第1話 私はファイ。ただの“道具”
「ファイ。ここはお前に任せて先に行く!」
背後から響いた男の声に、ファイと呼ばれた白髪の少女はコクリと1つ、頷いてみせた。乱雑に切られ白い髪にはフケが目立ち、皮膚にも垢が残ってしまっている。ぼろきれ1枚しか与えられず、下着も何も身に着けていない姿を見れば、彼女がどのような環境で育っているかは明白だった。
ファイが居るのは、“エナの洞窟”と呼ばれる摩訶不思議な洞窟。床や壁、天井から突き出した夜光石がぼんやりと照らす、半径50mほどの半球状の空間だ。
「全員がこの層を出たら、適当に戦闘をやめて引き返してこい!」
ファイの背後。エナリアで産出される色結晶と呼ばれる宝石が入った袋を背負いながら、男たちが駆けていく。
彼ら犯罪者集団『黒狼』の面々こそ、ファイにとって自身の所有者であり、主人だった。
「つまり、私の役目は……足止め?」
「そうだ! 分かったら戦闘に集中しやがれ!」
「ん、分かった」
自身の役割をきちんと理解したファイは、黒狼たちからの指示に頷いて、目線を正面に居る敵へ向ける。
そこには、身長5mを越える巨大な男が立っていた。浅黒い肌にいかつい顔、禿げあがった頭。腕も足も、樹齢数百年を超える大樹のような太さをしている。
その男は、ファイ達が生きる世界――ウルンで『魔物』と呼ばれる存在だ。個体ごとに特殊な力をその身に宿す魔物たちは、どういうわけかウルン人を襲い、捕食する習性を持っていた。
(多分、若い巨人族。特殊能力は、なさそう……?)
ファイの予想では、この巨人であれば自分1人でも倒せないことは無いはずだ。ただし、黒狼の人々に言いつけられている指示は“敵の足止め”だ。倒すことではないと、自分に言い聞かせる。
と、そうしてファイが敵の観察と自身の役割の確認をしていた時だ。
『ヌゥン……ッ!』
気迫と共に、巨人がファイに向けて手にした斧を振り下ろしてきた。
巨人が振るう斧も身体に合わせて巨大なものだ。ファイに迫っている手斧も、身長158㎝のファイを軽く超える大きさをしている。
常人離れした腕力と質量をもって振り下ろされる巨大な斧。しかし、ファイはその斧を、
「ふ……っ!」
両腕と、唯一与えられている武器である剣1本で迎え撃つ。
洞窟に響く、鈍い音。巻き上がる粉塵。巨人が振り下ろした巨大な斧を中心として地面が激しく揺れ、ファイの背後に居た男たちが悲鳴を上げてたたらを踏む。
大きさだけで言えば、大人と赤ん坊くらいの違いがある巨人族とファイの身長差。普通に考えれば、勝負にすらならない力比べだ。
しかし、粉塵が晴れたその場所には、
「……(ふんすっ)」
ひび割れて陥没した地面の中心で、何食わぬ顔で巨人族の斧を受け止めているファイの姿がある。それどころか、
「んっ」
ファイが息を吐きながら剣で斧を押すと、巨人族の男の方が数歩後退することになった。
顔を驚愕に染めていた巨人族だったが、思うところがあったのだろう。こめかみのあたりに血管を浮き上がらせ、ファイを睨みつけてくる。
一方で、ファイとしてはなんの感慨もない。幼いころからエナリアに投入され戦闘をさせられてきた彼女にとって、殺し合いもまた、呼吸と同じくらいに自然なものだった。
「ファイ! もう少しうまくやれ! 危うく色結晶を落とすところだったじゃねぇか!」
ファイの背後から、非難の声が飛んでくる。それを発したのはもちろん、ファイの主人である黒狼の組員の1人だ。
世間一般には、よくある罵声だろう。多くの人は気に留めない。だが、ファイにとっては違う。
(私、ちゃんと“道具”……できなかった?)
自分を殺そうとしてくる巨人の殺意にすら震えなかったファイの身体が震え始める。
(このままじゃ、捨てられる……。はやく、挽回しないと……っ!)
血の気を失った顔で剣を握り直すが、巨人族に向けられる剣先は分かりやすく震えてしまっていた。
そんなファイの様子と、黒狼の組員たちとを交互に見た巨人族の男。今の一幕は、ファイと黒狼組員たちとの力関係を把握するには十分だった。
『……なるほどな!』
魔物特有の言語で何かを言った巨人が、手にしていた斧を思いっきり振りかぶる。そして、ファイの後方に居た黒狼組員たちに向けて、
『死ねやっ!』
全力で投げる。その巨人族の声で我に返ったファイ。
「……っ!? 〈フュール〉!」
無意識のうちに、彼女の身体は動いていた。風を操る魔法で移動に伴う空気抵抗を減らし、消えたと見まがう速度で巨人族が投げた斧の行く先に先回りする。
(黒狼の人たちだけは、守らないと!)
道具である自分に指示をくれる人――存在を認めてくれる人――を失うわけにはいかないと、ファイは回転しながら飛んでくる斧の動きに金色の目を向ける。
ただし、そこでファイにとって予想外の事態が発生した。ファイの移動によって発生した暴風が、背後にかばった黒狼の組員たちを吹き飛ばしてしまったのだ。
結果的に斧の軌道上から黒狼の組員が外れ、彼らを守ることはできたのだが、
「てめぇ、なにしやがる……」
背後。遠ざかって行く組員の怒声を聞いて、ファイは再び自身の失態を自覚する。
ファイに任されていたのは、敵の注意を引き付けることだ。しかし、いま自分は敵の注意を引くことに失敗し、さらには命令を無視して黒狼の人々を守ろうと動いてしまった。
過去のとある出来事から、自分を“道具”だと認識しているファイ。彼女にとって、命令違反は自身の存在を自ら否定するようなものだ。
「ぁ」
役に立たないと思われてしまうかもしれない。捨てられてしまうかもしれない。そんな恐怖が喉から漏れ、ファイの身体を硬直させる。その一瞬の間に、斧はファイの目前まで迫っていた。
「……ぅっ!」
どうにか反応して、重量のある斧を弾いて見せたファイ。しかし、その時には、彼女の意識と目線は完全に巨人族から離れてしまっていた。
慌てて巨人の居た場所に目を向けるファイだが、もうそこには誰も居ない。
(……!? …………!?)
暗闇の中、敵を探して激しく左右に動く金色の瞳。それだけでは敵が見当たらず、首を動かし、身体を動かして敵を探す。が、あの巨体がどこにも見当たらない。
(……まさか)
ファイが上空を見上げたその瞬間――
直上から降ってきた巨人族が、ファイの身体を押しつぶした。
数百㎏もある巨人族の踏み潰し攻撃だ。衝撃はすさまじく、地面には大きな亀裂が走り、生まれた衝撃波が黒狼の組員たちをさらに遠方へと押しやる。
そんな攻撃の中心地――巨人族が降ってきたまさにその場所にいたファイは、仰向けの状態で、巨人族に踏みつぶされてしまった。
「ぅ……っ!」
この世界において、ファイの白い髪色は「特別」を意味する。先ほど巨人族を剣一本で押しのけたように身体能力は並みの人間とは一線を画し、身体も極めて頑丈だ。この程度の攻撃で身体が完全につぶれるようなことは無い。
しかし、そうはいっても限度がある。超重量の巨人族による踏み付けを無防備に受けてしまったファイ。彼女の身体は、もはや満足に動けない程度には、全身の骨という骨が砕けてしまっていた。
『は、白髪のウルン人……! これで僕も、強くなれる……!』
舌なめずりをした巨人族の男が、動けなくなったファイをつまみ上げる。頑丈なファイの身体は噛み切れないと判断したのだろう。丸飲みにするべく、男が上を向いて大きく口を開いた。
(あっ……。私、食べられちゃうんだ……)
宙ぶらりん状態のファイの眼前に広がる、死へと続く道。しかし、ファイに悲壮感はない。
(良かった……。私、“食べ物”になれる……)
最期は魔物の活動源として生を終えられる。死んでもなお、壊れてもなお、人の役に立つことができる。常人には理解できない感覚だが、道具を自認するファイにとって最後まで人の役に立つ道具でいられることは至高の喜びだった。
『いただきま~す!』
浮遊感に包まれるファイの身体。もうすぐ訪れる最高の死を前に、しかし。ファイの中にふと、ささやかな願望が湧いた。
(――もう少しだけ、道具で居たかった……な)
指示を貰って、役に立って。お前は生きていても良いんだ、と、誰かに言って欲しかった。そうしてファイが人生で初めて抱いた願望――未来への希望――は、
「間に合いましたわぁぁぁ~~~!」
そんな少女の声によって、繋がれる。
「大丈夫ですか、探索者さん!?」
次に気が付いた時、ファイは誰かに抱きかかえられていた。
「だ、れ……?」
「わたくしはニナ! ニナ・ルードナム、ですわ! 久しぶりに中層にいらした探索者さんを、このエナリアの主としてお出迎えしようと――」
「げほっ、けほ……」
「はわぁっ!? 口から血が……!?」
どうやらこの人物――ニナが、食べられそうなファイを助けてくれたらしい。
ただ、痛みと失血で朦朧とする意識のせいで視界がぼやけて人相は判然としなかった。
「あ、あの! わたくしのウルン語に、誤りはございませんか!? お気を確かに!」
ウルン語で行なわれる、ファイへの問いかけ。声からして幼い少女のようだ。しかし、彼女が無遠慮にファイの身体を揺さぶったせいで、ファイの全身に激痛が走る。
脂汗をかき、顔を真っ青にしながら。それでもファイは道具であるという矜持を捨てない。
「だい、じょうぶ……だよ? わた、しは……道具、だから……いたく、ない……」
「何をおっしゃっているのかサッパリですわ!? も、もしかしてわたくしのウルン語に誤りが……。って、そ、そんなことを言っている場合ではありませんわっ! お仲間のウルン人さん達はどこに……」
きょろきょろと周囲を見回し、誰かを探しているらしいニナ。巨人族はどうしたのだろうか。黒狼の組員たちは無事なのか。そんな疑問がファイの中に湧き上がってくるが、
「もう、無理……きゅぅ……」
根性だけで保っていたファイの意識が、ついに落ちていく。
「はわわっ、気を失われてしまわれました!? ど、どうすれば……どうすれば~~~っ!?」
慌てたような少女の声を最後に、ファイの意識は闇に飲まれていく。
まさか自分が数日後、この少女――ニナと共にエナリアで“働く”ことになろうとは、この時のファイは思ってもみない。
空っぽだった自称“道具”の少女・ファイ。彼女がニナとのエナリア経営を通じて命を知り、人を知り、世界を知り。そして、幸せを知る日々が、こうして始まる――。