第10話 存在が可愛いすぎますわ!?
「はむっ……。あぐ、あむっ……」
静かな部屋に、食事に食らいつく少女の咀嚼音が響く。
「んく……っ。あむ、はぐ……っ」
喉を鳴らして飲み込んだかと思えば、目の前に並んだ出来立ての料理を指先でつまみ、丸ごと口へ。ブル肉の一枚焼きなどの大きすぎるものは豪快に噛み千切り、モグモグと口を動かす。
「ちゅっ……んく、んく、んく……ぷはぁっ。……あむっ」
牛乳煮込み汁が入った深皿に顔を突っ込んで喉を潤した後は、再び目の前に並んだ料理に、文字通り手を付ける。
無表情のまま手と顔を汚して食事をするファイの姿を、ニナは何とも言えない気持ちで眺めていた。
(「好きに食べてください」と言ったのはわたくしでしたが、ここまでとは……)
表面上は笑顔を保ちながらも、内心でため息を吐いたニナ。その原因は、ファイの汚らしい食事作法に関して――ではない。14、5歳になる今の今まで、ファイに食事作法が教えられていないことに対してだった。
(本当に、戦闘とエナリアに関することだけしか、教えられてこなかったのですわね……)
自身も銀食器を使ってブル肉の一枚焼きを口にしながら、ニナはファイの過去に想いを馳せる。
そもそも出会った時から、ニナには違和感はあった。通常、安全を考慮して何人も連れ立ってエナリアに来る探索者。しかも、ウルンにとっては貴重な戦力であり財産である白髪の少女が、なぜか1人でエナリアに取り残されていたのだ。
当然、ニナは罠を疑った。ナーダム・パル・エルム――エナリアの管理人たる自分をおびき寄せるためであれば、ウルン人たちが白髪というエサをちらつかせてもおかしくないからだ。
というのも、エナリアは“核”を破壊することで、崩壊させることができる。その際、莫大なエネルギーが発生し、高純度の色結晶が生れ落ちる。探索者と呼ばれる人々の最終的な目標は、エナリアを破壊して赤以上の色結晶を発生させることにあった。
そして、ニナが預かるこのエナリアは、ウルンで赤等級とされている。10~15層の階層があり、最深部では赤色結晶を採掘することができると目算されているエナリアだ。
しかし、実際は違う。自分とファイが今いる階層――20階層に、巨大な黒結晶がいくつもあることを、ニナは知っている。
(つまり、わたくしのエナリア。本当は黒等級のエナリアということに……)
ニナの考えうる限り、自身のエナリアが赤等級とされている要因は2つ。1つはガルン人による死者がここ10年ほど――両親が死んで、ニナがエナリアを管理するようになって以来――出ていないこと。また、20階層まであることを知られていないこと。
以上2つの観点から“危険度が低い”として、赤等級にされていると思っていた。
とはいえ、実質“黒等級”の巨大なエナリアだ。もし核を破壊してエナリアを崩壊させることができれば、最高純度の色結晶――黒結晶が手に入ることはまず間違いない。それも、複数個手に入ることだろう。
それを目的にファイをエサとして差し出し、核の管理人たる自分を誘い出す。そして、黒等級の探索者たちで強襲する作戦が妥当だと思っていたニナ。
しかし、結局、ファイを助けて今に至るまで、自分を殺そうとする動きは無かった。何よりもファイ自身に全くと言って良いほど敵意が無かったのだった。
(ファイさんを助けたのは、わたくしを釣るエサとして利用されたのが可哀想だっただけです。本当は、治療した後はウルンに返す予定だったのですが――)
相当お腹が空いていたのか、次から次へとお皿をきれいにして行くファイ。口いっぱいに食べ物を頬張る彼女の姿を、ニナはため息とともに眺める。
(――ファイさん、可愛すぎますわぁぁぁ~~~!)
淑女としての威厳を保つために笑顔で表情を取り繕っているが、気を抜くと、人としてダメな顔になる自覚が、ニナにはあった。いや、ファイを眺めるニナの口元には、きちんとよだれが垂れていた。
可愛いもの。それは、血と肉と戦闘にまみれたニナの生涯において唯一、色を持つものだ。
ニナが可愛いモノ好きになった理由は、母にある。ウルン人だった母が幼少のころにくれたクマのぬいぐるみ。子供心をくすぐる、丸いフォルム。つぶらな瞳。もふもふの手触りと、柔らかさ。それは、殺伐としたガルンで生きていた幼いニナの心を、一瞬で奪った。
以来、定期的にガルンに会いに来てくれた母から貰う可愛いぬいぐるみが、ニナの宝物になっている。今もなお、彼女の私室には大量のぬいぐるみが飾ってあった。
そして今、ニナの目の前には、新たな可愛いモノ、愛すべきモノ――ファイの姿があった。
(どう考えてもお辛い過去。そんな日々を生き抜くために、ファイさんは自分を偽る技術を身に着けた……)
可能な限り“自分”というものを排除し、考えないように――絶望しないようにしている。それが、ニナの思うファイという少女だ。
(ですが……。ですがっ! そうやって自分を守ろうとしていることそれ自体が、ファイさんが人間であること。心があることの証明になってしまっている……)
明らかな矛盾を抱えながら、無意識にそれを見てみぬふりをして、「道具として使われよう」としている。
(そんなの……。そんなのっ! あまりにも不器用すぎて、愛さずにはいられないではありませんかぁぁぁ~~~!)
ファイとは性質の異なる鉄仮面の奥で、身悶えるニナ。
最初は、同情だった。たった5分で自分の人生を語り終えてしまう。それでも自分は“幸せ”だったと本心から言えてしまうファイに、ニナは新しい“幸せ”を見つけて欲しかった。
自分が、両親からたくさんの愛を、幸せを貰ったように。あるいは、両親亡きあと多くの家臣たちが離反していく中で、今なお残ってくれている数少ない家臣たち。彼女たちから毎日のように貰っている幸せを、今度は自分が誰かに与えたい。そう思って、ニナはファイに手を差し出した。
――このエナリアでは、みんなを幸せにしたい。
ニナが抱く夢の第一歩として、白髪という祝福を受けた不幸な少女を助けたいと、そう思っていた。
しかし、紅茶を飲んで嬉しそうに輝く金色の瞳が。泣いてしまったニナの涙を払った、細くしなやかな指先が。無意識のうちに動いているのだろう眉尻や、口角が。道具であることに徹し切れないファイの不器用さ、中途半端さ――人間らしさが。
ニナにとってはあまりにも愛おしく感じられた。
(あぁっ、お皿は舐めてはいけませんわっ! お肉は肉叉、小刀を使って切り分けるのです! 麦餅は一口大にちぎって……)
まるで小さな子供のように、行儀悪く食事をするファイ。しかし、器用なことに、汚れているのはファイだけだ。手や顔、きれいな白髪も食べ物で汚れているが、テーブルや椅子、床は絶対に汚さない。ファイにとっては借り物なのだろう服に落ちそうになった汚れも、持ち前の身体能力で素早く対処している。
(……汚して良いのは自分の身体だけ。それがファイさんの知る、食事のお作法なのですわね?)
食事を終え、指についている調味タレすら勿体ないと、小さな舌できれいに舐め取っているファイ。彼女にまずは常識を教えることが最優先かもしれない。そうニナがファイとの今後について考えていた時、
「ニナちゃん~! 王様から招集が……」
頭に大きな2本の巻き角を持つ侍女服姿の少女が部屋に入ってきたのだった。