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参話 暗殺剣・前編

 夜が更けて、人通りが少なくなってきた。

 じゅうじゅうと油が跳ねる小気味いい音が屋台から聞こえる。

 店主の女性は油の海から拾い上げた野菜を軽く振って、次々に皿に盛っていく。

 栖雲は先に出された清酒をお猪口に移して口をつけた。

 他の客はいない。通りに開くはずの屋台をわざわざ町はずれに開いている変わった店主。

 その正体はお菊の友人である情報屋のお豊代だった。


「先日、大名の正妻が殺害されました」

「護衛はどうしていたの?」

「護衛はいませんでした」

「そうよね。この様子なら側室も全滅でしょう」


 お豊代は天ぷらを盛った皿と塩を盛った小皿を栖雲の前に差し出した。

 栖雲は天ぷらを塩につけると一口食べる。

 お豊代の作った天ぷらは丁寧に調理されており、栖雲はそれを美味しそうに食べてから酒を一口飲んで少し頬を染めた。


「火狩は今、どうしているのかしら?」

「先日、こちらに送られてきた野菜を全て精査しました」

「何をやっているのよ…。慎重すぎるのも困りものね」

「そうですね。話は戻りますが、脇腹から背中にかけて斬られていました。こういう中途半端な暗殺剣は落水流だって相場だということです」

「ふうん、自ら手を下さなかったのね。相変わらず悪趣味だわ」

「詳細が記載された依頼書です。依頼者は伏せています」


 栖雲は帳場を乗り越えて紙を渡した。依頼書には油が跳ねた跡があり、少し眉を潜ませた。

 その依頼書を脇に置いて、再び箸を取る。


「予想はつくわ。あなたも中々意地悪よね」

「ふふっ、栖雲様ほどではありませんわ」

「ふふっ」

「ふふっ」

「「ふふふふふふっ」」



 二人して不気味に笑う。

 腹を探りあっているわけではない。互いにじゃれているだけに過ぎない。


「ところでメンカブ会の動きはどうなのかしら?」

「火狩がこの国で目を光らせているうちは問題ありません。しかし彼らは常に潜伏しています。いつ隙をついてくるか分かりません」

「鳳珠国に彼らが来ている。何か具体的な成果を持って接触したいはずよ。ここらにも百以上の同胞がいるのでしょう?小さな違和感でもいい。情報が入り次第こちらに報告なさい」

「御意」


 お豊代は頭を下げる。

 天ぷらを平らげた栖雲はお猪口に残った清酒を飲み干すと依頼書を折りたたんで、用意していた金を帳場に乗せて、暖簾を潜って外へ出た。



 着替えようとしないナハトの服をひん剥いて、洗濯を始めた。

 その結果、ナハトはお菊が用意した服を着ざるを得なくなった。

 ナハトはお菊のと大獄は二人で町へと繰り出した。

 何故、二人で町に繰り出したかというと少し時間を遡り、朝食後に大獄が栖雲に呼び出されたところから説明する必要がある。


「今回の依頼は情報収集よ」

「うん」

「甲斐田紋次郎。五和流奥伝を取得した後に甲斐田道場を開く。その男は辻斬りの犯人として疑われているわ。しかし役人はそれを目撃した男を門前払いしたということよ。尾行はしなくていいわ。ただ門下生に素行等を聞き出しなさい」


 奥伝は剣術を極める過程での伝位の一つであり、師から奥義を学んだ者が与えられる一つの称号だ。

 基礎課程を終えて、奥義を教えるに十分だと判断され、甲斐田紋次郎という男はそれだけの実力を持っている。

 栖雲は煙管から煙を吸うと吐き出した煙を払うようにゆらゆらと依頼書で扇いだ。


「それだけ?」

「ええ、それだけよ」

「それと成功報酬とナハト様の面倒を見てくれているお駄賃を含めた金子よ」

「ありがとう」

「それとこっちはナハト様の和服代。それと銭湯代と昼食代よ」

「…僕が行くの?」


 金子が入った風呂敷とは別に渡された金子が入った巾着袋。

 貰った金子を手に持って喜んでいた大獄は一瞬で戸惑いの顔を見せた。


「いいえ。ナハト様も一緒に行くのよ」

(一人でゆっくりしたかった…)


 そして時間は現在に戻る。

 栖雲の出した不可解な依頼に繰り出したナハトが同行している。

 依頼をさっさと達成して、ゆっくり町で食べ歩きをしようとしていた大獄はるんるん気分で歩くナハトの横で少し暗い表情をしていた。


「大獄、早く案内しろ」

「何で僕が…」


 大獄はため息をつきながらナハトの隣を歩んでいた。

 遠野家を出立した二人は町の呉服屋に向かった。


「服を買った後に泥湯に入る。今日はそれだけでいい。終わらせて蕎麦食べるよ」

「うむ!しかし泥湯とは何だ?なんだか汚そうじゃの」

「湯の花っていう温泉の泥を使っている温泉。泥は汚くないし、肌は普通の温泉に入るより綺麗になるって聞いた」

「なるほど!それは入ってみたくなったぞ!」

「到着」


 呉服屋に到着した二人は店の中へと入る。

 店主は「いらっしゃい」と笑顔で挨拶してきた。


「私の服を見繕ってくれ」

「分かりました。先ずは採寸しましょう。おい、高子!女性のお客さんだ!」

「あら、美人ね。どんな服でも似合いそうだわ。僕はいいのかしら?」

「うん」


 奥から現れた店主の夫人が二人を見て笑顔を浮かべた。

 ナハトから一歩下がった大獄に腰を下ろして視線を合わせて訊ねた。

 大獄は首を左右に動かして断った。


「せっかく弟さんがいらっしゃるのですからいくつか着てもらって感想を聞きたいわよね?」

「大獄は弟ではない。だがせっかくだ!私の服を選んでくれ!」

「面倒」

「そういうな!無理矢理にでも付き合ってもらうぞ!ちょっとそこで待っていろ!」

「はあ…」


 外を散歩しようとしていた大獄は押しの強いナハトに押しとどめられ、大人しく玄関の上がり框に座った。

 店主は「お部屋にどうぞ」と言われ、草履を脱いで居間へと案内された。


「最近は下着も有名になってきているのよ。あら?もしかしてそれって西洋の下着じゃない」

「そうじゃ!私は元々西大陸の者でな!こちらに旅で来たのじゃ!」


 笑顔で返答したナハトだが、眉は罪悪感から眉が少しぴくぴくと動いている。

 嘘をつくのに慣れていないが、夫人は疑った様子を見せない。


(という設定なのじゃが…)

「ふふっ、異国の妖怪なのね。最近は下着も西洋の影響を受けて、新しいものが続々と出てきたのよ。これなんかどうかしら?」

「おお、ブラではないか!」

「ふふっ、こちらの国では乳押さえと呼ばれています」


 夫人が取り出したのは西洋のものと遜色ないブラだった。

 早速つけてみると全く違和感はない。


「ほお、着心地がいいな!」

「幕府への献上品の中に下着があって、それを研究した絡新婦じょろうぐもがこの国に合う造形にしたのよ」


 この島国では乳押さえが誕生するまで下着をつける文化はなかった。

 それを研究して商品として出し、宣伝に幕府も協力して普及したらしい。


「ほお!凄いのう!」

「こちらもおすすめです。床の間で気になる男性に見せてみない?」

「そっ、それは下着ではないじゃろう!?というかそんな男なぞおらん!!」


 夫人が取り出したのは胸部に穴が開いている露出の激しいものだった。もはや下着の体を成していない。

 ナハトは顔を紅潮させてその下着をまじまじと見つめるものの、けして手を出そうとはしていなかった。


「あら、美人なのだからいると思ったわ。私も若い頃は男達が放ってくれなかったの。でも今の旦那の告白が情熱的だったから駆け落ちして幸せになったの」

「ほう!羨ましいのう!」


 夫人の惚気を純粋に羨ましがり、目を輝かせた。

 その反応に嬉しくなった夫人は箪笥から今度はパンツらしき布を取り出した。


「こちらも最新式の褌もっこ褌よ。色合いも同じだからこの乳押さえに合うと思うわ」


 パンツに近い形状だが少しばかり形状が異なり、紐を通された布は左右に動いて幅が調節できるというものが従来のもっこ褌だ。

 それが西洋の下着風にアレンジされて、乳押さえと同じく美しいデザインになっていた。


「どちらも絡新婦様が住む町で作られたものよ。安価で高品質。この店のおすすめ品よ」

「確かに丁寧な作りじゃ。なあ、一つ質問してもいいか?」

「何かしら?」

「お主は妖怪は怖くはないのか?」

「昔、百鬼夜行や人と妖怪の戦争があった時代を生きた方は怖かったと思うわ。確かに妖怪によっては超常的な力を操る方もいて、全く怖くないといえば嘘になるの。だけれど人が人を襲う被害が多い現代では偏見はないわ」

「ほお!」

「衣類に関しては絡新婦。鍛冶に関しては一本だたら。発明に関しては河童等が先陣を切って文化水準を推し進めてくれているの。その恩恵を味わっている以上は感謝しかないわ」

「成る程。気に入った!その下着の上下買わせてもらおう!」

「ありがとうね。今日は呉服も買いに来たのでしょう?私のお気に入りがあるの。ぜひ一度見てほしいわ」

「うむ!楽しみだ!」


「お茶のお代わりはいりますか?」

「いい。僕は客じゃない」

「付き添いでしょう?私も昔、同じように付き添いましたよ。こういう仕事をしていればそういった方は多い。むしろ男女揃って何かを買いに来るなんて稀です。あっても片方がこういった小物を買ったりなんてして、その時は少し微笑ましく感じます」

「それは?」

「ああ、この国で有名なうなぎの郷土玩具ですよ」


 鰻の形をした張り子の人形。

 漆喰塗をされており、光沢を放っている。更に丁寧に塗装されていて、子供にも受けそうな可愛い見た目になっている。


「可愛い」

「是非、お手に取って見てください」

「大獄!どうだ!似合うか!?」


 隣の部屋から紫の着物に身を包んだナハトが現れた.。

 たすきで腕まくりし、露出した部分には腕を覆う黒い手袋。右足が露出する仕様になっていり、露出した部分にはストッキングを履いている。

 マントを模したものは首周りに羽がコーティングおり。赤い紐で固定している。

 従来のナハトにマッチした服装を見て、目を輝かせるナハトに大獄は頷いた。

 

「似合う」

「じゃろう?」

「ではお会計を――」

「その前にこれ貰う」

「おお、毎度」


 会計を済ませた大獄は呉服屋を後にした。

 大獄は購入した張り子の人形をじっと見つめている。


「それ可愛いな!私にも見せてくれ!」

「うん」

「ほお、丁寧な作りじゃ。職人の拘りを感じる。私も買っておけばよかった」

「郷土玩具は各地にあるから集めるの楽しい」


 ナハトは手のひらサイズの置物をまじまじと観察して感心する。

 郷土玩具は地域色が出やすいために旅で訪れた者はよく買うようだ。


「もしや集めているのか!?」

「まだ。いつか集めたい」

「それはいいのう!魔界再興が終わって暇が出来たら一緒に旅しないか?」

「いいね」

「よし。決まりじゃな。そうだ。次は泥湯じゃったか?」

「ここ」


 小さな約束をした二人はいい気分で歩く。

 かすかに硫黄の臭いが漂ってきて、ナハトは周りを見回すと大獄が指さした方向に銭湯があった。

 銭湯は綺麗なものだが、人が入っているようには見えない。


「あまり人が入っていないようじゃが…」

「一般に解放されていない浴場。栖雲が使っていいって言ってた」

「ほう?中々気が利くではないか!早速入るぞ!」

「僕はここで待ってる」


 大獄は屋敷の竹垣に背を預けた。

 その様子を見て、ナハトは首を捻った。


「何故じゃ?」

「混浴だから」

「そういえば昔。そんな風呂文化があったな。安心せい!大獄は子供なんじゃから私は気にならん!」

「…それはならいい」


 大獄はあっけらかんと言って見せたナハトにため息を一つついて、中へと入っていった。

 脱衣所に入り、大獄はナハトに背を向けて服を脱いだ。

 お互いに背を向けたまま布の擦れる音だけが響く。

 大獄はタオルで腰から下を隠して、準備を終えた。

 ナハトは先に脱ぎ終わったらしく、その様子を見てハッとしてタオルで体を隠した。


「それ、本当に外せんのじゃな」

「うん」


 手枷がある分、ナハトよりも脱ぐのが遅れた。

 裸になった大獄の手枷を見て、顎を撫でる。

 手枷をかちゃかちゃと動かすが継ぎ目がないそれは外れる様子を見せない。

 二人は浴場へと歩きだし、戸を開けた。

 浴場は綺麗なもので檜で囲われた風呂と湯あみが出来る小さな泥の入っていない溜まり湯があった。


「おお!大獄!泥じゃ!これは本当に入っていいのか?」

「うん」

「じゃあ、早速――」

「駄目。体を洗ってから」

「むう…。分かった」


 溜まり湯から湯を掬って、体に巻きつけたタオルを外して二人して体を磨き始めた。

 石鹸で体を洗うと泡を流して、鉄球を磨く大獄よりも先に風呂に入った。

 石鹸は少し前までは高級品だったものの、河童が成分を分析して、生産性を上げるとあっという間に普及した。

 今では公衆浴場でも使われているようだ。


「ふう、これは中々いいものじゃ」

「こうして娯楽として入るのは初めてじゃ」

「あっちに風呂ないの?」

「あるにはあるんじゃが、基本的には治療用じゃ。入ると治りかけの傷が痛んで私は嫌いじゃったんだが、ここにきて価値観が変わったぞ」


 西大陸では同時期には風呂は開いた毛穴からばい菌が入ってくるとして体を布で拭いて清めていた。

 風呂文化は衰退し、現在は治療用として扱われている。

 その影響ではないが、魔族は湯につかるという文化がない。

 ナハトは逆に人間の文化を取り入れて、治療用の風呂を作った。

 それ以外で風呂に入ることはなかった。


「ぶくぶくぶく…」

「はあ!?何をしているんじゃ!汚いじゃろう!?」

「肌にいいらしい」

「ぶはは、なんじゃ!大獄、お前泥だらけになっているぞ!」

「むっ」

「がぼぼっ!!ぶはーっ!!ぺっぺっ!!もろ口の中に入ったのじゃ!お返しじゃ!」


 体を丸めて泥湯に浸かった大獄は泥だらけのまま顔を出す。

 その姿を見て、ナハトを指を指して笑うと少し眉を潜めた大獄はナハトの額にでこぴんをした。

 すると投げ飛ばされたかのような勢いで湯の中に倒れこむ。

 泥だらけになったナハトは額を赤くしながら怒った様子も見せずに手で泥を掬って大獄にかけた。

 無意味な泥の掛け合いは暫く続き、温泉からは楽しそうな声が響いた。

 主にナハトによる声が。

 温泉から出ようとしたナハトは管理人にこってり絞られたことは言うまでもない。

一言解説


天ぷら

元々、米粉をつけて揚げた料理はあったものの、ポルトガルから鉄砲と小麦粉を輸入し、その際に伝わったテンポーラという南蛮料理が語源となって、江戸初期にはてんふらと呼ばれ始めた揚げ物。

一般的には魚の練り物を揚げたものを指し、野菜のみは精進揚げ。

衣に卵が入っているものを金ぷら。卵が入っていはいないが、魚の練り物だけではなく、海老や貝等を使われたものを銀ぷらと呼ばれていた。

露店で手軽に食べられるファーストフードとして江戸時代に流行。


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