拾話 花火の後の静けさ
焦りのあまり呼吸を荒げた栖雲の額から汗が流れ落ちる。
ナハトは動転して、大獄のもとまで近寄ると抱き上げて、肌が少し切れた胸を触った。
心臓が鼓動している。その感触を肌で感じてほっとする。
栖雲はすぐさま手で球体の形を作るとぼそっと呟いた。
「火狩」
「すすすす、すいません!禍を取り逃がしました!」
火狩の分身は栖雲の呼びかけに自分の失態を土下座でもする勢いで謝る。
「町に結界を張ったわ。分身で宮繰姫を追いなさい。まだ逃げていなければ宮繰姫の首だけでも取って来なさいとそう本体に伝えなさい」
「わ、分かりました!今度はちゃんと殺してきますす!」
栖雲の威圧感に恐れおののいて体を振るわせた分身は瞬時に消え去り、どこかへと向かっていった。
火狩の能力を持っても残火二人を相手に始末するのは至難の業だ。だからこその残火。
この島国で厄介者として名を馳せながらも未だに手配書が片づけられない化け物達だ。
それは栖雲も承知している。それでもイライラが抑えきれずに当たり散らすように火狩に命じたのだ。
「何がどうなっておるのじゃ…」
ナハトは途中参加だったものの、栖雲の焦り具合からこの戦いがいかに凄惨なものだったのか察して冷や汗をかいた。
ほどなくして結界が破られた感触を感じ取って、栖雲は宮繰姫に逃げられたのだと空を見上げてため息を一つついた。
泥地国を舞台とした宮繰姫との戦いはこうして幕を閉じた。
栖雲は縁側で煙管から煙を吸い込み、煙を吐き出して天を扇いだ。
「それにしても…派手にやりましたね」
「悪いとは思っているが、元々は栖雲のせいじゃぞ!」
ナハトは腕を組みながら抗議する。
天井は吹き抜け、地面は結界を張ってあった場所を中心に抉れて、障子は全て吹き飛んでいた。
「そうですね。私が勝手にナハト様を力不足だと,見誤りました。それと――」
栖雲は灰を落として煙管を置き、ナハトの方に向く。
「助かりました。おかげで三人の命が救われました」
「その点についてはもうよい。結界とやらで私を簡単に捕らえたお前が苦戦するなんて相当だったんじゃろう」
「そうですね。正直、今回の敗北は僕の油断が招いた結果です。大獄の具合はどうですか?」
「高熱が出ていたが、先程熱が引いた。術を解いたのも熱を出したのも全てあの鉄球が起因しているのか?」
「ええ、あの鉄球は本来、破浄の瑠璃と呼ばれる宝玉を青生生魂という特殊な金属で包んだものなんです。昔、月と交流したことで都に献上され、その時は様々な異能を打ち消すだけでなく、妖怪の力さえも減衰させるという強力な効果により大切に保管していたのですが、それが盗まれて悪用されたのです。その時に妖怪側に被害が出た結果、この宝玉を内密に加工して、異界で保管するという盟約が交わされました」
再び煙管を取って、火をつけると煙管に口をつけて煙を吸う。
見上げていた月は薄い雲に隠れながらも光を絶やさず地上を照らしている。
吐き出した煙が月光に映りながら夜に溶ける。
栖雲は続きを話し始めた。
「それがいつの間にか手枷に加工されて、大獄が装着する結果になっていました。何故、そのような経緯になったのか私には分かりません。ですがあの手枷は強力な呪いによって外れない状態にされ、彼の力となると同時に彼の力を奪う原因となっているんです。鬼道を打ち払ったのは大獄の命が危険に侵されたから大獄が無意識にその力を使ったの。でもその代償として大獄はその力が活性化し、それに当てられて衰弱状態になったのです」
「栖雲はあの手枷を外せんのか?」
「私は端境専門です。呪禁は初歩程度しか学んでいませんのであんな強力な呪いを解くことはかないません」
「知り合いにもいなかったのか?」
「二人ほどいます。ただ一人は獄中にいるので手続きに時間がかかり、もう一人は都から離れることが出来ないので今すぐという訳にはいかないのですよ」
栖雲は俯いて真剣な表情をする。
呪禁とは呪いを解くための術であり、時には人を癒したり、人に力を与えるなど魔法でいえば白魔術のような役割を持っているが、その術式は現在は使える者が少なく、専門家となればかなり限定してくる。
栖雲も初歩と謙遜しているが、札を介せば宮繰姫の鬼道を解くことが出来る自信があるほどの実力がある。
ただそれだけ大獄の枷にかけられた呪いは強力だというのだ。
「術者を殺せばいい」
「おお、大獄!起き上がれるほど回復したのじゃな。よかったよかった」
じゃらりと音を立てて、暗闇から浮かび上がった大獄は簡潔に解決方法を言った。
ナハトは大獄の肩をばんばんと叩いて笑顔で迎えた。
「してその呪いをかけた奴を知っているのか?」
「…………」
栖雲は敢えて無言で成り行きを見守る。
大獄は息を少し吸い込むとナハトの質問に答えた。
「堪輿王――僕のお兄ちゃんだよ」
ナハトは見慣れたはずの大獄の無表情だったが、その名前を告げた後やけに寒気を感じた。
遠野家の庭先では甲斐田達が酒を手に、七輪を囲んで騒いでいた。
「おっ、今日の主役達が来たな」
「凄いいい匂いじゃ!何を食べているんじゃ?」
「壺漬け肉だよ。お前達の分もあるから早く食おうぜ」
粕漬けされた肉がじゅうじゅうと煙を出して焼かれていく。
ナハトは箸を受け取るとどれを取ろうかと迷う。
「これいい」
箸で裏面を確認した大獄は初めて焼肉を食べるであろうナハトにいい具合の肉を差す。
「これか?」とナハトは口に運んだ。
「んー、肉が柔らかくて美味しいのじゃ!」
粕によく漬けていた肉は普通に処理した肉よりも柔らかく、ナハトは頬を抑えて喜んだ。
肉を次々と食べていくナハトとゆっくりと味わう大獄に甲斐田の奥さんが「どうぞ」と酒の入った杯を渡した。
「おっ、清酒じゃな。うん、美味いのじゃ!」
「ほどほどにして」
「何じゃ、大獄も飲め!」
「鬱陶しい…」
ナハトは大獄を胸に当てるように抱き寄せる。
過剰なスキンシップに大獄は青筋を浮かべながらも抵抗しない。
「おお、こっちの肉も美味そうじゃ!さっきとは違うようじゃが、これは何に漬けているんじゃ?」
「味噌」
「味噌じゃと!?絶対美味いじゃないか!焼き具合どうじゃ!?」
「食べれる」
味噌の匂いが食欲を刺激し、ナハトは七輪の前にしゃがみ込んで肉を箸で触る。
大獄は頭を縦に振るとナハトはゆっくり立ち上がって、人差し指を立ててその上に魔法陣を展開させた。
「ふっふっふ、見ていろ」
「?」
「エアカッター!」
網の上で焼かれていた肉は風の刃で二つに分かれる。
「どうじゃ!大獄!」とドヤ顔をする。大獄は「おおっ」と手を叩く。
その反応に気をよくしたナハトは皿に肉を移す。
「ふっふっふ。その反応は大変気分いいぞ!ほれ、大獄。褒美じゃ」
ナハトは箸で肉を持って、大獄に突き出した。
大獄は箸同士ので受け取るのは御法度であり、持っていた大獄の皿に移す様子もないために戸惑いながらも肉に直接かぶりついた。
焼けた味噌の風味と肉汁が口の中に充満する。
「美味いか?」
「うん」
大獄は頷く。あれだけ騒がしかったのに周りはいつの間にか静かになっていた。
ナハトは「ん」と一言言って再び肉を箸で差し出す。
もう一口食べようと口を開けた時にひゅーと笛の音共に光がゆらゆらと空に登っていく。
破裂音と共に哉屋が打ち上げた花火が破裂して、大輪の花を空に咲かせた。
「綺麗じゃな」
「うん」
「…操られてた時、栖雲を殺そうとした。自分が自分じゃない感覚、少し怖かった。相手がナハトだったら殺していた」
「今回は私も不甲斐なかったからお互い様じゃ…。栖雲が軽く作った結界ですらあんなにも時間をかけてしまったのじゃ」
「仕方ない」
「とにかく――!」
ばっと立ち上がると少し小走りで距離を取ったナハトは振り向いて、後ろで手を組んでにひっと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「力を取り戻したら全力で守ってやる!それまで待っておれ!」
花火を背中にしたナハトはいつも以上に美しく見えて、大獄は言葉に詰まった。
しかし皿と箸を置くと少しだけ俯いた。
「無理」
「どうしてじゃ?」
「明日、異界から使者が来る。妖王の城で客人として迎えられる。僕は栖雲と旅を続ける。もう会うことは殆どない」
「なっ…」
最期の花火の音が煩わしく感じるほど、ナハトは大きく動揺した。
その後、二人は互いに口を開くことなく、静けさを取り戻した庭で虫の鳴き声だけが木霊した。
一口解説
焼肉
肉食が解禁されるまでの日本は隠語を用いて食されていた。
猪なら牡丹、馬なら桜と様々。特に使われていたものは薬。
魚介以外の肉食が禁じられていた時代は動物の肉を食うことを薬食いと呼んでいた。
主に鍋で食べられていたが、勿論焼いて食べるという文化もあった。
かのグルメで有名な水戸黄門は焼肉が大好きで、肉の粕漬けや麹漬けを食していた。