漆話 奉行所・前編
お豊代が遠野家の玄関を開けて、土間の中心に立った。
ほどなくして栖雲が居間から現れる。
普段は天ぷら屋台を営んでいるお豊代が来るのは滅多にない。
緊急の用事だと伺える。
「山を見張っていた者達から連絡が来ました。ナハト様が奉行所に向かっています。目的は今回の辻斬りを指示した支配与力でしょう」
「あら、随分と暴れまわっているのね」
「ナハト様は妖王様の客人です」
「正確にはまだ客人じゃないわ」
床に座り込んで、持っていた灰落としを横に置いて刻み煙草を丸め始める。
お豊代は栖雲の突き放したような態度にむっと眉を鋭角にしながらも冷静に意見する。
「ナハト様が魔導王国を復興なされば、外交は上手くいきます。逆にナハト様を失えば外交の扉は閉じてしまうでしょう」
「絵に描いた餅ね。ナハト様は恐らく生き残ればこの国で力を取り戻せるかもしれない。でもあちらの大陸で一度敗北した身よ。優秀な兵士達を失い、魔族からの信用も大きく失った。そして聖教国はまだ健在。これでどうやって復興出来るのかしら?」
「それは…」
魔導王国は戦争で負けた。そうなれば勇猛果敢に戦ったであろう将は当然戦死している。
勇者を打ち倒し、大部隊を削ったとはいえ、まだまだ聖教国には余裕がある。対して既に主戦力を失った魔導王国はギリギリまで追い詰められていると言っていいだろう。
栖雲の反論にお豊代は視線を泳がせながら反論しようとしている。
ゆらりと指を動かすと煙管の種に火がついた。栖雲は口をつけて煙を吸う。
煙を吐き出すまでどちらも口を開かずに静寂が支配する。
煙管から口を放した栖雲は笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい。厳しいことは言ったけれど、要するに見守ることに決めたのよ」
「どういうことですか?」
「初めは鳳珠国に駐在している聖教国からの使節団が帰るまでのおもりのつもりだったわ。彼女の態度次第では強力な結界の中に閉じ込めればいいの。でも彼女の心は死んでいなかったわ。ならこの国で得られるものを得てもらい、帰った時にそれを生かしてもらうわ」
「この国で何かしら技を磨くと?失礼ですが、彼女の動きからは武を学んだ経験はなく、魔術においてはこちらで学ぶことは少ないでしょう」
「あら?この国の魔術も負けていないわよ。それに得るものは技だけでないでしょう?」
お豊代は顎に手を当てて考えたのちに顔を上げた。
「人脈ですか?」
「ええ、ナハト様が再度魔導王国を建国するとしたら外部の力は絶対となるわ。でも西大陸の北側は既に聖教国一強。南側に支援を求めようとしてもあちらの魔族は気性が荒くて警戒心が強い。そうなれば力になるとしたら妖怪という異分子が必要になるわ」
「妖王様がその許可を出すほどの功績を打ち出せるでしょうか?」
「だからこれが重要なのでしょう?」
数枚まとめた紙束を見せた。
その紙がなんなのかお豊代には分かっており、今度は眉間を八の字にしてこめかみを抑えた。
「…失礼ですが、今のナハト様には誰一人敵いませんよ」
「だからこそ許可できる範囲で依頼をこなしてもらっているわ」
「調べた限り渡辺という男は甲斐田以上に強いですよ」
「ふふっ、どう乗り切るかしら?」
煙管をくるりと手の中で回しながら栖雲は微笑んだ。
悪戯をする子供のような反応を見せた栖雲を諫めるためにお豊代は声のトーンを落として呟いた。
「…性格悪いですね」
「僕は彼女の意思を尊重しただけよ」
栖雲が床の上に置いた紙には綺麗な人相書がされており、そこには”宮繰姫”という名前が印されてあった。
「おい、ちょっと下りてくれ!」
何かに気づいた甲斐田が下ろすように指示する。
ナハトは高度を下げて、路地裏に降り立った。
「何じゃ。忘れ物か?」
「いや…」
「張り紙か。何が書いてある?」
「俺達の人相書だ。放火の罪で探しているらしいな」
画風のせいか分かりにくいが、しっかりと甲斐田と哉屋の両者について手配書に書かれていた。
それを見た哉屋ががくりと地面に手をつけて絶望する。
「は…ははっ…渡辺は最初から俺達を生かす気はなかったってわけだ…」
「馬鹿野郎!嘆いている暇があるなら自分の家族心配しろ!」
「は…はは…」
甲斐田はすっかりと気力を失った哉屋の胸倉を掴んで喝を入れようとするが、哉屋は意気消沈して力なく笑う。
哉屋を放り出すと甲斐田は怒りのあまり地団太を踏む。
「クソ!」
「どこへ行く!」
「家族のところに行くんだよ!」
「優先順位が逆じゃ!貴様らの罪が家族に降り掛かるのはとして、それはまだ先の話じゃ!目の前の物事に集中せい!」
「ぐっ…」
冷静なナハトの意見に言葉が詰まった。
しかし頭が冷えていない甲斐田はすぐにナハトを睨み返した。
動揺する哉屋は助けを求めてナハトに縋る。
「俺はどうすればいい!?」
「落ち着け!哉屋を言ったか?お前は強かった。万全の状態じゃないなら戻って物資を補給してこい」
「あっ…ああ!」
「甲斐田、お前は大獄にあれだけ傷を負わせたんだ。だからお前の腕は確かなはずだ。私と奉行所とやらに向かうぞ」
「くそっ、もうどうにでもなれ!」
「行くぞ!」
ナハトは指示をしながら歩みを進める。
甲斐田は頭を掻きむしりながらナハトの背中を追った。
奉行所の前に来た二人は物陰から様子を伺った。
「奉行所には侵入を知らせる結界が張られている。だから門から入らねえといけねえ。どうするんだ?」
「なら正面突破しかないだろう」
「はあ、そういうと思ったぜ」
「私が特大の魔術を撃つ準備をする。だから門番を倒して、門を開けてくれ」
「…頼んだぜ。犬死だけは勘弁だ」
ナハトは魔術を構成し始める。両手にじんわりと魔力が伝達されていく。
甲斐田は腰に差した刀の鍔を少しだけ押し上げて、いつでも抜けるよう準備する。
「後悔はさせん」
「大博打になりそうだ。ふう…合図をしたら乗り込む」
「分かった」
一呼吸おいて甲斐田はナハトと示し合わせると門の前で警護する兵士に向かって走り出した。
「な!貴様!」
甲斐田を認識した兵士達は槍を前に出して、甲斐田を迎え撃とうとする。
すぐさま甲斐田は槍の先端を刀で弾いて、左の兵士の懐に飛び込む。
そして柄の頭で兵士の鎧の隙間を縫って、脇腹を打ち付けた後に動きが鈍った兵士の首を鞘で殴りつけて気絶した。
「ぐぶっ!」
「おのれ!」
「よっと」
「ぐっ…があっ!?」
槍を繰り出そうとする右の兵士に対して気絶した兵士を盾にして躊躇った兵士の動きを止めさせた。
そのまま気絶した兵士を押し飛ばす。右にいた兵士は槍を下ろして気絶した兵士を受け止めた結果、甲斐田の接近を許してしまい、そのまま下あごを柄の頭で打ち上げられて気絶した。
「流石じゃな」
「だろ?準備は出来ているか?」
「ああ、ある程度出来ているぞ」
「ある程度ってなんだよ…」
「仕方ないじゃろう!?今は全盛期の力を出せんのじゃ!」
不安げな顔をする甲斐田に頭を掻くとナハトは全力で抗議した。
「分かったから落ち着け。まあ、あの雨を降らせたのもあんたみたいだしな。期待してるぜ」
「うむ。まあ、あれほどのものはもっと時間が必要じゃがな!」
「不安になるようなことを言わないでくれ」
そう言って門を開いた。門を開けると歩いていた役人が目を見開いて驚いた。
「何奴だ!」
「よお、俺を探しているんだろ?来てやったぜ」
「出合え出合え!」
役人達は刀を抜いて、大声を出して呼び掛ける。
声を聞きつけた役人達は刀を腰に差して、広場に飛び出してきた。
一様に武器を用意して。甲斐田を問い囲む。
「気でも狂ったか?いかに武士と言えど、この人数相手では敵うまい」
「そうかもな」
「はああああ!アルテマ!」
「なっ…」
後ろから翼を広げて空へと飛び出してきたナハトは役人達の中心に魔力の塊をぶつけた。
派手な爆発と共に役人達は吹き飛ばされた。
「ぎゃあああっ!」
(予想以上だ!)
ナハトの実力を見て、口角を上げた。
ナハトは魔術を構成しながら敵陣に突っ込む。
その力強い背中を見て、甲斐田は心強く思えた。
「行くぞ!甲斐田!」
「応っ!」
刀を抜いて、颯爽と敵に斬りかかる。
復讐の相手はこんな木っ端役人ではないと加減をしながら気絶させていく。
「ぐっ…早く立て!お前た…」
「うおおおっ!」
「ふん!」
「ぎゃあっ!」
ナハトは石を魔術で作り出して、腹に当てて気絶させるともう片方の手で構成された魔術を甲斐田に向けた。
「甲斐田、強化魔術じゃ!受け取れ!」
「おお、こりゃあいい!」
強化魔術をかけられた甲斐田はポテンシャルの向上に驚きながらも向かっていく役人を気絶させた。
「こ、こいつら!この人数を相手に本当に二人だけで!?」
「よお!お前で最後か?」
へたり込んでやる気を失った兵士を前に甲斐田は威圧した。
その役人の様子を見て、刀を下ろそうとしたところで殺気を感じて受けに姿勢に回った。
刹那、刀に火花が走りって甲斐田は後ろへと後退した。
「いいや、違うぜ」
「ぐっ!」
「甲斐田殿、成果はどうか?」
屋敷から他の役人よりも派手な服に身を包んだ男が現れた。
その男は口元は笑っているが、目は甲斐田を諫めるように壇上から見下している。
「失敗だよ失敗。まあ、どっちでもよかったみたいだな」
「私にとっては重要なのだよ。余計な仕事を残したとあれば苦労するのは私なのだぞ。だが…お前の処遇は変わらんがな」
「なら知ったこっちゃねえよ」
「杉田、甲斐田を始末しろ。私はあの妖怪をやる」
「あいよ」
杉田と呼ばれた男は柄を強く握って、下卑た笑みを浮かべた。
「聞いたことあるぜ。杉田弥太郎。首打役を毎回引き受ける狂った浪人だって聞いてるぜ」
「おいおい、俺は金のためにやってんだ。案外、下級武士のあんたより稼ぎがいいんだぞ。それに無抵抗の奴の首を落とすだけで金を貰える。一石二鳥ってやつだ」
「刃こぼれしてない綺麗な刀だな」
「腕がいいんで…な!」
「ふっ…!」
一振りで命を奪わんとする杉田の太刀筋を見切って甲斐田は刀で受けた。
ブレが一切なく、杉田の首を横薙ぎで狙ってきた実力に恐怖を覚えて汗が滲む。
ナハトからの支援は期待できない。何故ならナハトは今、支配与力を警戒しているからだ。
「お前が支配与力とやらか?」
「失礼。名乗りが遅れたな。私は山内井伊之介と申す」
「私は…あー、故あって名前は伏せるぞ!」
「なら名もなき者として死ぬがよい」
山内は刀をゆっくりと抜いて壇上から下りてきた。
真剣を持った孤瀛の剣士と初めて退治する。ナハトは唾を飲み込んでから構えた。
「こんなところで死ぬわけにはいかん!」