ぅ……」


 感情を表に出してしまっていたこと。そして、弱くて汚い自分を見られていたことが分かって、赤面しながら俯くファイ。それでもニナがどんな表情をしているのかは気になって、上目遣いに彼女の顔を伺う。と、そこにはなぜか困惑したようなニナの顔があった。


「えぇっと……。ファイさんが探索者さんとして、ガルンの方々を殺してしまったことは理解しましたわ。ですが、それがどうして、わたくしの側に居られない、に繋がるのですか?」

「……え。だって、私は、弱くて汚い、から……。キレイなニナの近くに居たら、ニナも汚れちゃう」


 ファイは、土や泥などの汚れが簡単に他の物に移ることを知っている。それこそ触っただけで、汚れは簡単にキレイなものを(けが)してしまう。だからこそ汚れ物は洗濯して、キレイにしなければならない。


「ねぇ、ニナ。どうしたら、昔を変えられる? 何をしたら私は、キレイなニナと“一緒”できる、かな……?」


 そうファイが尋ねたとき、唐突にニナの歩みが止まった。そしてゆっくりとファイの方を振り返ったニナの瞳は大きく見開かれ、心の底からの驚愕の表情が浮かんでいた。


「わたくしがキレイ、ですか……?」


 言いながら、ようやくファイを地面に下ろしてくれるニナ。離れていく熱にファイが眉尻を下げたのは一瞬だ。すぐに道具としての自分を取り繕うと、


「そ、そう。ニナはキレイ、だよ?」


 自身の知るありのままの事実を口にする。だが、ファイの言葉を聞いたニナが浮かべたのは、諦めと納得が入り混じった、悲痛な笑みだった。


「ふふっ……うふふっ! なるほど。ファイさんは、ご自身がわたくしよりも汚い……罪深い人間なのだと、そう思った。だから一緒にいるべきではないと、そうおっしゃるのですわね?」

「そ、そう、なの? だけど……ニナ?」


 様子も雰囲気も普段とは異なるニナの姿に、思わずたじろいでしまうファイ。そうして1歩だけ引き下がってしまったファイの手を、いつの間にかニナの手が握っている。


「ファイさん。予定変更、ですわ。これから第16階層……“不死の階層”に向かいましょう」


 踵を返して、来た道を戻り始めるニナ。彼女にされるがまま、ファイは付き従うことしかできない。ただ、後方から盗み見たニナの表情は、どこか思い詰めたもののようにも見える。


 どうしたのだろうか。ファイにはよくわからないが、自身の汚れを告白してなおニナが手をつないでくれたことにはひとまず安心だ。少なくとも今すぐにポイッということはないらしい。


 一方で、これはファイ自身の問題でもある。たとえニナが手を握ってくれようとも、このままでは他でもないファイ自身が、ニナに使われることを許せない。


 だが、もしもの話。ウルンで目にした服を洗う洗濯機と同じで、人間の汚れ――過去――を清算するための道具や存在があるのだとしたら、それは間違いなくファイにとっての救いとなる。ファイとしてもぜひ、そんな便利な存在が居て・あって欲しいものだ。


(じゃないと、私は――)

「ファイさん」

「にゃ!? ……なに?」


 唐突に名前を呼ばれ、舌を噛んでしまったファイ。無表情で耳を赤くするという芸当を見せる彼女を振り返ることなく、ニナは言葉を続けた。


「ファイさんがわたくしをキレイだと言ってくださること、それはもう、心の底から光栄ですわ」


 口ではそう言っているが、ニナの横顔は張り詰めたままだ。“喜び”の感情は見えない。


「実際、わたくし自身もできることならそうあろうと……。ファイさんに相応しいお友達であろうと、振る舞ってまいりました」

「そう、なんだ……? けど、ニナ。私とニナはお友達じゃ――」

「申し訳ありませんがファイさん。今は黙って聞いていてくださいませ」

「う……。分かった」


 ニナに強い口調で言われ、口をつぐむ。そんなファイに、ニナは改めて話を続ける。


「先ほどの話。わたくしに迷惑をかけないように。そう言って自ら離れていこうとしてくださる……。相変わらず、わたくしのファイさんは優しくて可愛い、最高のお友達ですわ」


 ファイの方を振り返ることも、感情を声に乗せることもなく、淡々と話すニナ。ともすれば上辺だけの言葉のようにも聞こえるが、ニナが心にもないことを言うような人物ではないことは、ファイももう知っている。


「ですが、わたくしはファイさんにいくつか隠し事をしているのです」


 いつものように「隠し事?」と聞き返そうとして、やめたファイ。今は黙っていろと言われたからだ。


「例えば、最も重要なエナリアの核の在り処であったり、各階層にいくつかあるガルン側への出入り口であったり。機会が無かったというのもありますが、意図的に隠していた部分もありますわ」


 ニナが明かした真実に、ファイも微かに目を見開く。思えばファイはニナから「大好きだ」「すごい」「さすが」などの嬉しい言葉を貰った。しかし、恐らく道具としては最も大切だろう言葉――「信じている」とは一度も言ってもらったことが無い。


 ファイとしては少し寂しいが、当然だとも思う。


 まずファイはまだ多くのことを知らない。買い物1つ取っても、他人の力を借りなければならないほどだった。そんな自分を信用しろというのも無理な話だろう。


 また、ニナはこのエナリアに暮らす全ての存在の命を預かっている。自身の理想のためにファイを迎え入れてくれているが、一方で、エナリアの主としてきちんと線引きはしていたのだろう。


 一番大切なところ、一番重要な部分だけは、“部外者”であるファイに明かさない。分ける部分は分けているからこそ、ニナは周囲から信頼され、愛されているに違いなかった。


「心苦しいことに、まだファイさんにはエナリアの“全て”を明かすわけにはまいりません。ですが、1つだけ……。わたくしのことについては、明かしても問題ないはずですわ」

「ニナのこと?」

「はい。わたくしの両親、そして、ルードナム家について……。その答えがある16層へ、今から参りましょう」




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