第100話 一緒、できない
次なるニナのお散歩の地は、第11層の“表”だった。
横穴を抜けて、上へと続く階段を登った先。踊り場にある扉を開けると、そこには湿地帯が広がっていた。
(ここが第11層、安らぎの階層……)
ファイにとってはまだ見ぬ到達点。湿り気のある風に白い髪を揺らしながら、ファイは感慨と共にまだ見ぬ11層の地を観察する。
沼地に生える木々の向こう。赤茶けた地面にはところどころ雑草が生い茂り、時折思い出したように気がポツポツと生えている。遠くには背の低い岩山や雑木林。ファイがいるここを含め湖の周りには沼地が広がっている。
階層の広さは上層にある大樹林の階層と同じかそれ以上――直径100㎞くらいあってもおかしくなかった。
そんな第11層を一言で表すなら、“巨大”だろう。荒原を闊歩する恐竜たちだけでなく、空を飛ぶ鳥も、野を駆け回る動物たちも、今まさにファイを捕食しようと口を開ける蛇も。みんながみんな、大きい。
『シャァァァ!』
「〈ヴァンシュ〉」
体長10mはあるだろうか。丸かじりしようとしてきた濃緑色の蛇を火で創り出した矢で貫いたファイ。重量感のある音を立ててヘビが倒れるころ、背後からニナの声がした。
「ふぅ……。裳の裾が泥で汚れないようにしませんと」
振り返ると、同じく扉から出てくるニナの姿がある。ファイ達が出てきた扉は、湿地帯に転がる巨岩の1つをくりぬいて作られているらしい。当然、出入り口の扉には擬態したピュレが張り付いていて、そこに扉があると確信しない限りは絶対に見つからない擬態技術を持っていた。
「それで、ニナ。ここで何する、の?」
ユアの研究室訪問に続いて、この地で何をするのか。尋ねたファイに、ニナはいつものドヤ顔で言う。
「ふふんっ、よくぞ聞いてくれましたわ、ファイさん! 今回はこの地に住まう住民の方に生活状況の聞き取りをさせていただこうと思います!」
「おー。聞き取り」
そう言えば普通の住民たちはエナリアの裏ではなく表で過ごしているのだったと思い出したファイ。どうやらニナは彼ら彼女らの意見を聞きに来たようだった。
「ささっ、どんどん行きますわよ~! 付いてきてくださいませ!」
そう言って歩き出したニナに、ファイも付き従う。
ぬかるんだ地面と水たまり。あるいは身を寄せ合うようにして生える木々の、根っこ。それらを慣れた足取りで避けて進むニナが、背後にいるファイを振り返る。
「狩場としての側面を持つエナリアですが、一方で、行き場を失ったガルンの方々が住まう場所ともなるのです。ファイさんも他のエナリアで、お会いになったことがありますわよね?」
主人からの問いかけに、ファイはコクンと頷いてみせる。
「では、彼らの生活風景やお家を目にしたことは?」
「うーんと……」
ピュレを通じて話したこともあるし、このエナリアに多くのガルン人が住んでいるのは確かだ。となると、生活の拠点となる“家”が必ずあるはず。“不死のエナリア”だけでなく、これまでの探索者としての知識も総動員したファイは、ふと。
「そっか。『きょじゅうち』」
「その通り、ですわ!」
ファイの言葉に、ニナが花丸をつけてくれる。
エナリアを探索していると『居住地』と呼ばれる、ガルン人が生活していた痕跡を見つけることがある。
居住地には、エナリア産の様々な装備や道具が置かれていたりする。場合によっては箱や壺の中に宝・食料などが保管されていることもあり、売ればそれなりの額になることもあった。
そんな居住地の探索もまた、エナリア探索の旨味と言える。実際、ファイも黒狼に居た頃、たまたま見かけた居住地の捜索を見守ることもしばしばあった。
ただ、こうしてニナ達ガルン人と触れ合って彼女たちの事情を知れば、自分たちの行為の見え方も変わってくる。
居住地とは、その名の通りガルン人たちが暮らすための家なのだ。しかも、危険なエナリアに生活の拠点を置かなければならないほど困窮している人々が、必死に作り上げた安全地帯でもある。そこに土足で踏み入り、内部の物を“探索”の名目で物色し、戦利品として持ち帰っていたことになる。
(だから、たまにきょじゅうちで会うガルン人は怒ってた……?)
居住地を探索していると、ガルン人と出くわすこともあった。もちろんファイは組員の指示のもと片手で斬って捨ててきた。しかし、彼らが死に物狂いで大切な場所を守ろうとしていたことが、今なら分かる。
窃盗や強盗致死など、難しい罪状についてはファイも理解していない。他者の物を奪うことが“悪いこと”であるのだろうことも、ぼんやりとしか分かっていない。それでも、人が怒っていたということは、悪いことをしていたのだろうことはファイにも分かる。
そうしてガルン人たちにも生活があって命があったことに、改めて気付いてしまった時。
ニナの背中を追っていたファイの足が、ピタリと止まってしまった。
「――あら? 急に立ち止まられて……。どうかいたしましたか、ファイさん?」
前方。淡い黄色の一枚着を揺らして立ち止まったニナが、ファイのことを不思議そうに見てくる。
以前、彼女がルゥの家族を殺したと聞いた時、ファイは自身の中にあるニナへの信頼が揺らいだのを感じた。それはニナの手がもう既に血で汚れており、笑顔の裏に“何か”があると思ってしまったからだ。
今はニナにも事情があったのだと分かって、ファイの中にあるニナへの信頼は回復している。
しかし、自身が探索者として積み上げてきた過去を振り返ってみたとき、ファイは自分の方がよっぽど多くの命を奪ってきたのだと気付く。
(私、どれくらいガルン人を殺した、の……? どれだけの人の大切、を、奪った……?)
自分の手を見てみるファイ。果たして自分はこれまで何人の命を奪い、どれくらいの物を奪ってきたのか。もはやファイには分からない。それくらい、ファイはこれまでガルン人を、斬って、殴って、焼いて、溺れさせて、殺している。
それを数えようともしてこなかった過去の自分は、なんと愚かだったのだろうか。
(また、私の“知らない”が、迷惑を……)
いや、迷惑などという生ぬるい表現ではない。もっとおぞましい失敗を自分はしてきたのだと、ファイは気付いてしまう。
いつの間にかファイの全身は凍えたように冷たくなっており、震えていた。
失敗をしてしまった。ならばまずは謝罪を。そう思っても、もう相手は死んでいるためどこにも居ない。そもそも謝っても、許されるようなことではない。
「ファイさん……? 可愛らしいお顔が真っ青ですが……。ファイさん~?」
普段は名前を呼べば必ず目を合わせるファイが、そうしないことに疑問を覚えたのだろう。ニナがファイの方に歩いてくる。
ニナは、このエナリアをガルン人もウルン人も関係なく幸せで満ちた場所にしたいと言った。そんなニナの夢こそがファイの夢でもある。しかし――。
(私は、ニナの側に居て良い、の……?)
数え切れないほどのガルン人の命を斬り捨ててきた自分が、果たしてニナの夢を支えるに足る“道具”なのだろうか。ガルン人の幸せを願う権利など、あるのだろうか。
何より、大切で大好きなニナの、キレイ
「どうかいたしましたか――」
「ごめんね、ニナ」
自身に向けて伸びてきたニナの手が振れる前に、その場を後にする。
これからどうすれば良いのか。どうすれば自分の“汚れ”を洗い流して、ニナが扱うに足るきれいな道具になれるのか。
どうにかしてその答えを見つけようと駆け出したファイだが、ほんの数秒でその足は止まる。
彼女の優秀な脳は簡単に答えを導いてしまったからだ。何も知らない今の自分がたった1人でどれだけ考えようとも、キレイになる方法など分からないのだと。
「どう、しよう……。どう、すれば……」
力なく、虚空に向けて疑問を投げかけるファイ。数秒とかからず聞こえてきたのは、ニナの声だ。
「ファイさん~! どうなされたのですか~……っとと!」
ファイの隣で急制動したニナが、地面を滑りながら腕を回して制止する。
「まったく! どうなさったのですか、ファイさん! 急に走り出し、て……ファイさん!?」
ニナが言葉の途中で驚いたのも無理ないだろう。
「どうしよう、ニナ。私、ニナの夢に一緒、できない……」
そう言ったファイの頬には、透明な雫が伝っていたからだ。絶望のあまりそのまま地面に頽れるファイの身体を、すんでのところでニナが抱き止めてくれる。おかげでファイが頭を打ったりすることは無かったのだが、
「――っ! ダメ、ニナ! 離し、てっ!」
こんな自分はニナに相応しくない。触れてもらう資格などない。そう思いながら必死に抵抗するファイ。しかし、震える身体には上手く力が入らない。それに加えて、
「むっ。何が何やらサッパリですが、わたくし、ぜぇ~ったいに離しませんわっ!」
もとより身体能力で劣るファイが、ニナの全力の抱擁から逃げられるはずもない。
「ファイさんが黒狼に行かれたあの日、もう絶対ファイさんを離さないと決めたのですわ! なので、ぎゅ~……っ!」
「あっ、ぅっ、待って、ニナ……」
「待ちません、離しませんわっ(ぎゅ~~~っ)!」
「ぅ、ぁ……いき、が……。だ、め……きゅぅ……」
身体能力だけで言えばガルンでも屈指の力を持つニナの長時間にわたる抱擁によって、ファイはついに絞め落とされてしまうのだった。
なお数秒の間を置いて、全く動かなくなったファイを不審に思ったのだろう。
「あら……? ファイさん……? ファイさ……ファイさぁぁぁ~~~ん!?」
ファイを気絶させた犯人の叫びがエナリアに響いたのは言うまでも無かった。