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拾壱話 劇薬

 次の日の朝がやってきたナハトは重い体をゆっくりと起こし、目を擦りながら朝を迎えたことに少し悲しく思った。

 体が重いのは酒が抜けきっていないだけでなく、昨晩に大獄が言った言葉を思い出したのもあった。

 今日でお別れ。大獄とナハトはもう会える機会はほぼないだろう。

 いや、力をすぐにでも取り戻し、大陸にいるパトリックに呼び戻される。それがとんとん拍子に進めば顔を合わせるのはこの朝で最期かもしれない。

 そう思うと少しだけ胸が苦しくなった。その原因は自分でも分からない。

 起き上がって外をぼーっと眺めた後に唇を少し撫でた。


「おはようございます」


 客間から出るとお菊が頭を下げて挨拶してきた。

 ぴょんと跳ねた髪を撫でて落ち着かせたナハトは「おはよう」と少し眠気が残った顔で挨拶をした。


「すぐに着付けの準備をしますので少々お待ちください」

「うむ、ゆっくりでいいぞ」


 ナハトはお菊に髪を梳いてもらった後に服の帯を締めてもらった。

 山でボロボロになった服は修復が難しく、同じものを売ってもらいそれを着ている。


「皆様は既に居間でお待ちです。どうぞこちらへ」


 土居には既に背負い葛篭せおいつづらや風呂敷などが置いてあり、二人は既に旅立つ準備をしていた。

 それをちらりと見たナハトは吐き出しそうになるため息を堪えて居間に踏み込んだ。

 そこには四人分の料理が乗った箱膳と座布団が用意されていた。


「おはようございます、ナハト様」

「うむ、おはよう」


 ナハトは栖雲の挨拶に軽く返すといつも座っている自分の席に座った。

 大獄は先程から無言を貫いている。ナハトもどう声をかければいいのか戸惑ってしまい、無言で前を向く。


「ではみんな揃いましたし、頂きましょうか」

「ええ、そうしましょう」


 お菊の掛け声に同意して、各々が合唱をして食べ始めた。

 四人揃っての食事はこれで最後になるかもしれないのにも関わらず、お通夜のように話が盛り上がることはなかった。



 ガラガラと車輪が回る音が、遠野家の軒先で止まった。

 ナハトは外に出てみると輪入道が荷車を牽引する特殊な運搬車が待機していた。

 輪入道だけでなく、変哲もない車輪も燃え盛り、荷車は金で彩られて明らかに送迎を意識して作られたものだと分かる。

 二人の従者に挟まれる形で大獄よりも少し小さな和装を纏ったいたちが立っていた。

 風と一文字書かれた黒白の法被は裾が三又に分かれてなっていた。

 膝上までの木股(短パン)は同じく黒白で分かれており、それ以外は衣類を来ていない。

 特徴的なのは髭が耳にかかるかのようにカールしていた。


「お待たせいたしやした。あっしは鎌鼬かまいたち夜凪よなぎ、異界にある妖王ようおう馬廻衆うままわりしゅうを勤めておりやす。よろしくお願いしやす、ナハト様」

「あ、ああ」

「これよりナハト様を九十九のつづらのとうに招待しやす。どうぞお乗りください」


 夜凪の隣にいた従者が荷車の戸口を横にスライドさせて開けた。

 中には畳が敷かれており、履物を脱いで入るもののようだ。

 ナハトは後ろを振り返った。大獄は背負い葛篭を改めながら視線を感じてちらりとナハトに目を向けた。

 思わず目を逸らして荷車に向いて歩き出す。関係が悪くなったわけではない。

 ただ大獄との別れを受け入れ切れていないだけだ。子供っぽい行動だって自分でも理解している。

 それでもナハトは気持ちよく別れることは出来そうになかった。


「ナハト」

「―――!!」

「またね」

「うっ…」


 大獄から再会を期待させる別れの挨拶をされて言葉に詰まったが、ナハトは頬を両側から思いっきり叩いた。

 大獄は驚いて目を丸くする。ナハトの頬にヒリヒリとした痛みが走っているのにも関わらず、満面の笑顔を浮かべる。


「うむ!また会おうぞ!大獄!魔導王国が再建出来たら臣下にしてやるからそれまで達者でな!」

「臣下は興味ない。暇な時に行くからその時案内して」

「お前は釣れないのう…。まあ、そういう自由気ままなとこも私は気に入っているぞ」


 そういって荷車に手をかけてナハトは乗り込んだ。

 夜凪も乗り込むと従者の一人が戸口を閉めた。

 輪入道は車輪の炎を強めると空へと荷車ごと浮かび上がらせた。

 窓のない荷車からではお互いの顔を見ることは出来ない。

 それでも大獄は暫く見送っていた。

 米粒ほどの小ささに達した時に大獄は振り返って、遠野家に入っていた。


「使わせて頂きありがとうございました」

「いえ、僕は拠点として使わせて頂いただけです。恩こそ感じることがあっても感謝されるようなことはありませんよ」


 初老の二人の夫婦が栖雲に対してぺこりと頭を下げた。

 栖雲は笑顔で風呂敷を持つ手と逆の手を振った。


「いえいえ、栖雲様が仕事を引き受けてくれたおかげで妻と神在月参り(かんいづきまいり)に赴くことが出来ました。こちらはわずかばかりですが…」

「いえ、受け取ることは出来ませんわ。手配師としてこれからも頑張ってください」


 金子の入った巾着を渡そうとした遠野老人の手を押し返して断った。


「ありがとうございます。近くに寄ったら是非こちらに寄ってください。名産の鰻を用意して待っています」

「ええ、その時は是非。お菊も世話になったわね」

「いえ、私としても楽しい時間を過ごさせていただきました」


 老夫婦の傍に立つお菊に栖雲は挨拶をした。

 お菊は目を閉じて深くお辞儀をする。


「栖雲様とお話をしたいので先に戻っていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、では私達は先に戻るとするよ」


 遠野夫妻は栖雲に軽く一礼をすると屋敷へを戻っていった。

 栖雲は首を捻って少しだけ笑みを浮かべる。


「何かしら?」

「ナハト様の人脈作りとやらはこれにて終わりなのでしょうか?」


 藩主を巻き込むほどの大騒動は宮繰姫が退いたことで一時的に解決した。

 旅立つ二人に対して、早朝に挨拶に来たのは赤狒々、甲斐田と哉屋の三人だけだった。

 築いたコミュニティーはけして大きいものではない上に影響力もない。

 次に続くものもなかったためにナハトの野望への影響はほぼないといっていい。


「あら、そう思うかしら?」

「質問を質問で返されても困ります。この展開は私でも分かっていました。このままナハト様が異界で保護されれば人脈作りとやらはけして上手くいきません」

「そう?上手くいけば魔導王国の復興に妖王様は力を貸してくれると思うわ」

「それはけして対等ではありません。夢を叶えた後にその借りは大きな枷となるでしょう」


 個人間では義理人情が成立する話でも国家間となれば大きく異なる。

 それを理解しているからこそオリオン教に対して睨まれるリスクを承知で保護しようと考え、その上で幕府にも協力を願い出た。

 複雑に絡み合う政治的な思惑は短期間とはいえ勤めたナハトも内心では理解している。


「ふふっ、随分と入れ込んだのね。化け狸としてその意見は上の意向に反するでしょう?」


 栖雲は唇に指を当てながらふふっと笑う。

 お菊の尾てい骨辺りからぽんと狸の尻尾が現れる。


「私はこの数日間、ナハト様と生活を共にしました。そこで今自分が出来ることを全力で取り組むナハト様を応援したくなりました。私は人間社会に溶け込み、監視する役目を持つ一介の化け狸でしかありません。振るう権力もなければ誰かを守れる力もありません。そんな私でも一端の感情を持っています。もしあなたがナハト様を――」


 遠くで爆発音が響き、お菊は目を見開いて遠くを見る。

 燃えた荷車が激しい光と煙で軌道を描きながら地面へと落下していったのが見えた。

 暇潰しに蟻の巣を観察していた大獄はばっと顔を上げる。


「ナハト!」

「大獄、行くのかしら?」


 駆け出し始めた大獄を栖雲が呼び止めた。


「約束した」

「なら止めないわ。でも私は待たないわよ?」

「構わない。僕は約束を守る」


 栖雲は暗に置いていくと宣言するが、大獄は迷うことなくナハトのもとへと向かう意志を示した。


「随分と親しくなったのね。なら一つだけ忠告してあげるわ」

「ん」

「恐らく、襲撃したのはメンカブ会よ。オリオン教が使う祓魔という術は巫術や陰陽道と同じ系譜。魔族だけでなく、妖怪にも有効だからくれぐれも気をつけるといいわ」

「ありがとう」


 大獄はぐっと膝を曲げると地面が抉れるほど強く地面を蹴って、空高く跳躍して鎖を伸ばして木々の幹に括りつけるとそのまま鎖を縮めて、高速で現場へと向かっていった。

 大獄が去る様子を眺めていた栖雲の背中に鋭い視線が突き刺さる。


「栖雲様、これはあなたが計ったことですか?」

「私は何もしていないわ」

「でもこの展開を読んでいたのでは?だからこの展開に繋げるために火狩様をあの戦闘後に帰らせて、メンカブ会の存在を無視していたのでしょう?」


 どこ吹く風で飄々と受け流す栖雲に少し苛立ちながらお菊は詰問する。

 それでも栖雲の表情は崩れない。


「あら、僕を責めるなんてお門違いだわ。そちら側にメンカブ会の動向は探らせていたはずよ」

「ぐっ…ならせめてナハト様を助けに行ってください」

「僕の仕事ではないわ。いえ、この場合はあの子達の成長のために手を貸すべきではないのよ」

「結果二人が死んだとしても…!?」


 明らかに放置とも取れる無責任な発言にお菊は目を見開いて驚く。

 これは修行ではない。相手は害する気があり、保護者がそれに介入しないという。

 その結果、最悪な展開に発展する可能性だってある。


「大獄が魍魎の匣に入れられた時のように命を賭けた逆境が必要となるわ」

「そうまでして何故、二人の成長を急がせるのですか?」


 大博打を打つ栖雲にその意図をお菊は問う。


「ふふっ、気になるでしょうけれど下手な詮索はやめなさい。私はそろそろ行かせてもらうわ。おっと…」


 栖雲は軽く釘を刺すと大獄が置いていった背負い葛籠をよろけながら持ち上げた。


「また会いましょう、大獄」


 そして再び「端」と一言呪文を唱えるとお菊を残してその場から姿を消した。

一口解説


旅行

江戸時代になると五街道が整備されて移動しやすくなった。

そのため旅行文化が盛んになり、特に伊勢参りは人気があった。

また中期になると信仰のために支援する集団組織が生まれ、庶民でも長期旅行が可能となった。

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