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第二章 そのピンクツインテールを忘れない

第二章そのピンクツインテールを忘れない


 おそらく本人は覚えていないだろうけど、ボクは一年前、彼に出会っている。

 あの日のことは、今でもよく覚えている。というか、これからもずっと、絶対に忘れない。ボクにとってはキラキラ輝く、宝物のような記憶。

 場所は何でもない、地球防衛局の廊下だった。それは、一番最初のパイロットに契約解消を切り出された日で、ボクのハートドライブの中は、色んな気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。

 初めて涙というものを流したのも、その時が初めてだったと思う。感情が制御出来なくて、今までの自分というものがどこかに行ってしまったかのようだった。

 未佳ちゃんも奈美ちゃんは、パイロットの言葉を聞くなり、何処かへ行ってしまった。だけど多分、ボクと同じ、どうしようもなく暗い気持ちになっていたんじゃなかろうかと思う。

 それまでは、世界はいつだって楽しいものだと信じて来た。自分達は立派なスーパーロボットになって、有名になって、名機として後世に語り継がれて行くんだという夢を抱いていた。

 しかし、現実は厳しくて、どう頑張ってもサヤナミカへの合体は出来ないし、単機のハートドライブ出力も並以下。おかげでパイロットには、不良品とすら言われてしまった。

 あぁ、絶望ってこういうことなんだなぁ、と膝を抱えて廊下の隅にうずくまり、絶え間なく込み上げてくる涙に、唇を噛み締めていた。

 そんな時だ、彼が声を掛けて来たのは。

「どうした、何泣いてるんだ?」

 顔を上げると、一人の少年が立っていた。パイロットスーツを着た、やたら大人びた印象を受ける少年。

 ボクは慌てて目元を拭う。

「別に、何も」

「泣いてるのに、何もないってことはないだろ。それともあれか、泣いてる理由を知られるのが恥ずかしいってやつか」

「恥ずかしくない人がいるわけないじゃん!」

 何を当然のことを言っているのか、彼は。そんなのスーパーロボットのボクでも分かる。

 彼は手の平で払う仕草をして、

「だったら、廊下なんかで泣いてないで、家に帰ってから泣け。こんな所で泣いてるのは誰かに構って下さいって言ってるようなもんだ。で、お前はどっちだ。構って欲しいのか、そうじゃないのか」

 ぽん、と頭の上に手を置かれる。

 それが無性に暖かくて、優しくて、我慢しているのに勝手に目から涙がぽろぽろと溢れてきて、気付くと嗚咽混じりに口が動いていた。

「ぶぇえぇえぇ~、がまっでぐだざい~っ!!!」

「あー、分かった。分かったから、とりあえず涙と鼻水を拭け」

 その後、夜の闇に包まれた屋外に出て、地球防衛局の敷地内にある公園に場所を移し、ボク達はそこにあるベンチに腰掛けた。

「ほれ」

 公園内の自動販売機で買ってきたらしい『ミルクたっぷりカフェオーレ』と書かれた缶ジュースを手渡される。とっても温かった。

「あ、ありがとう」

 ボクはそこで彼に色々なことを話した。

 自分がスーパーロボットであること(何故か凄く驚かれた)、自分が合体ロボで、なかなか合体出来ないこと(これまた凄く驚かれた)、それが原因で、パイロットに契約解消を言い渡されてしまったこと。

「それで、これからボク、どうしたらいいのか分からなくて」

 彼は特に悩む様子もなく、

「合体出来るまで、ひたすら練習したらいいじゃないか」

「なっ……練習しても出来ないから困ってるんじゃないか!」

「それでも出来ないってことは、まだ練習が足らないってことだろ。そんなもん、出来ない奴の言い訳だ。世の中には必死に努力して出来るようになった奴が一杯いる。出来ないから努力したくないと思うような目標なら、そんなの叶える価値なんてない。さっさと諦めちまえ」

 ボクは彼を見上げる。決して、冗談を言っている顔ではなかった。彼は本心からそう思っているのだ。

「君は……目標とかあるの?」

「ああ、あるぞ。俺はその目標を叶える為なら、他人に才能がないと言われても、不可能だと言われても、絶対に諦めない。努力をし続けて、いつか必ず叶えてみせる。それが俺の、心に決めた生き方だ」

 本当に真っ直ぐな瞳をした少年だった。ボクは、こんな人が自分達のパイロットになってくれたら、どんなにいいだろうと思った。

「ボクにも……出来るかなぁ?」

「そんな目で見られても、無責任なことは俺には言えないぞ。それに俺は別に、お前のパイロットってわけでもないしな」

「うん……」

 さっき会ったばかりだけど、そう言われると、何だか凄く寂しい気持ちになった。

「でもまぁ、パイロットじゃなくても言えることはあるか――」

 しかし、不思議なのは、次の彼の言葉でそんな気持ちも一気に吹き飛んでしまったこと。

「――絶対に、諦めるなよ」

「……うん!」

 これが『恋』なんだってことを知るのは、それから少し後になる。




 俺は今、地球防衛局東京第一支部の司令執務室にいる。

 普段はほとんど、というか、全くと言っていい程来ない。三年前、初めてスーパーロボットパイロットになった時とかに来たぐらいである。

 たとえ目の前にいるのが、昔から付き合いのある姉の親友であったとしても、場所が場所だけにやはり緊張する。

「つまり、サヤナミカとミストリアによる、一対一の模擬戦を行いたいわけね」

 司令・羽柱鈴音さんは最初俺に、次に横にいる京極へと視線を移す。

 二十四歳という年齢以上に落ち着きのある女性で、栗色の髪を三つ編みにして、肩に流している。ほわんとした雰囲気を漂わせている美人だが、決してその外見に騙されてはいけない。若くして司令をやっているだけあって、宇宙怪獣襲来などの非常時は、別人のように怖い人になるのだ。

 いや、嘘を言った。普段も割と怖い。個人的なランキングで、怒らせたくない人物ナンバーワンである。俺は普段からだらしのない姉さんに怒られたことはないが、この人には散々怒られた覚えがある。

 今の緊張は、そうやって脳内に刷り込まれた恐怖も関係していた。

「はい……」

 あれから冷静になって頭を冷やした俺は、勢いのまま京極に掴み掛かったことを後悔し始めていたので、控え目に返事をする。

 もしも駄目だと言われたら、別にそのまま無しになってしまっても構わなかった。というか、むしろ無しの方向で。

「霧夜くんは、模擬戦に異論はないかしら?」

「ありません。むしろ歓迎してるくらいです。同期のパイロット同士とはいえ、こういう機会はあまりありませんから」

 横目で俺を見て、二ヤリと口の端を吊り上げる京極。

 鈴音さんは「そう」と目を瞑り、左手の親指で、自らの下唇をなぞる。いつもの考え込む時のポーズである。

 やがて、微笑んで、

「分かったわ。サヤナミカとミストリア、二体のスーパーロボット同士による模擬戦を認めます」

 最悪だった。いや、今朝の通学路で京極と出くわした時点で、運命は決まっていたのかもしれない。

 鈴音さんは机の中から『演習許可証』と印刷された書類を二枚取り出し、胸ポケットから万年筆を抜いて、さらさらと文字を書き連ねて行く。

「それで、模擬戦の期日はどうする? もう決めてあるのかしら?」

「えーと……」

 オールバック男の様子を窺うと、奴は白い歯を覗かせる。

「僕は今すぐにでも構いませんけどね。ただ、白坂にも色々と事情があるでしょうし」

 今すぐだとマズい。凄くマズい。

 せめてサヤナミカと作戦を練ってからでないと、まず勝ち目がない。

 鈴音さんは、くすくすと笑う。

 ああ、笑顔が怖い。

「幾らなんでも、今すぐは無理よ。演習場の準備があるもの。それに二人も知っての通り、今月は、火星の近くで発見された大型宇宙怪獣を倒す為に、ベテランパイロット達が皆出掛けているから、スーパーロボットを迂闊に損傷させるわけにも行かないし。そうね……二人は学生だから平日も避けた方がいいんじゃない? 北斗くん、サヤナミカの皆も学校に通っているんでしょう?」

「え、ええ、そうですね。出来たら日曜日とかの方が……」

 嫌な汗がこめかみを伝って、顎から零れ落ちる。

「だったら、来月の第二日曜日とかどうかしら。それくらいあれば、十分に準備も出来るでしょう?」

「じ、じゃあ、それでお願いします」

「霧夜くんもそれでいいかしら?」

「ふっ……大分間が開いてしまうののは残念ですが、致し方ないですね。僕もそれで構いませんよ」

「分かりました。じゃあ、期日は六月九日、来月の第二日曜日っと。はい、二人とも」

 鈴音さんから演習許可証を渡される。

 手を振り、「頑張ってね」と言う彼女を背にして(俺は身震いをして)、京極と共に司令執務室を後にした。

「それじゃ、無駄だと思うが一ヶ月間、足掻くだけ足掻いてみるんだな、白坂」

「く……!」

 京極が革靴を鳴らして、一足先に廊下を歩き、去って行く。

 こうして正式に、俺と京極、サヤナミカとミストリアの決闘が決まったのだった。




「だからあの時、落ち着けと言ったのだ。この馬鹿者が」

 午後六時。白坂家の二階、自分の部屋で胡座をかく俺の心に、奈美の鋭い視線と言葉がグサリと突き刺さる。

「うぐ……!」

「何が天才だ、すぐ頭に血を上らせおって。カルシウムが足りてないんじゃないのか? しかも、自分のことならまだしも、我々のことでわざわざ掴み掛かりおってからに。誰も貴様に助けを頼んでなどいないわ。勘違いも甚だしい」

 グサッ、グサグサッ。

「加えて、あのキザなオールバックに決闘なんぞを申し込みおって。なんで我々が決闘などをせねばならんのだ。全く、面倒なことをしてくれる。どちらかと言えば、我が貴様に決闘を申し込みたいところだ」

 部屋の壁に寄り掛かりながら、肩に掛かったライトブルーのポニーテールを、背中の方に退ける奈美。

 駄目だ、言い返せない。自分が彼女の立場なら、おそらく同じことを口にしているだろう。

「すまん、確かに今回の決闘は、俺の勝手が招いた事態だ……」

「そんなことぬわぁぁぁーいッ!」

「うおっ!?」

 驚いて後退さる。大声を上げたのは沙耶であった。俺のベッドの上で、ぎゅうぅっと枕を抱き締めながら力説する。

 ちょっ、綿が出る綿が出る!

「ボクはむしろ感動したよ! 北斗くんがボクらを守るためにキザなオールバックの前に立ちはだかって――」

 俺の真似のつもりなのか、悩ましげに髪を掻き上げるポーズを取る沙耶。声に変な溜めまで付けて、

「――ここまで馬鹿にされて何黙ってんだぁ、沙耶! ああ、別にいいさぁ! 君だけが傷付いても堪えるというなら俺は一向に構わぬぁい! 好きにすればぅいい! だけどぬぁ! 君は大きな勘違いをしているぅぅぅ!」

 ばっと自身の体を両手で抱き締める。

「君の勘違いはぁ! 君は自分のことばっかりでぇ、俺のことを何一つ考えちゃいないってことどぅあ! 君は一体何だぁ!? 俺の愛するたった一人の女だろぉ! 君は一人で戦うのくわぁ!? 違うだろぉ、俺も一緒だろうがぁ! 俺が何の為に今まで君と一ヶ月も生活して来たと思ってんどぅあ! それは俺がぁ、君と結婚する為じゃないくわぁぁぁッ! 君が俺を愛してくれているようにぃぃぃ、俺も君を愛しているよぉぉぉ! 沙耶ぁッ!」

「いや、言ってねぇし! つーか、何か色々と改変されてるんだけど!?」

「うん、ボクも愛してるよ、北斗くん♪」

「俺は愛してないっ!」

 沙耶は両手で自分の頬を押さえて、ぶんぶんと身体を左右に振る。

「もぉー! 北斗くんたら、照れ屋さんなんだからぁ!」

「……沙耶は今夜の晩御飯抜き」

「えぇぇぇっ!? 何で!?」

「人をおちょくるからだ!」

 ベッドの上を転がり、「しまったぁー!」と喚く沙耶を無視して、俺は視線を下にやる。

「で、未佳。お前はさっきからずっと、何をやってるんだ?」

 そこには、ベッドの下の空間に上半身をまるごと突っ込んでいる金髪少女が一人。遠目に見ると、まるでベッドに食われているかのような図である。

「にゃー? そりゃあ、ほーやん、男子高校生の部屋に入ってまずやることと言ったら」

 右手が外に出て来て、グッと親指を立てる。

「えっちな本の捜索に決まっとるやないかっ」

 すぐさま足首を掴んで、彼女を引っこ抜いた。

「んなもんあるか! 百歩譲ってもベッドの下なんていうベタなところに隠したりしない!」

 床にうつ伏せの未佳は、顎を擦りながら、首を捻る。

「だとすると、押入れの奥のダンボールか、辞書の外箱の中、いや、机の引き出しが二重底になっているという可能性も……」

「だから、ねぇっつーの!」

 聞いていた奈美が、下らないと言わんばかりに首を横に振り、ため息を吐いた。

 基本的に俺は、彼女に嫌われているが、こういう所では結構意見が合うと思っている。

 本当、全くもって下らないよな。エロ本探しなんて。それなのに、未佳と来たら――。

 ふと、奈美はおもむろに壁から背を離す。俺の前を横切って、本棚の前に向かった……って、あれ?

 そこから英和・和英辞書を抜き取る奈美。中身を確認してから、切れ長の瞳を細めた。

「……よく探すのだ未佳。健全な男子高校生の部屋にそういう類の本が無いなどということは、まずあり得ない。どこかに必ず、ジャージブルマーの少女が表紙の、十八という数字が書かれた本があるはず!」

「奈美まで!? つーか、そのネタまだ引っ張るの!? ねぇよ、ジャージブルマーなんてマニアックな本は! 俺が持ってるのはもっと普通の――」

 はっとなって口を押さえる。だが、時既に遅し。

 三人娘が、じーっとこちらを見ていた。

 奈美は持っていた辞書を閉じ、外箱に入れて、元の本棚に戻す。

「沙耶……。未佳……」

 切れ長の瞳を、かっと見開いた。

「探せッ! あるぞ! この部屋にはそういう類の本がッ!」

「了解だよ、奈美ちゃん!」

「今こそ、ほーやんの性癖を明かす時!」

 我先にと飛び出し、一斉に俺の部屋を荒らし始める三人娘。

「ちょっ、止めろぉぉぉ! ないっ! そんな本はどこにもないぃぃぃッ!」

 合体は出来ないのに、何故こんな時だけチームワークがいいのか。

 俺は床に数冊の本を叩き付けるように置いて、音を立てる。

「ええい! お前ら、注目!」

 奈美が眉間に皺を寄せる。

「何だそれは。そういう類の本か?」

「違う! これはお前らのマニュアルだ! 取説! 取扱説明書! 俺はそもそも京極と決闘するに当たって、どうするか作戦を練る為に、お前らを部屋に呼んだの! 断じてそういう類の本を捜索させる為じゃない! 三人共、こっちに集まって座れ!」

 沙耶が不満そうに口先を尖らせる。

「えー」

「えー、じゃない! ほれ、未佳も!」

「もう少し……もう少しなんや……! あとちょっと手を伸ばせば、男のロマンに……!」

「届かんでいい!」

「にゃー!?」

 押入れを漁っている未佳の首根っこを掴んで、マニュアルの所へ連れて行く。

 三人が座ったのを見届けてから、俺は一度深呼吸をし、話を始めた。

「気を取り直して、決闘の件だが、行われる日は六月九日で、来月の第二日曜日。場所は地球防衛局第一支部敷地内の演習場。俺のせいでこうなったとはいえ、決まった以上は逃げずに戦おうと考えてる。えっと……その……三人共、協力してくれるか?」

 さっさと離れて行こうとしている癖に、こういう時だけ協力を頼むのは、虫がいいと分かってる。何とも情けない図であると思う。

 こいつらが来てからというもの、俺の中にある、一定のリズムで回り続けていた歯車みたいなものが、どんどんとズレていっている気がする。俺はどうしても、天才であり続けなければならないというのに。

 沙耶はいつもの笑顔で頷く。

「ボクは、北斗くんが、馬鹿にされたボクらの為に怒ってくれて、とっても嬉しかったんだ。だから、北斗くんがボクらの為に申し込んだ決闘なら、もちろん協力するよ!」

 どうして彼女がここまで俺に信頼を寄せられるのかが分からない。分からないが、今はそれでもありがたい。

 未佳は悩んでいるようだったが、横目で沙耶を眺めつつ、頷く。

「まぁ、ウチは、さーやんが協力するって言うんなら……」

 そして奈美は、やはりというか、まともに俺と目を合わせようともしない。

「ふん、冗談じゃない。貴様の失態なのだから、貴様自身で何とかしたらどうなのだ」

「でも、奈美ちゃんだって、北斗くんが怒ってくれたことは別に嫌じゃなかったよね?」

 そう言ったのは、沙耶だった。

「ボクは、色んなパイロットに馬鹿にされ続けて、悔しいって感情を押し込めることに慣れちゃってたと思う。だけど、北斗くんが代わりに怒ってくれた時、ボクもやっぱり悔しいって思えたよ。奈美ちゃんもそういう風に感じなかった?」

 眉間に皺を寄せ、奈美は不快そうな表情を浮かべる。

「我を貴様らと一緒にするな! 我は一度だって、馬鹿にされて悔しくなかったことなどない! ただ、馬鹿にされたからといって、見苦しくその場で言い返すのではなく、実際に成果を上げて見返してやろうと思っただけだ! 我は、白坂博士に生み出されたスーパーロボットとしての誇りを、決して失ったりはしない……!」

 強く拳を握り締める奈美。ハートドライブで氷を操る彼女だが、その瞳には静かに燃える、蒼い炎が宿っている気がした。

 それを見て、俺は思わず口を開いていた。

「奈美。京極との決闘で勝つことは、成果を上げることにはならないのか?」

「何だと?」

「京極はムカつく奴だが、パイロットとしての腕は本物だ。ミストリアも強い。宇宙怪獣に後れをとったなんて話は、今まで聞いたことがない。模擬戦とはいえ、ミストリアに戦って勝てば、皆に実力を示すことが出来る」

「だが、所詮は模擬戦だ。スーパーロボットの本分は、宇宙怪獣と戦うこと。実践で勝てなければ何の意味も成さん!」

「ミストリアは、常に最新の技術を取り入れてグレードアップを重ねているとはいえ、三年前から数多の宇宙怪獣を倒してきた猛者だ。そのミストリアに勝てて、実戦で宇宙怪獣を倒せないはずがない」

「っ……!」

 奈美は押し黙る。

 自分勝手だと分かっている。今回のことは俺が引き起こしたのであって、奈美が協力を拒否するのは予想が出来ていた。もしも奈美が決闘をしないというのなら、別にそれでもよかった。彼女を引き留める権利は、俺にはない。

 けれど今、何故だか分からないが、俺は奈美に協力して欲しいと思っている。京極に掴み掛かった時のような熱い何かが、胸に込み上げて来ている。

 奈美の眉間には、未だ皺が寄ったまま。しかし、不快そうな表情が消え、真意を見極めんとする顔になる。

「……勝算は、あるのか?」

「俺は、奈美が俺を認めないのと同じように、お前らを自分のスーパーロボットとして認めたわけじゃない」

 奈美の眉がぴくりと動く。

 俺は続ける。

「だけど俺は、お前らが本気を出せば、合体しなくても、それぞれミストリアなんて匹敵するくらいのハートドライブ出力を発揮出来ると思っている。いや、信じている。一人のスーパーロボットパイロットとして、誓って、真剣に」

 ハートドライブの技術が出来てから、ロボットのAIは人間に限りなく近いものへと進化したが、その中でもサヤナミカは異常だと、個人的には感じている。

 俺はサヤナミカを押し付けられるまでは、姉さんの開発したAI非搭載型のスーパーロボットに乗っていた。けれど、三年もパイロットを続けていれば、他のパイロットや、パートナーの人型インターフェースに接する機会も多い。

 彼等は全員、サヤナミカとはどこか違う。何が違うのかは、具体的に言い表せない。ただ、会話を交わしていると、やはりロボットなのだと肌に感じる。

 しかし、サヤナミカはそうじゃなかった。一ヶ月も一緒に生活した今だからこそ普通に思えるが、初めてサヤナミカに出会った時は驚いたものである。言われるまで、完全に人間だと信じ切っていた。それほどに、変な所で人間染みている。

 奈美はしばし、俺を睨み付ける。

「……よかろう」

 やがて、鼻先に人差し指を突き付けて来た。

「ただし! もしも途中で貴様に従う価値がないと判断したならば、我は即刻で協力を取り止める! そのことを決して忘れるな!」

「分かった。それで構わない」

「ふん、口では何とでも言える。分かったならば、言葉ではなく、さっさと行動で示せ」

 床に置かれたマニュアルの前で正座をし、両膝に手を置くポニーテールの少女。

 ここまで来たら、俺も退けない。

 俺は頷いてから、マニュアルのページを開く。

「京極との決闘に当たって、作戦は二段構えで行こうと思っている。まずは――」

 避けられない決闘なら、真正面から戦って勝ってやろうと思った。俺は天才なのだ。逃げも隠れもしない。

 心の内の冷静な自分に、そう言い聞かせた。




 練習は翌日の放課後から開始した。

 学校帰りに直接、地球防衛局東京第一支部に向かって、演習場で拡声器を片手に指示を飛ばす。

『ナミ、出だしが早い! サヤとミカにタイミングを合わせろ! 合体は単機で行うものじゃない! ミカは空中で素早く変形を行ってから、サヤが胴体パーツに変形するまで高度を維持! サヤはもっと素早く正確に変形しろ! お前が上手く出来ないと、後続の二機もジョイントのタイミングを見誤るんだぞ! 頭で理解するんじゃなく、身体で覚えろ! 駄目だ、駄目! もう一回最初から行くぞ――ッ!』

 この日の三人娘は、文句も言わず、俺の指示に合わせて真面目に練習を続けていた。

 三色の機影が、空中でシルエットを変化させては、重なり合い、離れるのを繰り返している。

 俺は拡声器から一時的に口を遠ざけると、横で栄養ドリンクを飲みながらノートパソコンのモニターを眺めている、黒髪伸び放題の白衣の女性を呼ぶ。

「姉さん! 三機のハートドライブ出力は?」

「んー、以前のデータより上がってるのは驚きだが、まだ一般スーパーロボットの平均以下だね」

「上がってはいるんだな?」

「ああ、成長してる成長してる。さすがは愛しの弟君だよ。自称天才と名乗るだけはある」

 再び拡声器を使って叫ぶ。

『自称じゃなぁーいッ! ……よーし、サヤ、ナミ、ミカ! ひとまず十分休憩ー!』

「えー、十分だけー!?」「めっちゃ疲れたぁー!」「おのれ、人が黙って言うことを聞いていれば、調子に乗りおって……!」

 緊張が弛むと、途端に不満を洩らし始める三機に、喝を入れる。

『うっさい! 今日を入れて決闘まで後五日しかないんだから文句を言うな! とにかく十分! 異議は認めん!』

 俺が声を上げている場所から距離を開けた演習場の中央、コンクリートの上で、ブーイングをしながら仰向けに寝転んだり、しゃがみ込んだりするスーパーロボット達。

 それを見ながら俺は、顎を擦る。

「おかしい……」

 何だろうか。悪くはないが、出力の伸びの短さが引っ掛かる。何か心に迷いでもあるというのか。

 姉さんが楽しそうに口元を歪めた。

「それにしても、弟君、意外と熱血なんだね。お姉ちゃんは今日まで知らなかったよ」

「は!? 熱血ぅ!?」

 自分が目指しているイメージと余りにもかけ離れていて、凄く嫌な言葉だった。それが露骨に顔に現れたようで、

「そんな道端で偶然ツチノコと出会ってしまった時のような顔をしなくてもいいじゃないか。しかし、最初は勢いで決闘を申し込んでしまったと後悔していたのに、一夜明けて見れば、今度は無性にやる気と来た。これが熱血じゃなくて、他に何だと言うのかね?」

 昨日の朝、通学路で京極に掴み掛かった後、真っ先に連絡したのが姉さんであった。一応、サヤナミカの開発者で、俺のパイロット権を握っている相手でもあるので、連絡しないわけにはいかない。

 ……つーか、道端で偶然ツチノコと出会ってしまった時の顔って、どんな顔!?

「今度は突然、頬っぺたをマッサージし出してどうしたんだね、弟君? これは別に悪い意味じゃないが、どうやら最近、色々と、心というか、スタンスが揺れているようだね?」

「別に……仕方ないだろ、想定外のことばっかりが起こるんだから。姉さんに騙されて、あいつらを押し付けられてから、トラブル続きで、怒りっぽくなるし。おかげで京極と決闘まですることになっちまうし。自分でも色々と混乱してるんだよ。大体、元はと言えば姉さんが――」

「はいはい、分かってる分かってる」

 まるで全てを理解したかのような笑顔で、ばんばんと背中を叩いて来る。痛い。そして、絶対に分かってない。

「まぁ、若いんだから、心やら考え方が揺れるのは当然のことだよ、弟君。さっきも言ったろう? スタンスが揺れるのは別に悪い意味じゃないって。もっと揺れたまえ。ぐらぐら揺れたまえ。揺れに揺れて何か新たなものを見つけるのが、思春期というものよ! それでも見つからない時はっ」

 白衣を、ばっとコウモリの羽のように広げる姉さん。

「未佳にも負けないお姉ちゃんの豊満な胸に飛び込んで来て、思う存分に甘えたまえ! さぁ!」

「断固拒否する!」

「何だ、つまらん」

 沙耶みたいに口先を尖らせ、姉さんは羽を下ろす。

「思春期……」

 一瞬、その言葉を頭の中で反芻して、俺は首を横に振る。

 思春期なんてものは、十年前に親父が死んだ時に捨ててきた。別に後悔なんかしていない。そんな不安定なものはいらない。

「それはそうと、弟君。沙耶から、作戦は二段構えだと聞いたのだが、具体的にはどうするのかね?」

 こちらの様子などお構いなしに、姉さんが尋ねて来る。

 何か勘付かれるのも癪なので、俺は真顔で答えた。

「基本的には、サヤナミカへの合体を目指すのが作戦の一段階目だ。だけど、期間的に無理な可能性がある。というか、無理な可能性の方が高い。だから、作戦の二段階目は、合体をせずに三機のコンビネーションを駆使してミストリアと戦う。理想は、三機共に一般のスーパーロボット以上のハートドライブ出力を発揮出来るようになることだ」

 このままだと、後者が実行されることになるだろう。

 ハートドライブの出力は、ジリジリと伸びてはいるが、個人的にどうにも腑に落ちない点がある。合体が上手く行かないのも、技術より、その点が関係しているような気がするのだ。

「メインは、誰にするんだ?」

 ここで姉さんが言う「誰にする?」は、俺がサヤ、ナミ、ミカの内、どの機体に搭乗して戦うのかという意味であろう。

 三機にはそれぞれコクピット席が用意されている。状況に合わせてパイロットが乗り分けられるようにする為であるらしい。サヤナミカ合体後は、胴体部の専用コクピットに移動するようになっている、とマニュアルには記述してあった。

「個人的には、ミカあたりがベストだと思っていたんだけど――」

「ああ、なるほど」

 姉さんは納得したように頷いた。

「続きは言わなくていいぞ。今の弟君の台詞で、誰だか分かったからな」

 でしょうね。




 話は遡って、昨夜の作戦会議。

「はいっ!」

 二段構えの作戦を伝え、俺が誰に搭乗するかという話になった途端、一人の少女が元気よく手を挙げた。

「ボクがいいと思います!」

 もはやわざわざ言う必要もないと思うが、一応誰だか言っておくと、空風沙耶である。

 奈美には十中八九拒否されるだろうし、選ぶなら沙耶か未佳のどちらかだろうと思っていた。しかし正直、沙耶は何かと不安要素が多い。完全に独断と偏見だが、やる気が空回りして失敗しそうな感じがするのだ。何となく。

 故に。

「個人的には、未佳がいいと思ってるんだが、どうだ?」

「えっ、ウチ?」

「はいっ! はいっ!」

 目の前で、ぴょこぴょことピンク色のツインテールが揺れている。

 俺は更に気付かないフリ。

「ちなみに、奈美はやっぱり駄目……だよな?」

「ふん。聞かずとも答えは分かってるだろう、そんなこと。我は貴様をパイロットとして認めたわけではない」

「ですよねー」

 沙耶を見る。ぱちりぱちりとこちらにウィンクを送って来ていた。どうやらアピールのつもりらしい。

 うーむ、いや、しかし――

「じゃあ、やはり、ここは一つ未佳に……って痛ぁッ!?」

 ついには噛まれた。右手の甲をガブリと。

「うー!」

 涙目を潤ませながら、がじがじと追撃を入れて来る。

「分かった! 分かりました! 沙耶で行こう! 今回のメインは沙耶痛ででででで!」

 沙耶はがじがじを止めて、口を離し、上目遣いに尋ねて来る。

「……もう、意地悪しない?」

「ああ、分かった! しない! そこまで言うなら、メインは沙耶に頼むことにする。その代わり、責任重大だぞ?」

 彼女は、ぱぁっと満開の笑顔の花を咲かせた。

「うんっ! ボク頑張るよ!」

 そのまま「やったぁ!」と一回転をして、部屋の中をはしゃぎ回る沙耶。

 俺はそんな彼女を見、次にくっきりと歯形の付いた自身の右手の甲を見てから、ため息をつく。

「不安だ……」




 ――というような経緯があって。

 合体練習を開始した次の日の早朝。

 俺は沙耶と一緒に、近くの河原へと向かっていた。

「ふんふんふふ~ん♪ ふふ~ん♪」

 雀が舞う青空の下、今日も元気に、ぴょっこぴょっことツインテールを揺らしながら、俺の前でランニングを続ける沙耶。自宅の前で「まずは河原までBダッシュ!」「北斗くん、Bって何!?」というやりとりがあってから、鼻歌を奏でつつ、快走を続けている。

 いや、快走というか、もはやスキップだ。しかも、体力無尽蔵のスーパーロボットとあって、かなり速い。

 天才の俺としては、自分のスーパーロボットに負けることは、プライドが許さないので、全力疾走で付いて行っているのだが……目の前の少女、ノリノリである。

 こちらは朝から汗水垂らして必死だというのに、このテンションの差は一体何だというのか。

 納得がいかないので、聞いてみた。

「……おい、沙耶」

「うん? どうかした、北斗くん?」

「お前、何でそんなに嬉しそうなんだ」

 沙耶は「えへへ」と照れ笑いを浮かべて、

「だって、二人きりでこうしていると、何だか早朝デートみたいじゃん」

「デートって……あのな、俺達は決闘の為の特訓をしに行くんだぞ? 第一、幾ら何でも、この服装でデートはないだろう」

 俺は自分の着ているグレーのジャージを摘まんで引っ張る。沙耶も同じく、上も下も長袖の、赤いジャージを着用していた。

 すると、彼女はわざとらしく笑う。

「ふっふっふ。その言葉を待っていたよ、北斗くん!」

 急ブレーキを掛けて立ち止まり、身体を百八十度反転させて、俺の方を向く。

「こんなこともあろうかと、新たなモードを獲得しておいたのさ!」

「は?」

 追いついて足を止める俺の前で、沙耶は特撮の某改造人間が変身する時のように右手を構える。

「チェンジ・サヤ!」

 彼女は両手で腰を叩いた。

「ジャージブルマーモード!」

 履いていた赤いジャージのズボンが光り輝く。それは、圧縮ナノマシンが活性化する際に発せられる輝き。

 ジャージの裾が、糸が解けるように消えて行き、沙耶の白い太腿が露出した所で、残った布地の部分に圧縮ナノマシンが収束して行く。

 彼女が腰から両手を離すと、光が粒子となって弾け飛び、赤色だった布地は紺色に変化。

 ジャージの赤いズボンは、紺色のブルマーへと変身を遂げていた。

「変身完了!」

 赤いジャージの上着と合わせ、ジャージブルマーとなった沙耶の姿が、そこにあった。

「どう、北斗くん? これぞ訓練時対北斗くん用決戦兵器ジャージブルマー! 訓練しながらも、北斗くんに対して絶大なアピール効果を誇るこの服装。しかも!」

 彼女はブルマーの内側に格納されていた上着の裾を外に出す。

「北斗くんの好みや、その日の気分に合わせ、上着の裾を自由にブルマーの中に入れたり出したりすることが可能! さらにっ!」

 上着の前にあるファスナーを下ろし、中に着ている純白のティーシャツを曝け出す。

「第三のバリエーションとして、このように上着を羽織る感じの、ファスナーオープン形態も再現出来るのだぁー! ……ふっふっふっ、どうよ北斗くん。これだけ揃えば、北斗くんはもう完全にメロメロだって、機能を追加してくれた博士も言ってたよ!」

「あんのバカ姉……!」

 肝心の合体を俺に押し付け、こんな下らない機能ばっかり追加しやがって。一体何を考えてるのか。

「――つーか、何度も言ってるけど、俺は別にジャージブルマーが好きなわけじゃない!」

「えぇぇぇ!? 違うのぉ!?」

「何その新鮮な反応!? 完全に頭の中で俺=ジャージブルマーの図式が出来上がってるよねソレ!?」

 沙耶は心底残念そうに肩を落とす。

「ちぇー、せっかく北斗くんを喜ばせられると思ったのになぁ」

「喜ばす? 俺を?」

「うん。ボクが北斗くんに出来るのって、これくらいだから」

 真顔でそんなことを言う。

 俺は彼女の額にチョップを喰らわし、表情を崩してやった。

「せいっ!」

「あ痛っ!? 痛いよ北斗くん!」

「お前、何か弱気になってないか」

 沙耶の肩が震えた。

「あっ、えっと……」

「弱気のままじゃミストリアに勝てないぞ。決闘の時にメインをやるんだろ? だったらもっと、自信を持って、強気に行け。その為にこれから河原で、勝つ為の特訓をするんだからな」

「そ、そうだね! うん!」

 自分に言い聞かせるように頷く沙耶。

 もしかすると、彼女なりに緊張しているのかもしれない。やる気があるだけに、なおさら。

「よし、だったら河原に急ごう。決闘まで期間がないからな。今日から日曜日まで、気合いを入れて行くぞ!」

「うん!」

 笑顔を見せて、沙耶は再び前を走り出す。

 ふと、俺はその笑顔に違和感を覚えた。

 何だ……?

 今のは、いつもと違う笑顔であった気がする。いつも放っていた輝きが鈍っているというか、そんな感じ。

 ひょっとして、沙耶のハートドライブ出力が伸びない原因はそこにある……?

 だとしたら、注意深く彼女の言動を観察していかねばならない。

 だが、原因が分かるまでは、決闘の方に集中しなくては。たとえ彼女の心の詰まりを解消したとしても、肝心の決闘に負けてしまっては、元も子もないのだから。

 俺は一通り考えをまとめてから、彼女の背中を追って駆け出した。



 

 俺達が住んでいる住宅街を抜けた先には大きな川があって、そこには広い、砂利敷きの河川敷がある。

「必殺技?」

 堤防を登って降りて、その河川敷に辿り着いた俺が特訓の内容を話すと、沙耶(訓練時対北斗くん用決戦兵器ジャージブルマー・ファスナーオープン形態)は、首を傾げた。

「そう、必殺技だ。今日から日曜までの間、毎朝、沙耶には俺と一緒にこの場所で、新しい必殺技の特訓をしてもらう」

「おおっ!」

 手を胸の前で合わせて、瞳をキラキラとさせる沙耶。

「必殺技というと、ロケットパンチとか、胸からミサイルとか、最近で言うと、腕が月まで伸びちゃったりとか!」

「いや、それは根本的に身体を改造しないと無理じゃね?」

 あと多分、どんなに改造しても、腕が月まで伸びるようにはならないと思う。

「俺が教えるのはそういう必殺技じゃなくて、お前のハートドライブから出るエネルギーを利用した奥義だ、奥義。お前も幾つか使えるだろう?」

「えっ? 例えば……ファイヤーボール・スパイクとか、ファイヤーブレードとか?」

「そう。そんな感じのやつ」

 今更だが、ハートドライブには属性というものが存在する。発せられるエネルギーの質と言ってもいい。数日前に三人娘が自宅を破壊した際に使っていたものがそれで、沙耶は炎、奈美は氷、未佳は雷を操る。スーパーロボットの性能を決める要素の一つであり、戦術に大いに関わって来る。

「沙耶のハートドライブ属性である炎は、とにかく攻撃力が高い。今回はその攻撃力を最大限に発揮する為の必殺技を覚えてもらう」

「はい! 北斗くん、質問!」

 沙耶が手を挙げる。

「よし、言ってみろ」

「オールバック男の連れているスーパーロボット、ミストちゃんのハートドライブ属性は、何なの?」

「いい質問だ。今回の特訓は、彼女のハートドライブ属性を打ち破る為のものでもある。ミストリア四式のハートドライブ属性を教えておくと、『幻』だ」

「マボロシ?」

「その名の通り、相手に自身の幻影を見せる。分かりやすく言うと、忍者みたいに分身する。最大何体まで同時に分身出来るのかまでは分からないが、今までに俺が見た限りでは、十体。この能力が厄介なのは、作り出す分身には、実体があって、実体がないことだ」

「実体があって……実体がない……?」

 俺は頷いて、右手の人差し指を立てる。

「まず最初にミストリアの実体であるAがいたとしよう。これが、ハートドライブの力でBという分身を作り出したとする」

 人差し指に加え、中指を立てる。

「さて、じゃあこの時、本物のミストリアはどっちだと思う? 沙耶はどちらに攻撃する?」

 問い掛けると、彼女はすぐさま、俺の人差し指を握る。

「普通にAじゃないの? だって、実体なんでしょ?」

 俺は首を横に振る。

「残念、この時の正解はBだ」

「え? どうして?」

「これがミストリアの能力の真骨頂、『実体交換』だ。ミストリアは好きな時に分身と実体を入れ替えることが出来る。つまり、沙耶がAを攻撃した時には、分身のBが実体に変わっていて、沙耶の攻撃はAを擦り抜けてしまう。もしもBを攻撃したとしたら、Aを実体のままにしておくだろうから、まぁ、どちらにしても不正解だな」

 沙耶はしばらく、狸にでも化かされたかのような顔をしていたが、次第に大きい瞳を更に大きく見開いて、ついには声を上げる。

「そんなの勝てるわけないじゃん!」

「だから、勝てるようになる為に、必殺技の特訓をするんだ。ミストリアの能力は確かに強力だが、隙がないわけじゃない」

「な、何とかなるの?」

「ああ。相手が何体の分身を作り出して襲って来ようとも、必ずこちらの攻撃を当てる方法が一つだけある」

 俺は言った。

「カウンターだ」

 相手がどんなに分身でフェイントを掛けても、攻撃する瞬間だけは必ずそこに実体がある。実体でなければダメージを与えられないのは、相手も同じこと。

「相手の攻撃の瞬間を見極め、一撃必殺の威力を持つ技で、逆に敵を仕留める。合体せずにミストリアを倒すには、この方法しかない」

「カウンターで……一撃必殺……!」

「しかし、ミストリアのハートドライブは出力強化型で、一般機よりも遥かに強固なバリアーを張っている。加えて、相手は重装甲型。ハートドライブ出力で圧倒的に劣るこちらが普通に攻撃したところで、おそらくびくともしないだろう。ミストリアの防御を上回る方法はただ一つ。沙耶のハートドライブの全エネルギーを一点に集中させて、思いっきり叩き込む!」

 右の拳を、左手の平に叩き付ける。

 沙耶は自分の拳を見つめ、ぐっと握り締める。

「ボクが……叩き込む……!」

「訓練方法は至ってシンプルだ。拳にありったけのエネルギーを溜めて、腕を引き、思いっきり前に突き出す。これだけでいい。重要なのは、拳にどれだけ多くのエネルギーを集められるかだ」

「分かった。やってみる」

 頷いた沙耶は、右拳を前に出して、そっと瞼を閉じる。

 唇が少し動いて、ゆっくりと深呼吸をする。

 まず現れた変化は、ふわりと浮き上がるピンク色の髪。熱気が彼女の身体の周りを渦巻いているのだ。

 俺にも高い温度を伝えていた熱気は時間が経過するにつれ、段々と引いて行き、代わりに右拳が赤い光を帯びて行く。

 赤い光が大きくなって来たのを見計らい、沙耶はジャージの右袖を捲る。炎が燃え移らないようにする為だろう。

「ラブ――」

 やがて、彼女はそう呟きながら、右腕を引く。

「ファイヤァァァ――」

 川を流れる水面の方へ向かって、勢いよく拳を突き出した。

「パァァァ――ンチッ!」

 ………………。

 …………。

 ……。

 しーん。

 河原に沈黙が流れる。沙耶の拳からは、炎どころか、熱気の一つも出やしない。水面には、波紋すら立たない。

「……あれ?」

 彼女はぶんぶんと右腕を振ってみたり、ぽんぽんと左手で右拳を叩いてみたりする。反応はない。

 そうして顔に近付けて、観察し始めたところで、ぼんっという音と共に、真っ黒な煙が噴出した。

「けほっ、けほっ!」

 涙目で咳込む沙耶。

 どうやら、この訓練も時間が掛かりそうである。いや、何となく分かっていたことだけれども。

 ただ、俺には、今この場で、どうしても彼女に訊いておかなければならないことがあった。

「沙耶」

「けほっ……何、北斗くん?」

「必殺技の名前、どうしてもそれじゃなきゃ駄目か?」

 ラブファイヤーパンチは……恥ずかし過ぎる。




 ラブファイヤーパンチで押し切られた。

 また、今朝の時点では必殺技のコントロールに時間が掛かりそうだと思っていたのだが、沙耶のやる気は、どうやら俺が思っていたよりもずっと上であったらしい。

 合体練習の方は相変わらず成功の兆しを見せないままに夜を迎えてしまったが、きっかけは就寝前のこと。

 明日も早朝から特訓をするから、あまり夜更かしをするなよー、と一応注意しておこうと思い、俺は自宅二階の沙耶の部屋を訪れた。

 ところが、扉をノックしても、返事がない。

「沙耶ー?」

 更に二度、ノックする。部屋の中からは、物音一つ聞こえて来ない。

 もう寝てしまったのだろうか?

「貴様、沙耶の部屋の前で何をしている」

 振り向くと、寝巻き浴衣姿の奈美が廊下に立っていた。

 普段ポニーテールの髪を下ろしており、浴衣の色は純白、それに負けじと白い肌に、細身の体が相俟って、今の彼女は大和撫子という言葉を連想させる。いずれにしても似合っていた。

 奈美は険しい表情のまま、沙耶の部屋の扉を見、俺に視線を戻す。

「まさか、部屋に侵入し、沙耶の下着を盗むつもりか!」

「盗むかっ!」

 訂正。大和撫子なんてどこにもいませんでした。世界の大和撫子ファンの皆さんゴメンナサイ。

 奈美は侮蔑の眼差しを向けて来る。

「何て下劣な男だ! 当人が部屋にいないのをいいことに、自由に柄まで選択、それを自分の部屋に持ち帰って、あんなことやこんなこと、おまけにそんなことまでだと!? おのれ……日頃洗濯して干す際に嫌というほど見ているのにも関わらず、今度はそれを自らの手中に収めようとするとは……恥を知れこの外道ッ!」

「既に下着泥棒扱い!? もう嫌だ! 二度とお前らのぱんつ洗濯しない!」

 主夫なんて止めてやる! と宣言しようとして、奈美の罵倒の中に、重要なワードが含まれていることに気付く。

「……待て。沙耶は今、部屋にいないのか?」

「ああ。ジャージに着替えて、外に出掛けて行ったぞ」

「こんな夜遅くに?」

 手首のSRコマンダーを見ると、時刻はもうすぐ深夜の零時を回ろうとしている。

 奈美は肩に掛かっていた髪を、手で背中に払って、

「自主練だそうだ。河原に行くと言っていた」

「あいつ……。分かった。ありがとう、奈美」

「戯けたことをぬかすな、下着泥棒。貴様に礼など言われる筋合いはない。あっ、ちょっ、髪を乱すな馬鹿者!」

 下着泥棒と言ってくれた礼に、わしゃわしゃと頭を撫で、俺は自分の部屋に向かう。

 寝巻きからジャージに着替え、靴下を履き、一階に下り、リビングで懐中電灯を回収してから、玄関で運動靴に足を突っ込む。そこで家の鍵を忘れたことに気付き、自室まで一往復した後、外に出る。

 夜空には、今が梅雨であることを全く感じさせない程に明るい月と星々が煌いており、住宅街を照らしていた。

 とりあえずは懐中電灯を点けなくてもよさそうである。俺は玄関の施錠を確認してから、河原へと走った。

 やがて、見えてきた堤防へと登り、河原に小さく灯る赤い光を視界に捉える。

 それに照らされて、うっすらと浮かぶツインテールのシルエットは、間違いなく沙耶であった。

 彼女は流れる川に向かって、拳に赤い光を灯しては、腕を引き、前に突き出すという動作を、休むことなく繰り返している。

 堤防を降りて、歩み寄るが、それでも彼女は気付かず、何度も、何度も、必殺技の手順を繰り返す。

 やがて、彼女は疲れたのか、肩を上下させながら、右腕をぶら下げる。

「沙耶」

 俺が声を掛けると、彼女は「ひゃあっ!?」と身体を震わせて、大きく後退さる。何故か恐怖を顔に浮かべて、

「ほほほ北斗くん!? えっと、こ、これはその、決闘まであと数日しかないんだなぁって思ったら、緊張してきちゃって、居ても立ってもいられなかったというか……! ご、ごめんなさいッ!」

 勢い良く頭を下げる沙耶。だらーんとツインテールが垂れ下がる。

「何で謝るんだ? 沙耶は自主練をしてたんだろ? 別にそれは怒られるようなことじゃないだろ」

「う、うん、だけど……」

「だけど?」

「えっと……」

 沙耶は俺の顔色を窺うように、ちらちらと視線を送って来る。

「ああ、夜遅く外出したからか? まぁ、確かに、一言断っておいて欲しかったな」

 そんな考えは、沙耶の練習する後ろ姿を見て、いつの間にか吹き飛んでいた。

「そ、そうだね。ごめん」

「奈美に部屋にいないって聞かされて、これでも心ぱ――」

 言い掛けて、手で口を塞ぐ。

 ちょっと待て。俺、今何て言おうとした!? 何かとてつもなく恥ずかしいことを、さらりと言おうとしていなかったか!?

「北斗くん? 今何て……」

「何も言ってないッ! 何も言おうとしてないッ!」

「いや、でも何か……」

「そんなことよりも! 必殺技の調子はどうなんだ!?」

 強引に話を逸らす。

 沙耶はしばし、不思議そうに首を傾げ、大きな瞳をぱちくりとさせていたが、首を横に振る。

「イマイチなんだ……。どうにも拳にエネルギーを集中させる感覚が掴めない。幾ら風船を膨らまそうとしても、どこかに穴が開いていて、そこから空気が逃げて行っちゃう感じで……」

 そう言って、右手を開いたり閉じたりする。

「とりあえず、もう一度、やって見せてくれるか?」

「分かった」

 流れる川の方を向き、沙耶は再び、右拳を赤く発光させる。

「はぁぁぁ……!」

 エネルギーを溜める為に、自然と力が篭もるのだろう。右腕が震えている。

 沙耶は溜まったエネルギーを逃がさないようにする為か、早々と腕を振りかぶる。

「てぇぇぇい!」

 掛け声と共に、拳を突き出す。何度も練習したとあって、横で見ていた俺の方にも温かい風が流れて来る。

 だが、それだけだった。緩やかな水面にわずかな波紋を立てる程度。

「北斗くん、こんな感じなんだけど……」

「うーむ」

 俺の気になった点は、二つ。

「多分だが……沙耶。お前、右拳に直接エネルギーを集めようとしてないか?」

「え?」

 大きな瞳を瞬かせていることで、俺はそれを肯定だと受け取る。

「右拳に集めるのは、感覚的にはエネルギーじゃない。そもそも、そのエネルギーは何から生み出したものだ? ハートドライブからだろ?」

「あっ、そうか……エネルギーを集めるんじゃなくて、感情を集めるイメージ……!」

 ぽんと両手の平を合わせる沙耶に、俺は頷く。

「おそらくは。集めているエネルギーの本質を把握し切れていない為に、集まりきらなかったんだと思う。もう一つ気になったのは、そのせいか、エネルギーが集まりきらない内に、早々と腕を引くモーションに入ってしまっていることだ。この必殺技は、全てのエネルギーを一撃に込めるものだから、練習は数をこなすんじゃなく、一回一回を大事にしないと駄目だ。タイミングを外して、溜めたエネルギーが霧散してしまってもいい。限界まで溜めることが大切だ」

「なるほど……うん! 何だか出来そうな気がして来たよ! さすがは北斗くん、天才だねっ!」

 そこだけ昼間と見間違えるような、底抜けに明るい笑顔を見せる沙耶。

 ……あれ、おかしいな。当たり前のことなのに、他人から自称じゃなく天才と言われたのは、生まれて初めてな気がする。いやいや、まさか。そんなことは。

 沙耶は「よーし、またやる気が出て来たぞ。そうだ! 今度は大車輪式で――」とか言いながら、ぐるんぐるんと右腕を回し始める。

「あっ……沙耶! 練習はあと一時間だけだ。起きられずに、明日の早朝の特訓が出来なくなったら、自主練の意味がないからな」

「了解ー!」

 時間制限を設けたところで、必殺技の練習が再開される。

 今度は力む感じではなく、精神統一するように、静かに右拳にエネルギーを溜めている。先程までとは明らかに様子が異なり、右拳の光がどんどん強さを増して行く。

 そして、腕を引き、解き放つ。巻き起こる熱風。

 沙耶は肩を上下させ、呼吸を落ち着かせてから、また溜めのモーションに入る。

 月に照らされた横顔は、凛として、真剣だ。

 それは、俺にとって、初めて見る沙耶の表情。

 ふと、疑問が湧く。

「なぁ、沙耶」

「うん?」

 練習の合間、呼吸を整えている時に尋ねてみる。

「どうして急に、自主練をする気になったんだ?」

「それは……」

 俺を見て、沙耶は少し逡巡したようだったが、口を開く。

「……北斗くんがボク達の為に、練習をしてくれるようになって、ボクはそれに応えたいって思ったんだ」

 彼女は月を見上げる。

「オールバック男に馬鹿にされた時、ボクは何も言い返すことが出来なかった。現状を認めてしまってたんだと思う。どこかで合体なんて出来ない、これ以上強くなれないって、諦めかけてたんだ。だけど、北斗くんが怒ってくれて、ボクは頑張りたいって思った。諦めないで、もう一度頑張ってみようって思った。だから――」

 大きな瞳が俺を映し出す。

「――見てて、北斗くん。ボク、必ず役に立ってみせるから」

 俺には、もう一つ疑問に思っていることがあった。

 それは、前にも思ったが、どうして沙耶がここまで俺に信頼を寄せられるのかということ。

 俺は沙耶が思っているような男じゃない。決闘が終わって、合体を成功させたら、彼女達から離れて行く。他のパイロットと変わらない。

 練習を続ける沙耶に、再び聞こうとして、止める。

 それを聞いて、俺は一体どうするというのだろう。せっかくやる気を出している彼女に、水を差すようなことを言うのか?

 それとも、彼女に同情をして、パイロットを続けるのか?

 わざわざ自分で問題を広げる必要はない。そう思う。少なくとも、京極との決闘が終わるまでは。




 それから毎日、サヤナミカへの合体練習と、朝と夜の必殺技特訓を繰り返し、二週間が経ったある日の早朝。沙耶のやる気はついに形となって現れることとなる。

 河原に着いて、練習を繰り返した、十一回目。

 既に沙耶は何度も全力でエネルギーを放出し続けてている為に、疲労が顔に現われ、額や首筋を汗が伝っているのが見えるのだが、彼女の瞳には強い光が、未だ消えることなく宿っている。

「ラブ――」

 沙耶が右拳に紅蓮の光を灯す。昨日とは比べ物にならない程に眩い輝きは、まるで小さな太陽のよう。しかし、以前は少なからず感じられていた、肌を焼くような熱さ、空気の震えはない。静かに、拳の輝きだけが増して行く。

「ファイヤァァァ――」

 弓を引き絞るように、彼女は大きく腕を引く。拳の光が軌跡を描き、彼女の周りを渦巻く風に、ピンクのツインテールがなびく。

「パァァァ――ンチッ!」

 そして、渾身の右ストレートを放った。


 直後、轟音と共に、右拳から凄まじい突風が巻き起こり、川を横切るようにして、水面が真っ二つに割れた。


 肌を焼くような熱風が俺の前髪を揺らし、切り裂かれた川から水飛沫が上がって、雨のように降り注ぐ。

 間違いなく成功と言っていい一撃であったが、放った本人は初めての現象に実感が持てないようで、水飛沫を浴びてびしょ濡れになりながら、瞳をぱちくりとさせる。

「ほ、ほ、ほ、北斗くんっ!」

 川の方を指差しながら、こちらに視線を送って来る沙耶。

 俺はしっかりと頷いて見せる。

「ああ、成功だ」

 沙耶の表情に、ぱぁっと歓喜が広がった。

「やったぁ――っ!」

 彼女はガッツポーズをし、ラグビーのタックルのごとく俺に抱きついて来る。

「おわっ!? ちょっ、沙耶、倒れる倒れる!」

 砂利敷きの上で尻餅をつく。だが、そんなことはお構いなしに俺の胸にぐりぐりと頭を押し付けて、喜びを表現する沙耶。先程までの疲労はどこへやら、元気一杯の笑顔。

「やった! ボク、出来たよ北斗くん! ボクにも出来た!」

 俺は彼女の頭を撫でる。

「分かった分かった。ただ、喜ぶのはいいが、まだ一回成功しただけだ。今のイメージを大事にして、コンスタントに出せるように……って、聞いてるか?」

「……うん! ……うん!」

 本当に嬉しくて堪らないのだろう。沙耶はただただ頷く。

「やれやれ……」

 俺はため息をつきつつも、今この瞬間、沙耶の必殺技が成功して、素直に嬉しいと思えたのだった。




 同日、午後四時過ぎ。地球防衛局東京第一支部指令所内。

 何十人という局員が目の前のキーボードに向かい合っている広い室内は、地下にある為に窓はなく、現在は警戒態勢に入ったので薄暗くなり、指令所最前部にあるメインスクリーンが照明代わりとなっている。

 局員が口頭で情報を交換し合って騒がしい中、髪伸び放題の白衣の女性が、栄養ドリンクの蓋を捻って開けながら、メインスクリーンに流れる映像を見つめていた。スーパーロボット開発部総責任者、白坂南である。

 彼女は局員の一人である男性に、声を掛ける。

「あー、君、この次元震が観測されたのは何分前だったかな?」

「今から七分前です! 日本標準時刻にして、午後三時五十九分三十八秒」

「既に七分か……ふむ」

 栄養ドリンクの瓶に口を付けて、喉に流し込む南。

 指令所の自動ドアが開いて、明るい髪色をした三つ編みの女性が入って来る。胸のプレートには『司令』の二文字が刻まれている。

「状況は?」

 地球防衛局東京第一支部指令、羽柱鈴音が南に尋ねる。

 髪伸び放題の悪魔は振り向き、二ヤリと笑って、

「遅いじゃないか、スズ。マズイことになってるよ」

「いや、マズイことになってるのを伝えるのに、口元が笑ってるってどうなのよ?」

「おっと、悪いね。つい癖で」

「とにかく、状況を詳しく教えてくれるかしら。避難指示の警報を何故鳴らさないの?」

 鈴音は指令所の最後部、中央の席に腰掛ける。

 南は「ちょっと借りるよ」と、局員の男性の前にあるキーボードを操り、メインスクリーンに映像を表示する。

「今から少し前、東京上方に位置する宇宙空間で、強力な次元震が観測された。これが人工衛星で撮影された、その時の映像」

 宇宙空間に一本の亀裂が走り、それが広がり、やがて砕けて直径四十メートル程の大穴が開く光景が映し出される。

「え?」

 鈴音は訝しげに眉をひそめる。

 映像の中の亀裂はしばらくして、巻き戻されるように閉じて行く。最後には何事も無かったかのように、元の宇宙空間の姿になった。

「南、これは……」

「ああ。次元震は確かに確認された。しかし、映ってないんだよ。肝心の――」

 南は最後の一口を飲み切り、空になった栄養ドリンクの容器を白衣のポケットに突っ込む。

「――宇宙怪獣が」

 過去二度を除き、人類の脅威はいつも同じ方法で地球へと進攻して来た。宇宙空間の外――別次元を通り、通常よりも短時間で長距離を移動する次元跳躍。地球大気圏外ギリギリのところで、次元の壁を突き破り、宇宙怪獣は出現するのである。

「じゃあ、次元の亀裂は偶然起こったもので、宇宙怪獣が次元跳躍して来たわけではない、ということ?」

「ありえないな、それは」

 南はいつになくはっきりと断言する。

「宇宙空間が裂けるなんてことは、何かが次元跳躍して来た以外にまずありえない。仮に偶発的に起きたとしても、発生確率は天文学的数字、大きさは針の穴程度のものだ。それが直径四十メートルの大穴、次元震が観測される程のものになって、偶然発生したなんてことは絶対にない。スズ、次元震は何かによって大きく次元が歪められるから発生するんだよ?」

「だとしたら、敵は新種の……」

「姿を消せる宇宙怪獣、という可能性が高い」

 そう言った南と、鈴音の視線が交錯する。

「……参ったわね。よりによって、ベテランパイロット達が出払ってるこんな時に……!」

「出払ってるからこそじゃないの? どうするんだい、スズ」

 鈴音は目を瞑り、左手の親指で、下唇をなぞる。

 すると、指令所内のざわめきが消え、静寂に包まれる。局員達が全員、指示を仰ぐべく、司令である鈴音の方を向く。

 やがて鈴音は目を開けると、右腕を薙ぐように振った。

「総員、第一種戦闘配置! 東京一帯に避難指示発令! ミストリア及びサヤナミカのパイロットに出撃要請! 観測班は少しの異変も見逃さないで!」

 指令所内が一気に騒がしさを増した。




 その日の沙耶ときたら、早朝の特訓以降、とにかくもうご機嫌である。

 登校時は公道で、前を見ずに踊り出したするものだから、電柱に頭をぶつけたりするし、学校では授業中に何やら妄想に耽っており、先生に注意されたのを差されたと勘違いしたらしく、慌てて立ち上がり、「はい、分かりません!」と発言して、クラスメイト達に爆笑されたりしていたが、いずれにしても終始にこにこと笑顔を絶やさなかった。

「ふふふん、ふふ~ん♪ ふふ~ん♪」

 放課後になり、合体練習の為に地球防衛局へ向かう道中も、一番先頭で、鼻歌とスキップで嬉しさを演出している。

 そんな沙耶に代わって俺の横を歩く未佳が、「ウチはまだ信じられへん」と言葉を洩らした。

「なぁ、ほーやん。本当にさーやんの必殺技、成功したん? だって、練習を始めたのって、二週間前なんやろ?」

「成功したのは本当だ。といっても、その後の練習で何度か失敗してるから、成功確率としては、まだ半々くらいだけどな」

 それでも俺は、上出来だと思っている。わずか二週間で、沙耶はエネルギーのコントロールを身に付けたのだ。やはりサヤナミカは、磨けば光る力を秘めている。今回のことで確信した。

 何気なく、スキップしている沙耶の後ろ姿を見つめていると、じーっと横から未佳が俺の顔を覗き込んでいることに気付く。

「どうした、未佳?」

「ウチ、ほーやんが笑ってるの、初めて見た……」

「笑っ……!?」

 俺は反射的に自分の顔を押さえる。

 笑っていた……俺が!? 確かに沙耶が必殺技を成功させたことは嬉しく思っているが、顔を綻ばせた覚えはない。無意識に頬が緩んでいたとでもいうのだろうか。そんな馬鹿な。

 指摘されて、あれこれと考えている内に、妙な恥ずかしさで顔が熱くなって来る。

 話を聞いていたらしく、前を歩き、ポニーテールを揺らしていた奈美が言った。

「くだらん。必殺技の一つや二つ出来るようになったくらいで、何が嬉しいんだか。まだ実戦で使ってもいないというのに」

 先頭の沙耶が、身体ごと振り返る。

「大丈夫だよ」

 彼女は俺を見て、それから奈美を見た。

「せっかく北斗くんに教えてもらったんだもん。たとえ宇宙怪獣が攻めて来たとしても、今度こそラブファイヤーパンチで倒してみせる。ボクはこの必殺技で、北斗くんの役に立つんだ」

 沙耶の力強い瞳と言葉に、奈美は「ふん」と鼻を鳴らして、そっぽを向く。

 ふと、未佳が横で呟いた。

「さーやんは、ほーやんのこと、本当に信じとるんやね……」

 俺は金色の癖っ毛を見下ろす。彼女は意識しないと聞き取れないくらい小さな声で、

「けど、ウチは――」

 その先の言葉は、突然上がった爆音によって掻き消された。

「何だ!?」

 遠くの方で、大きな火柱と共に、黒煙がもうもうと上がっている。

 まさか、宇宙怪獣……!? だが、避難警報はまだ鳴っていない。

 そう思った直後に、避難警報のサイレンが辺り一帯に鳴り響く。

 連動するように手首のSRコマンダーが音を立て、ボタンを押すと、画面から出た光が空中に四角のウィンドウを作り出し、そこに鈴音さんの顔が映った。

『北斗くん、宇宙怪獣が出現したわ!』

「今、肉眼で西の方に黒煙が上がるのを確認しました。何で避難警報が遅れたんです!」

『そのことの説明は後でする。今は一刻を争うの。サヤナミカは現場に向かって、宇宙怪獣を掃討して頂戴』

「了解! 聞いたな、三人共!」

「うん!」「ああ」「把握したで!」 

 頷く三人娘。

 俺は指示を出す。

「各機変身!」

「チェンジ、サヤ!」

「チェンジ、ナミ!」

「チェンジ、ミカ!」

 掛け声と共に三人娘の肢体が眩い光に包まれる。


「「「ロボットモード!」」」


 光はそれぞれ強く、巨大に変化し、全長二十五メートルのピンク、ライトブルー、レモンイエローのスーパーロボットを公道に顕現させる。

「サヤ!」

 名を呼ぶと、ツインテールに似たバインダーを装備したピンクのロボットが地面に片膝を着き、そっと巨大な右手を俺の前に下ろす。

「乗って、北斗くん!」

 圧縮ナノマシンで出来た金属の手の平に乗る俺を、サヤは自身の腹部に持って行く。

 サヤの腹部装甲が開いて、その奥にコクピットが出現する。

 俺は中に入り、コクピット座席に着くと、コクピット右にあるボタンの一つを押し、開いている腹部装甲――コクピットハッチを閉めた。

 同時に、全天を覆うようにモニターが付き、コクピット全体が透明のガラスに変わったかのように、上下左右三百六十度、外の景色を映し出す。

「サヤ、パイロットスーツ展開!」

 モニターに四角のウィンドウが開き、人間姿のサヤが表示され、口を開く。

『了解! えっと……コクピット内に圧縮ナノマシンを散布! パイロットの着ている服をパイロットスーツに変換!』

 コクピット内にキラキラと光の粒子が舞い、俺の着ている制服を覆う。やがて、光が消えると、俺の服装は白を基調としたパイロットスーツに姿を変えていた。

「続いて、パイロットスーツ・ロック!」

『分かった! パイロットスーツ背面を座席に固定! 3、2、1、ロック完了!』

 ボルトの閉まるような音がする。確認の為に上半身を前に引っ張ってみると、スーツの背中と座席を繋げたチューブが少し伸びるが、立つことは出来ない。

「ロックに異常なし。サヤ、各部の調子はどうだ」

『オールグリーン! ハートドライブの調子も良好だよ!』

「問題ないな。それじゃあ、コントロールを借りるぞ」

 座席の左右にある操縦桿を握る。片膝を着いていた機体を動かし、直立させた。

 モニターを見ながら、サヤの両手を開いたり閉じたりして、操縦の感覚を確かめる。

「ナミとミカはどうだ? 行けそうか?」

 声を掛けると、サヤと同じく、モニターにウィンドウが開き、人間姿の二人の顔が表示される。

『問題などありはしない。さっさと出撃するぞ!』

『ほーやん、ウチも行けるで』

「よし! サヤナミカ、出撃する! サヤがメイン、ナミとミカは援護に回ってくれ!」

『『『了解!』』』

 俺はサヤの脚部と背面のブースターを点火し、日が傾きつつある空に飛び上がらせた。ナミとミカが付いて来ているのを確認してから、黒煙が上がる西の方へ飛翔する。

 ピリリリリと音声が鳴って、モニター横を見ると、『羽柱鈴音』の文字。自動的に鈴音さんのウィンドウが開く。

『北斗くん、サヤに搭乗したのね。本部のコンピューターと機体のハートドライブをリンクさせたわ。詳細な地点を送信します』

「了解。これより現場に向かいます」

『ミストリアも宇宙怪獣迎撃の為にそちらに向かってる。着くのは北斗くん達の方が早いわ。それで、現場に着いたら、宇宙怪獣について確認して欲しいことがあるの』

「それは避難警報が遅れたことと関係が?」

『さすが自称天才。察しがいいわね』

「自称じゃありません」

 そこで再び、通信回線が繋がる音。モニターには『白坂南』の文字。新たなウィンドウが開き、見飽きた身内の姿が現れる。

『やぁ、弟君。相変わらず白いパイロットスーツがキマっていて、お姉ちゃんは正直堪りません』

「ふざけている場合か。さっさと宇宙怪獣の説明をしろ」

『酷い! 弟君はお姉ちゃんと宇宙怪獣、どっちが大事なんだね!?』

「宇宙怪獣」

『スズ、大変だ! 私の愛しの弟君が宇宙怪獣フェチに目覚めて……ぐあぁぁぁ! 頭が割れるように痛いぃぃぃ!?』

 ウィンドウに表示された姉さんの頭に、誰かのアイアンクローがめり込んでいる。と、ウィンドウが消滅した。

 鈴音さんのウィンドウを見る。そこには、何事もなかったかのように、女神のごとき微笑みを湛えた鈴音さんが映っていた。

 一応訊いてみる。

「あの……姉さんとの通信が途絶したんですけど」

『あら、そうなの? 通信機の故障かしら。とりあえず、それはそれでいいとして、確認して欲しいことは、宇宙怪獣が姿を消せるのかどうか、ってことなの』

「姿を消せる?」

『次元震が観測された際、宇宙空間に裂け目が発生したのは映像で確認してる。ただ、そこに宇宙怪獣の姿が確認出来なかったのよ』

「宇宙空間に裂け目が発生したにも関わらず、肝心の宇宙怪獣の姿がなかった、ということですか?」

『そう。だから、今回の宇宙怪獣は、不可視になれる能力を持つ新種である可能性が高い、というのが南の推測よ。戦闘の際には、敵の能力をまず確認してから、十分に気を付けて戦って』

「現場の市民の避難は完了しているんですか?」

『何とか間に合いそうよ。北斗くん達が到達するまでには完了させるから、戦闘に集中しなさい』

「了解!」

 サヤのスピードを上げて、モニター左上に表示されている地図の、明滅しているマーカーの地点に急ぐ。

 数分で、高層ビルが立ち並ぶ、中心市街地に到達する。上空から見下ろすと、そこには既に上半分が破壊され、炎を上げるビルや、何かに押し潰され、無数の亀裂が走ったコンクリートの地面が、見受けられる。

 サヤがウィンドウを開いた。

『ほ、北斗くん、羽柱司令の言った通り、これだけ被害が広がってるのに、宇宙怪獣の姿がどこにも見えないよ!』

「気を付けろ。どこから仕掛けて来るか分からない。三機共、索敵に集中しろ!」

 サヤの左右を固めている、ナミとミカにも呼び掛ける。

 加えて、サヤに言う。

「サヤ。それから、外の音声を取り入れて、コクピットに流してくれ。目で確認出来ないなら、耳で確認する」

『う、うん! 分かった!』

 ウィンドウ内の彼女が頷くと同時に、機体に吹き付ける風や、下方で燃える炎の音、遠くでパトカーや救急車、消防車のサイレンの音がコクピットに入って来る。

 モニターに注意深く視線を走らせながら、耳を澄ます。

 ふと、異質な音が背後から聞こえる。これは……コンクリートが砕ける音!

 機体を百八十度反転させ、下方を見る。道路の真ん中に二つのクレーターがある。

 直後、風を切るような音が、コクピット内に響く、。

「来るぞ! 全機、全速上昇!」

 操縦桿を引き、ブースターを全開、足元に来た見えない何かを回避する。だが。

『にゃあッ!?』

 横から聞こえる悲鳴と共に、上昇していたレモンイエローのスーパーロボットの動きが止まり、逆に地面に吸い寄せられる。

「ミカ!」

 その後、見えない何かに引き寄せられ、ミカは空中で円の軌跡を描くと、投げ飛ばされるようにして、高層ビルに突っ込む。崩れ落ちるコンクリートに飲み込まれ、機体が地面に埋もれる。

 そこで、はっと思い付き、俺はライトブルーのスーパーロボットに向かって、叫んだ。

「ナミ! 下方に向けて、アイスブリザードだ!」

『何? ……そうか! よし!』

 頷いたポニーテールブースターの機体は、真下に両手の平を突き出す。

『アイスブリザードッ!』

 手の平から吹雪が発生して、中心市街地に勢いよく吹き付ける。燃えていた半壊のビルも、砕けたコンクリートの道路も、氷で覆ってゆく。

 すると予測通り、その中に唯一、歪な形をした氷の塊が現れる。

「見えたぞ! サヤ!」

『り、了解! ファイヤーボール――』

 サヤが右手に火球を作り出し、それを宙に浮かせる。

『スパァァァイクッ!』

 火球を手の平で強打し、氷の塊に向かって射出する。直撃して、爆風が巻き起こった。

 機体を降下させ、今の爆風で溶けつつある氷の地面に着地させる。ナミも横に降り立つ。

 爆風が止み、白煙が消えて、姿を現したのは、左右が三百六十度、別々の方向を見定めんとギョロつく双眼。

「お出ましだな」

 およそ全長三十五メートル超。体の色は濃い緑で、二足歩行。長い尾を持ち、前足後足の爪はそれぞれ二股に分かれている。いや、詳しく説明しなくとも、目の前の宇宙怪獣は簡単に言い表すことが出来る。

 二足歩行の巨大カメレオンである。

「なるほど、姿を消せるわけだ」

 カメレオンが大口を開き、咆哮する。

「キシャアァァァ――ッ!」

 ギョロリと双眼がこちらに向く。大きく開いた口から、真っ赤な舌が弾丸のごとく発射された。

 すかさず横に飛んで避ける。コクピット内に響く風を切る音は、ミカを掴まえた時のものと同じ。

 横のポニーテールブースターのロボットを呼ぶ。

「ナミ! 俺とサヤが引き付けている間に、ビルの瓦礫からミカを助けるんだ! それから三体で宇宙怪獣の動きを止めて、サヤの必殺技を叩き込む!」

『ふん、所詮は姿を消せるだけに敵に過ぎん。必殺技など必要ない!』

「なっ!?」

 ナミは右腕を構えると、氷柱のように凍らせて、槍を作り出す。

『こいつは我一人で仕留める!』

 舌を蛇腹状に縮ませて収納したカメレオンに向かって、突撃した。

「止せ、ナミ! 戻れ!」

 叫ぶが、ナミの突進は止まらない。

 カメレオンが再び舌を射出する。その攻撃に対して、ナミはブースターで低空飛行し、ボディーを回転させて潜り抜ける。

『はぁぁぁ!』

 ナミは氷槍の突きをカメレオンに繰り出す。濃緑の巨体を浮かせ、突進の勢いのまま、背面に立つ高層ビルへ叩き付ける。

『これで……何!?』

 ナミが驚愕の声を上げる。氷槍はカメレオンの身体を貫いておらず、二股の爪によって掴まれ、寸前で止まっていた。

「キシャアッ!」

 カメレオンの鳴き声と共に、掴まれた氷槍にヒビが入り、粉々に砕け散る。宇宙怪獣の身体が一回転し、長い尾がナミの脇腹の装甲にめり込む。

『かはッ!?』

 ライトブルーの機体は吹っ飛ばされ、ビルを三つ貫いて、コンクリートの粉塵を宙に巻き上げた。

「ナミ!」

 ギョロギョロと瞳を回転させながら、カメレオンが身体をこちらに向ける。しばらくして双眼が回転を止め、サヤを捉えた。

「くっ……!」

 落ち着け、白坂北斗。ここは一旦防御に転じて、体制を立て直す。まずは宇宙怪獣の隙を突き、奴の動きを止める。次に瓦礫に埋もれたミカの回収。ミカを起こして、彼女にはナミを助けに行かせる。

 そうして三体が揃ったところで、攻撃に転じる。焦りさえしなければ、やって出来ないことはないはずだ。

「サヤ! ファイヤーボール・スパイクで宇宙怪獣の両目を攻撃、怯んだところでミカを助け出す。機体制御は俺がやるから、サヤはハートドライブの出力安定に努めてくれ。行くぞ!」

 ブースターを点火して機体を空中に浮かせるべく、操縦桿を引くが、全く動かない。

「サヤ!?」

『っ……』

 モニターのウィンドウには、俯くサヤが映っている。前髪に隠れて、表情を見ることは叶わない。

 しかし、そこで、僅かだが、機体が震えていることに気付く。

「サヤ……お前」

 サヤのウィンドウに気を取られていた一瞬、隙が出来る。モニター前方に表示される『危険』の赤い文字。

「しまった!」

 弾丸のごとく飛んで来た赤い舌が、サヤのボディーに巻き付く。脱出を試みようと操縦桿を動かしてもがくがどうにもならず、機体が凄まじい力でカメレオンの方に引き寄せられる。

 そして、その勢いを利用して、ミカと同じく円を描くように振り回される。

 カメレオンは、サヤを力一杯道路に叩き付けた。

 コンクリートが砕ける音、金属の軋む音と、激しい震動が、コクピット内にも伝わって来る。

「ぐっ……サヤ! 大丈夫か!」

 巻き付いていた舌が解かれる。カメレオンが道路に亀裂を増やしながら、一歩一歩こちらに近付いて来る。

 サヤのウィンドウは、今の衝撃で消滅してしまっている。だが、コクピット内に呻き声が響く。

『うぅ……こんなことで……負けるわけには……! ボクは――』

 操縦していないのに、機体が勝手に起き上がる。

『ボクは――』

 モニターに表示されるハートドライブ出力上昇の図と文字。棒グラフが上昇して行く。

 この出力は……まさか……!

「サヤ! 落ち着け! それを使うのはまだ早い!」

 嫌な予感が的中した。右拳が赤く光り輝いている。

 止めさせるべく、操縦桿を動かすが、反応がない。完全に俺のコントロールを拒絶している。

 サヤが何度も河原で練習して来た時のように右腕を引く。

『ボクは……北斗くんの役に立たなきゃいけないんだぁぁぁ――ッ!』

 カメレオン目掛けて、一直線に飛び出した。

 ブースターで一気に加速。懐に飛び込んで、炎の拳を突き出す。

 エネルギーが収束された拳に危険を察知したのか、巨体に似合わず、素早く飛び退いてかわすカメレオン。

『おぉぉぉ――ッ!』

 サヤは間髪入れず、拳を炎で赤く染める。カメレオンに接近し、もう一度拳を振り抜く。

 その攻撃をすり抜けるようにして、カメレオンの濃緑が透明に変わり、視界から姿を消失させた。

『き、消えた!?』

 動揺し、辺りを見回すサヤに、俺は再び呼び掛ける。

「落ち着け、サヤ! 一旦後退するんだ! ナミとミカを助け出して、体制を立て直す!」

 声が届いていないのか、サヤはまたも右拳に炎を纏う。休むことなく連続使用しているせいで、出力が下がっているのが、目に見えて分かる。

 背後でコンクリートの砕ける音がした。

「サヤ! 後ろだッ!」

『えっ……』

 サヤが振り向くよりも速く、カメレオンが巨体を現す。二股の爪が唸りを上げて襲い、サヤを跳ね飛ばす。

『きゃあぁぁぁッ!』

 機体が道路の上をバウンドし、転がる。それでも止まることが出来ず、サヤはビルの壁面に突っ込んだ。

 コクピットが激しく揺れ、俺は危うく意識を持って行かれそうになる。頭を横に振って、意識を覚醒させる。

 モニターに、機体の損傷状況が表示されている。損傷率四十八パーセント。これ以上まともに攻撃を喰らうとマズい。

「サヤ、無事か!?」

『うっ……あっ……ぐぅ……!』

 ノイズ混じりの声。機体がゆっくりと起き上がる。

 モニター正面に、こちらに近付いて来るカメレオンが見えた。攻撃の手を緩めるつもりは全くないらしい。

 と、機体が大きく震え、サヤの動きは地面に座り込んだ状態で止まってしまった。それどころか、後退さりを始める。

『あ、あぁ……』

「サヤ……」

 間違いない。サヤは今、目の前の宇宙怪獣に脅えていた。

 機体が震えていたのも、がむしゃらに突っ込んでいたのも、彼女が脅えていたからなのだ。

 モニターに映るカメレオンが、次第に大きさを増して行く。

『こ、来ないで……来ないでぇ! 嫌ぁぁぁ!』

 地面に転がっているビルの瓦礫を片っぱしからカメレオンに投げるが、動揺している為にまるで当たらない。

 ついには両腕を前にかざし、その場で縮こまってしまうサヤ。

「サヤ、立ち上がって逃げるだけいい! この場から離れるんだ! このままじゃ、敵にやられるぞ!」

 俺は操縦桿を引きながら何度も叫ぶが、機体はびくともせず、カメレオンが目の前まで迫って来る。

 太い足がサヤの眼前のコンクリートを砕き、クレーターを作った。いつの間にか分厚い灰色の雲に覆われた空をバックにして、二股の爪を天空に掲げる。

 振り下ろされる鋭い爪の切っ先に、死を覚悟した、その時。

 横から放たれたパープルカラーの巨腕が、カメレオンを殴り飛ばした。低空を錐揉み回転し、宇宙怪獣は地面に沈む。

 巨腕の主は、全長四十メートルを超える巨大なスーパーロボットであった。全身を、西洋の甲冑を思わせる分厚い装甲で覆い、頭部のゴーグルの内で、黄色いアイカメラが強い光を放っている。直線より曲線の方が多いフォルムは、重装甲タイプにも関わらず、首に巻かれた漆黒のマフラーと相俟って、どこか洗練された美しさを感じさせる。

 スーパーロボットの名は、ミストリア四式。

『ミスト! 敵がまた姿を消す前に、一気に決着を着けるぞ!』

『……了解しました、マスター。参ります――』

 オールバックの男とお付きのメイドさんの声がして、パープルカラーのスーパーロボットは、忍者のごとく、両手で印を結ぶ。

『――幻影の舞』

 ミストが呟くと共に、機体が中心市街地に所狭しと分身。九体のミストリア四式が、倒れているカメレオンを囲むように出現した。

 総勢十体もの全長四十メートル超の機体が、ビルの上、空中、道路に並んで、身体の前で腕組みをし、漆黒のマフラーを風に棚引かせる光景は、壮観である。

 カメレオンが上半身を起き上がらせる。

『させるものか! ミスト!』

『……はい、マスター』

 京極の叫びに、サヤの前にいたミストリアがブースターを点火し、カメレオンに突撃。アッパーを叩き込み、濃緑の巨体を宙に浮かす。

『必殺奥義――』

 ミストの呟きに合わせ、十体のミストリアが、両腕の甲部から仕込み刀を展開する。全機が一斉にカメレオンに向かって、突っ込んだ。


『『百花繚乱ッ!』』


 一つの実体を九つの分身とタイミングよく切り替え、一度の攻撃で、敵に無数の斬撃を与える、ミストリアの必殺技。

 十体のミストリアが地面に着地する。

『結』

 京極がそう言うと、カメレオンが断末魔の咆哮を上げ、空中で爆散した。

 俺達の苦戦が嘘のような、圧倒的な力。

 分身が消え、ミストリアは元の一体に戻る。こちらを向くと、歩いてやって来る。

 やがて目の前まで来たところで足を止め、ミストリアはサヤを見下ろした。

 ウィンドウを開くわけでもなく、京極は外部音声で言う。

『無様だな』

 それだけだった。ミストリアはすぐに背中を向けて、灰色の空に飛び去って行く。

 サヤは、何も言わなかった。

 コクピット内は静まり返って、モニターの外には、ボロボロになった中心市街地と、爆散して燃える宇宙怪獣の残骸だけがあった。

 ふと、灰色の空から雫が降って来るのが見えた。雫は次第に量を増し、雨となってサヤのボディーを濡らして行く。

 俺はコクピットハッチを開けて、外に出た。機体を降りて、コンクリートの大地を踏む。

 振り返って、外からサヤを見た。糸の切れた人形のように、サヤは動かない。

 けれど、小さく光を灯すアイカメラを見て、AIが正常稼働していることを確認する。

 雨脚はそれ以上強くなるわけでもなく、弱くなるわけでもなく、俺とサヤを打ち続ける。

 俺は空を見上げて、今が梅雨の時期の真っただ中であったことを思い出した。




 それからサヤのコクピットに戻って、鈴音さんとの通信で、ミカとナミが無事に回収されたことを伝えられた。両機共、AIにノイズが走り、意識は不安定であったが、物理的損傷は軽傷で済んだらしい。俺はとりあえず、ほっと胸を撫で下ろしたものの、目の前のサヤを見ていると、安心ばかりもしていられなかった。

 損傷率四十八パーセントの身体よりも、彼女に関しては精神的ダメージの方が大きいだろう。

 しばらくして、現場に地球防衛局の局員が到着して、俺と沙耶は第一支部に運ばれた。

 沙耶は第一支部に着くと、病室に運ばれ、俺は特に怪我もなかったので、軽く検査をして、すぐに解放された。

 俺は局員の人に頼んで、自宅まで車を出して貰い、家のタンスを開けて、大きなバッグに四人分の着替えを突っ込む。再び車に乗って、第一支部に戻ると、シャワールームで温水を浴びてから、私服に着替えた。

 技師の先生から面会の許可が下りたので、バッグを持って、まずは奈美の病室を訪れる。

「よう、調子はどうだ」

「絶好調だ。だから、荷物だけおいて、さっさと失せろ馬鹿者」

 ベッドに身体を埋めた奈美は、ノックをしたにも関わらず、病室に入って来る俺を視界に捉えるや否や、吐き捨てるようにそう言って、相も変わらず刺すような視線を送りつけて来た。しかし、今はむしろそれが安心する。

「分かったよ。とりあえず、一応家から着替えを持って来たから、ここに置いとくぞ。先生から許可が下りたら着てくれ。……あっ、そうそう。俺も今日は防衛局に泊まるつもりだから、何かあったら呼んでくれ。俺はこれから、未佳と沙耶の様子を見に行って来る」

 ぽんぽんと大きなバッグから取り出したビニール袋を叩いて、ベッド横の棚に乗せる。

 そのまま「じゃあ」と手を振り、病室から出て行こうとしたところで、背中に声が掛かった。

「待て」

 見ると、奈美の眉間に、不快を示す皺が寄っていた。

「貴様……何故、我を責めない」

 奈美はベッドから上半身を起こし、切れ長の瞳で真面目な返答を訴えて来る。

 だから俺も、嘘を付かないで、本心で答えることにした。

「俺は天才になろうとは思うが、お前の理想に合うようなパイロットになるつもりはない。だから、お前の信頼には応えられるとは限らない。俺は俺で、自分の目標がある。それは、ある人に絶対に成し遂げると誓った目標だから、何物にも代えられない」

 結局のところ、自分勝手なのは俺も同じだ。そして、それは曲げられないし、曲げたくない。

 全ては信頼されてない俺の責任だ。ここで独断先行した奈美を責めるのは、筋違いだと思う。

「だけど俺は今、一度お前達のパイロットになった以上、出来る限りのことはしたいと思っている。一人のスーパーロボットパイロットとして」

 奈美の切れ長の瞳から目を逸らさず、俺は言った。

「だから、次はちゃんと、俺の指示を聞いてくれると嬉しい」

「……」

 奈美はシーツの裾を握り締め、瞳を逸らす。

 俺はそれ以上何も言わず、彼女の病室を後にした。

 続いて、未佳の病室を訪れようと、廊下を歩いて行くと、自動販売機のあるフロアで、缶ジュースを片手に持った彼女に遭遇する。

「未佳」

 声を掛けると、彼女は「にゃッ!?」と肩を震わせて、丸くした瞳をこちらに向ける。

 突然、逃げるように走り出した。

「ちょっ……未佳!?」

 意味が分からないので、とりあえず、こちらも走って追い駆ける。

「あにゃあー!」

 猫みたいな鳴き声を上げながら、金髪癖っ毛の少女は廊下をひた走る。

「何で逃げる!」

「にゃうあー!」

「廊下を走るんじゃない!」

「ひにゃあー!」

「その鳴き声には、幾つのバリエーションがあるんだぁぁぁ!」

「にゃにゃにゃー!」

 少女の姿をしていても、やはりスーパーロボットというだけあって、未佳は尋常じゃなく速い。

 危うく見失いそうになり、こちらも全力疾走で追跡する。

 だがしかし――

「くっ……!」

 ――俺の五十メートル走のタイムは、六秒ジャストで、かなり速いと自負しているが、それでも未佳にどんどんと距離を離されて行く。

 ひょっとすると、未佳のハートドライブ属性である雷も関係しているのだろうか。

 ハートドライブは炎、氷、雷といったものを操るだけでなく、京極のミストリアが、自身の実体と作り出した幻影とを入れ替えることが可能なように、スーパーロボット自体に効力をもたらすものもある。それを『概念効力』と言うのだが……。

 思考が深くへと及ぶ前に、未佳がとある病室に飛び込む。

 俺はネームプレートに『ミカ』と書いてある、その病室の前に立ち、扉をノックをした。返事は勿論ない。

「入るぞ、未佳」

 扉を開けると、ベッドの上で丸くなり、シーツに包まっている彼女がいた。シーツの隙間から、気まずそうな顔を覗かせている。

「ほ、ほーやん、えっと、ウチ、すぐにやられてしもうて……!」

 どうやら、俺の顔を見るなり逃げたのは、怒られるのを恐れた為であったらしい。

 俺は首を横に振ってみせる。

「気にしないで、今はゆっくりと休め。着替えを持って来たから、ここに置いとくぞ」

 未佳はシーツで顔の下半分を隠し、俺の様子を窺いつつ、

「ウチのこと、怒らへんの……?」

 ニュアンスは違うが、奈美と同じようなことを言う。

「あれは未佳のせいじゃないだろ。不意打ちだったし、宇宙怪獣の能力を計り損ねた俺の責任だ。どちらかと言うと、俺が謝らなきゃいけない。すまなかったな、すぐに助けてやれなくて」

「そ、そんなことあらへん!」

 ふるふると首を横に振る未佳。

「ただ、今までのパイロットはこういう時、優しい言葉なんて掛けてくれへんかったから……」

「俺だって、怒る時は怒るぞ。事実、前の時は怒ったろ。誰が見ても指摘するくらいのバラバラのコンビネーションで、今までお前らは何を考えて戦って来たんだ、って」

「うん……けど、ほーやんはその後、呆れながらもウチらにコンビネーションを教えてくれた。今までのパイロットは、決してそんなことしてくれへんかった。だからウチは……」

 彼女は続けて何かを言うが、小さくて聞き取れない。

「未佳?」

「ううん、何でもない。気にせんといて」

 今日の出撃前にも見せた、どこか思い悩むような表情。

 沙耶がハートドライブに抱いていたものと同じように、未佳もまた何か思うところがあるのだろうか。

 だが、俺が今聞いたとしても、未佳はおそらく教えてはくれないだろう。話してくれるまで、焦らずに待とうと思う。

「未佳、俺はこれから沙耶の様子を見に行くが、何かあったら呼んでくれ。今日は防衛局に泊まるつもりだから」

「さーやんは結構損傷が酷かったって聞いたけど、大丈夫なん?」

「というより、心の方かな、問題は……。けど、沙耶のことは俺が何とかする。未佳はゆっくりと休んで、身体の傷を直してくれ。三日後には、ミストリアとの決闘だからな」

「そうやったね……」

 頷く未佳を見てから、二つ三つ言葉を交わして、部屋を出る。

 俺は、沙耶の病室に向けて、歩き出した。

 沙耶は戦闘による機体損傷が激しかった為、他の二人とは別の、スーパーロボット開発部棟に病室がある。

 渡り廊下を通ると、窓から外を見ることが出来る。今は午後の八時。日はとっくに落ちており、空は黒のカーテンに覆われていて、街の外観は見えにくい。ガラスには無数の水滴が張り付き、見えにくさに一層の拍車を掛けていた。

 やがて、『サヤ』とネームプレートに書かれた部屋の前に辿り着く。ノックをした。

 返事を待つが、物音一つ聞こえて来ない。デジャヴを感じて、病室の扉を開けると、ベッドはもぬけの空になっていた。

 シーツが捲れているところを見るに、部屋を間違ったとかそういうわけではなく、先刻まではこの場にちゃんといたのだろう。

 しかし、今日は訓練というわけではあるまい。とりあえず部屋の中にバッグを置いて、再び廊下を歩き出す。

 と、角を曲がったところで、壁に寄り掛かり、煙草らしきものを咥えている白衣の女性にエンカウントした。

「やぁ、弟君。無事で何より」

 ニヤリとほくそ笑む姉さんがそこにいた。

 これがロールプレイングゲームの中だったとしたら、間違いなく速攻で『にげる』のコマンドを選択していたことだろう。

 俺は深くため息をついたが、おそらく狙ってのことであろうから、尋ねる。

「沙耶がどこに行ったか知らないか? 病室にいないんだ」

「知ってるよ」

「教えてくれ」

「いいとも。その代わり――」

 姉さんは白衣のポケットから煙草のケースを取り出す。そこから一本取り出して、こちらに差し出して来た。

「一本付き合わないかね?」

 よく見るとそれは、一箱六十円の煙草チョコレートだった。




 第一支部の正面玄関の自動ドアを潜り、外に出ると、雨は既に止んでいた。

 渡り廊下を歩いていた時は、窓に付いた水滴を見て、まだ雨が降り続けているものと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。空を見れば、雲の切れ間から白い月が覗いている。

 一旦屋内に戻って、手に持っていた傘をロビーの傘立てに置いてから、再び月明かりの下に出る。俺は姉さんが教えてくれた場所に向かった。

 そこは、第一支部の敷地内にある公園。

 彼女の姿はすぐに見つかった。

 公園の入口から少し歩いたところにベンチがあって、病院服を着たピンクツインテールの少女は、そこに腰掛けていた。

「沙耶」

 近くに行って名前を呼ぶと、彼女は顔を上げる。ベンチの真上にある外灯に照らされた顔には、いつもの花咲くような微笑みも、必殺技を練習していた時のような凛と輝く表情もない。

 敗北と絶望に塗れた、触れたら今にも壊れてしまいそうな弱々しさ、散る花のような儚さが、今はそのまま目の前の少女だった。

「北斗くん……」

 少女は俯く。

「ごめん……北斗くん……。ボク、負けちゃった……」

「俺は別に気にしてないさ。今回の負けを経験にして、次の時に勝てばいい」

「だけど、ボクは……北斗くんにまだ何も返してない……! 北斗くんから教わったことを何も活かせてない……! 何もっ! ボクは何一つ役に立てないっ……!」

 両膝の上に置かれていた少女の拳が、ぐっと握り締められる。

「ボクはいつも辛い目に遭った時、北斗くんの言葉に助けられて来た。絶対に諦めるなって言葉を信じられたから、ここまで来れた。いつか本当に信じられるパイロットに出会って、サヤナミカに合体して、世界一のスーパーロボットになるの諦めないでいられた。夢を諦めなかった……!」

 初めて聞く、少女の本音。

「だからボクは、ボクに大切なことを教えてくれた北斗くんがパイロットになってくれた時、本当に嬉しかった。頑張って、成長した自分を見て貰おうって思った。必ず役に立ってみせようって思った……! 必殺技だって、その為に練習した……! だけど……」

 ぽたり、と握り締めた両手の甲に雫が落ちる。

「怖かったんだ、宇宙怪獣が……! どうしようもなく、戦うのが怖かった」

 ぽたぽたと止め処なく雫が落ちて、手の甲を伝う。

「どんなに、大丈夫、怖くないって、自分に言い聞かせても、身体の震えが止まらなかった……! 何も出来なかったんだ……!」

 嗚咽を漏らしながら、目元を拭いながら、

「今までもそうだった。戦場に立つと、必ず身体が震える。怖くて仕方がない。スーパーロボットなのに、戦うのが怖いんだ……! 結局、どんなに頑張ったって、ボクはやっぱり――」

 少女は、ツインテールを振り乱し、声を絞り出す。

「出来損ないの、不良品だ……!」


 ――ここに来る前に聞かされた姉さんの話によると、少女には昔、恩人とも言える人物が存在したらしい。

 もっとも、昔といっても、一年程前のことらしいが、サヤナミカがその頃に開発されたのを考えれば、少女にとっては昔と言えるのだろう。

 その恩人は、当時十六歳の高校生で、自身のことを天才と豪語する少年であったそうだ。聞くところでは、若干十四歳にしてスーパーロボットのパイロットになったのだとか。この俺を差し置いて、何ともおこがましい輩である。

 少女が恩を感じた出来事を簡潔にまとめれば、パイロットにフラれて悲しみに暮れているところを励まされた、ということらしい。

 姉さんは煙草チョコを齧りながら、

「おそらく、その少年は何気なく声を掛けただけで、全く覚えていないだろうけどね。少女の方は、少年の言葉を大事に胸に閉まって、今日まで笑顔で頑張って来たってわけさ。どうだい、少しは参考になったかい?」

 と意味ありげな視線を俺に向けて来た。

 だから、俺は姉さんに、こう言葉を返してやったのだ。

「姉さんは、一つ大きな勘違いをしている」


 俺は目の前の少女に言う。

「お前に、とある少年の話をしてやろう」

 うな垂れるピンクツインテールを見ながら、話を始めた。

「一年くらい前、ちょうど今みたいな梅雨の時期のことだ。その日は、梅雨なんて嘘のように晴れていて、とても気持ちのいい一日だった。少年はスーパーロボットパイロットで、地球防衛局まで自主練に来ていたんだが、その日の終わり、廊下でピンク色の髪をした少女とエンカウントした」

 ぴくり、とツインテールが反応し、少女は濡れた瞳をこちらに向ける。

「この世に生を受けてこの方、鮮やかなピンク色の髪なんて見たことがなかった少年は、驚いて少女に注目してしまった。そして、それが運の尽きだった。あろうことか、その少女は廊下でうずくまり、泣いていたんだ」

 今日は一日、気持ちのいい一日で終わらせるはずだったというのに。このまま無視をして帰ったら、後味が悪い。

 少年は悩んだ末、コマンドから『にげる』ではなく、『たたかう』を選択した。

「聞けば、その少女はスーパーロボットだった。廊下で鼻水と涙を垂れ流して泣き喚く姿は、少年の知るスーパーロボット像とは似ても似つかなくて、たいそう驚いた。しかし、鮮やかなピンク色の髪の理由も、それならばしっくりと来て、納得がいった」

 少女が泣いている理由は、自分が幾ら練習しても合体出来ないからパイロットにフラれてしまった、というものだった。

 合体という単語を聞いて、少年は「合体ロボなのかよ!」と思わずツッコんだが、真剣に悩んでいるらしい少女を見て、「合体出来るまで、ひたすら練習したらいいじゃないか」と言った。

「少女は少年に、夢はあるのかと質問した。少年は、あると答えた。少女は更に、自分にも出来るだろうかと訊いて来た。これまた真剣な眼差しだった。適当なことは言えない。少年は考えた末、無難な言葉を一つ選択して、少女に答えたんだ」

 目の前の少女と目線の高さが合うように腰を屈めて、俺は大きく見開かれた瞳と対峙した。

「絶対に、諦めるなよ」

 少女は何度か言葉を発しようと唇を動かして、失敗してから、震えた声を出す。

「北斗くん、あの時のこと覚えて――」

 俺は少女の頬っぺたを両手の指で摘み、引っ張った。


 ぐにーん。


「ふぁ!? ひひふぁひふぁひふふのは!?」 

 何言ってるか全く分からん。

 俺は頬っぺたを摘まんだ指はそのままに、きっぱりと断っておく。

「一年前のことなんざ、俺は知らん」

「ふぇ?」

「白坂北斗とかいう同姓同名の男が一年前に何を言おうが、今の俺には関係ない。ついでに言うと、お前もそんな奴の言葉を、いつまでも胸に閉まってんじゃねぇ。絶対に諦めるなよ、いい言葉じゃねぇか、ああ、結構だとも。だけどな、お前には今、俺というパイロットがいる」

 頬っぺたは引っ張っても、合わせた視線だけは逸らさない。

「戦場に立つ時は誰だって怖い。怖いに決まってる。得体の知れない宇宙怪獣だぞ? 天才たる俺だって怖い。だけど、俺はその怖さを乗り越えてあいつらと戦える。何でか分かるか? それは、お前達スーパーロボットが、その装甲で俺を守ってくれているからだ。お前達が力を貸してくれるから、俺は怖くても戦える。だから、俺が今から言うことを決して忘れるな。お前が俺を守ってくれてるように、俺もお前を守ってやる。どんな逆境に陥っても、俺が頭をフル回転させて、作戦考えて、必ずお前を助けてやる。俺はお前のパイロットだ。怖いと思ったら、迷わず俺に言え。奈美と未佳だっている。お前は一人じゃない」

 摘まんでいた頬っぺたを離す。

「そして、お前のパイロットである俺は、絶対に諦めるなよなんて投げっ放しなことは言わない。いいか、一回しか言わないから、よく聞け、沙耶」

 上着のポケットに手を突っ込み、ここに来る前に、あらかじめ用意していた物を取り出す。

 俺は『ミルクたっぷりカフェオーレ』と書かれた缶ジュースを、沙耶の眼前に差し出した。

「一緒に、頑張ろう」

 唐突だが、沙耶の涙腺をダムに例えよう。頬っぺたを引っ張って完全に止めたと思われた沙耶ダムの水漏れは、俺の一言によって水漏れを通り越して一気に決壊した。穴が開いた所の騒ぎではなかった。コンクリの壁が全部吹っ飛んだ。

 擬音にすると、こんな感じである。

「ぶぇえぇえぇえええぇえぇえぇんッ!」

 顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら抱き付いて来る。ラグビーを超越した猛牛の突進のごときタックルを喰らって、死ぬかと思った。あばら骨が何本か逝ったんじゃなかろうか。

 何にしても、沙耶は泣いた。わんわん泣いた。

 鼻を啜るくらいになるまで介抱して、それからベンチに座らせ、カフェオレを飲ませて落ち着かせる。

 それから公園の水で顔を洗った沙耶に、「そろそろ病室に戻るか?」と尋ねると、彼女はようやくいつもの笑顔で「うん!」と頷いた。

 外に出たばかりの時は、月を囲うように鎮座していた雲も、今はどこかに消えてしまい、開けた夜空には数多の星が瞬いている。

「ねぇ、北斗くん」

 正面玄関に向かう途中、沙耶がツインテールの片方を右指にくるくると巻き付けて弄びながら、口を開く。

「ん? どうした、沙耶?」

「あ、あのさ……」

 何やら言いにくそうに、ちらちらと横目で盗み見して来る。

 沙耶はやがて、頬に朱線を走らせて、言った。

「手……繋いでもいい?」

 いつもの俺なら「断固拒否する!」と断っているだろうから、余計に言いにくかったのかもしれない。

「……今日だけ貸してやる。ほれ」

 俺は右手を沙耶の前に差し出す。

 沙耶は、ぱぁっと表情を明るくして、ガッツポーズをする。

 俺の手をぐわしを握り、万歳のポーズで、月に向かって吠えた。

「北斗くんの手、獲ったどぉぉぉ――ッ!」

「前言撤回! 返せ今すぐ!」

 いつも通り拒否しておくべきだった。調子に乗るとすぐこれだ、全く。

 というか、握力が強くて振り解けん!

「やだ! 北斗くん、貸してくれるって言ったもん! 男に二言は無いんでしょ!?」

「文章を読み返して見ろ! そんな台詞はどこにも書いてない!」

 空中で腕相撲をしているかのような格好になりながら、手を引っ張り合う。

「ぜぇぇぇったいに離さないんだからぁぁぁ!」

「馬鹿力程度で天才パイロットたる俺が諦めると思ったら、大間違いだぞ! 離さないなら料金を請求してやる!」

「いくら!」

「一秒五十円!」

「高いよ!? ソレ、一時間で一万八千円だよ北斗くん!?」

 悪戦苦闘の末、結局、俺が折れる。今日は色々なことがあり過ぎて、もう疲れた。

「やったぁー! ボクの勝ちー!」

 歩きながら、繋いだ手をぶんぶんと前後に振る沙耶。

 しかしまぁ、沙耶が幸せそうなら、それでいっか、とも思う。

「北斗くん」

「何だ」

 そう言って、何気なく沙耶の顔を見ると。

「ボクね――」

 そこには、一年廻って春がやって来たかのような、

「北斗くんがパイロットで……本当によかった!」

 満開の、笑顔の桜が咲いていた。

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