脇役希望になった理由①
ーーーー10年前
床に伏す老齢の女性の手を握り涙を堪える幼いアリアネルがいた。齢5つ。
「おばあさまっ、うっく、おっおねがいです、っアリアネルをひとりにしないでえ」
言葉を紡いだ途端、硝子玉のような美しい瞳から涙が溢れて止まらない。声が震え、それ以上は何も発せない。
アリアネルにとって祖母は特別な存在だった。
自分が生まれて幾日かで、元々病弱だった母を亡くした。領地経営や王族、他の貴族との関わりを持つために忙しい父とはほぼ顔を合わさなかった。
兄弟のいないアリアネルにとって家族は祖母だけのようなものだった。
「かわいいアリアネル、そんなことを言わないでおくれ。…さぁ、笑顔を見せて」
祖母が力無く笑うと、アリアネルも努めて笑おうとする。それでも涙は止まらない。
祖母は困ったように眉を顰め、アリアネルの後ろに立つ侍女に部屋を出るように告げた。
祖母とアリアネルが2人きりになると、祖母は体をゆっくりを起こして自身の枕元を叩いてみせた。
息は少し上がっていたけれど、アリアネルに心配させないように少しだけ微笑んだ。
「さぁ、アリアネル。座ってごらん。私はお前に話さなきゃいけないことがあるんだ」
アリアネルはまだ涙が止まらないが、俯いたまま祖母の横に腰掛けた。祖母はアリアネルをできる限り強い力で抱き寄せて耳元で言った。
「アリアネルは私の秘密の引き出しを知っているね?」
アリアネルは思い出したかのように顔を上げて頷いた。
それは祖母の部屋にある机の1番下の段の引き出しのことだ。厳重に鍵のかけられたそれを今よりもう少し幼いアリアネルがふざけて引っ張ったらこっぴどく叱られたことを忘れられない。
「そう、私はあの引き出しを絶対開けてはいけないと言っていたね。…あの中にはね、一冊の本が入っているの。それは私が今のアリアネルくらいの時に見つけたものなんだ。あれは怖くて不思議な本なの。信じられないかもしれないけど、この国と同じ国のお話が書いてあってね…そこにはアリアネルの名前も出てくるの」
アリアネルは意味がわからず小首を傾げてみせた。
祖母はそんなアリアネルの頭にポンと掌を乗せ少しだけ撫でた。
「実はね、あの本を見つけたばかりの頃はあの本は真っ白で何も書いていなかったの。幼い私は表紙が綺麗だからお絵描き帳にでもしようと机の引き出しに入れて、その存在を忘れていたくらいよ。…でもディアナが、貴女のお母さんが貴女を産んでしばらくしてから息を引き取った後に、妙な胸騒ぎがしてあの本のことを思い出したの。そしたらあの本の文字が浮かび上がっていたのよ。そしてあの本にディアナが亡くなることや貴女が生まれ、アリアネルと名付けられること、そしてこれからのことが書かれていたの」
アリアネルの潤んだ瞳には困り顔の祖母が映る。
「ああ、かわいいアリアネル。勇気のない私をどうか許して。…その本に書かれているこれからのことはあまり幸福なことではなくて、私もそこから目を逸らしていたの。ごめんなさい。でもこれからは私もそばで貴女を守ってあげられなさそうだから貴女に自分で自分を守る術を身につけてほしいの。…身勝手な祖母を許してちょうだい。アリアネル、あの本を読んでみて。どうか幸せになって。お願いよ」
祖母はそう言って、アリアネルの小さな掌にチェーンのついた鍵を乗せた。
「あの本のことは誰にも言ってはいけないよ。私とアリアネルの2人っきりの秘密よ」
アリアネルにはよく意味がわかっていなかったが、声を紡ぎたくとも嗚咽となって消えてしまいそうで、とにかく頷くことしかできなかった。